幕末新撰組(三)
会津の公用人が壬生浪士組の屯所に、芹沢と近藤をたずねてきた。
わざわざ町人姿に変装してくる念の入れようであったから、なにごとであろうかと皆で小首をかしげたが、帝が勅を発せられたという噂と関係があるのだろうとただちに察した。
公用人が人払いをのぞんだ。土方と新八は席をはずす。
それから半刻ばかり。襖をしめきって密談したのち、芹沢と近藤が出てきた。
二人の顔色はきわめて険しい。
両者を土方が上目づかいで見て、ニヤリと嗤う。
「ありゃァ、なんかあったな。なんか起こる」
「はい、ただごとではないかと」
「ちょうど暑くて退屈していたところだ。安酒を飲むのもあきた。面白そうな話があるのはいい」
公用人の帰りを見送った芹沢が、土方と新八に声をかけた。
「土方君、永倉君。重大なお役目がはいった。さっそく隊士らを集めてくれまいか。夜に三十人ほどで出ることになる。近藤氏には屯所の警備をまとめていただく」
「重要なお役目……ですか」
「だが浪士の捕縛ではないから、着込みなどの武装は要らぬ。隊の羽織も要らぬ。あとはそうだな、顔半分を隠せるぐらいの布を三十枚ばかり八木のおかみさんに相談して用意してくれまいか。使わなくなった
言っていることがいちいちおかしい。まるで押し込みの計画を話しているようではないか。
土方が芹沢に問うた。
「ところで出るとは、どちらへ」
「
「はて、お待ちください。葭屋町は我らの受け持ちではございませんが」
「うむ。もちろん承知しておる。察してくれ、ご両所。いまはゆえあって仔細を明かせぬが、我らを信じてほしい。きっと壬生浪士組にとってよき話となるであろう」
「それは、当然でありますが……」
芹沢が黒羽織をまとえばお梅がやってきて、立ったまま手早く鬢に櫛を通した。
このお梅という女子はもともと商家の妾であったが、壬生浪士組の未払い金を回収するため通ううち、いつしか芹沢を好いて八木邸で過ごすことが多くなった。
誰もが目で追ってしまう際立った美形でありながら、気さくな性格でとても面倒見がよい人だ。苦労人でもある。
着たきりでいる隊士たちの着物がほつれているのを見つけては、なおしてくれたりもするので、姉のように慕われている。
土方曰く、
「お梅さんは男に尽くす性分だから、芹沢隊長のような人を放っておけなくなったのだろうなァ。新八は知らないだろうが、女とはそうしたものだ」
と得意げに言っていた。
身支度を整えた芹沢は、刀を腰に差しながら二人に言う。
「葭屋町へまいる。平山、野口、平間とともに某についてきてほしい」
「何をなさるのでしょう」
「下見――いや、斥候を頼みたい」
「「斥候……」」
これから何が始まるのか、最早その一言で十分だった。
戦だ。
新八と土方は、にわかに慌てて身支度をすませ、黙々と足早にすすむ芹沢の大きな背について行く。
その道中のこと。
土方がころあいを見はからい芹沢にさぐりを入れた。
「さて芹沢隊長、葭屋町のどちらへ向かっているのでしょう」
「大和屋だ」
「大和屋……あァ、なるほど。大和屋庄兵衛ですか。あそこは生糸の豪商だったでしょうか。たしか先日、外国商人と取引をしていたとかなんとかで、京坂の浪士どもから名指しで脅迫されたすえ、大金を渡したという噂の人物でしたね」
なにをかくそう、大和屋が大金を渡した先は藤本鉄石らの集団だ。すなわち、その金子は天誅組の活動資金となったのである。ゆえに壬生浪士組も何かが起こるのではないかと警戒してもいた。
「然様。ところが浪士どもばかりではなかった。幕府にも金子を渡し、己の無事を頼んできたとの由」
「ほう。となれば、浪士たちから狙われる口実もあるわけですね。これからやることは押し借り……と見せかけての斥候……そして天誅」
「ハハハ、さすがは土方氏。お察しがよろしい。その通りである、その通りなのだ」
土方はそれ以上訊ねなかったが、新八はまだ話が見えないので土方に小声で訊ねた。
「どういうことですか」
「――ン、葭屋町はどこにある」
「御所の西側であり、二条城の東側。つまり中間ですね」
