戦士たちの休養(三)

 中へ案内された一行は、品川楼の建物に驚かずにはいられなかった。

 すっかり長らく京の狭い家屋に慣れていたので、なおさら広く、開放的に感じられるのだろう。

 一時的にだした仮宅とはいえ、ツンと飛びでた高い甍と、黒々とした大きな瓦屋根。構えはロの字型の二階建てになっていて、吹き抜けの明るい中庭には、女子のしなやかな腰のを思わす松の木が植えこまれていた。

 小春日和の陽気に急かされた紅い早梅のつぼみは、ひっこみ思案に開きかけている。

 すぐに島田はそれを見つけ、


「おお、まさか。ここで見られるとは存外にて。いやいや、お見ごと、お見ごと」


ゴツい指で顎をさすりながら唸り、目に焼きつけていた。

 とりわけ死地をくぐり抜けてきたあとというものは、目に映るなにもかもが鮮明で、食すものはより美味に、潮風まで香しく感じられる。

 もちろん若い隊士たちにとっては、女子とて例外ではない。いや、すべてか。

 広い楼のなかに人影はなく、閑散としていた。

 その様を見渡した中村が嬉しそうに主人へ訊ねる。


「楼主、われらが一番のりか」

「はい。近ごろは折からの不景気もございましたが、昨年のすえ、薩摩様のお屋敷が燃えた一件から世情がやたらと不穏になり、お客様のお足も鈍くなりました。きっと皆さま、忙しく過ごしておいでなのでしょう」

「そうか、それは気の毒であるな」


 鳥羽伏見において旧幕軍が敗れたという報は、またたく間に関東へ広まった。

 それは落ちのびてくる兵よりも早く、商人同士の情報網を通じてすでに五日後には江戸まで届いている。東海道や東山道の商人および庄屋の者たちは、すみやかに各地で寄りあい、対策を相談していた。

 関東の庶民にとって帝や公卿など、まったく馴染みがない。官軍様だと威張られても知らぬ、存ぜぬ。これから何が起こるのかまったく知れない。薩摩藩邸へ逃げ込んだ不逞浪士しかり、人とは見知らぬ土地へはいると好き勝手をするのが性質だ。

 東へ向かってくる兵たちの宿はどうするのか。

 金や物資の徴収に応じるべきか。

 女たちは隠したほうがよい。

 村によっては、鉄砲を備えた自警団までをも編成する。

 当世の庶民は、後世の人が考えるよりにもはるかに速い情報網と、きめ細やかな自治を形成していた。参勤交代で諸国の大名を理解しているので、すぐに刀を抜く荒くれ薩摩者は扱いが厄介だと知っている。

 が、それは新撰組の若者たちも大差がない。

 新八は浮かれた調子でいる中村に念を押した。


「おい中村、よいか。ここは京ではないし、もはや会津の庇護もない。くれぐれも無体な真似だけはするなよ。江戸ではおかしなことをすれば、早速捕縛がやってくる。そうなったら俺は知らぬからな。自分で何とかしろ。新徴組などが来たら洒落にもならんぞ」

「はいはい、心得ています。なァ、ご一同」


 隊士たちは、


「然り」

「肝に銘じて飲みます」

「どうかご懸念なくお楽しみくだされ」


と神妙に頷く。

 それにしても、おそらく楼で一番の大広間へ通されたのだろう。少し申しわけないほどでもある。大名のように御大尽さまともてなされ、新八は上座に置かれた。

 女たちがまだ仕度をしている最中とのことにて、まずは駆けつけに黄金色の酒をあおりながら静かに待った。

 新撰組の名を出したからには、隊の名誉を貶めるようなこともできない。行儀よく遊ばなければ。若い隊士たちは、大身旗本の倅か雄藩の上士のように、よそゆきの顔で静かに談笑してくれていた。

