第19話 家庭訪問

 家に帰ったら、小川先生が僕の靴を入れた紙袋を持って玄関の前で待っていた。僕たちを見るとやあどうもと言って頭を下げた。母親は向かいの家に預けた諒二を迎えに行った。


「説明してごらん」


 ソファに腰かけた小川先生が促す。

 説明……?

 何を説明しろというの? どこから、何を説明すればいいの? どうして僕の口から言わなければいけないの?


 隣に座った親父が不機嫌な声で急かした。

「紘一、話しなさい」

 僕が黙っていると先生は小さくため息をついてから口を開いた。

「今日みんなに話を聞いたよ。何人かの男子が君をからかったんだって? それで、冗談半分に君のズボンを脱がせたって……」


 僕は下を向いたまま硬直した。からかったって。冗談半分だって。そんなもんじゃないだろ。僕がされたことは、もっと残酷なものだろ。なにそんなきれいなオブラートに包んだ言い方してるの?

 怒りで体じゅうがぶるぶる震えてきた。いや、怖かったのかも知れない。あの時の恐怖がよみがえってしまったのかも知れない。


「まあね、ほら、こういうのって、男の子の間じゃよくあることじゃないですか。冗談半分でふざけて相手のズボンを脱がせてやる、とかね」


 先生は同意を求めるように親父に笑いかけた。親父は腕を組んで黙っていたが、

「まあ、そういうことも我々の子ども時代にはありましたかね」

 と苦笑した。


 おい、親父。あんたなに頷いてんの? 自分の子どもがクラス全員の前でさらし者になったんだよ。死にたいぐらいの屈辱を受けたんだよ。あんたにはそれが分からないの? どうして怒らないの? どうしていい人を演じるの?


 先生は僕に向き直って励ますように微笑みかけた。

「でもちょっと傷ついたよな。須藤たちもさ、ちょっと度が過ぎたって、悪かったって、反省してるんだよ。だからさ、もう水に流してやれよ。明日佐伯君が学校に来たら謝るって、みんな言ってるんだから」


「……ふざけんなよ」

 僕は目を引きつらせて先生を見返した。

「なんでそんな中途半端なの? 水に流すだって? そんな都合のいい言葉使わないでくれよ。あいつら本当に悪かったなんて言ってるの? ウソだ。先生、本当は知ってるんだろ? 僕が何を言われたか、なんで僕が逃げたかぐらい、先生は分かってんだろ? 全部話してよ! 僕が言えない代わりに、先生が全部言ってくれよ! 僕は耐えるから。この人たちに教えてあげてよ!」

「紘一、先生になんて口のきき方するんだ」

「お兄ちゃん、なんのお話してるの?」

 母に連れられて帰って来た諒二が無邪気に母に訊いている。母はシッと言って人差し指を口に当てた。


「……なんでも、その、君が、ランバート先生と、会ってるところを、見たって……」

 言いにくそうに先生が口ごもった。

「はっきり言ってよ。僕がジェレミー先生とキスしてたって言ったんだろ。それで僕がホモだって、ホモのアソコを見てやれって、あいつらが囃し立てたんだろ。それで僕は、無理やり……」


 ひどいよ。どうしてこんなこと、自分で言わなきゃいけないの?

 僕は震えながら深呼吸した。


「……全部白状します。僕はジェレミー先生が好きでした。先生がいなくなるって知って、すごく悲しくなって、それで先生の家を調べて、勝手にお別れを言いに行ったんです。何もしてない。キスなんかしたことない。多分迷惑だったと思う。先生は駅まで送ってくれて、ただハグしてくれただけです。でもそれを見られて、それで処刑されたんだ。あんなの、公開処刑だよ。だから僕は逃げ出した。どうしてもジェレミーに会いたくて、静岡に行ったんだ。先生は悪くない。僕が勝手に好きになっただけだから。だって、あいつらの言った通り、僕はホモだから。好きな人のところに行きたかっただけ。好きな人を追いかけたくなっただけ。ほら、これで全部説明したよ。もういい? これでいい?」


 支離滅裂。ヤケクソだ。ひみつの庭が荒れていく。僕は自分の足で大切な庭をメチャクチャに踏みにじっている。


 僕は正面に腰かけた先生を睨んだ。

「先生は僕の何を知ってたの? 僕が転校してから今までの、何を知ってたっていうの?」

「ねえ、なんのお話?」

 諒二がしつこく母に尋ねる。

「聞くんじゃないの。お部屋に行ってなさい」

「やだあ」

「うるせえ!」

 僕は諒二に向かって怒鳴った。諒二は母にしがみついて泣き出した。

「紘一、やめないか!」

 親父がぴしりとくぎを刺す。


「……先生は、紘一君が頑張って学校生活を送ってると、そう思ってたよ」

 つとめて穏やかに先生は言う。


「頑張ってたよ。教科書を破られても、ノートに死ねと書かれても、カツアゲされても、ハゲができても、誰も助けてくれなくても……頑張ってたよ……」


 震える声でそう言ったら、その場が重たく沈黙した。親父と母親が視線を合わせるのが分かった。


「……でも、もう無理だよ。僕はもう、あの場所へ戻りたくない……」

 僕はうつむいて濡れた頬をぬぐった。

「紘一君……」

 先生は答えを出すみたいにこう言った。

「とにかく、明日は学校においで。みんなで話し合おう。みんなで、ちゃんと、話し合おう」


 親父と母が先生を玄関まで見送った。

「遅い時間まですみません……」

 母の詫びる声が聞こえる。

「みんな、ちゃんと君に謝るから。だから、明日は学校においで」

 玄関から先生の声がした。

 僕は、ソファに腰かけたまま、両手を握りしめて震えていた。

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