「そう。そして御所の西側にある唐門と蛤門を守護しているのはどこだ」
「……会津です」
「その会津兵はいま、どうなっている」
「ちょうど会津から上洛してきた兵と入れ替えの時機にあったかと。畢竟、会津兵は通常の二倍……いる」
「では、守護職様がおられる御添屋敷はどこにある」
「葭屋町のすぐ近く」
「そういうことだろうよ」
「なるほど、なるほど……」
まだ二人には見えていないが、もうひとつ重要な建物が付近にある。
中川宮邸だ。
中川宮は参内する際、蛤門の近くを通り抜けて唐門から禁裏へはいるのだが、会津兵の守護がおよぶ範囲で行動することになる。
一行は葭屋町の大和屋へ着いた。
主人の庄兵衛は不在だというが、さだめし居留守に違いない。
芹沢が新八と土方に目配せをすると、二人は手分けして屋敷の建物や土蔵の位置と大きさをたしかめた。
その間も芹沢や平山、野口、平間が店の者に無理難題をふっかけて声を荒げているのが聞こえた。もちろん壬生浪士組の名など出すはずもない。適当な変名を名乗っているようだ。
新八はいつだったか芹沢が言っていたことを思いだす。
「いわゆる押し借りというのは、単に端金を得るためにやるものではござらぬ。他の目論見なくしてやれば、賊徒とおなじ。それではお縄になって横死することになる。尽忠報国の士は、真の大義をなす手段として使うもの」
これのことであったかと唸るほかない。
また芹沢は、角屋で「悪名の衣は、派手ならば派手なほうがよい」とも言った。
今宵、壬生浪士組は不逞浪士を装い、ここ大和屋を襲撃することになる。しかも会津候はおろか、御所と二条城の目と鼻の先において。御所周辺の公卿と諸侯たちは、不穏な空気を身近に感じて慄くことになるであろう。
よっておそらく、これは陽動策。
こちらを陽とするなら、陰で重大な何かがかならず起こる。
今や時勢の中心は当地にある。
そして壬生浪士組は、永倉新八は、ついに時の辻のどまんなかへ立つことになる。はたして何が起こるのか知れないが、想像してみただけで新八は肌が粟立つのだった。
その夜。
正体不明な浪士の一団が三十人ばかり、覆面姿で大和屋に現われた。
「大和屋庄兵衛、いやしくも毛唐どもと通じて暴利をむさぼり、方々へ賄賂をさしむけるとは不届千万。我ら、天にかわって仕置きを与えるッ」
彼らは土蔵に火をつけて、やんやと騒ぎ立てた。
近づいて水をかけようとする者があれば抜刀しておどしてくるので、所司代が派遣した火消したちも容易には近寄れない。当時の所司代は稲葉家淀藩だ。
となれば市中の治安をになう守護職率いる会津藩兵の出番となるが、今日はなぜだかやってこない。聞けば御所では折も折、数日がかりの神事を開いている最中とのことで、御所の警備を動かせないのだという。
ならばと会津藩公用人は、
「交代で帰途についた兵がまだ近くにあるでしょうから、それを呼びもどしまする。しばしお待ちあれ」
と悠長なことを言い残し、馬を走らせていった。
その間も謎の浪士集団は土蔵に火をかけて暴れている。
もっと四方から一気に火をつければよいものを、なぜか一つひとつ時間をかけてちまちまとやる。ゆえに他への延焼がないのは所司代の役人にとってみれば幸いであったが、夏の盛りだから祭りへ飛び入りするかのごとく町人の暴徒まで加わってきた。だが、これも後からやってきた壬生浪士組の者たちである。
長らく御所周辺から西の夜空が赤く染まって見えたが、諸侯や長州派公卿の目がこの騒ぎに向けられているあいだ、薩摩と会津の侍たちは公卿の説得に奔走していた。
日付がかわって翌八月十四日の午後すぎ。
やっとすべての土蔵が倒壊した。
と同時に、謎の集団は跡形もなく消え去った。入れ替わりで呼び戻された会津兵たちが到着し、また奴らがやってきてはいけないからと留まった。
後世、八月十八日の政変と呼ばれた本件は、勅が発せられた当日ばかりに目を向けられがちだが、じつのところ八月十三日から水面下ですでにはじまっていたのだ。
そしていよいよ八月十七日の夜。
