戦士たちの休養(四)
花魁たちに続いて芸子が六人も駆けつけてきた。
総勢男女あわせて二十数人が大広間のなかでひしめきあう。近ごろは重い話が多かった反動ゆえか、そこかしこで大陽気に騒ぐ祝宴となる。
若い隊士たちは鼻の下を伸ばし、敵娼の花魁と語らう。
馬鹿阿呆になって踊る者も出てくる。あるいは諸肌を脱いで刀傷を自慢し、鳥羽伏見での武勇伝を得意げに披露する。とうとう女子たちに抱きついて頬ずりする者もあった。
新八は苦笑いして酒を舐める。座敷全体に目を配る小亀に総髪をかきながら詫びた。
「なにぶん、九死に一生をひろってきた者たちだ。少々の無作法は目をつむってやってくれまいか。礼は多く出すつもりでいる」
「いえいえ、大丈夫であります。わっちらも賑やかで楽しいのはひさびさのこと。どうぞご存分に」
それから宴もたけなわになったころ。
ふと新八は、中村と横に座る佳紫久の相性がよくない様子でいることに気がつく。中村にしてはいつもよりずっと静かであるし、かたや佳紫久の表情も曇っている。
「おい、どうした佳紫久。酒がまったく進んでおらぬではないか。具合でも悪いのか」
中村は救いを求めるような顔をして、不満げにこぼす。
「そうなのです。さっきから僕は酒を勧めているのですが、固く辞退されて困っていたところでした」
「まさか花魁が下戸というわけでもあるまい。どうしたのだ」
佳紫久が申し訳なさそうに下を向いていたので、小亀が涼やかに笑って助け舟をだす。
「新さま、佳紫久さんは酔うと乱暴をするので、楼主からお酒を禁じられているのであります」
「なんだ、そんなことであったか。なァに、酒乱も座興のひとつ。虎の扱いなら我らはめっぽう慣れておる。構わぬ構わぬ。俺が許すから、気にせず飲め」
中村が「そうだ、飲め」と同調し、盃洗の水を捨てて佳紫久の前に置いた。それに満々と酒を満たして「さァ、これを一気に飲め」と勧める。軽く三合は入っているはずだ。
佳紫久は躊躇っていたが、客の要望だから断るわけにもいかない。ついに意を決して盃洗を両手で持ち上げると、紅を乗せた小さな口を寄せる。
ゴクゴクと喉を鳴らし、一滴も零すことなく飲み干した。
拍手喝采が起こり、座がワッと盛り上がる。
「なんだ、いけるクチではないか。まだまだだ。一杯だけでは遅れをとりもどせまい。さてどのように恐ろしい虎が飛び出してくるのか、ぜひとも披露してくれ」
中村がさらに二杯、三杯と飲ませる。おそらく一升ぶんも飲み干したであろうか。三杯目を飲み終えたころには、すでに佳紫久の目つきが険しくなり、身がユラユラと定まらなくなっていた。
佳紫久は花魁特有の嬌態をも崩し、目を据わらせて隊士一同を端から端まで睨める。
やいなや、あたり構わず片っ端から、
「おい、禿げ頭ッ」
「気安く触るな」
「なにが新選組だ、成り上がりどもが」
と厳しい毒舌を順々に浴びせかける。
すっかり泥酔している隊士たちは、罵倒を浴びるたび、「おおッ、これは手厳しい」と手を叩いて喜んだが、困ったのは近くに座る中村だった。
「これ、中村といったな。そのほう、女の扱いを心得ておらぬと見える」
「そ、そうでしょうか」
「ええい、駄目じゃ。このような小者では。わらわは満足できぬ。誰ぞもそっと、強い侍にかわれ」
「ええ……」
「はよう、かわらぬかッ」
ついに暴れだした。
手にとった扇子を高々と振りかざし、目の前にあった膳を力まかせに叩いてひっくり返す。
新八と島田にとってみれば、どこかで既視感のある光景そのものだったので、かの人物の顔を思い浮かべずにはいられなかった。
佳紫久の言うとおりにしなければ、もはや静まりそうもない。酒乱とはそうしたものだ。中村は飲ませたことを深く後悔していたが、中村より強い大物といえば、この場では新八と島田ぐらいしかいない。島田はシュウアラクレイムを気に入ってもらい、紅梅とねんごろに飲んでいる最中だから邪魔するわけにも行かない。
中村は新八に狙いを定める。
「あの……憚りながらガムシンさん、僕とかわってもらえませんか」
今日は若い隊士らの監視役として女を抱くつもりもなかったので、新八はそれで構わないが小亀に申し訳ない。
「小亀、すまぬな。ああ言っているが、よいか」
「いいえ、こちらこそ。佳紫久さんがご迷惑をおかけしんして、どうかお許しを。以前に放っておいたらもっと暴れましたから、ここでかわっておくのが吉であります」
本来、途中で敵娼を交替するなどもってのほかであるが、流連するつもりであるし、相性が悪いのであれば仕方がない。小亀の言うとおりかわっておいたほうがよさそうだ。
目を据わらせた佳紫久が、まるで虎が獲物を狙うかの如く、舌なめずりをしながら四肢歩きでやってきた。
顔が青白く見えるのは、白粉のせいばかりでもないのだろう。
「おい。そちが音に聞く剣客、永倉だな」
「おう、そうだ」
「まずは飲むがよい。わらわが酌をしてやろう」
「これはこれは、ありがたき幸せにて。頂戴仕ります」
