戦士たちの休養(二)
島田が大きな手で風呂敷包みをだいじそうにかかえている。
新八は小首をかしげた。
「力さん、それには何が入っている」
「エへへ、これですか。昨日、横浜へ足を伸ばしてきたので、その土産にて。シュウアラクレイムというそうです。若い女子たちは甘いものが好きだと思いますので」
「へぇ、美味いのか」
「それはそれはもう、たいへんな美味です。私は二十個も食べてしまいました。あとでご一緒にいかがですか」
「いや、遠慮しておく。どうせ力さんが美味いというのだから、やたらと甘いのだろう」
「いえいえ、そこまで甘くもないですよ」
いつか先々、店を出したいと考えている島田は、暇を見つけては食べ歩きをしている。
「そうそう、あとは珍しい飲みものもありました。レモネイドというヤツでして、飲むとしゅわわわと口の中で気泡がはじけ、後味はさっぱりとして爽快至極。あれは流行ると思われますなァ」
「ふぅン、どんどん新しいものが入ってくるのだな。やれ毛唐を斬れ、館を焼き払え、横浜を鎖港せよなどと騒いでいた時分など今は昔。戦のやりかたが変わってしまうのも当然だ」
「はい。横浜は以前にもまして異人の屋敷が建っておりました。つられて西洋の飯や菓子の店もそこかしこ。いやはや、とても楽しかったですよ」
「そうか。横浜は力さん好みの町のようだ」
「然様。時間があるうちにまた行ってこようと思います」
京で動乱が起こっているあいだも時は流れ、世は着々と移ろいをみせている。
新八らは京から船で東下する途中、横須賀で幕府が普請を進めている造船所を見た。その様はえらく大掛かりなもので、山を削り、岸を深く掘っていた。
あとは土方が言っていたが、幕府では蒸気機関車を敷く計画もあったのだという。にもかかわらず、折からの大政奉還と鳥羽伏見の戦によって、ありとあらゆる予定が狂ってしまった。
せっかく着手した事業を頓挫さすわけにもいかない。千代田城に出仕していた江戸の幕臣たちは、手元の仕事をどう処したものか、ひどく困り弱っているそうだ。
ひさびさに触れた故郷の空気は、どこか以前よりも動きが感じられる。まだ具体的にどこが変わったというわけでもないのであるが、横浜を風上として西洋のにおいがした。
さりとて、暢気に浮かれてばかりもいられぬ。
これから上様の処遇はどうなるのか。
そして薩長との戦は――
「あ、ガムシンさん。眉間にシワがはしって険しいですよ。そんな顔では女子たちが逃げていきますから駄目です。今日は嬉しい休養日。戦のことなんか、きれいさっぱり忘れた忘れた」
「ええい、人が考えごとしている最中に、うるさいな貴様は」
「痛ッ」
新八は中村小三郎のケツをバシリと蹴りあげる。
中村は島田とおなじ伍長であり、いまや新撰組の幹部でもある。元治元年の募集に応じて入隊した。そう、池田屋の一件と蛤御門の事変などがあった洛陽動乱の年だ。
どこかの脱藩浪人で、その出自はいまひとつ曖昧だが腕は立つ。酒を飲んで騒ぐのが大好きな男で、今日の外出も中村が率先して予定を組んでくれた。
「――それで中村、今日はどこへ行くのだ。吉原か」
「いやァ、実のところ僕が馴染みにしている品川楼が、うちこわしにあって燃えてしまったそうでして」
「ほう、災難だったな。大丈夫なのか」
「はい。しかしながら今は、深川に仮宅を置いて開いているとの由、今日はそちらへ行きます。むしろ仮宅のほうが慣わしに縛られず遊べますから、何度も足を運ぶ手間がはぶけて好都合というもの」
「そうか、それは楽しみだな」
吉原では、たびたび火事があったもの。原因は遊郭暮らしが嫌になった遊女が火をつけてしまうことがあったゆえで、また当世は、うちこわしの標的にもされた。
楼を建てかえているあいだは、幕府の許可を得て、仮宅と称する別店を遊郭の外に出すことができたが、仮宅では遊郭のしきたりを簡略して遊べるので、本店より賑わうことすらあった。
やっと愁眉を開いてくれた新八の顔を見て、中村は手を叩いて喜ぶ。
