幕末新撰組(四)
急進尊王攘夷派の中核であった長州藩および長州派公卿が京を去ったのち、壬生浪士組あらため新撰組は、ますます多忙をきわめていた。
とにかく人手が足りない。
八月十八日から暫時、会津藩と新撰組で京市中全体を管轄としていたからだ。いまだ京市中に潜伏する過激志士たちがそこかしこにいるので、危険がともなう。頭脳と分断された志士たちは、自暴自棄な暴走を見せつつある。新八も何度か捕縛にさいして抜刀におよんだ。
とりわけ島原だ。界隈の女たちと結びついている者は多い。そこが手がかりとなるから客のふりをして一人ひとりあぶりだした。自白さすには脅さなければならい。ずいぶんと無茶もした。
そうこうしているうち、あっという間に半月がすぎ、九月をむかえる。
初旬のこと。非番の土方と新八は、八木邸の縁側に寝転び、朝から酒をやっていた。急に金回りがよくなってきたので、八木のおかみさんにせびることもなくなって存分に飲める。
そこに国事探偵方の
御倉は六月に同志三名――京都浪士だった荒木左馬之介と越後三郎、宇都宮浪士の松井竜三郎とともに四人で入隊してきた。新八とおなじ神道無念流をつかう。
すると八木邸のなかから、一人の侍がでてきた。
四十がらみ。体は大柄で高下駄をひきずって歩く。眉間のしわは深く、身のさばきに隙がない。どこか新撰組の者たちと同じ臭いをただよわせている。剣士だ。
その名を吉成勇太郎という。水戸藩士だ。
何をかくそう先般、新家粂太郎をひきとり、正親町公董の警護役に推挙してくれたのは吉成である。
新八は親しげな声音で名を呼んだ。
「やァ、吉成さん。いらっしゃっていたのですか」
「おう、これは永倉氏。いましがた芹沢君から聞いたぞ。近ごろはずいぶんと奮っているそうじゃないか。さすがは岡田先生が手塩にかけた撃剣館の申し子。おなじ神道無念流門下として鼻がたかい。どうかぜひとも帝都静謐のため奮ってくれ給え」
「いえいえ、まだまだでございます。どうですか一杯。ゆうべよい酒が手に入りまして、皆でやっているところです」
「いや、そうしたいのは山々ながら、実は次の用がございましてな、今日は泣く泣く遠慮いたす。またの機会に存分にやりあおうではないか。岡田先生の思い出話をお聞かせ願いたい」
「はい、もちろんです。楽しみにしておりますよ。昔の練兵館と斎藤先生についてもお教えください」
「うむ、では」
土方も顔を合わせるのは三度目になる。盃を置いて会釈で見送った。が、かたわらで御倉が始終顔を横に伏せていたのを見逃さなかった。
「あれ、御倉君も練兵館であったよな。吉成さんとは顔見知りではないのか」
「え、そうなのですか。あのお方は練兵館のご出身であられましたか。あいや、これはいけない。お年が違うゆえでしょう、初めてお目にかかったお方です。知らずに無礼を働いてしまいました」
「ふぅん、まァ、飲めよ」
「あ、ありがとうございます……」
土方は平静をたもとうとする御倉の横顔を一瞥したあと、新八に訊ねた。
「近ごろは吉成さんもお忙しそうだな。芹沢隊長のところへ来る回数が増えている」
「長州が去った今、攘夷をのぞむ世論の水戸に対する期待は日に日に高まっているそうです。水戸は倒幕などと馬鹿なことを唱えず、正当な攘夷の言路を示してくれますから頼りになります」
「となれば芹沢隊長、新撰組への期待も高まる」
「然様」
「そして、金子の出入りも増える。島原でも遊べる。女にももてるな」
「なッ……トシさんはまたそういう不届きなことを。隊の重役なのですから、ご発言には自重さっしゃい」
「はいはい」
二人のやりとりを聞いていた御倉は涼やかに笑ったあと、「用事を思い出しました」と言い残してどこかへ行った。
土方は鋭い眼光でその背を見送る。
「なァ、新八。どう思う」
「どう、とは」
「御倉のことだ。どうもあやしいと思わないか」
「――さきほどのことですか。私は練兵館の名を出して御倉君に話の水をさし向けてみたつもりでしたが、存外乗ってこなかったので少し引っ掛かりました」
「神道無念流ではそんなもんなのか」
「たしかに数千人の門弟がおりますから、他人といえば他人にすぎませぬが、京で出会ったとなればまた格別。思わず私もでござると言いたくなるもの。少なくとも私は、ですが」
「奴は使えるが、気をつけなければならんな」
「御倉君たちを面接したのは近藤さんでしたね」
「そうだ。だが近藤さんの目は
「そうですね」
土方は苦々しげに盃をあおった。
実のところ最近、それも問題になっている。
近藤が己の器量を大きく見せようとして、すぐに入隊を許してしまうのだ。
