時の辻(四)
新八は芹沢という男が嫌いではなかった。
議論が好きで武骨者。
高下駄を履き、肩を張って、大股で袴をながし歩く。
まさしく
下の者への面倒見はよいほうで、若い隊士らがなにか失態をおかすと、
「なァに、若いうちとはそうしたもの。過ちを犯したときは反省し、相手に誠心誠意詫びるのが何よりも肝要。男は前を向け。近藤君のほうには俺からうまく言っておくから安心せい。ガッハッハッ」
と肩代わりしてやることもしばしば。その点では、鬱屈した性分を奥底にもっている近藤とは真逆といえた。
そうした剛毅者の芹沢でも特に手を焼いていたのが、水戸から共にでてきた新見錦だ。
彼は酷い酒乱だった。
いっぽうの芹沢はといえば、賑やかな酒の席がとても好きな風でいて、時々いたずらっ子のように悪のりをすることもあったが、それは新八や他の隊士もおなじである。まわりを愉快にさす酒で笊のように強かった。
新見のやり方は病的で、体を痛めつけるように早い調子で飲む。横で芹沢は呆れて、
「これ、もそっとゆっくり飲め。それでは体を壊すであろうに」
と時折たしなめていたもの。それでも新見はなおらなかった。
芹沢は土方と新八の二人だけに「他言無用で頼む」と枕詞をおいて漏らしたことがある。
「どうか新見のことは大目に見てやってくれ。かつてはああでもなかった。どちらかといえば、酔って騒ぐ皆を遠巻きにながめながら静かに飲んでいるほうだった。変わったのは牢獄暮らしをしてからだ。おそらく、どうなるか知れぬ歳月を送るうち、気を病んでしまったのであろう」
新見が暴れてとうとう止められなくなると、芹沢はそれにつきあって同罪になろうとする節もあった。そうすれば新見だけが近藤から責められることはない。あれも隊長としての心配りだったのだろう。
徳川御三家でありながら強烈な勤王の家柄という水戸藩において、浪士組に加わるまで芹沢たちがどのように過ごしてきたのかも聞かされた。
芹沢の前の名は下村継次、新見は新家粂太郎といったそうだ。
試衛館にたまった面々が「攘夷だ」「毛唐を懲らしめてやれ」などと酒を飲みながら、どこか手が届かぬ遠いできごととして鬱憤をためながら語り合っていた時分、芹沢はそのような嵐の渦中にあったのかと驚きもした。
しかし身の上話を聞いてもなお、新八には一点だけ、喉につかえて腹に下りてこないことがあった。
芹沢の出自である。
水戸の郷士の出だと自ら明かしてくれたが、それがとても意外に感じられた。
芹沢は、郷士風情にしては色々と出来すぎるのだ。
馬鹿ばかしい慣わしに縛られ、上意を絶対とする家中勤めが何たるものかもよく理解している。
主家をもったことがない近藤や土方はまったく気付いていなかったが、読み書き、学識と弁舌、場をわきまえた振る舞いや作法、誰に対しても気おくれしない態度をうしろから見たとき、
「さすがは水戸っぽの尊王攘夷志士たちをまとめあげてきただけのことはある。気優しいだけでは駄目、粗暴なだけでも務まらぬということか」
と新八は芹沢の稀有な才覚に唸ったものだが、
「よもや、この男は、下村継次という名の下にもう一つ別な名が隠れているのではないか――」
という疑念がずっと残ったままだった。
なにより、新八が芹沢に親近感を覚えた一番の理由がある。
剣術だ。
芹沢一派はいずれも新八とおなじ神道無念流門下である。
武家にとって、刀は権威の象徴であり魂である。それを用いるのが剣術だ。したがって同門ともなれば、魂をわけた兄弟にも等しいぐらいの近しい感情を育む。
芹沢らは新八を見つけると「おお、貴公が撃剣館の秘蔵っ子であったか」と嬉しそうな顔ですぐに近寄ってきたし、新八自身も同じように感じたもの。
聞けば新見は、金子健四郎道場で修業していたとのこと。
金子という剣客は、新八が通った撃剣館の出身であり、江戸三大道場練兵館をひらいた斎藤弥九郎、水戸学の大家であり尊王攘夷思想の基礎を築いた水戸藩士藤田東湖とともに、初代岡田十松のもとで腕を磨いた兄弟弟子だ。
よって水戸藩は、千葉周作の一刀流玄武館だけでなく、神道無念流にも縁をもっていたわけだが、練兵館の斎藤弥九郎も尊王攘夷思想に傾倒していた。練兵館では桂小五郎をはじめとした長州藩士も多く受け入れた。
新八が最初に習った師は、初代岡田十松の子であり、撃剣館を継いだ三代目岡田十松。畢竟、新八と新見は決して遠くない間柄といえる。
かたや芹沢が学んだ剣術道場は、神道無念流門下で岡田十松系と同様、重き存在感をしめす戸賀崎熊太郎系だ。戸賀崎系は竹刀をもちいた撃剣だけでなく、立ち居合いも重視する道統である。
芹沢は神道無念流門下に幅ひろい交際をもっていて、練兵館の剣士とも親しい。新八は年齢が違っていたので接点はなかったが、仏生寺弥助まで知っているというのが存外だった。
初代岡田十松や斎藤弥九郎が農民の出身であったように、神道無念流は身分を問わず広く受け入れたがゆえに隆盛し、ふるいにかけるような激しい稽古と仕合で実力を至上とした。
とはいえ、各道場にはそれぞれの厳とした格式があって、商店のように千客万来という雰囲気でもあらず。はたしてこの芹沢という男は、いったい何者であろうかと余計に考えさせられもした。
出会って半年ばかりの付きあいでしかなかったというのに、もっと長くいたような錯覚すら覚える。不思議と思い出は尽きない。
肩をならべて高下駄を鳴らし、京市中へ酒を飲みによく繰り出したが、道すがら剣術の話をするのが面白かった。
懐手で顎の無精髭をなでつつ、芹沢が言う。
「なァ、永倉君。君は立ち居合いをやらぬのか」
「師から学びはしましたが、どうも使える気がしません」
「ふぅむ、そうか。実は俺も昔はそうであった。だが共に剣を学んだ男がちと変わった奴でな、それが立ち居合いの名手で考えをあらためた」
「へぇ、名は何というお方ですか」
「香坂だ。香坂新八という」
「香坂……」
武者修行で下総をまわったときに聞いたことがある名だ。
水戸藩で保守派と攘夷派が激しく衝突した折、水戸街道で神道無念流の者が田宮流の名手と果し合った。結果、刀を抜かせずに一刀でしとめたという。
だが、自分と同じ名であったとは知らなかった。
「香坂も浪士組に誘ってはみたが、奴に色々と辛いことが起こって断られた。あのまま埋もれさすような男ではなかった。今ごろ、どうしていることやら……」
「そうですか」
めずらしく芹沢が憂いげな横顔を見せる。
「――だからな、永倉君。俺はどうも君が他人のような気がしないのだ。こんど香坂から教えられた秘訣を特別にいくつか伝授して進ぜよう。香坂の腕は、水戸の神道無念流門下随一とまでいわれた。このまま失わすには、実に惜しい剣技が詰まっている。俺には体現できぬものもあるが、天与の才同士ならば言葉だけで通じることもあるだろう。ぜひともやってみ給え」
「それはありがたい。是非ともお願いします」
いろいろと馬鹿なことを一緒にやった仲でもあるが、芹沢という人は、壬生浪士組が新撰組へと脱皮してゆく過程において欠かせぬ才幹であったことは、新八はおろか土方も認めるところである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます