夢醒めて(四)
新八はめずらしく憂いげな溜め息を微かにつき、新撰組の行方にかかわる重要な質問をした。
「会津御家中のほうはどうですか。大坂から逃れてきた皆様が、続々と江戸へ入っているようですが」
「いやァ、ひどいもンだ。様子を見てきたが怪我人だらけ。曲がって鞘におさまらなくなった抜き身やら槍やらを杖にして、戦仕度のまま、はるばる歩いてきたンだとよ」
「当然、上様や会津公にはお怒りでしょうね」
「それはそうだ。どこまでも共にと信じていた御面々から何も知らされず取り残されたンだぜ。いくら相手がお殿様とはいえ、身内に裏切られたら誰でも怒って当然サ」
鳥羽伏見の戦場で勇ましく戦い散った会津兵の姿と、見知った顔を思いだす。
「見廻組はどうなりましたか。退却前、橋本で踏ん張っていたのが見えましたが」
「あァ、佐々木さんのことだな。俺も方々をまわりながら探してみたが、どうやら鉄砲の弾を受けて戦死されたという噂だ。見廻組の奴らは偉そうで苦手だったが、あの人だけは色々と恩があったから、残念でならない」
「そうですか」
「こんな話も聞いた。上様に東帰恭順を進言した神保様を責める声が多くあるらしい。だけどヨ、どうだろうなァ。あれは何も告げずに退いたことが問題だっただけで、退くこと自体はやむを得なかった」
「然様」
「会津公は会津公で、桑名公とともに登城を差し止められたらしい。いまやお二人とも朝敵だからだとサ」
「それはあんまりだ」
慶応四年一月中旬。
慶喜は恭順謹慎を決断したのち、抗戦を主張する松平容保と定敬兄弟を登城禁止にした。慶喜とともに新政府から朝敵として指名されたとはいえ、二人にとってみれば、徳川宗家の当主である慶喜を支えつづけたすえのこと。
さらに慶喜の命に渋々したがい大坂城から連れ出され、江戸で兵を立てなおすかと思えばこの沙汰である。たまったものではない。
命を張って守ろうとしてくれた家臣たちに合わせる顔がなかった。
土方は「あァあ――」と重い溜め息を吐き出しながら、大の字に寝転んで虚ろに天井を見つめる。
「いったいぜんたい、去年の終わりごろから全部で何人が死んだンだろうな。まァ、この俺が言えた義理ではねぇけどヨ。いくら薩長と公卿が帝を抱えこんでいるからとはいえ、あとは大人しく反省してますから許してくださいってのも、なァ」
「…………」
二人は散華した者らの顔を思い浮かべ、暫く沈黙していたが、土方が「そうだ」と反動をつけて跳ね起きる。もどって来た表情はどこか明るい。
「なァ、新八。俺は江戸に来て、自分の目で見てやっとわかったぞ」
「何がです」
「いったい今、何がどうしてこうなったかを」
「へぇ……あまり興味はないですが、聞かせてくださいよ」
土方は勿体つけるようにゆっくりと煙管に火を乗せ、口をとがらせて細く煙を吐いた。
「京にいたころ、俺はずっと不思議に思っていたンだ。上様や幕臣がいて、薩長を筆頭に倒幕だと騒ぐ奴らがいた。だけどよくよく考えてもみろ、薩長を結びつけたのはいったい誰だ」
「それは土佐の坂本と中岡でしょう」
「ああ、そうだ。中岡は長州に味方して深い人脈があったし、坂本は裏で薩摩とつながりがあった。だがアイツらは所詮、実際に動いただけの下っ端だろう。田舎郷士風情にしてはずいぶんと諸藩や幕府の事情に精通していた。臨機応変に大きな知恵を利かすものだと、俺は感心して見ていたもンだ」
坂本が寺田屋で捕縛を撃った一件以来、新撰組もさんざん坂本を追い回したものだ。慶応三年十一月十五日、二人が近江屋で斬殺されたとき、やってもいないのに「新撰組の仕業ではないか」と倒幕派からまっさきに恨まれたから迷惑もした。
しかしたしかにあれは、手練れた者でないとなかなかできない仕業だ。
狭い室内のなか刀を用いて、死に物狂いで抵抗する二人を仕留めるのは、大人数でも難儀するもの。端的な例が新撰組の池田屋における捕り物劇だ。ゆえにその手口からして佐々木以下の見廻組がやったとのだろうというのは、土方も新八も消去法的におおよその察しがついていた。
巷では「坂本がやられた、坂本がやられた」と騒いでいたが、おなじ類の仕事をしているから新八にもわかる。あれは坂本龍馬と中岡慎太郎がそろった千載一遇の機であるからこそ、場所を選ばずにやったのであると。確実に斬殺するのであれば、伊東をやったように夜道で囲んだほうがよかったはずだ。一人をやればもう一人は警戒して深く潜伏してしまう。なればこそ、二人同時に消す機をうかがっていたのだろう。
土方は興奮気味に目をギラつかせる。
「――うしろにいたのは勝様だ」
「え」
「坂本は勝様の手足だったのだろう。千代田城でたまたま勝様と顔を合わせたとき、坂本が死んだことに触れたら、『はて、しばらく会ってないからこの頃どうしていたのかわからない』と言いやがった。あの狸、いいや狐め。ンなわけあるかヨ。坂本は長らく弟子だったンだゼ」
「さりとて、勝様は幕臣のはず。幕臣が幕府を潰すなど、あったものでしょうか」
