第9話 追い詰められる日々
僕の頭にモグラの穴がどんどん開いていく──。
いつかパリから電車に乗って友達の郊外の家に遊びに行ったことがある。あれは六月頃だったと思う。
一軒家の裏手にある広い芝生の庭には、沢山の穴ぼこが開いていた。穴の周りは土を盛り上げたみたいにボコッとしていて、それが一メートルぐらいの間隔で掘り起こされていた。
「モグラのしわざなんだよ」
友達のおじいちゃんが憎々しげに説明した。
「せっかく丹精込めて作った芝生がこのありさまだ。一匹や二匹じゃない。この土の下にいっぱい住んでるんだ。それがこうやってポコポコ穴を開けるもんだからたまりゃしないよ。こんな状態じゃみっともなくってしようがない」
確かに緑の芝生は台無しになっていた。
「退治できるんですか」
僕が訊くとおじいちゃんは水やり用のホースを指した。
「あれで穴の中に大量に水を流し込んでやるんだ。そうすると溺れて死んでしまうからね。あとはモグラ駆除のダイナマイトかな」
なんだか残酷だなあとその時思ったのを覚えている。
でも、今はそんなこと思わない。モグラなどみな死んでしまえばいい。
モグラは僕の脳みその中を通り抜けて髪の毛の間からポコッと顔を出す。僕がプラスチックのハンマーで叩こうとすると、モグラはヒュッと顔を隠して、また脳みその中を通って別の穴から顔を出す。そうやって次から次へとモグラは僕の頭を侵食していく。顔を出したモグラはいつの間にか須藤や古関や宮里や本橋の顔に変わっていて(ああ、忘れたい名前ほどこうして覚えているものだ)、僕はやっきになってプラスチックのハンマーでやたらめったら穴を叩くが、あいつらは気持ち悪い笑い声を立てながらすばやく穴の中に隠れてしまう。
うなされてハッと目を覚ますと、モグラたちはいなくなっていて、ただ無数の穴だけが僕の頭に残されている。そして枕にはまた何本も髪の毛がついている。
飲み薬を飲んでも塗り薬を塗っても五十セントハゲは治らなかった。それどころか穴は大きくなり、別のところにもハゲができた。いっそ丸坊主に剃ってしまおうかと思ったけど、また何を言われるか分からないので、髪を伸ばしっぱなしにした。母が見せなさいと言うのを拒んで、そのうち治る、こういうのは気にしすぎるとかえってよくないんだなんてやり込めた。誰にも何にも知られたくなかったし、誰にも何にも言いたくなかった。脳みその中に水を流し込んでモグラを殺してしまえたらいいのに。頭の中にダイナマイトを仕込んでぶっ飛ばしてしまえたらいいのに。
いじめが原因で自殺、なんて言葉が親父の読んでる新聞に載っているとドキッとした。僕のことじゃない。決して僕のことじゃない。自殺なんてのは弱い人間のすることだ。僕は弱くない。だから絶対自分から死んでやったりしない。
僕はベッドに入ると、いかにして須藤や古関たちを殺すかという策略を練った。授業中に発砲するとか、毒入りの給食を食わせるとか、そういうまるで現実的でない方法をあみだしては自分の頭の中で連中を殺して満足していた。でも、次の日学校に行くと僕は背中を縮めて、あいつらの視界に入らないように最大の努力をする。もちろんそんなことは無駄な努力で、のろまなエスカルゴはいとも簡単にモグラの手に落ちてぺちゃんこに潰されるのだ。
授業に集中することも難しくなってきた。僕は窓際の席から外を眺めて、このまま鳥にでもなって遠くへ飛んでいけたら、なんて想像する。海を越え、大陸を越えて、あの国へ──。でもそんなときに限って先生に当てられ、しどろもどろになって何も答えられなくなる。そしたら例によって薄ら笑いが聞こえる。ダセえ、ガイジン。やっぱエスカルゴだ……。
木曜と金曜、学校を休んだ。サボったんじゃなくて本当に熱が出たからだけど、このままもう二度と行かなくていいのならどんなに幸せだろうと思った。
──僕、もう学校に行きたくない。
そのひとことが言えたら、どんなにか僕は楽になるだろう。言いたい。親父や母さんにそう言いたい。熱でグルグルする頭で何度も考えた。
でも、次の週、あっさりと僕は登校した。だって熱が下がったんだもの、行かない理由がない。
僕はもう笑えなくなっていた。明るい長男を演じるのも疲れてきた。でも、いったい誰に甘えればいいのか分からなかった。どこにいても息苦しくって、朝から晩まで緊張して緊張して、今にも張りつめた糸が切れそうだった。
あの人と出会ったのは、僕が重たい足を引きずって学校へ行った、次の月曜日だった。
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