霜雪に咲く早梅(五)

 近藤は壬生浪士組を立ちあげてからというもの、半年ばかり芹沢の影にいた。

 それは人世に出でて、ことをなしてきた経験と教養、思想の深みの差によるところであったから、単なる市中の剣術師範にすぎなかった近藤にとって芹沢は越えられない壁だった。

 ゆえに鬱屈とした思いをためこんできたか。

 新八は幼少から神道無念流撃剣館に通い、尊王攘夷思想を唱える大人のなかで多感な時期を過ごした。だからこそ近藤の浅はかさはすぐにわかる。

 近藤は、平時では育ちのよい素直な人柄の剣術師範であったが、いざ乱世のなかに置いてみると、小器の底が見える。凡庸さと狡さが露にもなる。

 乱世の将器とは、外部環境に敏感でありながら内部をしかと束ねねばならない。そうでなければ早晩、下の者たちを横死さすことになる。

 新八は嘲笑まじりに鼻を鳴らし、睨みつけて問うた。


「ときに近藤さん、あの者はどうしたものでしょう」

「あの者――とは、誰のことだ」

「御倉君のことですよ」

「おお、然様。御倉君はよくやってくれているな。まことに助かっている」


 明後日の返答がきた。

 新八は「駄目だ、これは――」と嘆息した。

 土方が憂いげに二人を横目で見ている。


「はたして彼の者、正体は何者でありましょうや。大原三位様のお屋敷へ足しげく通っているとも聞きおよんでおりますが、ご存知ですか」

「そうだ。だからこそ貴人しか知りえない有益な世情を持ち帰ってくれている。それがどうかしたか」

「――いいえ。違いますよ。大原様といえば岩倉様と意気を通じ、かねてより公武一和を唱えてこそおられますが、薩摩と近しい中川宮様とはとても仲が悪い」

「そう、なのか……」

「御倉君たち四名は、まんまとそれに乗じて大原様に接近を謀ったのでありましょう。しかも不思議なことに御倉君は、練兵館で剣を修行したというのに芹沢隊長はおろか吉成さんにも馴染まない。むしろ面識がなかったとまでいう。これはつくづくおかしい。心にやましきことを潜ませている証左ではありませんか」


 近藤は「待ってくれ、馬鹿なことを言う」と苦笑いして手を横に煽る。


「そんなわけはあるまい。御倉君は国事探偵方として某と隊に尽くしてくれている。永倉君の対応が悪いのではないか。君は神道無念流では名の知れた皆伝者であったから、御倉君も遠慮しているのだろう」

「はて、どうでしょう。では昨晩のことをいかに思われますか。土方さんから、よくよく仕儀をお聞きおよびでしょう」

「うむ。それは聞いている」

「奴は土方さんの制止も聞かずに、逸った。日ごろから己の正体が見やぶるかも知れない恐怖を芹沢隊長に覚え、隊長亡きあとは近藤さんの信頼を得て、ますます新撰組の中枢に食い込もうとしたからこその行動ではなかったのですか」

「まさか。なにを根拠に――」

「武家の習わしにおいて、切腹を妨げるのは作法に反します。外道です。その重大な意義をおわかりですか」

「そ、それはもちろんッ……心得ておる」

「いいですか。あれら四名は、十中八九長州の間者です」

「え……」

「近藤さんもご存知のとおり昨今、薩摩と公卿の皆様は長州になびいていた不満党の一掃に躍起。なによりそれは、八月十八日に発せられた帝の御聖慮にもとづくものでござる」


 帝の名を聞いた途端、近藤は背筋を直立した。


「もしも万が一、新撰組に長州の間諜がいたと露見でもすれば、ただでは済みますまいぞ。顔に泥をぬられた会津候は、さぞやお怒りになられるでしょう。さてこれは大変。あ奴らの入隊に関わった者は、不手際によってことごとく切腹の沙汰とあいなるでしょう。はたして、誰だったでしょうか。奴らの入隊を認めたのは」

「ぬぅ……」


 近藤は小さく唸り声を鳴らし、憎憎しげに睨みかえす。

 なおも構うことなく新八は続けた。


「近藤さんは武家の配下にある新撰組隊長として思慮が足りない。芹沢隊長を慕っていた者たちが昨夜の件を聞いてどう思うか、対策をたてていますか。放っておけば隊は分裂しますよ」