帝からの通達が下された。要約すれば以下である。
「中川宮、近衛前関白、二条右府、徳大寺内府らは非常の大議のため至急参内せよ。守護職と所司代は各人数を率い、十八日子の半刻に参内せよ。薩摩藩にもこれを伝えよ」
深夜の参内という点からも、これが異常事態であることは明らかだった。
空が白くなりはじめた早暁。
禁裏の六門はかたく閉ざされ、会津藩、薩摩藩、所司代の兵がこれを封鎖する。これら三藩にくわえ、因幡、備前、越前、米沢以外の藩士は九門に立ち入ることを禁ぜられた。
孝明天皇の説得に成功した中川宮は、朗々と勅を述べる。
その内容は、大和国行幸は聖慮ではないから日延べとすること、また急進攘夷派公卿十五名を禁足とすること、国事係の廃止などであった。禁足とは、屋敷からの外出禁止を意味し、日延べとは中止と同義でもある。
詰まるところ、これらは京師を牛耳っていた長州藩毛利家の失墜にほかならない。
つぎに攘夷派の関白鷹司輔煕が帝から呼ばれて参内した。彼は長州藩と三条実美らを擁護するために恫喝まじりに弁解をこころみたが、一人では何もすることができず、大人しく沈黙した。
「おのれ薩賊会奸めッ。我らを謀りおったか」
長州藩の兵たちは、甲冑に長槍のものものしい装いで居座り、大砲を並べる者もあった。
かたや、
「おのれ奸長。居座るとは違勅であるから帝に仇なすもおなじ。ただちに掃討してやろうぞッ」
朔平門外の事変ののち、禁裏六門の警備からはずされた遺恨がある薩摩藩の兵たちは一触即発の様相にいたるが、帝は戦を望んではいない。
容保が自ら出てゆき、
「畏れ多くも帝がおられる禁裏のすぐ目のまえですぞ。お騒がせしてはなりませぬ」
と制した。手を出せば賊軍になってしまうということだ。
緊迫した睨みあいはなおも続く。
そんな中、壬生浪士組も御所へ馳せ参じた。いかめしき甲冑姿に身をつつみ、芹沢と近藤を先頭に隊士八十人が隊列をくむ。もちろん新八もこのなかにあった。
しかし気が立った会津兵が、槍の穂先を顔先につきつけて怒鳴り散らした。
「これ、何者かッ、あやしき奴らめ。名を名のれ」
近藤はすっかり会津兵の剣幕にやられてしどろもどろになってしまったが、すかさず芹沢は雷鳴のごとき大音声で押し返した。
「我ら、京都守護職御預り、壬生浪士組であるッ――」
やいなや、芹沢は立ち居合のように素早く腰を割り、鉄扇をもって槍先をはじき飛ばした。さすがの会津兵たちもあまりの早業に目を丸くさせて驚き、いっせいに一歩ずつ引き下がる。
完全に役者が違っていた。
「手前どもに無礼して後悔めされるなァッ」
おりしもそこへ、公用人の野村という侍があわてて駆けつけてくる。
「これは芹沢殿。某の落ち度によりご無礼をつかまつった。これらは先日京へ入ったばかりにて、皆様のことを知らぬのです。これに仔細はござらぬによって、どうぞお通りくだされたく」
「いや、なんの。こちらこそ気が立っておりましたゆえ無礼いたしもうした。どうかお気になされますな」
野村は「こちらは御殿様御預りの壬生浪士組の方々である。以後、おぼえておくように」と藩士たちをいましめたのち、壬生浪士組を御花畑へ先導してくれた。
御花畑は、御所の南にある建礼門の目と鼻の先にある。
長州藩士が詰める屋敷を東に睨む重要な場所であったから、先駆けであらんとする隊士たちは誉れに思う。芹沢の会津藩士に対する大喝は、こうした計算もあったと新八は後になって知った。
結句、長州藩の総大将益田右衛門介は、帰国して攘夷にあたるという書を残して兵を引き揚げた。伴って三条実美をはじめとした長州派の七公卿は、京師から去って長州へ下る。
かくして長州藩を支柱とした尊王攘夷派の諸侯と公卿は、無念にも帝がいる京から離れることになった。主導権は公武一和派の手に移ったのである。
そして壬生浪士組は、この政変における働きを容保から認められた。
新撰組という華々しい名をも与えられ、京市中の警備を広く任されることになる。
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