第21話 楽園はここに
噴き出す汗をタオルで拭きながら、拠点に戻ってきた。
いつものような出迎えやおかえりの声はない。トウコちゃんはこちらを一度も見ることなく、眼をつむってじっとしている。寝床の周りを何度か行き交う時もそうだった。
自分の言葉を守って休んでくれているのかな?
声をかけようとすると、先に彼女が口を開いた。
「トウコは怒っています」
「……え」
「休めって言っておきながら、ハルは外でずーっと動いてました。もうトウコよりたくっさん休んでくれないと、気が済みません」
「今からちゃんと日陰で涼むよ。ここでしかできない作業もあるし」
「だめ!」
日陰の端に腰を下ろすと、トウコちゃんが手を掴んでくる。支えになっていた片手を取られてバランスを崩し、あっという間に草の寝床に押し倒された。上に乗っかられても重みは全然感じないが、身体を起こそうとすれば彼女はささやかな抵抗を試みるだろう。
どうしたものかと頭の上で考えていると、見つめ合ったまま瞳がぐんぐん近付いてきた。何の躊躇いもなく、鼻やまつげが触れそうなほどの距離になる。
「もう後はじっとしてて。ぜったい動かないで……わかった?」
「わ、わかりました」
「ふふっ、なら良し。何か必要なことはトウコに言ってください。なんなりとお申し付けを。ぜんぶやります。休んだぶんは働くのです」
彼女の瞳がぱっと離れ、にこやかな表情を向けて来る。こんな不条理で、遭難した状況でも、ころころと変わる顔と魅力は、砂の一粒ほども損なわない。
止めていた息を吐き出し、胸の高鳴りを少しずつ落ち着かせる。
……ちょうど休む所だから都合がいい。と言うより昼前から夕方、陽が落ちるまで日陰から出るのは自殺行為だ。トウコちゃんに逆らう理由もない。喜んで休息をとろう。
うちわ替わりの板で扇がれ、都会でも出会ったことのない美少女が甲斐甲斐しく世話を焼いている…………ここは南国の楽園かな?
トウコちゃんの機嫌はみるみる直っていき、座っているだけなら咎められなくなった。今まで日差し避け兼シーツにしていたパラソルの布を手に取る。頃合いを見計らっていたが、作業を開始しよう。
「トウコちゃん、あのナイフ使いたい」
「いいよ。なにするの?」
「旗を作ろうと思って。この島の近くを通った船に見つけてもらえるようにさ」
ナイフを受け取りながら、軽く説明した。
自分たちを発見しやすくするための目印。縫ったり貼ったりの加工は無理だし、ナイフで切るならその辺の浮木に結びつけるような形にしよう。よく分からないから端は大きめに余らせて――
「旗を作ったら、どうするの? あの岩場のてっぺんに差す?」
「お、いいねそれ。普段はそうしておいて、こっちの砂浜側に船が見えたら取って来るようにするか」
「風で飛ばされない?」
「ううん……浮竹の中を抜いて、差せるところに固定して……」
「その空洞に旗の棒を入れるんですね。あ、砂浜に千切れた網がありましたから、巻き付けて結ぶのは?」
「おお、補強としてちょうどいいかも。夕方辺りに拾ってこよう。どちらにしても、夜に旗は見えないだろうし」
本当は火を起こせるのが理想だ。狼煙になり、魚や山菜も焼ける。ただ、その道具やアイデアが無い。ペットボトルで太陽光を集めて……とか一瞬考えたけど、どうしたって火種が必要になる。火起こしに失敗したら時間と体力の無駄だ。この非日常の状況下で極力ミスれない。
無人島でも、いつもと様子が違ったり旗が差さってれば、何かあるって思ってくれるかも、と願おう。
トウコちゃんには言ってないが、救助に関しては期待できない。
あの時、船から二人とも落とされて、久万倉さんたちは助けもせず逃げた。最も恐るべきことは……トウコちゃんと俺が港に着いた船から降りて、そこから行方不明になった、と彼らが口裏を合わせてしまうパターンだ。
容疑者
その場合、巳海さんや事情を知った俺の家族は……不老ヶ谷や琴吹町を探しても海までは及ばないだろう。当然船で捜索もされない。澪や兄さんが違和感から嘘を見破ってくれればいいが、そんな上手い話を望むより偶然横切った漁船やクジラツアーの観光船に賭けるぞ。
「よし出来た。支柱の素材は夕方に拾ってくるとして……」
模様が青い南国チックだから、着色の必要は無さそうだ。
島の反対側に差しとくか、このまま日差し避けやシーツとして引き続き使うか……ひとまずは保留だ。先に旗作りの副産物を確かめよう。俺は見ないけど。
「ハル? こっちの布の余りは何ですか? 切れ端にしては……」
「……水着を仕立ててみたんだ」
「うわぁ、これ水着!? 本当だ。すごい!」
「パレオ風な奴と上をね。一応それなりの形にはしたつもり。トウコちゃん海に入ってたし、服もワンピースとインナーだけじゃ足りないと思って……」
「ありがとう! トウコすぐ着るから!」
やると思ったよ。後ろ向いてて良かった!
衣擦れもなくワンピースを脱いだ音が背中に追い付く。野生児かな? 巳海家の御令嬢にはもう少し慎ましやかさを学んで欲しい。口から出る声と動く感じから、水着の上を結ぶのに難航しているようだ。
手伝ってやりたいが、でもそれやると正真正銘の変態事案容疑者になってしまうから何ともできない。
「トウコちゃん、泳ぎとか魚を突くの上手だったね。助かった。海で遊んだことないのに、あれだけ出来るなんて」
「小さい頃、ママと夕方の浜を歩いたことが一度だけあります。岩場近くの海で、久万倉が魚を突いているのをママはずっと見てて……その時の泳ぎや呼吸、タイミングの測り方を見よう見まねでやりました」
久万倉さん、素潜りとかメチャメチャ得意そうだしな。ん、久万倉さん? そういえば、船の上で何か言ってたのを思いだした。トウコちゃんの荷物の中に《牙》と《念書》があるかもしれないと。
そのうち牙――黒い削りだしのナイフはトウコちゃんが持っていた。念書っていう単語はぴんとこないけど……覚え書きとか契約書みたいなものだろうか。少なくともトウコちゃんに危害を加えようとする勢力が、俺たちを殺そうとしてまでも欲しがり、探しているのは確かだ。
「そうだ、念書っていう言葉を聞いたことない?」
「ねんしょ、ですか?」
「うん、推測だけど紙で出来た何かだ。複数枚に束ねてあるんじゃないかな。トウコちゃんなら知ってると思って……」
「たぶんそれポシェットに入ってます。中身を見ましたが漢字と文章がトウコには難しくて……念書って言うのかは分かりません。ハルの自由に、好きな時に好きなだけ探って見ていいですよ」
「それは――」
見る時に聞くよ、と言う前に岩陰からトウコちゃんが走り出た。
真昼の太陽の下をスポットライトにして、くるっと一周して見せる笑顔はまぶしいほど輝いている。
くじらと人魚の夏休み 安室 作 @sumisueiti
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