拾伍――仇敵
「こんにちは! ベゼッセンハイトさん!」
「……」
「お姫様の堕とし方」
「聞きたくないですカァ?」
そいつは確かに死神の鉄仮面と頭巾とを被って口だけで笑んでいる。そして二人組だ、後ろに同じ装束がもう一人控えている。
しかし姫はその二人を見たことが無かった。
大人が圧倒的に多い死神一族なのに子ども……?
でも配下なら――!
「誰だか分からないけど助けて!! シュウとキョウが――もごっ!」
叫んだ姫の口を、覆いかぶさるように馬乗りにしている男――ベゼッセンハイトが荒々しく手で塞いだ。
視線は二人の死神装束を凝視したまま。
「ア! こういう場合は『落とす』が正しいのか! 漢字って難し!」
「どういう事ですか?」
「何が?」
「堕とし方って」
「落とし方ね」
「どういう事ですか?」
虚ろな目で欲しがる彼が重ねて問う。
その様子を見て死神装束はにたりと歯を出して笑った。
「だって恋、した事ないでしょう? いつも愛してばっかりで」
「……」
恋? みたいな顔をしている。
「恋ってさ、難しいんだけどさ。要するにね、ぱっぱらぱあなの」
「パッパラパア?」
「相手のおっぱいに負けて阿保になった人間と相手の資産に負けて阿保になった人間が種の保存の為にきょうりょ――!」
「ちっ、違うよ! お互いで好きになることだよ!!」
後ろに控えていた死神装束が彼の頭を前面に向かって押さえながら慌てて訂正した。こっちの方が幾分かまともなようだ。
「お互いで、好き?」
蛇の瞳が無邪気に煌めいた。
「お姫様が好きになってくれるんですか!? 私の事!」
「勿論だよ、だって恋だもん」
ツッコミ担当の手を払いのけて話の主導権を取り返す。
「可哀想に、それを経験した事が無かったんでしょう」
目線を合わせて優しく言う。
そのまま悲しそうな顔をした彼の頭をよしよしと撫でてやった。
この要素のみなら本当にこの男は優しく可愛らしい男の子のようなものであるはずなのに。
仮面の下から同じ蛇の瞳が憐れむように覗いた。
――だってあんな事があったから。
「それで、私はどうすれば良いんですか? 陰を埋め込んであげるとか――」
慌てた様子の姫がじたばた暴れ出す。
「そうじゃないよ。恋は愛より難しいんだ、君の場合は」
「どういう事ですか?」
「恋ってフクザツでさ、自分の為に相手に尽くしてあげなくちゃいけないの。今君に必要なのはそういう恋だ」
「それでお姫様が私の事好きになってくれるんですか?」
「そう。でも急に言われてもどうすれば良いか分からないでしょ?」
ちょっと俯いた。
「大丈夫大丈夫! その為にとっておきを持ってきてあげたの! 先ずは相手の事をよおく知らないとね」
対して明るく笑う。
その手には少々立派なアメジスト。
「ホラご覧。お姫様の宝石だ」
「宝石……?」
「そう、記憶の宝石館からかっぱらってきた。ここには彼女の全てが詰まっている。好きなもの嫌いなもの好きな事嫌いな事、趣味に好物……お姫様のキ・モ・チ」
喉仏がこくんと波打った。
「彼女の心の掌握だって合法的に出来る! ――今なら安くしておくよ」
「本当に彼女は好きになってくれますか」
「シツコイなぁ、何で何回も聞くのぉ? 飽きてきちゃうんですけどー」
ぱかっと後頭部をツッコミ担当に叩かれる。
「……?」
「だだっ! だだだ大丈夫です! 折り紙付き、だから!」
「本当に?」
「疑うなら試してみれば?」
またツッコミ担当を押しのけてから両眼の至近距離に近づけてやる。滑らかな表面のつややかな白色反射に心が惑わされそうになる。
まるで己が下にいるこのか弱き姫のように。
「噛まずに、一口に飲むんだ。胃で溶ける」
「……」
上品な紫に吸い寄せられる。
「その中で蒸発した宝石の中身は君の体を巡り血液に乗って仄かな恋の
「そらお食べ。これが君の恋だよ」
「恋……」
口を開けて、
舌を伸ばした。
「なーんてね」
