くじらと人魚の夏休み
安室 作
第0話 充電残り8%
遭難三日目。雨の気配なし。
気温は高く砂浜は熱い。波だけが穏やかに動いている。
携帯のバッテリーが無くなって来たので、改めて書きます。
この下書き前後にも、遭難した経緯が散らかった文章で残ってますけど、まあ非常時だったので察してください。父さん母さんのことは大分書きました、スマホデータのどこかに残っています探してください。
アニキへ。
あんまり頼りにしなかったけど、そこは分かってくれ。
なにせ威勢よく物事を決めたり行動がはやいんだけどさ……雑ってゆうか。
俺や
小さい時は俺たちに考えさせたり、教えるためかなって思うこともあったけど。何て言えばいいのか……足りないんだよな。想像が。
ほんと澪に呆れられないように気を付けてくれ。マジで。
ただ、アニキはいろんなことを俺たちに譲ったり、諦めたりしてたんじゃないかって思う。俺が大学を目指せるのも、アニキが高校出てすぐ就職したからだし……本当は学びたい事や言ったことない夢とかがあって……なんて、その辺は酒が飲める歳まで真相を確かめるの止めといたんだ。勘違いだったら恥ずかしいからな。でも聞いときゃ良かった。
ハル兄ちゃんは、家に帰れないかもしれない。
……思い返せば家族じゃ男連中がだらしなかったよな。
やりたいこと見つけて主張できるようになったのはすごい嬉しかった。
俺とアニキがお前を甘やかし過ぎたのは、許してほしい。
お前は怒ると思うけど、やっぱりかわいい妹なんだよ。
頭がいいし、周りが見えてる。よく気がつくよ澪は。
何を考えてて、何をして欲しいかを、さりげなく促してくれるだろ?
バラバラになりそうな家族が上手く繋がったのも、澪のおかげだ。
大学行きたいなら、母さんたちに相談しろ。アニキにもな……こんな弱気なこと書いてたら思いっきり蹴られそうだな。
部活、頑張って欲しいと思ってる。本当に澪の幸せを願ってるよ。
高校のみんな。
船に乗る前、ちょっと半端にチャットとかしちゃっててすまん。電波が届かないんだ。この携帯があとで見つかって、充電とかしたら大量に来るんだろうな。返信ができなくてごめん。
夏の土産話が出来ないのが本当に残念だ。
ああ、クジラは見れなかったけどさ。その代わりに――
ふと海の方を見る。
波立たない静かな水面に、ちゃぷ、と黒い突起が浮かび上がっていく。実際は音なんか聞こえなかったけど、そんなイメージが湧いた。
続いてバシャバシャと海の下から跳ねる何かが、
その音をかき分けるように、勢いよく飛び出す!
「ハル! お さ か な 獲ったどー!」
* *
トウコちゃんの、どこまでも楽天的な声。
万歳をして高らかにあげた手には
やたらブサイクな鯛が銛に串刺しにされ、びちびち跳ねていた。
銛の先端を海上に出したまま音もなく泳いで来る。
手足の掻き方によほど無駄が無いのか、海の流れがトウコちゃんを運んでくるみたいだった。田舎の友だちにもここまで泳ぎが出来る子はいない。
足が着くところまできて、ぶんぶんと首を振り髪型を手で整える。こっちを見る瞳は、どことなく嬉しそうだ。しばらく目を合わせていたが日焼けの少ない白い肌を意識したところで、俺は慌ててそっぽを向いた。
水着替わりにロング丈のインナーを張り付かせた彼女の身体は眼の毒だ。刺激が強すぎる。
その足音だけに集中して耳をすませた。熱い砂浜は乾いていて、まだ雨は降りそうにない。インナーの裾を絞り海水を落とす音に続き、さくっさくっとこっちに近付く足音が大きくなる。
「ハル?」
「……な、なに? トウコちゃん?」
トウコちゃんは頬を膨らませて怒っていた。ぎゅっと両手を前にして、銛とブサイクな鯛で威嚇するように突き出している。
さ、刺される!?
一瞬、冗談抜きでそう思ってしまった。
警戒心のない彼女が、身構える姿勢を取るなんて今まで無かったから。
「ちゃんとトウコを見て、褒めてください」
「でもそれ、濡れてるからさ、裸見せてるようなモンだよ。まず、乾いた服を着てからにしよう」
「ええー。せっかく銛で身体隠したのに? 昨日ハルが下着は見せちゃダメって言ったから、ぜんぶ見えなくしたよ!? ほら大丈夫。確かめてみて!」
……水分不足と気温の高さで思考がまとまらない。
彼女の強いまなざしに言われるがまま、視線を上から落とす。
波打った黒髪。白い肌。両腕で胸の辺りはしっかり隠れている。へそが透けたインナー越しのラインは銛が遮ってて何も見え——
「丸見えだよ!? ばかっ!?」
「う、上から覗いたハルが悪いんでしょ!? 正面から見れば何ともなかったのに! ううぅっ……ならすぐ隠します!」
ざくり、と銛の柄を砂浜に突き立てて、トウコちゃんが思いきり抱き着いてくる。二人で作った枝と草のベッドに倒れかかるところを、ギリギリで踏みとどまった。
理性、というより体格の差が対抗で勝った形だ。
「はー気持ちいい。海に浸かってた身体はあたたかくなるし、ハルも涼しくなる。完璧なうぃんうぃんって関係だよねっ!?」
「なわけあるかい! 離れろ!」
「さーかーなー! 獲って来たのトウコ!
やんわり引き剥がそうとしても、くっつく力が強い。意思を感じる!
火照った俺の身体から熱を奪うという断固たる意思を!
でも、ほぼ裸だ。
「いやいや、そうだとしても抱きつくのは違うんじゃないか!? ってか腰に巻くやつ壊れたパラソルの布で作ったろ! どこやった」
「ハルの作ったパレオなら、洗濯して乾かしてる途中! 身体拭くものないんですから! はだかで何が悪い!」
「悪いに、決まっ、て……ゲホッ……」
「ハル!? ……ごめっ……話しすぎた……!」
すぐにトウコちゃんが離れ、背中をさすってくる。ふらふらと倒れる身体を支えてベッドに誘導し、楽な姿勢にしてくれた。
心配そうな表情を見せていたが、すぐに離れる。
「すぐに魚、捌くね。魚の血や骨にたまった水なら、しょっぱくないから。ハルはぜったい治るから。元気になるまで魚も獲って来るから……!」
「……トウ、コ……ちゃ……」
かすれた声と、意識の中で。
さっきまつ毛が触れる距離で、見つめられた時の感情を思い出す。
まだ会って三日しか経ってないが、この子の瞳にまだ慣れない。
きれいに光るラムネのビー玉や、ガラス細工のような。
……普通の人とは違う目。
いま彼女は、俺を生かそうとしている。
でも、心の中の何かが傾けば、次に銛で突き立てられるのは自分だ。
それは間違いないと思う。
その内面で渦巻く感情は……。
海の底ような、何も浮かび上がってこない深さと暗さがある。
彼女には心が足りない。
羞恥心や、恐怖心……人を殺さずにとどまる心でさえも。もしかしたら魚も人も、彼女にとって大した違いは無かったのかもしれない。
俺はトウコちゃんのことが今でも――怖いんだ。
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