「あァ、やっと笑ってくれた。ガムシンさんが喜んでくれないとつまらないですから。頼みますよ、もう」
「ああ、わかったわかった。俺は俺で勝手に楽しむから放っておいてくれ。――さァてみんな、軍資金はたっぷりあるから、金の心配などいっさいするな」
「「おお……」」
「もちろん、流連と行こうではないか。そのつもりでガッつかず、
「「応ッ」」
「では方々、参る。いざ深川へ」
「「鋭、鋭、応ッ――鋭、鋭、応ッ――」」
隊士の面々は鬨の声をあげ、討ち入りさながらの様相で一路深川へ向かうのだった。
途中で中村が道に迷ってしまう場面もあったが、なんとか品川楼へたどりつく。さすがは音に聞く楼だけのことはあって、仮宅とはいえ、建物の構えは大きくて立派だ。
想像していたよりも、やや閑散としているだろうか。「もしかすると近頃の世相の影響かも知れぬな――」などなど、玄関口で話しているうち、品のよい男が出てきて指をそろえ慇懃に対応する。侍たちが七、八人もやってきたとあって、主人自らが出てきてくれたらしい。
長い廊下の奥、戸を少しばかりあけて、こちらを窺う男たちの顔が見えた。
三人。
用心棒だろう。
隊士一同、にわかに険しくなった互いの顔を見て苦笑いを漏らす。人数や建物、裏口の位置を確かめてしまうのは、もはや職業病である。
めいめいが胸中で「ここは江戸だ」と己に言い聞かせた。
「これはこれは、ようこそ品川楼へお越しくださりました。ところで今日は、すでにお目当てはお決まりでございますか」
ついさっきまで中村はここの馴染みだと得意げに言っていたが、主人は顔を憶えてくれていない。新八らはうしろで背中をつついて「なにがお馴染みだ。そうだと思ったよ」と言いながら、クスクスと笑いをこらえる。
小さく舌打ちを鳴らしたあと、中村は仁王立ちとなりて、腕組みをして主人を見下ろした。
「ぜんぶだ」
「は……」
「詰めている女子ぜんぶを呼べ。見たところ今日は閑古鳥のようす。ならば我らがぜんぶ引き受けようぞ。これから数日借りあげる」
「ええ……ま、まさか、また……」
主人は不安げな顔で中村を見て、狼狽を隠さずあらわにする。
無理もない。大名でも大身旗本でもない若い侍たちが、そこまでの大金を持ち合わせていると考えないほうが自然だ。あとはもしかすると去年あったという打ちこわしは、さんざん遊んだ挙句に金を払わずに暴れる手口だったか。だとしたら主人の反応も止むなしであろう。
いっぽうで用心棒たちが、刀をひっさげてユラリユラリと廊下を渡ってくる姿が見える。これはいけない。隊士たちと関わらせたら、用心棒が気の毒だ。
隊の評判に関わるから、江戸市中での揉めごとだけは困る。
新八は「仕方がない、中村、我らの名をだしてもよいぞ」と言うと、中村は「は、では遠慮なく」と応じ、息で胸を大きく膨らませ、屋敷をふるわすほどの大音声を発した。
「我ら、新撰組であるッ――」
戦場で名乗りを上げるがごとく、さらに朗々と続ける。
「先日京師から東下したばかりだが、いまは江戸に滞在し休養の折。かねてより当楼の評判を聞き及び、斯様にわざわざ足を運び参った次第。さてさて、天下の品川楼評判の別嬪たちはいずこに。ぜひとも目通りしたく存ずるッ」
主人はぽかんと口を開けて「し、しんせんぐみ……」と呟いたのち、有名な歌舞伎役者に出会ったかのごとく俄かに興奮の色を浮かべた。
「き、聞いておりまするッ。お噂を聞いておりますぞ。吉原にも新撰組の皆様がお越しになっておられるとのこと。当方はこの仮宅に移っておりましたので、まこと残念に思っておりました。ようこそッ、ようこそお越しくださりました。お待ちしておりましたッ。はは――ッ」
体が床板にめりこみそうなほど主人が平伏したのを見て、中村は「フフン」と得意げに鼻を鳴らす。
新八が用心棒たちをチラリと見やると、いつの間にかすでに、すごすごと奥へ引き返したあとだった。
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