 新八と島田は目を合わせ、「ひとまずは大丈夫であろう」と無言で頷きあった。

 いよいよ、数多の衣音がサラサラと廊下を渡ってくる音がした。

 音だけで面々の胸は鈴と高鳴る。

 それからまるで浮世絵さながら、色とりどりの鮮やかな着物をまとった女たちが次々と十人も入ってきた。大奥へ渡る将軍様の心地とは、こうしたものであったろうか。


「おお、おお、おおお……」


 若い隊士たちは口をだらしなく開けたまま、物欲しげにキョロキョロと首を左右に動かしている。好みの花魁を見つけると、慌てて「ここにッ、ここに来てくれ」と手招きする。

 吉原で名高い品川楼の筆頭株といえば、小亀、紅梅、佳紫久かしくの三女が有名であるが、揃って出てきてくれることは珍しい。

 小亀は新八の隣に、つづいて紅梅が島田に、佳紫久は中村の横についた。

 いずれも凝った模様を施した着物を艶やかにまとっている。小亀は気品ある鶴亀模様の着物、紅梅は春先を連想さす可愛らしい梅と桜、佳紫久は勇ましい虎と蝶が戯れる模様を乗せていた。

 この三人ぐらいになってくると、吉原の郭の慣わしではおいそれと簡単に隣へ座ってくれないのが常だ。少なくとも男は三度も足を運び、一度に十両も二十両も散財して、己の器量を示す段取りを踏まなければならない。そしてその様子を見ていた花魁がもしも承諾してくれたら、やっと敵娼として酌をしてもらえる。

 だが今日は仮宅ゆえ、敷居を下げて接待してくれているのだろう。

 しかもこの侍たちは、京から江戸まで名を轟かせた者たち――


「我ら、新撰組であるッ――」


 ふたたび、中村が得意げに大音声で名乗りをあげた。

 それを聞いた女たちは、キャァッと言って喜んでくれたが、島田は顔をしかめて呆れる。


「これ中村。もう皆わかっているからやめい。むしろ何度も名のりをいれると騙りのようではないか。恥ずかしいとは思わぬか」

「これはしたり。何を言われますか。我らより先に市中へ繰り出した者らは、行く先々で隊の名を出して歓迎され、ずいぶんとモテてきたとの由。ならば使わぬ手はございますまい。一生にあるかないかの我が世の春です」


 さらに中村はコホンと咳払いをして、「よいか皆々、ありがたく聞くがよいッ」と上座の新八を示した。


「静まれ、静まれ。こちらにおわすお方をどなたと心得る。かの池田屋騒動の折、二十人を超す不逞浪士がたて籠もる池田屋へ、なんと僅か四人で斬りこみ、獅子奮迅のご活躍をなさったお一人、新さんこと永倉先生であるぞ。一同、頭が高い、頭が高い。控えおろうッ――」


 いつしか広間には女ばかりではなく、調理場の男たちまで、音に聞く新撰組の姿をひと目見ようと詰めかけていた。皆が「ははッ――」と一斉に平伏したので、新八は身の置き場に困り、「中村、恥ずかしいからもうたいがいにしてくれぬか」と窘め、傍らの小亀に訊ねた。


「本当に皆は京の出来ごとを知っているのか」

「はい、もちろんであります。あのときは方々で瓦版が回りました。江戸から赴かれた新撰組のご活躍を皆が拍手喝采で噂したもの。江戸のおまわりさんと京の新撰組といえば、童でも知ってありんしたから」

「そうか、そうだったのか……」


 途端に、新八は両親の顔を思い浮かべる。

 当然に父も母も、我が子の活躍を知ってくれただろうか。よくやったと喜んでくれたであろうか。

 いっぽうで女たちのざわめきは、いまだ収まらない。一人が無邪気な顔で中村に訊ねてくる。


「あのッ……本日は、沖田様はおざりんすか」


 沖田という名が出ただけで、女たちが一斉にキャッキャッと騒がしくなった。隊士たちにとってみれば、よく見知った反応である。

 中村は倦んだ顔色で濁った嘆息を落とす。


「やれやれ……京でも総司さん、江戸でも総司さんとは困ったものだ。――残念だが、今日は来られぬ。悪かったな、僕で」


 興奮した女たちは、すっかり我を忘れてしまっている。


「これッ、やめろ。失礼ではないか。これッ……」


 慌てて制止する主人をよそに、


「なんだァ」

「見たかった、残念」


と遠慮なく、不満をこぼすのだった。

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