がむしゃ者 幕末新撰組永倉新八異聞

葉城野新八

鳥羽伏見(一)

 打ち上げ花火のように、ドン、ドン、ドン――と遠くから腹底に響いた。

 ヒュルルル――とかすれ声で啼き、玉が螺旋を巻きながら天空へ昇る。


「またくるぞッ、備えよ」


 誰かが発した甲高い声音に、二十人ばかり、黒ずくめの兵たちが「おう」と即応した。焦りはない。手練れたかくれんぼでもするかのごとく、各々、身を隠せるだけの場所をすばやく見つけ、窪地や大木の陰に滑りこむ。両耳をふさぎ、身を団子虫のように丸く縮めた。

 はたして、さっき放たれた大砲の弾はどこへ落ちるのか。

 それは雷様とおなじようなもの。行方は神のみぞ知る。ひとたび宙へ放たれてしまえば、あとは弾の気分に委ねるほかなく、撃たれる側はもちろん撃った側でさえ何もできない。人ができることといえばせいぜい、南無三と念じるぐらいだ。

 当たってしまえばただただ不運。「無念」と嘆く猶予はおろか、走馬灯をまわす猶予すらも与えられず、親から頂いた骨肉はちぎれて元に戻せぬほど弾け飛び、魂があとかたもなく霧散する。

 ほどなくして。

 シュウン、シュウゥン――と真空の唸る音なき音が耳元をかすめた。「糞、きやがった、くるなッ」と思った途端、ズゥ、ドン――と轟音が六方に円く弾け、地をこきざみに震わす。

 三弾のうち二つは離れたどこかへ、一つはわりと近くに落ちた。

 舞い上がった土と小石がぱらぱらと頬にあたり、晴天から赤いにわか雨がぽつぽつと降ってきた。誰か不運な者らが弾を浴び、文字どおり散華したらしい。

 土煙が漂い、視界一面を鈍色が覆う。


「斎藤、無事か」

「はい。いやァ、それにしても惜しかった。あと少しばかりこっちに来てくれていたら、いよいよ刀で打ち返せたものを」

「ハハ、呆れた奴め。まだそれを言っているのか」

「いいえ、僕は真剣ですよ」


 そこかしこから「○○がやられた」「手当てを、手当てをッ」「しっかりしろ」と半狂乱の怒号が飛びかうなか、二人の男がすっくと立ち上がる。まるで何ごともなかったかのように、筋骨たくましい肩を並べてスタスタと歩きだした。他の隠れていた兵たちも、


「やれやれ、近かったな」

「さつまっぽめ、また芋臭い屁をこきやがった」

「ケツ穴から串刺しにしてやる」


とバラバラ這い出てきて、あとに続く。

 大砲が着弾したあとは、舞い上がった土埃が煙幕がわりになるので前進に都合がよいものだ。これが収まると北側にひそむ薩軍から狙撃射がはじまる。

 今日は早暁からこれを何度も繰り返し、薩軍の陣地をいくつも潰してきた。追撃を仕掛けてくる敵の前線を遊撃でかく乱し、味方の本体が南へ逃れる猶予を、可能なかぎり稼ぐのが役割だ。

 いわゆる決死の殿軍である。

 ゆえに遊撃の機動力を上げるため、重装備すら外した。どんなに装備を固めても降りそそぐ大砲の弾があたってしまえばどうせ同じこと。ならばもたもたとのろまでいるよりも、素早く動けたほうがよいに決まっている。

 ひとつの何かを争奪しあう死闘とは、法則が割と単純明快だ。後生大事に持っていると相手は死に物狂いで奪おうとする。だが捨てたものは奪えない。そして捨てるからこそ、また拾うことができる。命を賭すとはこうしたもの。速くかつ的確で、気狂いであればあるほどよい。最後はそうした者が勝つ。

 戦いぶりを見た旧幕軍の面々は「新撰組は気狂いだ」と呆れる。だが彼ら新撰組は、文久三年の立ちあげ以来、こうした割り切りのよさをもって四年間も時渦の中心に立ち、帝都を守護する先駆となった。

 先頭を歩く一人――斉藤一は、濡れ犬のように身を激しく震わせ、体に乗った砂埃をのけながら唾を吐く。

 それからすぐ傍だというのに、隣をゆく男の耳元に大声で話しかけた。大砲や鉄砲がドンドンパンパンとけたたましく弾ける戦場を、かれこれ三日三晩往来しているのだから、もういい加減、もうろく爺のように耳が遠くなってきた。


「ガムシンさん、また会津の方々に弾が落ちてしまったようだ」

「ああ。おそらく薩摩の奴らは、会津の旗を標的にしているのだろう」

「しかしそれだけ会津が恐ろしいということ」

「そうだな」


 ガムシンと呼ばれた男――永倉新八は、一丁向こう側で円状に折り重なって倒れた会津兵らを見やり、砂埃まじりの溜め息をつく。


「あれは、別撰組だな……」


 会津の鬼官こと佐川官兵衛が率いる別撰組は、新撰組とともに戦線を死守しつつ南下してきたが、いずれも勇猛かつ武芸に秀でた精鋭ぞろいだ。錬度も高く、背をまかせる信頼に足る。寡勢だった薩摩の鉄砲隊に慄き、戦場で弾ごめすら忘れてしまった幕臣どもとは段違いだ。

 さりとて、ずいぶんと数が減ってしまったもの。開戦前に百七十人もいた兵はすでに八十をきっているだろうか。

 それがなぜかといえば、理由は瞭然至極。

 いかんせん、潔すぎた。

 鉄砲を恐れず正面から正々堂々と突撃を仕掛け、弾があたって動けなくなれば、朋輩に迷惑をかけまいとして自刃により果ててしまう。古希をこえた会津の老将、大砲奉行の林権助などにいたっては、身に八発もの鉄砲弾を浴びるまで前線で指揮をとり、仁王立ちとなりて激烈な最期をむかえた。

 会津兵おそるべし、である。

 新八も奥羽松前藩の禄を食む家にうまれた倅であるから、その愚かしいまでの精神の深層がわかる。武家とはそうしたもの。期せずして偶発的にはじまったこの戦において死にゆくことを、お見事と賞賛こそすれ、憐れむ気には到底なれない。

 この一死によって先の十生をつなぐ。なればこそ、家名と主家が保たれる。

 遠く平安の世から、数多の争乱をくぐり抜けてきた武家男子の生死とは、そうしたものだった。

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