悪名の衣(三)
壬生浪士組が発足して以来、芹沢と近藤を悩ませていたのは、ほかならぬ新見の酒乱である。
日ごろの新見は、不逞浪士の取り締まりや尊王攘夷の話題となれば生真面目に正論を語るのであるが、酒が入ると行かぬ。
特にひどかったのは、大坂の吉田屋という貸し座敷での一件だった。
かねてより新見は、小虎太夫という芸妓に懸想していた。酒が入ってなければ小虎との会話にも窮しているほどであったが、酒を飲むと豹変する。酔った勢いで「帯を解け」とせまった。ところが小虎は「わらわは解きません」とキッパリ断ったから、もう大変だった。
「なにを、芸妓風情が無礼者めッ」
いきなり手元の膳をひっくり返し、脇差に手をかけて暴れ出す。
これはいかぬと思った芹沢が、後ろから太い腕で押さえつける。
「なにをなさるか、芹沢さん。お放しくだされッ」
新見は細身の体格であるが、さすがはひとかどの剣客。どこにそんな力を秘めていたものか。芹沢の巨体を振り回してきかぬ。
「な、永倉君、頼むッ。すぐに女たちを帰してやってくれ」
「はいッ」
「――いや、やっぱり駄目だ。こんな夜道を帰らせたら隊の評判にかかわる。別室へ隔離してやってくれまいか。入り口には誰か見張りを頼む」
「さっそく」
結句その夜は、小虎太夫と同行のお鹿を別室に寝かせ、朝になってから新見と会わないようにして帰らせた。
隊士たちが酒につぶれて雑魚寝をするなか、芹沢が最後まで新見の深酒につきあう羽目になった。
芹沢は懇々と語り聞かせる。
「新見氏、ここは水戸ではないのだ。郷には郷のしきたりがある。ご自重さっしゃい」
「なんと、これはしたり。芹沢さんは某の面目が潰されたままでよろしいのかッ」
またしても脇差に手をかけて斬りかからんばかりの勢いで迫る。芹沢が相手だったので何とかことなきを得た。
土方、原田、平山、野口、平間、井上ら幹部と隊士が二十名ばかりもいたが、皆は神道無念流門下のいざこざとして、遠巻きに面白がるばかりで我関せずの態度をきめこむ。苦労したのは芹沢と新八だけだった。
酔いが醒めたら忘れてくれるだろうかと思えば、翌日もしっかり覚えていた。
「芹沢さん、某はどうしても納得がいかぬ。これから女どもを成敗と参ろうではないか」
「な、何を言うか。相手は女子であるぞ。戯言はたいがいに致せ。隊士たちはもう吉田屋に飽きたから、今宵は他の座敷へ上がろう」
「いいえ、皆が行かぬというならば一人で行きます」
「お、おい……」
新見の顔はいたって真剣だ。
本当に女二人を斬り捨てでもすれば、会津藩をも巻き込んで一大事となるは必定。つい先日、新見をはじめとした隊士たちの酒癖について、公用人を通じて会津候から何度か注意されたばかりでもある。
仕方なく芹沢、新八、土方、平山、斎藤らは監視役として付きあうことになった。
吉田屋へ着いたところ、門前に犬が一匹寝ていた。不機嫌きわまりない新見は、いきなり犬を踏みつけ、鞘の鐺で撲殺してしまう。芹沢と新八は溜め息をついて「無駄な殺生を……」と俯くしかなかった。
店へ上がり、二階の奥にある成天の間へ通されて待っていると、吉田屋の主人は犬の悲鳴を聞いて裏口から逃げ出したあとだったので、代理の者がおそるおそる出てきた。
「ここの主人、吉田屋喜左衛門はただいま留守でございます。御用のおもむきは手前におおせつけください」
「ほう、不在とあらばそれでもよろしい。ほかでもない、昨夜のこと。ここ吉田屋の小虎とお鹿という女子どもは、こともあろうか武士にたいして恥辱を与えた。まことにもって不埒千万である。ただいま我が手で成敗するからこれへひきだせ」
芹沢は濁った溜め息をはき、頭をもたげて手で顔を覆っている。
止めても聞かぬしどうしたものかと、新八も困りはてていた。
もしも脇差に手を置いたらとり押さえて女たちを逃がすしかないと考え、芹沢と目を合わせて無言で頷く。新見が逆上して刀を抜けばやむなし、芹沢は殺さぬまでも斬りつける覚悟すら決めていた。
しばらくして小虎とお鹿がやってきた。かわいそうに、裏で泣いていたのだろう。頬と目が真っ赤になっていた。
新見はそれらを睥睨し、満足そうにニヤリと嗤う。
「よし、本来ならば両女とも無礼打ちにすべきであるが、女であるによってかまわんことにしてやろう」
それを聞いた芹沢と新八が、安堵の溜め息をもらしたのもつかの間、
「――その代わり、坊主にしてつかわす」
「なッ……」
新見が迷いもなく脇差に手をかけようとしたので、芹沢は首に、新八は腰へ飛びかかろうとした。
が、刹那。
的確な機転を利かせてくれたのは土方だった。
「しばし、しばしお待ちくだされ。新見先生に手をおろさせもうさぬ。無礼な女子どもめ、私が切ってやる」
土方は左手で小虎の髷を鷲づかみに引き寄せ、ブツリと切った。
芹沢と新八はそろって「あッ……」と声を漏らしたが、「なるほど、その手があったか」と考えなおす。
阿吽の呼吸で芹沢は、新見とお鹿の間に身を入れてふさぎ、新八がお鹿の髪を切ろうと前に出た。
するとこんどは脇から平間が申し出て、
「あいや永倉氏、これは新見先生の仇討ちであるから、つきあいの長い私が切るのが道理」
と髷をブツ斬りにした。小虎とお鹿は声も出せぬほどに怯えていたが、なんとか丸坊主にならずに済んで下がって行った。
新見は、同志たちが己の面目を取り戻してくれたと満足した様子でいて、途端に機嫌をなおしてくれた。
それから別な座敷へ場を移し、隊士たちを呼び寄せて穏やかな雰囲気の酒宴となった。新見もめずらしく朗らかに飲んでいる。
芹沢は感心しきりに唸った。
「なァ、土方君。君はずいぶんと柔軟な頭を持っているな。あのなかでよくぞ思いついてくれた。この通り、恩に着る」
「なんの。きっと新見先生は皆にかばって欲しかったのですよ。己は間違っていない、悪いのは女子らのほうだと」
「そうか、そうだったのかも知れぬ。君は細かなことに気がまわるのだな」
「おそらく、それは私が武家ではないからでしょう。お侍さんは最初から二つに一つで考えがちです。頭が固くていけません」
「ふぅむ、なるほど。ものごとには三つ目の道がある――か。興味深い話だ。どうかこれからもひとつよろしく頼む」
「いえいえ、こちらこそ」
とにもかくにも、この日は土方のおかげで何とか乗り切ることができた。
その帰り道、芹沢が、
「さりとて、これではいかぬ。隊士たちに示しがつかぬ。あ奴はなんとかせねば、遠からず壬生浪士組の禍根となって会津候から切腹を申し付けられてしまうであろう……」
と、独り言のように新八に漏らした。
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