鉄仮面を額にするりと滑らせその下に隠されていた素顔を明らかにする。
耳元で水色の耳飾りがちらりと揺れた。
「……!!」
騙されたと悟った目の前の男にこれまでの悪役らしさが舞い戻ってくる。
しかし全て遅かった。
ナナシが地面に投げつけたアメジストがいつかのように圧倒的光量を放ち彼の目を穿つ。
「ギィヤアアア!!」
その時を待ちわびたかのようにツッコミ担当が彼の懐に飛び込む。
お姫様をまたかっさらわれた。
片眼を隠したあの髭を思い出して至極苛々。
「アアアアア!」
頼りない視界の外へ薙ぎ払うように黒炎を手から噴いたが、ナナシが同じく噴いた炎がぶち当たって相殺が起きた。
更に駄目押しで黒耀石の光もぶち当ててやる。
――ボクらは知ってる。
――アイツは「聖光」に弱い。
隙を突いてツッコミ担当を背に乗せそのまま逃亡した。
向かう先は仲間の元。
* * *
静かに、しかしながらがやがやしている場にナナシと一緒に飛び込む。
急いで札を裏返してやるとその中からお姫様が飛び出してきた。ナナシが奴に対して目くらましを行った際に慌てて吸い込んだものだ。
「シュウ! キョウ!」
物凄いスピードで二人の元に飛び込んでいく。
何よりも固い抱擁で互いの無事を確かめ合った。
用心棒の傷は殆ど癒えている。
あの時、こおろぎさんにと思って仕込んでおいた空の札で親指を縛る縄を解き、仲間をこの異空間に呼び寄せた。
すると向こうの方で轟音がした。
理由は単純すぎる程単純。でも本当に間に合って良かった。
「良かった、二人とも無事だったのね!」
「ここのはらい者御一行さん方が助けてくれたんだ」
「まあ」
「跳ね返って来た斧の柄で顔面殴り返された時はどうしようかと思ったけど……本当に助かった。ほら、お嬢もお礼」
「あ、ありがとう、です……」
大人数に対して斧繡鬼に隠れながら恥ずかしそうにお礼を言った。
大人数に慣れてないのか、可愛い。
「こんな事を言うのは気に食わないのですが、私も同文です。本当にこんな事を言うのは不服なのですが、貴方方が居なければ姫様が奴の手中に落ちてしまう所でした。ほんっとうにほんっとうに意向に沿わないのですが」
「もうそんなに繰り返さなくて良いから!」
本当、この人のこーゆーとこ!
「ところでシュウはどうして左のほっぺが真っ赤なの?」
「治癒をしてくれた人魚の肩を不用意にわしっと抱いて、あろうことかそのまま自分の元に引き寄せようとしたので平手打ちに処されたのです。女の子に直ぐ手を出して……これだから破廉恥親父は」
剣俠鬼がやれやれといった様子でお姫様に説明した。
「あれ? シュウってハレンチオヤジって名前だったの?」
「トッカ! この人懲りてないの!」
「俺は礼を言おうとしただけだ!」
本当、この人もこーゆーとこ。
そこまで談笑した時。
「オ姫様、どコ、ドコ……私ノお姫様……」
気味の悪い声に全員が震えあがる。
お目当てのお姫様はもう声が聞こえただけでパニック状態だ、斧繡鬼の腕にめちゃくちゃに掴まって泣いたので用心棒二人が寄り添い慰めた。
「お姫様、聞コエる。匂いもすル。えへへ……今行きマスヨ」
「しつけぇな……マジでゾンビか何かか?」
「アンタの目の前でも復活したの?」
「……あれ、前からなのか?」
ナナシの言葉に目を見開く。
「少なくとも三回はその死に立ち会ってる様な気がしてるんだけどね……」
「……」
「神様の聖光も効かず、闇を切り裂く剣でも復活を果たし、聖水も駄目だった」
「はぁ? そんなのあり得ないだろ、終わりの無い
「世界のバランスが成り立たなくなる、でしょ?」
「あ、まあ」
「ボクらだってそんなの分かってるんだよ。でも現実目の前で起こっちゃってるから。ここにも輪廻から切り離されちゃってる人いるから」
「……そういやそうだったな。本当に生命ヒエラルキーの腫瘍みたいな奴らだよ」
「ボク含めなの? それ」