「それは、芹沢隊長とおなじ神道無念流の永倉君、君の役目であろう」

「よろしい、承りました。では今後は、この神道無念流永倉新八が一派をとりまとめて参りましょう。――ついてはまず、その手はじめとして、なぜか新撰組に入隊していた御倉君たち一党と、ほかにも紛れているであろう長州に通じる者らを粛清いたす。なぜならばこれは、芹沢隊長の死に際を汚された神道無念流の面目にかかわることであり、新撰組と近藤隊長の名誉を守るためでも御座りますれば。よもや、ご異存はござりますまい」

「うむ……好きになされるがよろしい、許す」


 芹沢さながらの畳みかけだった。

 野口は頬を桃色に染めて、呆とのぼせて新八の背を見ていた。

 かたや上座にある近藤は、いつだったか清河八郎がそうしたように席を蹴って去った。

 翌日、九月十八日。

 近藤の主導によって、芹沢と平山の葬儀が盛大に催された。これより近藤が隊長として、新撰組を率いるのだと内外に宣言する場になった。

 新八と野口は、忸怩たる思いでそれを見ていたが、まずもって今は芹沢の仇にも等しい御倉を討つべき標的とする。

 芹沢とお梅は壬生寺へともに埋葬した。土方のはからいで墓から見える場所に梅の木を植えた。

 九月二十六日。

 新八は斎藤らとともに御倉一党の粛清を決行した。

 暢気に縁側で結髪をしていた御倉と、荒木田の首をうしろから脇差をもって深く掻いた。芹沢の墓前にささげる真っ赤な彼岸花が二輪、鮮やかに咲いた。

 卑怯もなにもあろうものか。芹沢が築いた新撰組から外道をつまみだす手口に上等も下等もない。武家の作法に則った気づかいは無用だった。

 一党の残り二名。越後と松井については沖田と平助が討ち取ろうとしたが、鼠のように窓を破って逃亡した。

 沖田が大刀の抜き身をひっさげて、四方に呼びかける。


「まだ隊内に奴らと同意の者があると存ずる。かたがた、くれぐれも油断めされるなァッ」


 すると、別な二人が血相をかえて飛びだして行った。

 いずれも御倉と同様に、近藤が入隊を認めた者たちである。

 土方の甲高い声が鋭く響いた。


「逃がすなッ、追え追え」


 逃げ足の速い一人を取り逃がしてしまったが、もう一人は捕らえた。短気な原田が「ええい、切腹さすなど面倒なッ」と首を刎ねて即斬した。

 かくして、新撰組は純化された。

 近藤はさもわが手柄のように嬉々として「かたがた、よくやってくれた」と言い残し、報告のため会津藩公用方に走っていった。

 新八が予想したとおりだ。近藤はとにかく会津藩に従順であったが、何かあるごとに「某は会津候から厚いご信任を頂戴しておる」が口癖でいる。

 新撰組は京師に横行する浮浪の輩を取り締まるお役目を命ぜられた。斬り捨て御免の特権までをも付与される。

 京坂にひそむ浪士らは新撰組と近藤勇を鬼神のごとく恐れ、さらに深く潜伏するようになった。

 さらに喜ばしいことに、八月十八日の政変における働きを将軍家に認められ、大御番組という役職の名を与えられて月の手当てが支給された。

 隊長五十両、副長四十両、副長助勤三十両、平隊士十両という破格の待遇である。命がけで前線に立つお役目の対価とはいえ、これは大金だ。

 なにもかも先頭に立ってくれた芹沢の手柄に違いなかった。

 いっぽうで世の動きは、ますます変転めまぐるしい。

 天誅組は九月に空中分解したが、幕府による追跡は徹底して行われた。

 あの藤本鉄石は、そのなかで壮絶な最期を遂げる。

 十月になってから但馬国生野において、天誅組に呼応する叛乱もあった。長州、筑前、水戸、薩摩などなど諸藩の過激な尊王攘夷志士が加わったが、数日で蹴散らされた。

 京から追放された公卿たちの多くは、長州で保護されている。

 つい先日まで世論の大勢を占め京師を跋扈していた急進攘夷派は、もはや風前の灯となったが、なにゆえここまで事態が急変したかといえば、すべては孝明天皇の意思が中心にある。

