肆――あの日の話―Ⅰ

 翌日。

 目覚めた時、昨日と同じあのくちばしがにこっと笑って俺を迎えた。

 信じてなかった訳では無かったけど、昨日の全ては夢ではなかった。

 布団を畳んで縁側に出る。朝靄の中、夢丸がそこに座っていた。

 今日は土曜日。平日の忙しさも慌ただしさも、何だか薄くなる白明の日。


「えー、っつうわけで」

 トッカがコホンと咳払いをしてからかしこまった風に言った。

「まずは『はらい者(仮)』おめでとう」

 にこやかに握手を求めて来るけど、何か素直にその手を握れないんだが。

「その(仮)ってやつ何度も繰り返さないでもらえるかな!?」

「良いじゃんか! 面白いしね」

 そう言ってにひひと笑う夢丸。どうして俺の周りの妖共はこんなにもタチの悪い奴らばかりなんだ。

 もっと可愛いうるうるきゃぴ! みたいなのがいてくれも良いと思う。

「残念ながら僕らにそれは到底不可能ですね」

「夢丸、心を読まないでって常日頃言ってるよね」

「口に出しちゃう方が悪いんじゃない?」

「……え、マジ? 口から出てる?」

「出てない」

 そう言って再びにこり。

 ……!! コノヤロ!!

「くらえ、ジャーマンスープレックスだ!」

「こいつ本気か?」

 ぱき。

「ぐああ、腰があああ! 腰骨が逝ったああああ!!」

「ばーか」

 一応言っておくけどこれ、出会ってたった一日経っただけ。それ位。それなのにこんなに息が合うっていうのはどうしてこうもむかつくものなのだろう。

 どうせなら可愛い女の子と息が合って

『まあっ! 和樹さんったら! いつも私の気持ち分かってくれるなんて……意味はないけどなんか、す・て・き!』

『奇遇だね。君もとってもす・て・きだよ』

『やっだああ、和樹さんったら!』

ってきゃぴきゃぴしたかった。

「おえ」

「だから心を読むな!」

 ――さて。

 これ以上この茶番を続けていると俺のメンタルが崩壊しかねないので、話を本題に移そうと思う。

 ――あの薄暗い話の後。


「まだ……決められないや」


 あれだけの時間で、よく知らない妖のすすめで。

 しかもなんかヤバそうな奴を敵に回さなくちゃいけないとか言われて。

 はーい、やりまーす! と簡単に言えるほど肝の据わっている奴じゃない。

 冒険物語の主人公の心の奮い立たせ方をぜひとも知りたい。それ位には自信がなかった。


『一度選んでしまえばもう戻れない』


『それでもお前ははらい者になれるか?』


 そんなこと言われたって……。

 分からない。

 ――でもトッカの「これが限界なんだ、ギリギリなんだよ!」も頭の隅っこにずっと引っかかってる。

 逃げることはとても簡単だ。その方が絶対安心して幸せに暮らせるのは確か。

 でも俺が逃げたことで痛い目にあう者も現れると考えたらどうなるだろう。

 それは……なんかヤダ。

 でも……。

 世界を一度危機に飲み込んだ奴というのもそれはそれで気になる。

 取り敢えず直ぐには決められない。

 これが現時点での俺の言い分。

 こんなに曖昧でも誰も俺を責めはしなかった。

 そうしてとりあえずはということで(仮)なんていうこっぱずかしい呼称を頂いたのだった。

「さて……まずは何から教えれば良いのかなぁ」

 トッカが頭の皿に瓢箪の水をかけながら呟く。

「何か聞きたい事あるか?」

「全面的に」

「だよなぁ。基礎は分かってもあれじゃざっくりし過ぎだもんなぁ」

 そう言ってうーんとまた唸る。

「でも『札』なんて実戦でしか説明のしようが無いし……」

「まあ、ちょっと使いづらいしね、アレ」

「だなぁ」

 札? 何、札!?

 え!? 札って、あのお札!?