「ったりめぇだろ、早く成仏して次の命になりやがれ」
「文句なら目の前のご主人様に言ってくんない?」
「仕方のねぇ野郎共だ」
軽口みたいな喧嘩をしながらも目の前でむくむくと起き上がる気色悪い魔術師に最大限の警戒をする。
顔はイケメンなんだけど。顔だけはイケメンなんだけどな。
目の辺りを両手で覆いながら苦しんでいる。苦しみながら笑っている。
その指の隙間から陰がめちゃめちゃ溢れ出していた。
うげ。
「和樹、余り無理して見なくて良いからね。偶に凄いグロテスクだから」
「どういう事?」
――しかしその意味は直ぐに分かった。
「エヘ、エヘフヒヘヘ、ヘヘハハハ、ハ」
まだしとど陰に塗れる手を徐に外して、俯いていたその顔をじっとり上げた。落ち窪んで暗くなった目と手を繋ぐように陰がねばねばと糸を引いていた。
湯気も立ち昇り、きつい臭い。とても不気味で側に控える斧繡鬼の手を無意識に取ってしまった。
「怖いのか、坊主」
「あ……」
「良いよ、慣れるまでお嬢と一緒に俺の後ろに居ろ。あいつはお前が正面から向かっても太刀打ち出来ん相手だ」
「あり、がと」
遠慮気味に着物を掴ませて頂く。何度かあの凶暴さが頭をもたげるけどやっぱり温かかった。
心の中で過去と現実とが喧嘩している。
「もしもの時は無理せず撤退しろ、退くも勇気だ」
「う、うん……」
でも今はまだ逃げる訳にはいかない。まだ、もしもの時ではないんだ。
それに――。
お姫様と一緒に斧繡鬼の後ろに隠れつつ、相手の様子を窺う。
次見た時には湯気もかなり収まって、落ち窪んで穴になっていた目も元の姿形にすっかり戻っていた。唯、陰だけはまだ垂れ続けている。
「やっト、見える。こレでお姫様の姿がまた見れルネ。ウレシイ」
ふらつきながらきょろきょろと周りを見回す。絶対お姫様を探しているんだ。俺の隣で彼女が見つからない様にとその身を縮こまらせた。
大丈夫だよと言ってその手に手を重ねてやる。
自分も斧繡鬼に隠れてるし更には顔が蒼くて多分頼りないけど、これで少しでも安心できるなら。
「どこ? お姫様……」
やがてこちらに視線が定まった。
「おや、さっきの死神二体。ようやくお目覚めですか」
「……」
隙なく戦斧と太刀とを構えて答えない。
しかしそんな事は相手にとって関係のない事だった。
「お姫様はどこですか、私のお姫様」
「貴様のではない。姫様の命は姫様のものだ」
「違う、私の、私ノ……早く支配しテアげなクては」
「言ったところで無駄か? 会話能力はある癖に」
剣俠鬼が分かりやすく眉間に皺を寄せる。
当の本人は意志を失ったアンデッドのように手を滅茶苦茶に振るいながら小さき乙女を探すがその手に肉の触れる感触はいつまでも訪れない。
「お姫様……お姫様……ドコ、ドコ」
狂乱の様子に目を付けた剣俠鬼がお姫様にこっそり呼び掛けて少しずつ距離を取り始めた。なるほど、逃げるなら今だ。
斧繡鬼と目配せをして、確実に距離を取っていく。それが悟られないように斧繡鬼自身も体を動かしたりする。
それは吉と出たか、凶と出たか。敵の動きは目に見えて激しくなってきた。
「ドコ、ドコッ! ドコ!! アアアア!!」
頭をかきむしり、目からは相変わらずしとど陰を垂れ流し叫び狂う。まるでホラーゲームやホラー映画のそれだ。
「何だ何だ一体!」
斧繡鬼も思わず怯む。
「簡単だ、不安定になって暴走してるんだよ! 目から陰が垂れてるだろ? あの時はボクもアイツもいつもそうだ」
「ケッ面倒くせぇ、さっきまでの方がよっぽどましだったわ!」
「取り敢えず叩いて直さないと。あのままじゃ手が付けられない」
「ブラウン管か? 笑えるな」
「はは。そんなに大人しいモンじゃない」
二人同時に戦斧と術を構える。
あれ、この二人気が合うってやつなんじゃないか?
その時。
あちらの姿勢が少しく変化した。
「お姫様アァ、サビシイヨォ」
「返シテエェェェェエエ!」
飛び込んできた!!
――今だ!
