第7話 冬から春へ
『よっしゃ! ええ感じや!』
『荒れ狂う大海原を、颯爽と突き進む船。はたして、この無人島で伝説を達成することが出来るのか――』
『注意。危険な行為は絶対に真似しないでください』
TVから流れる音と声。
ちょうど企画の冒頭で、テロップが流れるところが映し出されていた。
「なんだ。テレビか」
「? ……消した方がいい?」
「いや、大丈夫このままで」
この子の部屋に誰かいるって思ってたから、ほっとした。
いろいろ頭を使ったけど、TV点けっぱなしだったってだけか。余計なこと考えてたわ。
流れてる番組は懐かしさがある。俺が子どもの頃見てたっけ。今はまだやってるのかな? この映像は……かなり古いやつだから録画した奴みたいだけど。
「はあー帰ってこれた。適当に座っていいよ」
返事を待たず、女の子はタンスに背中を預け、ポシェットを抱えながら座った。改めてよく見れば、そのポシェットは子どもらしくないデザインだ。恐らく亡くなった母親の……形見のようなものだきっと。
この子は今も母親のいない心細さを感じながら、今日起きた出来事を思い返している。そんな風に見えた。乱暴な男に手を引かれ、山に連れていかれる時。無表情の奥で震えていたんじゃないか? だから俺に家まで連れてって欲しいって言った――いちおう辻褄は合う。
「……どうしたの? 畳がいやなら、そこのクッション使って」
「ああ、ごめんごめん」
突っ立ったままの自分に上目遣いで促され、慌てて否定して座った。
可愛らしい座布団が、タンス横に収納されている。本棚や収納の箱もそれぞれきっちりと整理されており、無駄に出ている物は一つもない。そして学習机が……あれ?
ランドセルだ。……ランドセル? あと教科書が揃えて並んでいて、巳海トウコと書いてある。六年生。
中学生じゃないじゃん!
妹と同じくらいの背丈だから勘違いした。学年二個下くらいだって思ってたけど、4、5歳離れてるのか。信じられない。大人びてるし、部屋も整然としている。妹に見習わせたいくらいだ。あいつの部屋色んなものが出しっ放しだし。
「……」
「……」
それきり会話が出てこない。
TV消さないで良かった。音が無いとさすがに気まずい。
そういえば、なんでTV点けっぱなしだったんだ? 障子も開けたまま。何か急な用事でもあったのか……でも巳海さんに呼ばれたとしてもその辺は気をつけるだろうし。火事とか地震とか、そんな非常事態ぐらいでないと。
聞けば答えてくれるかもだけど、失礼すぎるかな。
巳海さんが戻って来るまで無言ってのは避けたいが、どうしよう。どんな話題を振れば食いついてくれる?
……んん、分からない。分からないから、高校のみんなに聞くか。
《あんま知らん子の部屋で 二人きり 気まずい 誰か 頼む》
* *
《ハルが困ってるってことは 女だな》
《田舎にいんだから 妹の友だちとかじゃね?》
《駄菓子かあのデカい飴で釣れ》
《無敵のハル式話術で なんとかしてくださいよォー!》
メッセージを打ち、ものの数秒で反応が次々と返って来る。
まずは
《ハルさん~、ファイト!》
《クジラ見に行くのって明日? おみやげ はよ》
《都会の話とか興味ない感じ?
今やってることとか、したいことを聞いてみたらいいよ記号
構わないでオーラ出してるだけだよきっと記号》
《は? 携帯イジってないで とにかく喋れ お節介焼き》
女子たちのコメントは少し遅れて一斉に入った。
この同時な感じ。どこかみんなで遊びに行っているな? その話も帰ってきたら聞けるだろうけど。
携帯をポケットにしまう時、大きな飴玉が一つ指に触れた。
まあ、やることはいつもと変わらないか。流れで喋ればいい。
「アメでも舐める?」
「いらない。欲しくない」
「あっ、い、いらないよね、うん……」
「それはあなたの物。なんの気なしにあげたりしないで」
さっきの三割増しくらい不機嫌になってしまった。
眉間にしわを寄せて、ポシェットを抱える両手に力が入る。
「そういうの嫌い。恩に着るのも着せるのも……ホント面倒」
心底うんざりしている、といったため息を吐き出す。
……胸が痛い。いつかの妹と同じ顔を、俺はさせてしまったのか。
この子は自分の家に取り入ろうとする人たちに、振り回されてきてる。打算の含まれた好意にまみれるうち全てがいやになり、誰かの気持ちを汲み取ることも諦め、頼らなくなってしまった。それは母親のいない環境で、どれだけ辛く、孤独な気持ちなのか……見当もつかない。
巳海さんにだってすべてを打ち明けてはいないはずだ。家族にだけ分かって欲しいこともあるけど、その逆だってあるんだから。
「ねえ……名前。鯨井ハルだっけ?」
「そうだよ。変わった苗字ってよく言われる」
「ふぅん……」
そう呟き、何か考え事をしている。
こっちを見る目には好奇心がうっすら浮かんでいた。
この子も苗字が物珍しいってクチかな。クジライだから、クジラを観に来たの!? みたいな。まあ苗字のいじりから会話が弾むことだってある。高校入りたての頃もそうだった。
「ハルって名前は、季節の春?」
「え? あ、ああ……そうだよ。四月に生まれたから春」
安直だよなって言おうとしたけど、父さんと母さんに付けてもらった名前なんでぐっとのみ込む。それにシンプルな春って一文字が嫌いではない。周りには複雑な当て字みたいな友だちもいるし。
名前の方に着目されるのは始めてだ。名前が地味って言われることも多いが、それは鯨井姓と比較してって話の流れだから。
「トウコは冬に生まれたの。冬の湖、って言う字を本当は使うんだけど、カタカナの方が似合うからってママが話してた」
「いい名前だね」
「……でしょ!? ママの名前も漢字つかわなくてお揃いなんだ。だからトウコは自分の名前、すっごく気に入ってる!」
ん、急になんか……口調と距離感が変わった。
ぐっと身を乗り出して視線を合わせてくる……ち、近い。
「ね、ね。ハルって呼んじゃだめ?」
「ええと、その、君が良ければ」
「ハル! トウコのことも、トウコでいいよ!」
「わ、わかったから落ち着いて……トウコちゃん」
「……えへへ。やった」
彼女は小さく笑った。
出会ってから初めての笑顔を見て、ようやく小学生なんだなと納得した。 どんよりした曇り空のような顔が、きらきらと輝く表情に変わった。すごく年相応で、すごくかわいい。
いつも笑っていれば、打算なく友だちになりたいって子はたくさんいるんじゃないか? 見つめて来るその視線にかすかな好意を感じる。緊張や恐怖が和らいでいるのは間違いないみたいだ。
何が彼女……トウコちゃんの心の琴線に触れたのか分からないけど。
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