 それから有力諸侯が続々と上洛した。

 芹沢が予測していたとおり、幕政改革の端緒として公議体制の参預会議が朝廷によって設置されたが、これは翌年にあっさりと瓦解する。

 原因は横浜鎖港問題をめぐる見解の不一致だった。

 薩摩の島津久光と一橋慶喜が激しく対立したためである。

 久光は開港維持。

 かたや慶喜は鎖港を主張した。

 横浜港をどうするかより、公武一和と幕政改革における主導権争いが深層で複雑に絡んでいたので、どちらも引くことがなかった。

 あらためて二人を見比べてみると、慶喜は水戸徳川と皇族の血を引く。すなわち公武一和の象徴的な存在といえた。

 対する久光は、慶喜より二十歳も上であるが、外様大名の雄である薩摩藩主と町人娘だったお由羅のあいだに生まれた庶子。

 両者には共通する要素がまったくない。たがいに相容れぬ存在となってゆくのは、必然性があっただろうか。いつの世も、男の嫉妬とは根深い。時が経つほど黒く、濃くなってゆくものだ。

 新撰組のなかでも小さな変化があった。

 文久三年極月下旬のこと。

 野口健司が、ひそかに隊から去ることになった。

 理由はまたしても不明。会津藩公用人から、芹沢配下だった野口の存在を始末するよう命が下りた。ものを深く考えられない近藤は、もちろん有無をいわさず野口を切腹さすよう言い渡してきた。

 多忙な土方は「こうなってはもう仕方ないだろう」とすぐに諦めたが、新八としてはそうも行かない。芹沢から託された可愛い後輩を、むざむざ死なせてしまっては武士の名折れ。男の約束を反故するわけにはいかぬ。

 神道無念流の誼で水戸の吉成に相談をもちかけた。

 するとさっそく水戸藩にうごきが起こった。すぐに野口の身柄を引き取り、水戸の国許へ帰したいとの申し出があった。

 新八は土方と口裏をあわせ、近藤と会津には切腹したと報告することにして、隊士たちに見つからぬよう逃がすと決めた。

 そもそも野口健司という名は変名であろうから、国許へ返してしまえば誰も追跡ができなくなる。

 新見錦こと新家粂太郎が長州の地で果てたことも、その時に吉成から聞かされた。酒乱を原因とした切腹だったそうだが、芹沢がそうであったように深層は知れない。奇しくも新家が亡くなったのは、九月十五日。あの雨の日の前日だった。

 そして別れの日。

 京特有の底冷えがする夜明けまえだった。

 新八と島田だけが壬生村のはずれまで見送りに出た。

 最初は「水戸の梅を愛でるのが楽しみです」などと明るく振舞っていた野口であったが、次第に無口になって白い吐息だけを漏らしている。

 新八は道の先をみて首をかしげた。

 立派な道中支度をした侍が二人。見るからに剣士だ。


「あれは……」

「あァ、どうぞご安心ください。江戸まで同行する水戸の者ですから」

 

 侍たちは道端で片膝をつき、頭を垂れて野口を待っている。

 唖然とした新八と島田は、たがいの顔を見合わせた。


「おい、野口君。貴公はいったい何者だ」

「ハハハ、いまさら何をおっしゃられるのですか。私は水戸脱藩浪士、野口健司。ほかの何者でもございませぬ」

「そうか……そうだな。詮索するだけ野暮になる。野口君は野口君だ」


 つねづね、新八はさもあらんと見ていた。

 神道無念流百合本道場は、ただの剣術道場ではない。学問も授ける総合的な塾だった。百合本家は大身旗本の松平家に仕えた格式ある家柄。ゆえに百合本道場へかよう武家の子息たちは、諸藩の上士にかぎられる。ことさら自動的に、野口を配下として連れてきた芹沢への疑問が湧く。