振り返ってその名を呼んだ。
「フウさん!」
瞬間――。
俺らの頭上をかっ飛ぶ三人組。
遙か前方の方、空中でぶつかり黒い影を向こうにぶっ飛ばした。
土埃が大げさな程舞い上がり、爆炎の様――その間にもその埃は風に集約して巻き上がり一極に集中していく。
向こうから見るとそのスケールが大き過ぎて逆に想像し辛いけど、そこは台風並みの暴風が吹き荒れているに違いない。
「ようやく会えたな!」
「……」
「『執着』!!」
琥珀の瞳がかっ開いて地面に激突した男を見下ろす。
その後ろから大鎌を構えたマツシロさんと大剣を構えたサイジョウさんが飛び込み、喉笛目掛けて振り下ろした。
「一旦退避!」
ナナシの指示に全員が反応する。
斧繡鬼が俺の体を抱えて跳躍した。
* * *
指示は正しかった。
常人ならば起き上がる事すらままならぬ暴風が木々をなぎ倒し、彼の抵抗の黒炎を片っ端から吹き消していく。そこに部下二人が次々と斬撃を繰り返した。相手は防御を展開して致命傷を負わない様にするしかない。
風神の攻撃には憎悪の一面が見え隠れ。通常なら周囲を巻き込むようなその攻撃を彼女は行わないはずなのだ。
――彼女の養子は幼いながらに彼の呪いを貰い受け、他の天使達をその羽の色だけで遠ざけていた悲しい過去を持つ。
誰も悪気はなかった。唯一つそこに確かにあったのはその魂を舌なめずりしながら待ち構える背後の存在。
彼が親を失くしたのも、ひとりぼっちになってしまったのも奴のせいと信じて疑わなかった。
そして今。また小さな命がその呪いによって縛られようとしている。
「ベゼッセンハイトォオオオ!!」
今度こそその体霧散せよといわんばかりに彼女の大振りの
ドリルで開けたかの様な大穴の底で漆黒の血液を口から垂らしながら男は
そこに一直線飛び込んだ風神の打撃に彼は尚も対抗した。否、対抗出来たの方が正しいか。
これで生きている方が色々おかしい。
緩く構えつつも確実に風神の打撃を避け、弾く。
目は虚ろ。しかし先程よりかは瞳に力が籠ってきた。暴走中は見境なく傷つけるのでそれもそれで質が悪かったが、目を覚ましても質が悪い事に変わりはない。
今度は攻撃の隅という隅に計略謀略の色々が混じる。
「お前のその性格は変わらんな!」
「コリアールは元気ですか? 今度一緒にお茶しましょうってお伝えくださいな」
「そういう粘着じみた所も含めて全てがウザい。少数の誰かが褒め称えるその顔さえ気に入らん!」
「傷つくなぁ」
「何とでも言え!!」
戦闘とは無関係の一振りをする。直後別の二方向から術と斬撃が飛んできた。彼女の部下の一撃だ。
ちょっとだけ目を見開くがそれらも全て躱した。そこにフウがまた叩き込む。
少し頬を掠めた。勢いに乗って反対側の頬に殴り込みをぶつける。
血を口から噴いた。――歯が同時に二、三本欠けたらしい。修復の湯気が陰と共にまた滲む。
ここでまた復活をされれば!
「させっか!!」
先の攻撃の勢いをそのままに体を回して同じ所をもう一度足蹴で突く。
空に浮かんだ体が放ったその一撃は修復の暇を与えず、後方に体を大きく吹っ飛ばした。
直ぐ様飛翔。抵抗しようと伸ばした手の軌道を完璧に読み取り、更に跳躍を重ね、うなじを思い切り蹴り飛ばした。
暴力的な衝撃の嵐に体のあちこちが激しく損傷する。陰が滲み、また湯気が上がった。
ここで怯んではならぬ。
どんなに永遠の命を持つ者でさえ、圧倒的な力を誇る者でさえ、回復にはそれ相応の代償を必要とするものだ。
丁度家の修繕に人間が汗水垂らして体力を消費し、材料を消費し、回復を行う様に、生ける者がその身を回復、復活させようとすればどこかで必ず莫大なエネルギーを食う。
それが世界のルールであり、バランスを取る為に与えられた絶対的な義務だ。
――即ち、度重なる回復は同時に自らの破滅へ近づく道であるとも言える。
中々倒れない相手はそこを突けば良い。
相手が執着ならばこちらも執着的に地道に攻撃し、その命を少しずつ削るが最短距離である。急がば回れ、正に是。
既に彼は十何回――否、下手すればそれ以上死と復活とを遂げている。
そろそろ限界も近いはずだ。
狙うはその体を動かす呪いの核、心臓。
多くの命を食べ、ぶくぶくと肥えた不死の味。
舌鼓も打てぬ程、粉々に砕いてやる!
人差し指にチャクラムのような風の刃を纏わせる。
狙いは十分。真っ黒なその人影の胸板、あの辺り。
「終わりだ!!」
悶絶して動く気配のないソイツに向かって走り込みながら一直線に投げた。
その瞬間黒魔術師の口元が三日月型ににぃと裂けた。
(つづく)
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