さっきから新八は、佳紫久の話し言葉が耳にひっかかっている。まるで武家のようだ。
「では姫様、おちかづきのしるしにご返杯を」
「うむ、頂くとする」
佳紫久は満足げにコクリと頷き、ゴクゴクと喉を鳴らして盃をあおる。
二人のやりとりを脇で見ていた島田が、愉快げに小声で言った。
「まるで、女芹沢先生ですな」
「ハハ、俺もちょうど然様に懐かしく思っていたところ――」
その瞬間。
こめかみにトンと殺気が当たったのを察知し、新八は条件反射で首を傾けて避ける。
すかさず頭上を通り過ぎて行ったのは閉じられた扇子。ピュンと弧に鳴る。
佳紫久が不意打ちに片膝を立てて居合い抜いたものだが、女にしてはやけに鋭い太刀筋。
それを難なくかわした新八は、なにごともなかったかのように、手にしていた盃の酒を飲み干して朗らかに微笑みかえす。
「ほう、なかなかの腕前。どこぞで心得があったのか」
渾身の打ちこみを軽く外されたことが驚きであったのか知れない。佳紫久は暫らく目をまん丸にさせていたが、こんどはポロポロと大粒の涙を落とす。新八の袴に顔をうずめ、わんわんと声をあげて泣きじゃくった。
暴れていたかと思えば突然の泣き上戸。何がなにやら訳がわからず、やけに扱いが難しい。
中村がジロリとこちらを見た。
「あァあ、ガムシンさん。泣かせたら駄目ですよ。どんな無体を働いたのですか。京とは違うのですよ。ヘヘヘ」
「いや、何もしていない。勝手に泣き出したのだ」
「そんなわけがないでしょう」
「まことだ。なァ、力さん」
ところが、新八は、膝と股がぬるく湿ってきたのを覚える。涙にしてはいささか量が多い。まるで失禁をしてしまったような感覚だが、あらためて確かめてみるまでもなかった。
ツンと酸味を帯びた酒の臭いがたち昇ってくる。
「あァ、やられた――」
見下ろせば、佳紫久が飲んだぶんだけ袴の上で嘔吐している最中だった。
何度か背を引きつらせているのでさすってやる。
すかさず主人が慌ててやってきて「他の花魁を何人かおつけします」と言ってくれたが、そんな気分でもなかったので、別な部屋に布団を敷いてもらい一人で寝ることにした。
一度は眠りについたが、喉が渇いて夜中に目がさめてしまう。
「失礼いたします」
戸の向こうから女の声がした。
「おう、誰だ」
音もなく戸が開き、衣音を畳に滑らせて、襦袢をまとった佳紫久か入ってきた。
さすがは品川楼評判の花魁である。戸を閉める仕草までいちいち艶かしい。
暗がりのなか、襦袢が張り付いたしなやかな身を、行灯の灯りで浮かび上がらせた。
甘い匂いがふわりと鼻腔を覆う。
あらためて顔を見やれば目元は細い絵筆で引いたようにすっきりしていて、鼻筋がまっすぐ通っている。誰もが認めるであろう美形だ。
所作の佇まい、漂わす品格もよい。
「喉が渇いたのではないかと思いまして、お水をお持ちしました」
「おお、気が利くな。これは助かる」
新八が水を飲み干すと、佳紫久が指を揃えて深々と頭を下げた。
「さきほどはたいへん申し訳ございませんでした」
「ン、いいや。無理矢理飲ませたのは我らのほうだ。まったく気にせずともよい。頭が痛むであろう。今日はもう休め。明日も世話になるから宜しく頼む」
「しかし――」
また言い淀み、長い睫毛を垂らして俯いた。
新八は「そうか」と気付く。このまま帰れば、主人からきつく叱られるのであろう。廊下の向こうからこちらの様子をうかがう人の気配もあった。
「よし、では布団に入れ。今宵は少し冷えるから、添い寝してくれたら助かる」
「はい。では、失礼いたします」
佳紫久は布団に潜ってきて、新八の身にしなだれかかる。細身ではあるが、つくところについた体をしていた。そうしたところは、抱き心地が小常ともやや似ている。
「なァ、佳紫久」
「はい」
「お前は武家のにおいがするな」
「…………」
反応からして図星のようであるが、ねほりはほり聞けば野暮になる。
当世、武家の没落はよくある話だ。新撰組の若い隊士や、尊皇攘夷を掲げて暴れまわる浪士も例外ではない。格好をつけて脱藩などと言っているが、生活がまわらず自ら商人や百姓になった家の者もある。
酒乱というものは、しらふの時に不器用である者ほど酷くなる性質がある。そしてなぜか酒が冷めると、やたらと後悔に苛まれる。これには男も女子も関係がない。おそらく彼女も、重い苦労や後悔の念が心につのっているゆえのこと。
佳紫久には悪いことをした。
「今日は飲ませて悪かった。まずは体あっての今生。無理はするな」
「はい……」
新八は、久しく女子の身のやわらかさとぬくもりに触れてこなかった。むしろ自ら避けてきた節もある。小常という女子はもうこの世にいないのだと、あらためて思い知ることが恐かったからだ。
きっと人肌のぬくもりに当たったせいだろう。
その夜、新八は小常や磯子らと、穏やかに暮らす夢を見た。
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