「――それにしても、私は寂しゅうございます。もう新兄さんと会えないと思いますと、身と心が引き裂かれる心地がいたします」


 野口は頬を桃色に染めて俯き、新八の左手にそっと両手を添えた。その柳腰とたおやかな仕草は、どこからどう見ても乙女のものである。

 島田は小さく咳払いをさせ、どこか遠くを見る。

 水戸藩士の二人もおなじく次々と咳払いして目をそらした。

 朴念仁の新八とはいえ、あれだけ芹沢にからかわれたのだから野口の気持ちに気づいていないわけではない。

 今度また会える確約もない。

 これぐらいで喜んでくれるのならば、少しぐらい野口の願いを叶えてやろうと意を決した。

 筋骨たくましい右腕で、細い身を力強く抱き寄せた。


「はッ……」


 野口は一歩二歩とよろめいて、最初は戸惑っていたが、やがて甘えるようにしなだれかかった。

 島田と侍たちが「あッ……」と声を漏らす。


「何を言うか野口君。我らはおなじ道場で剣を学んだ兄弟弟子だ。剣士の契りは血よりも濃い。生きてさえいれば、またどこかで再会できる日もあるだろう」

「はい……」

「またその時は、心ゆくまで美味い酒を酌み交わし、芹沢隊長のことを共に偲ぼうではないか。いまや神道無念流門下において芹沢隊長のことを知るのは、我らだけであるのだから」

「はい。いつかまた……お会いできるその日まで、どうかお元気で」


 野口はさらに深く、新八の首筋に顔をうずめる。

 新八は少しくすぐったかったが耐えた。

 それから離れぎわ、気を抜いたすきだった。

 野口が新八の耳を浅く甘噛みした。


「お、これッ。の、野口君ッ――」


 あわてて引きはなす新八をよそに、野口の目はいたって真剣でいて、少女のように潤んだ瞳でじっと見つめかえしていた。

 何も言えなくなる。

 そのつぶらな瞳から涙の粒が零れそうになった途端、野口はくるりと背を向けて水戸藩士たちに声をかけた。


「待たせました。参りましょう」

「「はッ」」


 少しばかりなよっとしたところはあるが、野口も歴とした武家の子息であるから意地があるのだろう。

 新八はもう一つ、訊ねなければならないことを思い出した。


「――そうだ、野口君。ひとつだけ教えてくれないか」

「なんでしょう」

「芹沢隊長のことだ。あのお方の正体とは、いったいどこのどなたであられたのだ」


 野口はしばし考えたのち、ゆっくりと顔だけで振り向いて、愛らしく微笑んだ。

 透明な涙の粒が、白肌の頬のうえで、ぽろぽろと止めどなく転がっている。澄んだ空気のなかにあらわれた朝日を浴びて、きらきらと七色に乱反射させた。


「決まっているではありませんか。あのお方は尽忠報国の士、芹沢鴨であられますッ――」


 新八は「愚問だった」と小さく笑う。


「これはしたり。そうだ、そうだったな。時は夢の如く流れ、名は燦然と輝きを増す――。われらがいったい何者であるかは、後人が勝手に決めること。なればこそ武家は、今生を大義に奉じ最期の最期まで懸命に生きなければならぬ。死に際をつなぎ、ただ前へ進むのみ」

「はい」

「われらも斯くありたいものだ」

「いいえ、新兄さんならば必ずなれますッ。遠く水戸の地より、毎朝毎晩、芹沢さんの御霊とともに武運長久をお祈り申し上げております。どうぞ奮われませ。どうぞ真っ直ぐ歩まれませ。がむしゃ者のガムシンさん」

「うむ、心得たッ。水戸も横浜鎖港をめぐりなにかと騒がしいと聞く。野口君も気をつけるのだぞ」

「はい、ありがとうございます。それでは」

「うむ、ではな」


 東の空。

 闇夜を七色に染めて、朝日がゆっくりと昇る。

 朝日にむかって野口が一歩踏みしめるたび、二人の距離が遠ざかって行く。まるい涙の粒をぽろぽろとこぼしながら「振り向くまい」と己に言い聞かせ、唇をかみしめて歩くのだった。

 この後、新撰組二番組々長永倉新八は、野口が望んだとおり無双の働きぶりをもって天下に名を轟かせる。

 翌、元治元年六月五日。

 池田屋騒動があった。

 同年七月十九日。

 蛤御門の変があった。

 新八は、脇目も振らずただまっすぐに、がむしゃらに時の辻を駆け抜けた。

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