壬生狼たち(一)
「ほう、みごとな早梅ですな」
徳利と盃を手にした島田が「どっこいしょ」と座り、やれやれと首をまわす。敵娼の紅梅もついてきて、新八、佳紫久と対座した。
「どうした、力さん。疲れているではないか」
「はい、若い奴らについて行くのも難儀になってきました」
「おいおい、まだ老け込む年でもあるまい」
「ハハハ、そうですな。髪はすっかり薄くなってしまいましたが」
島田が盃を空けると、すかさず紅梅が餅つきのように酌をしてくれる。まるで娘が父をいたわっている画にも見えるが、佳紫久がそっと教えてくれたのは「昨夜は二人で過ごしたようですよ」とのこと。
風貌とは裏腹に、島田は女心というものをよく分かっている男だ。京にいたころ、剣一筋で女には不器用だった新八と小常のあいだをとりもってくれた。
島田がか細くなった髷をなでて、懐旧をこめしみじみと言う。
「梅といえば水戸。水戸といえば芹沢先生――ですな」
「うむ、そうだな」
「生死にもしもはありませぬが、芹沢先生がご存命であれば、隊は今ごろどうなっていたかと考えることがあります。伊東先生を招くことはなかったでしょうか。御陵衛士の分裂もなかった。となれば平助さんもああした最期にならなかったのではと」
「そうかも知れぬ。だがあの頃は横浜鎖港の件と、その先に水戸天狗党の蜂起もあった。遠からず隊は二つに割れていただろうよ」
「その場合、新さんは近藤さんと芹沢さんのどちらにつかれましたか」
「さァな、わからぬ。難しい問いだ」
話を聞いているのかいないのか、佳紫久と紅梅は人形のように黙って控え、盃が空けば酌をしてくれている。
新八と島田は孤独に高く咲いた早梅の花を眺め、あのころに思いを馳せた。
芹沢について印象深いできごとはいくつもある。いの一番に二人が思いだすことといえば、大坂での一件があげられよう。
文久三年夏、七月中旬。
ますます京では政局の変転がめまぐるしい時期にあった。
急進的な尊王攘夷を唱える長州藩と公卿の勢いが頂点に達し、公武一和論の薩摩と激しく対立した。京都守護職として入洛した会津藩や諸藩がそれぞれの立場から囲む。そうした構図だった。
文久三年三月に若干十七歳の将軍徳川家茂が上洛した。
家茂が孝明天皇に拝謁して攘夷実行をやむなく約束させられたのを受け、長州藩は五月に馬関海峡を封鎖して欧米の商船を砲撃してしまう。
いっぽうで長州と水戸の急進攘夷派が京で合流し、さらに厚みを増して声高となって騒がしくなる。
対する薩摩藩は、ひどい窮地にはまって行く。
五月に公卿の姉小路公知が斬殺された。
殺害現場は帝がおわす禁裏|(御所)の目と鼻の先、朔平門外。
禁裏の白塀に血飛沫がかかったというから一大事だ。
姉小路公知は公卿のなかでも英明な人物で、三条実美とともに攘夷派公卿を率先する立場にあったが、事件の一ヶ月ほどまえ、勝海舟とともに幕府の軍艦に乗って摂津湾を巡航した。公知は勝の説明にいちいち聞き入り、「なるほど、なるほど」と軍艦についてすぐに理解したそうだ。
これを聞いた攘夷派の者たちは、公知が変節したと見たのだろう。暗殺の夜、三条実美邸の門には「姉小路少将に同意し公武一和を名目に、内実は天下の争乱を企てている。速やかに職から退け。さもなくば天誅をくわえる」という脅迫の貼り紙があった。
ところが捕まった下手人はなんと、薩摩藩士の田中新兵衛であるという。
現場にわざとらしく刀一振と薩摩下駄が残されていたので、これが動かぬ証拠となった。が、その刀は、祇園で飲んでいるあいだに盗まれたものだと田中が供述を曲げない。濡れ衣とはいえ、藩に迷惑をかけたと恥じたのか、田中は取調べの隙をついて壮絶な自害をして果てた。
これにより薩摩藩の京における信頼は地におちる。
諸藩は禁裏を囲む九門の警備を任されていたが、薩摩藩は朔平門に通じる乾門を守っていた。その任を解かれたばかりでなく、薩摩藩士が九門内へ立ち入ることさえも禁止された。
これで得をしたのは、長州藩をはじめとした急進攘夷派である。薩摩の者たちは「おのれ、長州めッ」と憤怒をためこんだ。
同年七月には前年の生麦事件をめぐり、イギリスの艦隊が鹿児島湾内に侵入してきて、大砲同士の激しい戦闘に至る。薩摩はなんとか人的被害を少なく退けることができたとはいえ、鹿児島城下は十分の一ほどが損壊する被害を被った。
当時はこうした趨勢だった。
孝明天皇の意向と朝命を得た攘夷派が世論を圧倒していた背景から、不逞浪士が京ばかりでなく大坂にも集まるようになり、尊王攘夷を名目に市中の治安を乱す。浪士たちの数が多すぎたので、町奉行だけでは手におえなくなる。
そこで京の壬生浪士組に応援の要請がはいり、芹沢近藤以下二十数人で大坂へ出張することになった。
その折のこと。
壬生浪士の面々が川沿いの道を歩いていると、付き人を従える角力取りが道向こうからノシノシとやってきた。
本来ならば角力取りが武家に道をゆずるべきところ、着たきり雀のみすぼらしい風貌からして貧乏浪人と値踏みしたのだろう。頑としてよけなかった。
芹沢は鉄扇で肩をトントンとたたき、眉間に深い縦皺をよせ、野太い声で言った。
「おい、側へ寄れ」
山のような体格をした角力取りは避けるどころか、溜め息まじりに耳穴をほじり、
「あァ、寄れとはなんや」
と仁王立ちで見下ろした。
大坂の角力取りは、ただ角力興行をするだけの一芸の者ではない。日ごろから勤王の士を自認して攘夷をとなえ、武家でさえ眼下にする風潮があった。
ところが、その傲慢な言葉を聞くやいなや。
芹沢はその巨体から想像もできぬ素早さで腰を割り、角力取りの懐に深くもぐる。そして「おのれッ」と言うより早く、脇差を弧に一閃させた。
無礼打ちである。
一連の動作を後ろから見ていた新八は「なんと見事な抜き打ち。これが立ち居合いか」と感心しきりで唸ったもの。
でっぷりとした肉がついた腹を浅く斬られた角力取りは、情けない悲鳴をあげて悶絶していたが、芹沢も加減して斬っている。死にはしないような浅い傷にすぎない。
斎藤や沖田は、
「どれどれ、斬り口を見せてみよ」
「ほう……いやァ、たいしたものだ。どうやって斬ったのだろう」
と手当てをするどころか傷口を指先でつついたり広げたりして検め、身振り手振りで芹沢の太刀筋をなぞっていた。
結局、壬生浪士の一行は付き人に処置をまかせ、「以後気をつけよ」と言い残して立ち去った。
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