 何々。凄く気になるんだけど。

 そう思いつつも俺の興味を無視してどんどん、そしてゆるゆる進む話。

 小鳥のさえずりだけがのどかだ。

「とすれば、何から教えれば良いんだろう」

「まぁこれは普通はお父さんお母さんのお仕事だからね」

「うぅむ」

 二人の会話にちょっと唇を噛む。

 父さんと母さんは気付いた時には家に居なかった。

 じいちゃんとばあちゃんは二人とも忙しいんだって言ってたけど、本当の所はどうだか分からない。

 父さんには何度か会ったことはある、一年毎に帰って来てくれるから。でも母さんにはずっと会っていない。

 写真立ての中で切れ長の目を優しそうに細めている、その顔しか知らない。生きているのか死んでいるのかも知らない。

 ――まあ、もう慣れたけど。

 夜逃げなんてよく聞く話だ。

「あ」

 そうやって足元の砂粒を蹴っ飛ばした時、夢丸が素っ頓狂な声を出した。

「何だ?」

「あれじゃない?」

「ん?」

「まずは『はらい者』の詳細説明して」

「うん」

「それで、『奴』の事」

「いきなり重ったいな」

「仕方ないでしょ? どうせ会うんだし、殺されかけたんだし」

「……」


「人生においては勝利の美酒に酔いしれて負の歴史から目を背けた者の負けだよ」


 また難しい事言ってる。


「昨日の話ではらい者が『この世とあの世の調和を整える為の仕事』だっていうのは分かったな?」

「うん。この世とあの世の境界線をそのままにしておくと迷い込む人とか居るかもしれないし、悪い霊とか悪人とかが隣の世界で変な事するかもしれないし――だよね?」

「うむうむ。よく理解できてるね」

 夢丸の頭ぽんぽんが優しい。嗚呼、美人のお姉さんだったらなぁ。

「それで今からするのがそこから先の話だ。まず念の為に聞くがはらい者を担うのは山草家だけではないって知ってたか?」

「エ!? そうなの!?」

 お、俺だけじゃないのか!

 安心するような、何かがっかりするような。

「何て顔してるんだ、たった一人で何でも出来るわけ無いだろ、二世界間の調和を保たなきゃならんのに」

「だってさー。少年漫画の主人公はいつも一人じゃーん」

「あの漫画だってあの小説だって格好いい主人公には仲間がいるぞ」

「確かに」

 途端にころりと意見を変えた俺をこらえたような笑いで見てくるのを止めなさい、トッカくん。

「話を戻すぞ。――そのもう一家とは『長良家』。本家は湯羽目村にあって、山草千吉の血を引くもう一つの家系だ」

「その家とこの家とでは何が違うの?」

「得意とする分野が違う。戦闘向きか、妖怪との関係に重点を置いているかだな」

 ……かなーり違うな?

「山草家はどっち」

「後者」

「そっちかあああい!」

「……何が不満だ?」

「いえ、別に何でも」

 どんなに格好いい主人公に仲間がいてもだな、主人公は漏れなく全員戦えるんだぞ!!

「そう肩を落とすな、どっちも凄い能力なんだから」

「落としてないよ」

「明らか落ちてるぞ」

「猫背の人みたい」

 容易に想像できる表現わざわざありがとう! 夢丸君!

「……で? それぞれどんな能力なんすか」

「話も聞いてないのに勝手に失望すんなよ」

「早く教えてよ」

「……、……」

 わーこいつめんどくせーみたいな顔を止めなさい、トッカくん。

「……ぐふん。えーっとだな、山草は札で封印したり使い魔を使役したりする」

「うん」

「長良は自身の血を媒介して鬼道を展開。それで攻撃をしたり結界を張ったり封印したりする」

「ずるいー!!」

「ちゃんと話を聞け! 山草は非戦闘型だがその分封印の力、使い魔との契約関係は絶対だ」

 そう言いながら押し入れの奥からよいしょと取り出してきたのは細長い紙。

 え、これってもしかして?

「お札?」

「お札」

「えええええ! マジか!!」

「な? 失望するなっつったろ」

「うん! うん! うん!!」

「腕大暴れだね」

 誤って殴られそうになった夢丸が困ったように笑う。

「え、え、見せて見せて!」

「落ち着け落ち着け、そんなに焦らなくても札は逃げねぇよ」

 ほいっと手渡し。

「わああっ……ぁぁぁぁ?」

 ――でも何か思ってたのと違う。

 何て言うか……すっごくシンプル。

 お札の上の方にこちゃこちゃとした模様が描かれ、そこから伸びた線が横に二又に分かれ、突き当りで折れ曲がり、そのまま札のふちを彩るように縦に下に伸びている。

 模様は……何て言ったら良いだろう。二つの大小の楕円が――ぴったりじゃなくて、半ばぐらいのところで大きい方を上にして――重なり、上の大きい方の楕円に三本の線が鳥の足みたいに刺さってる。でもその三本は鳥の足みたいに交わってはいない。外側の二本はその前で切れてる。真ん中の一本だけ下に大きく突き抜けていた。その長い線に、楕円の下で横棒が二本横切って、長い棒はさっき言ったみたいに二又に分かれている。――文字だけで説明するのはとても難しいな……。これだけで分かったかな?

 で、残った部分、さっき言った模様の下のスペースなんだけど……ここがまっさら空白で何も無い。

 もっとごちゃごちゃした漢字を意味もなく書いていて欲しかったけど、そんなのはみじんもなくただただ何もない。

「本物?」

「お前自身で試してみるか?」

「遠慮しとく」

 脅しがガチすぎて怖いんだよ、この水生生物は。

「これで何が出来るの?」

「まずはさっきも言ったが、封印。この札からはどんなに力のある者も名の知れた神も簡単には抜け出せない」

「長良の結界とか封印とかと比べると?」

「山草の方が圧倒的だ。長良のそれは鬼道の発動中でなけりゃあ駄目だが山草なら札に入れておくだけだから下手すりゃ宇宙が終わっても出れない」

「まぁ長良はその生まれつきのチカラに左右されやすいけど山草はそういうのあんまし関係ないからね。家系的に霊感の強い人が生まれやすいし」

 山草の子が一人っ子なのは最大限のチカラをきちんと継承する為なんだよ、と付け加えた夢丸の説明に何となく納得。因みに長良は逆に何人も兄弟姉妹を残すことが多いらしい――勿論こっちは力を分散させる為だ。鬼道は使い方を誤ると甚大な被害を発生させかねないし封印は山草に任せておけば良いから、だって。

