夢醒めて(一)
新八はうんざりしながら、隊士たちから集めてきた控え書きを読みあげる。
「山崎、今井、青柳、三品、吉村、伊藤、小池、飯田、三浦――」
そのたび、土方歳三が「うむ、うむ――」と憂いげな呻き声で相づちをうちうち、隊士名簿に朱で縦棒を書きこんでゆく。
「おい、どっちの三浦だ」
「常三郎」
「ああ、そうかァ……。アイツもかい」
なおも延々とつづく。
「鈴木、水口、宮川数馬、古川――そして、井上源三郎」
「うむ……」
「暫定、これだけです。ぜんぶで何人になりましたか」
土方は忌々しげに濁った溜め息を吐き、伸びてきた頭髪をかきむしった。
「二十五だ。あとはまだ出さないで遊びまわってる奴らもあるから、おそらく三十人弱はいなくなったか。主だった者が残り四十と少し、つごう、後方や全部の兵を合わせ百二十弱ってところ。まァ、二個小隊は作れるし、募って装備を整えればまだまだやれる」
新八と土方は、隊の現状を把握するため、鳥羽伏見の戦死者を数えていた。戦死ばかりではない。行方不明となった者、または脱走した者もある。
慶応四年一月下旬。
新撰組は江戸城ちかくの大名小路にある、鳥居丹波守の役宅を宿舎として割り当てられていた。
かつて浪士組募集の折、掃き溜めのように小石川伝通院の処静院に二百人以上でおしこめられた時とくらべればたいへんな出世であるが、今はそんなことを喜べる心持ちでもない。
ではなぜ、鳥羽伏見で死線を往来していた新撰組の猛者たちがこうして江戸にあるのかといえば、命からがらやっと大坂城へ帰陣したのち、一月十日、慶喜をはじめ重臣らとともに大坂を脱出し、海路をたどって東下したからだった。
新八は多忙な土方をやっとつかまえ、顔をあわせることができた。上から情報がまったくおりてこないがゆえ悶々と気になっていたことや、隊士たちから質問されたことを諸々訊ねてみる。
「千代田城内のご様子はいかがで」
「あァ、そうだそうだ。知らせるのが遅れて悪かった。毎日あっちこっちの幕閣から呼びだされて、鳥羽伏見の戦について報告しなきゃならなかったからヨ。だけど江戸の様子もよくわかったから好都合だったぜ。推して知るべしというべきか、幕論はまっぷたつに割れていた。会津公桑名公や小栗様は、東下してくる奸薩長にたいし交戦をご主張。かたや勝様をはじめとした江戸の方々は、江戸が京のように荒廃するのを懸念なされ、頑として恭順をゆずらなかった。まるで平行線で、たがいの話を聞く耳もなし。駄目だな、ありゃ」
「それで、上様の御意向は」
土方は煙草を燻らせながら「それよ」とうなずき、鋭い眼光にかわる。
「――恭順謹慎」
「あァ、やっぱり。そうですか……」
「なンだ、残念そうだな」
「緒戦で敗けたからといって、そこで引いてしまえば未来永劫の敗けがきまってしまう。勝つまでやるつもりがないなら、戦なんて端からやらない方がいい」
とはいえ、あらためて聞かずともその御心中は新八にもわかる。
土方は、あえて新八の言葉を否定もせずに「もっともだ」と同調し、話を先回りしてくれた。
「やっぱりいきなり大坂城から策もなしに退いたことがなァ、下々から上様への風当たりを悪くしちまった」
「それは、あの日あの場にいなかった方々だからいえることですよ」
然りと土方がうなずく。
「江戸の幕閣らのなかには、まだ戦えただろう、盛りかえす余地があったというお方もあるが、もしもあのまま大坂城にとどまっておられたらどうなったか。上様は豊臣のように孤立無援のまま四方八方からとり囲まれ、さんざん大砲の弾を浴びたのち、御自刃あそばされる羽目になっていたであろうヨ」
「そう。あの時は俺もまだまだ薩長と戦をするつもりでいたから不満に思いましたが、あとになってよくよく冷静に思えば、万が一上様を戦で失うことにでもなっていたら大変なところでしたよ。徳川宗家再起の道が途絶えてしまう。それだけは絶対にいけないこと」
「まったくだ。本当に外から見ている奴らとは、あれやこれやと思いつきで勝手なことを言ってくれるもンだよな。てめぇの命を張ったこともねぇくせによ。あン時の大坂は、身内と周りは腹の奥底が知れない裏切り者だらけだったつぅのに。ああ、腹が立って仕方がねぇ」
土方は力まかせにカンカンと煙管を叩きつけ、灰を落とす。江戸へ戻ってきてこのかた、怜悧狡猾な言動をもって京の町に名を轟かせた鬼の副長は、みるみる試衛館時代のトシに戻りつつある。
あれは一月六日の夜だった。
大坂城へ戻った新八の顔を見つけるなり、土方はまるで愛おしい女でも待ち焦がれていたかのように駆けよってきて、強く抱擁してきた。
そして耳元で、ぞんざいな江戸訛りを隠さずに、
「よかった、本当によかった。もしかすると俺はまた、江戸から一緒にでばってきた仲間を失ったンじゃないかと思ってヨ……。ここでてめぇにまで死なれたら、俺は、俺たちは、いったい何をしにこんな上方くんだりまで――」
と声を詰まらせた。
聞けば先行していた土方の新撰組本体も、行く先々でさんざんな目にあいながらやっとたどり着いたのだという。
京に来て以来、新八と同じ神道無念流門下である芹沢一党の粛清があってからというもの、二人の心的距離は遠のくばかりだった。
かつて江戸にいたころは「新八」「てめえ」と気安く呼んできていたものを、新撰組の形ができてからは「永倉君」「キミ」などとくるから背中が痒くなる。あとは「遊びはほどほどにするように」「組長は隊士の鑑となるように」などなど、いちいち上から小言をしてくるので、新八は「教育カカァのようにうるさい奴だ」と内心わずらわしく思っていた。
だがそれは、違うのだと気づかされた。
思いおこせばずっと、新八が近藤を嫌って反目しようとも、どんな無茶をしようとも、土方は一貫して新八を擁護してくれていた。曲者ぞろいの隊がバラバラにならないよう、粉骨砕身、尽くしていただけのこと。
みんなで旗あげした新撰組が名声を得るたび、もともと見栄っ張りなところがある近藤は勘違いをするようにもなったが、土方はちがっていた。
「この人の気持ちは俺とおなじだ。新撰組が好きなんだ。あの頃とちっとも変わっていない。江戸で一緒に遊んだころのトシさんが、ずっと鬼の副長の中にいたのだ――」
それを悟った瞬間、新八はこみあげる涙をこらえきれなくなり、土方の身をつよく抱き返したのだった。
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