「それがある。そもそも、勝様の家は二代遡れば旗本株を買って侍成りした検校様だ。あのお方は、先祖の功績の上に胡坐かいて威張りくさっている奴らが大嫌いで仕方ねぇんだヨ。しかも勝様と上様は、長州征伐のときから折り合いが悪かったらしい」
「ほう、それは初耳です」
「また勝様は、伝習所派閥中枢の一人。米利堅へ渡ってきてからは、ずっと公議を唱えてもいる。公議派にとって、徳川の幕藩とその象徴である徳川宗家は、理屈からして目の上のたんこぶだ」
公議政体派は、幕藩政治の次の政治機構として、いわゆる議会政治の導入を主張する。
有名な坂本龍馬の船中八策は、この論をなぞったものだ。新政府に名を連ねる面々では土佐藩主山内容堂、尾張藩主徳川慶勝、越前松平春獄らが早くからこれを志向していた。
公議においては徳川宗家も議会の一員という位置づけになるのだが、大政奉還はそれに向けた道筋の途上にあった。徳川宗家の立場がどうなるかはともかくとして、大政奉還をした慶喜も公議政体に一定の理解を示していたのだろう。
「考えてもみろ、新八。あの生真面目な佐々木さんが、私の勝手な判断で動くはずがない。おおかた、幕府中枢で勝様と論を異にする強硬な保守派重役から命を受けたンだろう」
「さもありなん、でしょうね」
「――だがな、徳川の座にとってかわりたい薩摩にしてみれば、公議は困る。だから上田藩の赤松小三郎を斬った」
「え、薩摩が上田の赤松先生を消したのですかッ」
「俺はそう見る。あン時、町人が誰も目撃してねぇというから、そンな馬鹿な話があるかと思って周辺の奴らに聞いてまわったンだ。するとやっぱり他言無用だと侍から脅されていたが、銭を握らせたら教えてくれた。どうやら背格好からして、薩摩の中村半次郎が斬ったに違いない」
「なんと……」
「赤松のことも勝様にカマをかけたら、少しばかり目を細めて『それは残念だが、赤松もしばらく会ってないからこの頃どうしていたのかわからない』だとサ。嘘つけってンだ」
上田藩士赤松小三郎も、坂本龍馬とおなじ勝海舟の弟子だった。海軍伝習所で学び、オランダ人から西洋学問や兵学、イギリス人から英国式の兵学を教授され、この道の第一人者となった。のちは薩摩藩から兵学教授として招聘され、会津藩洋学校の顧問をもつとめた経緯から「幕府と薩摩は対立するのではなく、一和協力することこそ肝要」と主張した。
そしてもちろん、勝と同じ公議輿論を広く唱える。
なにを隠そう、坂本龍馬より先んじて慶応三年五月、船中八策よりも詳細な議会制のあり方を、松平春獄や島津久光へ建白書として提出していた。
つまり勝海舟は、京にあった弟子たちに功と名を譲り、大政奉還の機運を醸成する底知れぬ働きをしていたのだ。
しかしながら薩摩の強硬さと野心の強さだけは、想定外だったのかも知れない。
薩摩が赤松を消したのは、最新の英国式兵運用を幕府や会津に知られたくなかったことに加え、公議派にたいする牽制の意味あいもあったのだろう。
事実、効果的な一手になった。公議派は以前よりも静かになり、新政府内で慶喜を擁護して薩摩と論を対立させもしたが、結句公卿をまるめこんだ薩摩が主導権を掌握した。鳥羽伏見では、赤松仕込みの兵運用が戦の勝敗を分けた。
土方が続ける。
「こうして京を離れてみるとわかる。俺たちは勤王倒幕を名目にして野合する奴らが敵だとすっかり思いこんでいたが、根っこは徳川宗家と薩摩と公議派の三つ巴だったンだ。そして遺憾なことに、長州と公卿を巻きこんだ薩摩が一旦勝った。おそらく当面は、薩摩の西郷と勝様が潮目の渦になるンだろう。だからこれから何かあれば、勝様のところへ行けば一番話が早い」
「新撰組は、これからどうしますか」
「さァてな。ゆっくり考えてみるサ。会津の方々も国許へ戻るであろうし、新撰組は新撰組の義を通すだけのこと。薩長と一戦交えんと気勢を吐いている奴らは、江戸にもまだまだわんさといる。薩長は会津と俺たちを目の仇にしてくるだろうが、いいサ、来るならば受けて立ってやろうじゃねぇか。鳥羽伏見に散った奴らの命を無駄にするわけにはいかねぇ」
「そうこなくては。俺もそのつもりですよ」
「頼りにしてるゼ」
新八と土方はたがいを見つめたまま、目に青白い光を宿らせ、つぎの悪戯をたくらむ悪童のようにニヤリと嗤った。
「――あのお、よろしいでしょうか」
「あン」
島田魁が大きな体を申し訳なさそうに縮めて、廊下から二人の顔色をうかがっている。
「新さん、そろそろ行きませんか。皆が揃ってまだかまだかと待っていますので」
「あァ、そうだった。済まない。今すぐ仕度をする」
すぐに土方が察して、やれやれと呆れる。
「なンだ、てめぇら。まァた遊びに行くのか」
「隊士を慰労して士気を上げることも、隊長の重要な役目ですから」
「フンッ。ここは京じゃねぇんだ、くれぐれもほどほどに頼むゼ。てめぇらが方々でやらかす粗相の尻拭いは、もうまっぴらゴメンだ。何かあっても知らねぇからな。てめぇでケツを拭けよ」
「はいはい、心得ていますから。では失礼――」
新八はウンッとひとつ背伸びをさせ、玄関先で待つ島田らの許へ向かった。
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