 ひぇ。おっそろし。(しかしまんざらでもない)

「で、次の契約っていうのは?」

「使い魔の事か。簡単に言えば山草家の人々が出来ない事をやってくれる妖怪達の事を指す」

「宿題とかやってくれるの!?」

「馬鹿。それは自分でやれ」

 そう言ってぴんとデコピン。

 ですよねー。

「そうじゃなくて。戦闘とかさ、せ・ん・と・う!」

 そう言ってバシッと瓢箪を叩く。

 ――あ。

 瞬間空に大きく跳躍しながら「陰」を消滅させたトッカの姿が脳裏に浮かんだ。

「お前だけで行動して悪霊に襲われたら困るだろうが」

「長良は自分達でその身を守れるけど山草は出来ないからね」

「そういう事か……」

 要はボディーガードみたいなもん?

「で……どうやるの? 真逆口約束ではないよね」

「それを今から教えるんだよ。取り敢えず練習台にお前の仲良しの天狗使っとくか」

「駄目。僕はパス」

 すぼめた口の前で小ちゃなばつを作って拒否。

 可愛くはないからな?

「アン?」

「だって僕守り神だもん」

「……はらい者拒否したり契約拒否したりお前達は何を疑いながら生きてるんだよ」

「守り神はホイホイ呼び出される訳にはいかないの! 何があるか分かんないでしょ!?」

「隣街の守り神はぐるぐる動き回ってるが」

「あっちは領地を徘徊するボス猫でこっちは家の前で礼儀正しくお座りしてる番犬なの!」

「はいはい分かった分かった! 俺が練習台になるから!!」

 分かるような分からないような論を展開し必死な様子で詰め寄った夢丸に根負けした河童が顔を逸らしながら叫んだ。それに伴って夢丸もようやく落ち着く。

 仲良いなあ。多分。

「まあ元々契約する予定だったから丁度良かったけどさ」

 使い魔は多い方が心強いんだよとか言いながらトッカはさっきの札――とは別の似た形の白紙を渡してきた。

 ン、ナニコレ。

「使い魔との契約で大事なのは誰がその札の模様を書いたかって事だ。普通の封印ならご先祖様が残したのでも十分なんだが、契約はそうもいかない。忠誠を誓う物だから本人が作った札じゃなくちゃ駄目なんだよ」

「なるほど。印鑑みたいなもんか」

「取り敢えず筆ペンで良いからさ。この札と同じ様に書いて見ろよ」

「えー」

「お前一人で陰に頭から喰われても良いんだぞ」

「分かった分かった!」

 それから何分か。何度も何度も失敗してようやくマシなのが出来た。(後から聞いたら四十分経っていたらしく戦慄した)

 筆は慣れない。

「こ、これでどう?」

「よしよし。そしたらそれに俺が名前を書く」

 俺とは違って慣れた手つきで札に「トッカ」と書く。――書道の授業もっと真面目に受けよう。

「それでこの札にこうやって、魂の一部を塗り込む」

 そう言ってトッカは胸の中心を摘まむような動作をしてそこから青白い、付いたばかりの手持ち花火の根本みたいなゆるりとした火を札に塗り込めた。

「これで契約は完了だ」

「わあ……! ありがとう……」

 出来立てほやほやの契約書を受け取ると少し温かい。

 何だか胸がじんわり温かくなった。

「魂を塗り込めるって事は即ち、この霊力を持つはらい者に俺の命を預けますっつう意味を持つ。くれぐれも失くしたりしない様にな」

「うん……!」

 すぐに使ってないクリアブックにしまい、それをこれまた使ってない肩掛け鞄に入れて肩から掛けてみた。

「はらい者、山草和樹!」

 小声で言って鼻の奥で湧き上がる楽しさを静かに笑い飛ばした。決めポーズなんかこっそり考えてみたりする。

「これで以上かな」

「以上だね」

 興奮冷めやらぬ中一を横目に妖達は頷き合った。

 山草のはらい者の基本情報はこれ以上は出てこないらしい。

「取り敢えず和樹。これからどんな出会いがあるか分からんから札をもう十枚ほど量産しとけ」

「ええー! 面倒臭いー!」

「契約が基本なんだから文句をぐちぐち言うな」


「作業ついでに『奴』の事話さなきゃならんからな」


 空気が少し冷たくなったのを、感じた。


『奴』。

 出会い頭に俺の命を呑み込もうとしたあいつ。

 世界を危機に飲み込んだ、あいつ。


(つづく)

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