芹沢であれば面接をしたのち、紹介状や身元の証となるものがなければ「では後日あらためてご連絡いたそう」と言って返す。それから水面下で吉成ら水戸の同志に照会する。当世、同志の同志はまた同志だ。どこかでつながりがあるもの。
芹沢には水戸玉造勢で数々の苦い思いをしたからこその用心深さがあった。
かたや近藤も剣の腕がたつひとかどの人物には違いないが、豪農家生まれで下手な武家よりも育ちがよく、剣術道場の師範であったにすぎない。人脈もない。海千山千の世界を泳いだ経験がなかったがゆえ、脇の甘いところがあった。
思えば江戸にいたころ、同じように己の器量を大きく見せようとして人を集める癖があり、そのたび、妻女が困惑している場面をよく見た。京に来てからというもの、その役目は土方になっている。
「――おっと、ご両所。体に効きそうな良薬を飲んでおられるな」
芹沢の人懐っこい野太い声がして、二人は見上げた。
近所の子供たちに「遊んで遊んでッ」「また絵を描いてッ」と袴を引っ張られている。
「芹沢隊長も飲まれますか」
「お、よろしいか。ぜひぜひ。――これお前たち。小遣いをやるから飴でも買ってくるがよい」
芹沢から金子を受け取った子供たちは、はしゃいで門口から駆けて行った。
土方が苦笑する。
「まるで押し借りの手口ですな」
「あ、これはしたり。たしかにそうだ。可愛らしさに騙されてしまったが、なんとあざとい。すっかりやられてしまいもうした」
豪傑笑いを響かせ、芹沢は旨そうに喉を鳴らした。
新八が追加の酌をしながら訊ねる。
「大和国の一件はいかがですか」
「ん、さすがは永倉君。鋭いな。然様、さきほど吉成氏とその話をしていた。どうやら、事態は思わしくない。奴らは千人近い兵を集めたそうだが、所詮は烏合の衆よ。幕府の命を受けた諸藩の兵が包囲しつつある。早晩に蹴散らされるであろう」
「なんと、無駄な血を」
「然り。あれらはもはや尽忠報国の士ではない。大義を見失った単なる暴徒、あるいは賊だ。清河氏も同様であったが時勢を見誤れば、たとえおなじことをしても世論が真逆の評価をくだすことがある。ハハ、かつての某もそうであったがの。あんなことはもうこりごりだ。己はよくても周りに迷惑をかけて不幸をもたらす」
「なるほど……」
新八はしばらく会っていない優しい両親の顔を思い出した。
「そういえば長州にいる新家は元気にやっているらしい。元気がありすぎてまた酒で狼藉をはたらいたようだが、吉成氏のところへ定期的に報せを送ってくれてもいる。畢竟、我ら新撰組の役にたっているということだ」
「それはよかったですね」
「うむ。ところで土方君、永倉君。お二人にだけお伝えしておこう。近藤氏の耳には某からすでに伝えてある件だ」
「「はい……」」
めずらしく芹沢が声をおさえて話をきりだした。
重要な件であろうと察し、土方と新八は神妙に聞きいる。
「来月、一橋様と水戸藩の武田様がふたたび上洛をなされる」
「なんと」
「知ってのとおり一橋様は江戸で横浜鎖港の話をまとめた。帝への手土産として献じるであろう。某も京に来ておどろいたが、ここまで長州が朝廷に猛威を振るい、攘夷派が過激になっているとは思わなかった。だがきっと、このままでは世の潮目は収まらぬ。公武一和とはなれぬのだ。どこかで皆が納得できうる落としどころを模索せねばならぬ。なればこその横浜鎖港である。水戸学の総本山である水戸徳川と一橋様が構想する尊王攘夷とは、こうしたものだ」
「なるほど……疑問に思っておりましたが、やっと腑に落ちました」
「ゆえにこれから、我ら新撰組は忙しくなろう」
さっき話していたことだ。土方と新八は目を合わせてニヤリと笑う。
「何をおいてもまずは京師の静謐を保つこと。これがひとつ。そして一方で志士らを秩序のなかでとりまとめ、正しき命の使い道へ導くこと。これこそが肝要だ。なればこそ、名は体をあらわし、我ら一同は京都守護職様御預り新撰組という名にふさわしくあれる。大和国で土佐勤王党がやった暴挙のように、有為な才能を扇動して無駄死にさせてはならぬ。絶対にならぬのだッ」
「「…………」」
土方と新八は、まっすぐに訴えかける芹沢の情熱的な眼光に、息をのんだ。
「――どうだ、ご両所。我が言路をおわかりいただけるであろうか。共感いただけたであろうか」
「もちろんですッ」
「当然ですよ。近藤さんともども、そのつもりです」
「そうか、わかっていただけるか。ガハハッ、よかった、それはよかった。やっと某はよき同志を得た。わざわざ京まで来た甲斐があったというもの――」
芹沢は至極安堵した様子でいて、盃のうえで黄金色に輝く小さなさざなみをしみじみと眺めたのち、満足げに飲み干した。
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