我無性者(一)
江戸深川の町はすっかり暗くなった。
とても穏やかな夕暮れだった。
鳥羽伏見で戦があった。
幕府軍が敗れた。
千代田城内において朝から晩まで喧喧囂囂の議論が今もつづいている。
そんなことなど、どこか遠い異国のできごとのようにさえ思えた。
品川楼ではあいかわらず、若い新撰組隊士らが華やかに着かざった花魁たちと賑やかにさわいでいる。
もしかすると、否応なくひたひたと迫ってくる薄暗い明日の現実から逃れようとしているのかも知れない。
ひととおり話し終えた新八は、佳紫久から酌をしてもらい、酒で口のなかを湿らせた。
すこし話しすぎただろうか。「いや、そうでもあるまい――」と打ち消して盃を飲み干す。新八自身もいつどうなるか知れない。戦はまだまだ続くであろう。誰かにすべてを話すことで次の戦場にむけて頭を整理し、覚悟を定めておきたかった。
がむしゃらに一本道を突き進むため。
先に今生を終えた友のため。
なにより、明らかな意識で己の死に際に立つためでもある。
佳紫久はやさしげな目で、仲良くやっている島田と紅梅、隊士らの様子を眺めて微笑んでいた。
「芹沢様というお方は、幸せであられますね」
「幸せ、か。なにゆえ然様に思う」
「新さんと新撰組隊士の皆さま、多くの方々からこうして偲んでもらえるのですから」
「フフ、おかしなことを言う」
「いいえ。武家にとって、あるいは今生を得た人として、誰かに存在を知って覚えていてもらえることは幸せなことです。なかなかそうはまいりません」
「うむ……そうだな。京師では名を知られぬまま散っていた者が数多くある。お役目のために俺が彼岸花を散らした者もまた然り。大なり小なり武家としての生き様と死に際を求め京へ上ったのだろう。本懐をとげたとはいえ、あわれなものだ」
「はい……」
佳紫久が時折はかなげな横顔を見せるのは、新八の気のせいでもないのだろう。
誰かのことを思い出しているのかも知れない。そんな顔だ。
新八は盃を水にくぐらせたあと、佳紫久のまえにさしだした。
「どうだ、一杯だけつきあえ」
「いいえ、でも私は――」
「フッ、わかっているぞ。佳紫久の酒乱は狂言であろう」
どうやら図星だったようだ。
そろえた指先を口に当てて、目を丸くさせている。
「……いつから、お気づきであられましたか」
「扇子の抜き打ちを見て、そう思った。あの時、お前は太刀筋がまったくぶれていなかった。たとえ練れた剣士とはいえ、酒に酔ってしまえばああはいかぬ。たいしたものよ」
「然様でしたか。ですが、気持ち悪くなったのはまことであります」
「さもあらん。盃洗で三杯も飲み干せば、男でもひっくりかえってしまう。――まぁ、飲め。あらためて挨拶がわりだ」
「はい、それでは。今日だけは頂きたく……存じます」
佳紫久は盃を受けとり、新八がそそいだ酒をたおやかな所作で一気に飲み干した。
「おう、みごとだ。ずいぶんと美味そうに飲むのだな」
「いえいえ。さぁ、新さまももう一杯どうぞ」
「うむ、すまぬ」
二人で差し合っているところへ、品川楼の奉公人たちが草木柄がみごとに描かれた二枚の金屏風をもってきた。無言のまま、新八と佳紫久のまわりを囲む。さらに行灯を運んで来て火を灯した。
じんわりと、陰影に赤い光がにじむ。
金箔とはかすかな光でさえも拾い、反射光であたりをやわらかく照らす効果がある。
そのなかでみる佳紫久は、整った顔の輪郭が白粉で浮きあがり、紅が薄紫色に輝く。佳紫久という名はよく言ったものだ。その通りである。
花魁たちの特徴的な化粧とかんざしは、そうした陰影のなかで女性だけが奥底にもつ幻想的な美しさを解き放つためにある。
新八が妖艶さを増した佳紫久に見とれていると、薄い唇がひかえめに動いた。
「――芹沢様とお梅さんは、水戸偕楽園の梅をお二人で愛でることは叶ったのでありましょうか」
「うむ、できた。できたと思う。野口が芹沢隊長とお梅さんの骨を分けてもらい、水戸へ持ち帰った。梅がよく見える場所に、二人の碑をたてると言っていた。芹沢隊長は別な名を数々持っていたから、何という名で碑がたてられたものか、もはや俺にはわからぬ」
「そうですか。ですが、それはよかった。ところで野口様というお方は、今はどちらにおられるのでしょうか。水戸ですか、江戸でしょうか。再会をなされましたか」
新八はゆっくりと首を横に振る。
「佳紫久は天狗党を知っているか」
「はい、存じあげております。水戸で騒動がおこった際には、江戸でも噂になりましたから」
「野口君は、その天狗党に参加していた」
「なんと……そうでしたか。残念なことです」
「うむ。また会いたかった」
野口が水戸へ帰って間もなくのこと。
元治元年三月。
水戸の攘夷改革派は、一向に進展をみせない横浜鎖港問題に業を煮やして蹶起した。
彼らは天狗党という名で呼ばれてはいたが、統一された組織をもっているわけではないので、それは同時多発的な蜂起の様相だった。
水戸領内や幕府領内で強盗や破壊活動をはたらく勢力も出て、世情をさわがせた。
