第22話 それから
その後の経緯を少し話す。
親族会議の末、僕は東京の武司おじさんの家に引き取られることになった。結局、終業式まで学校には行かなかった。
終業式の日、学級委員が代表してクラス全員の寄せ書きの色紙を持って家に来た。それを受け取った母が部屋のドアの隙間からそっと差し入れてくれた。僕はその寄せ書きをへし折って、バラバラに切り刻んだ。
口の中で繰り返しながら窓から投げ捨てた。泣きながら捨てた。
それが、あの中学に関する最後の記憶だ。
東京での暮らしにはなんとか慣れたし、その後進んだ学校では一応友人もできた。でも、僕は警戒心の強い人間になってしまっていたから、それ以上の人間関係を築くことができなかった。今、日本に友達らしい友達はいない。
武司おじさんは親父と僕が直接口をきかないように気をつけていたけど、親父がどう思っていたかぐらいは知っている。諒二に聞いた。あいつには金がかかると漏らしていたそうだ。確かにその通りだから何も言えない。本来は日本での大学進学のために貯めておいたはずの金を全く別のことに使わせてしまったんだもの、親不孝者だと思う。
その親父も数年前に急逝した。心を通いあわせるとか、腹を割って話すということが、最後までできないままだった。早死にさせたのは僕かも知れないと思うことがある。
日本とフランス。この二つの「祖国」の間を行ったり来たりしたあと、僕は結局フランスに落ち着いた。古巣に戻った、というのか、逃げ帰った、というのか。
ここじゃ僕は本物の外国人だ。だけど、物理的なガイジンか精神的なガイジンかを選ぶのなら、僕は物理的な方を選ぶ。それが僕の結論だ。
少なくとも、今は穏やかに暮らしている。
どうして少年時代の話をしようと思ったか、それを説明してもいい?
手紙をもらったんだ。思いがけない人から。それは以前に仕事をした映像の制作会社の封筒に入って送られてきた。報酬明細か何かかと思って開けたら、中にはもう一枚封筒が入っていた。制作会社宛てで、サエキ・コーイチ様と書き添えてあった。封筒を裏返して僕は思わず目を見張った。
そこにはカナダの住所が書いてあって、差出人の名前は── Jérémie Lambert 。
僕は唾を呑み込んで急いで封を切った。
便箋は一枚きり。そこには、柔らかな筆記体で、こう記されていた。
『突然の手紙をお許しください。
先日、フランス制作のネットドラマを観ていたところ、クレジットのメイクスタッフの中に、サエキ・コーイチという日本人の名前を見つけました。まさか、と目を疑い、何度も巻き戻して確認しました。もしかしたらこれは自分が知っているサエキ・コーイチではないかと思ったのです。
それで、そのドラマの制作会社を調べ、あなたに届くことを願いながら、こうして手紙を書いています。ここから先は、あなたが私の知っているコーイチだという前提で書きます。きっと君だろう。そう信じながら。
コーイチ、
しばらくだね。
どれぐらいになるだろう。
日曜日にあの道場の横で僕を待っていた時の、君のはにかんだ顔、今でも覚えているよ。もうきっと立派な大人になったんだろうね。
僕は君のことが心残りだった。あのあと君がどうしたろうと何度も考えた。だから、君がこうやって元気で活躍していると思うと僕はなにより嬉しい。化粧の仕事か。素晴らしい
住所で分かるように、僕はカナダに住んでいる。モントリオールに戻って語学教師をしているんだ。日本人の留学生もいるよ。僕自身も日本語の勉強はまだ続けている。いつか家族を連れてまた日本に行きたい。子どもが三人いるんだ。姉二人と男の末っ子。僕の姉弟みたいだろ。
コーイチ、
あれからいくつか日本の学校で教えたけど、友達になったのは君だけだ。君と過ごした時間、あれは僕の懐かしい日本生活での最高の思い出のひとつだ。
お互い違う国にいるけれど、遠いところから君を応援している人間がいる。そのことを忘れないでおくれね。
これからも、君の人生、大切に生きて行ってくれ。
君の幸せを心から願っている。
君の友達、
Jérémie』
名前の下には丁寧なカタカナで『ジェレミー』と書いてあった。
思い出が、あふれるようないくつもの思い出が脳裏にどっと打ち寄せて、時間を巻き戻すかのように僕はあの頃の少年にかえっていた。あの町の匂いと空の色と、僕の肩をとって歩いたジェレミーの大きな手の感触がいっぺんに蘇り、その手が僕の肩をぐっと強く抱きしめた気がした。
僕は大きくため息をついて、それからもう一度ジェレミーの手紙を見つめて、もう一度読み返し──、アパートの中で、ひとりで涙を流した。
それから、便箋を一枚取り出すと、テーブルに置き、ペンを握った。
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