第8話 まさかまさかの再ツアー


 それからしばらく、トウコちゃんとお喋りをしていた。

 特に自分のことを聞きたがったので、家族や都会のエピソード、高校のゆかいな仲間たち、ここから隣町の琴吹に毎夏帰省していることを話した。

 トウコちゃんにも学校や普段どうしてるかをそれとなく質問したが、あまりいい反応は返ってこなかった。ただ自らの取り巻く環境、それに対する息苦しさはあるようだった。


「ハル! その釣った魚は持って帰れたの!?」

「ああ、アニキと一緒にな。妹は先にみんなに教えに行って……じいちゃんが捌いて料理したよ。あれは美味かったなあ」

「釣りって楽しい? トウコ、したことなくて」

「楽しいよ? 琴吹にも不老ヶ谷にも港あるから、いつでも出来るし……そうだ。今度道具持って来るからやってみる?」

「やりたい! やりたいです! いつに――」


 興奮気味にぐいぐい身を乗り出していたトウコちゃんが、急に離れて佇まいを直した。今さらながら、近過ぎってこと自覚してくれたのかな? 

 部屋はTVの音だけが響いている。録画の番組は終わって、えらい昔のニュースが流れていた。俺が子どもの時に見た芸能人のスキャンダルや事件。いつかここでお母さんと一緒に見ていたんだろうか。


 そんなことを考えていると、部屋の外から板を踏む足音が聞こえた。トウコちゃんが障子に手を伸ばし、開けると同時に座った巳海さんの姿が見える。 


「ここにいたか。帰ったぞ」

「おじいちゃん、おかえり」

「さっそくだが鯨井くん。聞いてくれんか。伝えたいことがある」

「なんでしょう?」


 巳海さんはTVの映像を見て何か言いたそうだったが、部屋に入ることなく座ったまま、こちらを向いた。


「君が参加するはずだったツアー、その不手際を向こうが認めてね。特別に午後、臨時便が出ることになった。お詫びも含め無償で快適なホエールウオッチングを楽しんで頂きたい、と。もしこのあと時間が許すならば、参加するかを考えて欲しいのだが」

「本当ですか? よくそんな……向こうが応じましたね」

「誠心誠意、彼奴らと話したら快く頷いてくれたよ」


 そういう巳海さんが、顔をしわくちゃにして笑った。

 ……なんかスゲェなこの爺ちゃん。要するにゴリ押しじゃねえか。わざわざ市場の方に出向いてまで無理筋を通してくれたのか。大したモンじゃない俺なんかの恩に報いるために。


「それでどうかな? 鯨井くん。この年寄りの顔を立ててやってはくれんか。孫を助けてもらった恩人に、不老ヶ谷の良いところも見せたいのだ」

「……もちろんです。ぜひ行かせてください」

「おお、そうですか! ならば船まで車の送迎を――」

「いやいや、歩いて行きますよ! じ、自分が歩きたいんですっ!」

「むむむ……」

「不老ヶ谷の景色をゆっくり見させてください! いいですね!?」

「承知しました。出過ぎた真似でしたな。では外まで送りましょう」


 そう言って巳海さんは廊下へと自分を誘った。

 部屋から出る時、一声かけるつもりでトウコちゃんと目が合う。彼女は笑っていた。初めて試みた愛想笑いのようにぎこちない笑顔だった。もう少し話したい名残惜しさ、他にもあふれるいくつもの感情を、きっと我慢している。


 ありがとう、じゃない。言わなくちゃいけないことは。

 もっと別の……ぶつけるってくらいの強い言葉を。


「客人を困らせるでない。すぐ見送りの準備をせんか」

「……はい」


 トウコちゃんは一礼をして奥の廊下へ行ってしまった。声を掛ける瞬間はあったが、どう言えばいいか迷って結局何も言えなかった。後ろ髪を引かれる思いのまま巳海さんの後をついていく。


「もてなす側が少々はしゃぎ過ぎたが、退屈なく話されていたようで何よりです。孫の生き生きとした声も久しぶりに聞きました」

「はい。楽しかったです」


 少し無言の間が続いた。

 話術に長けた巳海さんにしては珍しく、口にするかどうかの迷いがあるようだった。


「……母親が亡くなってから、あれは自分の部屋でも表情一つ変えず、昔の録画番組を流し、思い出に浸り続ける日々でした」

「……」

「どう言葉をかけてもまるで手応えがなかったのです。せめて、心が外に向くきっかけがあれば、と案じておりました。思いがけず、三度みたびも助けていただき誠に有り難く――」

「あはは……ただ適当に話してただけですよ。そうだ、ホエールウオッチングが終わったら、琴吹に帰る前にこちらに寄ってもいいですか? 巳海さんとトウコちゃんに、感想とかお礼を言いたいんです」

「それは願っても無いこと! 孫と二人でお待ちしておりますよ」




 *  *




 屋敷の門まで歩くと、トウコちゃんが見送りに来ていた。

 他に並ぶ人はいない。あえて家族以外の者は下がらせているらしい。最後まで巳海家のもてなしは徹頭徹尾が通っていた。


「また来るよ」

「……うん。また後で」


 トウコちゃんが不安定かなって思って声をかけたけど、少しの時間で切り替えができたのか、迷いのない吹っ切れたような顔をしている。これなら大丈夫みたいだ。  




 巳海さんもにこやかな顔をこっちに向けて来る。……見送るって所作だけでも、ここまで完璧な立ち振る舞いがあるモンなんだな。感心しか出てこない。 




「クジラが見れると良いですね。存分に楽しんで来てください」






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