かたや水戸藩士の保守派は、諸生党を結成して天狗党に対抗した。
かくして水戸藩内の武家は二分され、憎悪の念をたがいにぶつけあい、血で血をあらう抗争にいたる。
水戸っぽは誇りが高く、容易に妥協しないのが長所であり短所ともいえた。騒動による犠牲者は参加した本人だけにとどまらず、資金調達のために襲撃を受けた市中の庶民、藩士の家族にまでおよんだ。
同年八月。
一橋慶喜の右腕ともいえる武田耕雲斎は、天狗党の首領に就任する。これは何度も辞退をしたが、若い者たちから請われたすえの決断だったそうだ。
このあたりの流れと耕雲斎の立場は、後の世に起きた西南戦争における西郷隆盛ともどこか似ている。ひとたび勢いがついた時の振り子とは、誰も止められなくなってしまうものだ。糸を根元から斬り捨てないかぎりは。
耕雲斎は、行き当たりで無秩序に暴れていた天狗党に規律をもたらし、一党として統率した。さらに蹶起の趣旨を、上洛のうえ慶喜をつうじて帝へ横浜鎖港を奏上し、慶喜を水戸藩主にすえると置いた。
西上にくわわった天狗党の集団は、かるく千人を超えてゆく。
ところが。
天狗党にとって思いがけないことが起こる。頼りにしようとしていたはずの慶喜が、天狗党掃討軍の派遣を朝廷に願いでてしまったのだ。
同年十二月。
とうとう進退がきわまり、絶望した耕雲斎らは、武装を解除して投降した。
つい七月に蛤御門の変があった後だったこともあったが、その処分はたいへん厳しく凄惨な内容だった。
捕らえられた者は八百有余名。うち三百五十名ほどの者たちが、斬首処分となって四百名を超す犠牲者がでた。いずれも水戸藩の郷土がはぐくんだ有為な人材ばかり。生きていれば藩の将来を背負ったであろうかけがえない財産が、一瞬で損なわれてしまった。
新八のまえで野口健司と名のっていた清々しい若者は、耕雲斎とともに人知れず散華したと吉成から溜め息まじりに聞かされた。
しかし、水戸藩内の対立はこれで収まらず、慶応四年にあって激しい内訌がいまだにくすぶりつづけている。水戸藩がふたたび京の政局において活躍することはなく、いつしか吉成の行方もわからなくなった。
この天狗党の乱は、往々にして見過ごされがちであるが、攘夷派にとってみれば蛤御門の変とならぶ大きなできごとだった。
皮肉なことに慶喜は、寺田屋事件における島津久光と同様に、この事件への対応によって京の信頼を深めてゆくことになる。また、慶喜という人が時として冷酷なほどに合理的な判断をくだすことがあるという前兆ないし先行事例ともなった。
それから翌年。
慶応元年九月。
長州をはじめとした攘夷派にとって、衝撃的なできごとが起こる。
京の動乱を遠巻きに観察してきた諸外国の公使たちは、通商条約について幕府と交渉しても埒があかない原因が孝明天皇の意思にあると分析した。となれば当然、幕府よりも孝明天皇と直接対話したほうが早い――となる。
英仏米蘭は、軍艦数隻で大阪湾へ入港し、孝明天皇の通商条約勅許を求めた。事実上の脅迫行為である。
かたやいざ艦砲で砲撃される危機に直面した京師は、かつての勢いがすっかり吹き飛んでしまってひどくもろかった。
「これまで起こった騒動と数多の犠牲は、いったい何であったのかッ――」
下々の者が怒るほどに、孝明天皇が慌しく勅許を発して終結した。しかも長州藩がおこした下関戦争の賠償金を、幕府が払うことにまでなってしまう。
これらの意義は重い。
事実上、孝明天皇みずからが攘夷はあきらめたと翻意を示したに等しいからだ。
つまり長州藩と攘夷派の者たちは、この時点で尊王攘夷という大義を跡形もなく喪失した。「幕府は攘夷を決行せよ。帝の聖慮をないがしろにする幕府を倒せ――」と騒ぎたててきた長州藩は、拳の振りおろし先を見失い、攘夷を断念せざるを得なくなった。
そこで生まれたのが大攘夷論だった。
大まかな言論の内容は、「国内の政体を一つにまとめ、交易によって国を富ませつつ、軍事力を強固にせよ――」というものであったが、何のことはない、これはさかのぼること十数年ほどまえ、井伊直弼が主張していた内容と重なるものに過ぎない。
直弼もはじめは強硬な鎖国維持論者であったが、きびしい現実を見たのちに「まずは開国したうえ、交易によって国を富ませなければ、欧米諸外国と対等に交渉できない」と長い視野から判断したまでのこと。
結句、当世の日本は、京都は、多くの有為な人材を無残に失いながら、ひどい遠まわりをして直弼の思考をたどり、元へ還ってきただけだった。
しかしながら不思議なことに後世、誰もそれを公には認めなかった。
井伊直弼という英明な憂国の士は、強権をもって暴力的に言論を封殺した大悪人として定義され、長らく歴史上で語り継がれてきた。
ここにもまた、悪名の衣を着せられた者がいたのだ。
時は夢の如く流れ、名は燦然と輝きを増す。
はたして、もしも直弼の論が正であったとするならば――
誤は誰であったのだろうか。
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