第18話 敗北者
何度もつまづきそうになりながら駅まで走った。目的地はひとつ。静岡に行くんだ。ジェレミーのところに。ここから逃げ出すんだ。
運賃表を見て財布の中を探った。母親のへそくりからくすねた三万円が入っている。これなら新幹線に乗れる。静岡に行ける。
電車を乗り継いで、静岡駅にとまる新幹線に乗った。沸き立った頭の中で、今頃ジェレミーはもう静岡にいるはず。そう思い込んでいた。
「切符を拝見します」
学生服を着ていることに気づいて、僕は急いで上着を脱ぎ、少しうつむいて切符を差し出した。
「はい、ありがとうございます」
安堵のため息をつく。大丈夫。このまま遠ざかってしまえ。何もかも捨ててしまえ。これに乗っていればジェレミーのところに行ける。ジェレミーのところにさえ行ければいい。
静岡駅に降り立った僕は突然現実の不安に襲われた。
──お前はバカか。
だだっ広い駅前の通りに圧倒された。静岡なんて、知りもしないところに来て、来ればどうにかなると思って。ここからどうやってジェレミーを見つけるつもりだ?
冷静になると自分のしでかしたことが怖くなった。気持ちばっかり先走って、なんの考えもなしにこんなところまで来て。どうしよう。何も分からない。
僕はあてどもなくただ静岡の街を歩き回った。引っ越しの車が通るたびにジェレミーではないかと振り返った。知らない道に入っては、どこかに荷台のある車はないかとキョロキョロ見回した。
でもしまいには自分がどこにいるのか全然わからなくなって、繁華街のようなところをふらふらと歩いていた。恐かったけど、引き返す気持ちはさらさらなかった。お金はまだある。こうなったらもうこのまま、この街に紛れ込んでしまえばいい。どうせこの国は僕にとって外国なんだ。ネズミみたいに、メトロでスリをやってるジプシーみたいに、ジェレミーを見つけるまでこっそりと隠れてやるんだ。
賑々しい音を立てているゲームセンターがあった。僕は店頭のUFOキャッチャーの前に立って、これからどうするべきか、建設的に考えようとしていた。
そしたら──。
「君、中学生だよね?」
後ろから声をかけられた。振り返ったら、制服を着た警察官が立っていた。
「こんなところで何してるの。学校は?」
背中に冷たい汗が流れた。
「どこの中学? 君の名前は?」
僕の逃走はあっけなく終わった。
僕は生まれて初めて、警察に補導された。
何時ごろだったかもう覚えていない。バタバタとものすごい足音をさせて突然親父と母親が入って来た。親父はパイプ椅子に座っている僕を見るといきなりほっぺたに平手打ちをかました。母親は崩れるように泣き出した。
「何を考えてるんだお前は!」
なおも僕を殴ろうとする親父を警察の人が引き留めた。
「まあまあ、お父さん。本人も、後悔してるようなのでね。今はこれ以上怒らないであげて下さい。ただね、なんで静岡まで来たのか、どうしても話してくれないんですよ」
話したくない。なんにも。心がガチガチに固まってしまって、言葉なんか出て来ない。だから僕はただうつむいて黙っていた。
「……あとは、おうちでゆっくりと話し合って下さい」
警察の人は優しかった。うどんをごちそうしてくれたお礼だけ言って、僕は両親にはさまれて警察署を出た。タクシーで静岡駅まで行き、新幹線に乗った。
親父は何も言わず、はす向かいに座った僕をじっと見つめていた。母親は僕の隣でたまに目頭を押さえた。それから、小さくこう言った。
「小川先生からね、連絡があったのよ……」
その言葉にギクリとして、それから母が何を言うだろうと待った。でも母はそれきり続けることはなく、
「あとで先生がいらっしゃると思うから、みんなで話しましょうね」
と言って黙った。
父は何か言いたそうな顔をしていたが、やっぱり何も言わなかった。僕は下を向いて、制服のズボンについた汚れを見ながら、ついにジェレミーに会えないまま終わってしまったと、そればかりを悔やんでいた。
敗北者。
今の僕にぴったりな言葉があるとすれば、これだ。
僕は負けた。
学校にも。クラスメートにも。両親にも。
それから、日本にも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます