参――はらい者
「ちょっと待ってな、今老眼鏡取ってくるから。ばあさん、お茶!」
「キュウリもいるかい?」
「頼む」
畳の上で三人、こじんまり正座をしながらじいちゃんを待つ。
じいちゃんは山草家の中でも霊感が少しある方だ。――今では老眼鏡を使わないとぼんやりしていてよく見えない位までおとろえてしまったらしいけど……それ、本当に霊感?
「と、よっこいしょ。ほれ。お茶」
「あんがと」
気安い笑顔を浮かべて緑茶をすする。
今、ばあちゃんだけはこの湯飲み茶碗、浮いてるように見えてるんだろうな。
夢丸がきゅうりにそっと手を伸ばす。じいちゃんは気付かない。
じいちゃんが視えるのはせいぜい妖怪までだ。――改めて自分の霊感の強さを思い知る。
「で? トッカ。何しに来た」
話が始まった途端トッカがずどっと頭を畳に打ち付けた。――余りに激しすぎて一瞬分からなかったけど、お辞儀だった。
「お孫さんを! 俺にください!!」
「断る!」
「けち!」
この河童、面白い。
「つうかおめえ、まだ髪伸ばしてんのか」
「悪いかよ」
「悪かねえけど……何だっけ? トッポさんだっけ?」
「違う。トックさんだ」
「何だっけ……」
「河童の国の詩人だよ! 俺、好きなんだ」
「どこが」
「そりゃあ、もう生き方から詩から何から」
「ふうん、暗誦出来るのか?」
「モチロンだ!
「良いや良いや、俺ァ難しいのは嫌いだね」
「何だと!? 聞いたのはおめえじゃねえか!」
「お前もどうせ髪伸ばしてるのが気に入ってんだろ」
「『も』って何だ! 『も』って!!」
「夢丸、なんか微笑ましいね」
「そこ! 聞こえてるぞ!」
本当に沸点が低い。
多分腹が減っているに違いない(ネタが分かりにくい)。
「で? 本題に戻るが、マジで何しに来た? トッカ」
「さっきから言ってんだろ。山草和樹を迎えに来た」
「……!」
夢丸が驚いて俺の袖をくいっくいっと引く。
「名前知ってるよ! あのスピーカー!」
「聞こえてるぞ」
スピーカーもといトッカがこちらをぎろりと睨む。
とはいえ。
「そうだよ、これ聞かなくちゃ。ずっと気になってたんだよ……夢丸も言ってたけど、何で俺の名前を知ってるの?」
「次郎吉から聞いてたんだよ。『俺の少年時代にそっくりな男の子』ってな」
「……」
「だから一目見ただけですぐ分かった。声だの挙動だのまで皆そっくりだ」
そう言ってにっかり笑う。
次郎吉……俺の大伯父さん、つまりじいちゃんのお兄さんの名前だ。
この河童は本当に何を知っているの……?
「名前の件については納得だ」
じいちゃんが口を挟む。
「だが目的がイマイチ分からん。一体全体何の為に来た?」
じいちゃんが怪訝な顔をして訊ねる。
「新しいはらい者に任命するためだ」
「……!」
その顔が一気にこわばった。
「次郎吉の居場所を知ってるのか?」
トッカに迫るじいちゃん。
それに対してきょとんとした顔で首を振る。
「行方をくらます前に頼まれた話だ。和樹が十三になったら力になってやれって」
「……そ、うか」
「まるで予言だな。あいつはこれだから分かんねえや」
そう言ってころころと懐かしそうに笑う河童を見てじいちゃんはうつむきながら座り直した。
「あいつ、何だって?」
「和樹なら今の危機を救えるはずだって。あいつはそのために生まれるんだって」
「……」
「後は任せるって」
「はは、いつまでも格好つけやがって」
そういう顔はどこか寂しそうだ。
微妙に重たい空気に耐えられなくなって口を開く。
「あ、あの」
「ん? ああ、悪いな。よく分からなかっただろ」
こくんとうなずく。
「そうだな。今までずっと話してこなかったからなぁ」
誰ともなしにじいちゃんが言う。
見上げた天井に何を思っているんだろう。
「言ってやれ。話が通じなくて困る」
「ま、しゃーねーか」
そうぽつりと言ってぐりんと体を戻す。
その瞳には確かに決意の気持ちが現れ、ゆらゆらと揺らめいていた。
「和樹。耳の穴かっぽじってよーく聞け」
「まず、この家についてだが……今までの話の流れから分かる通り、俺達山草家は代々はらい者の一族だった。その歴史は古く、戦国時代にまでさかのぼる」
「戦国時代!?」
「そう。初代はらい者の名は山草千吉。鬼道や札を使って悪霊を鎮め、あの世とこの世の調和を保ってたんだ」
「鬼道?」
「簡単に言えばファンタジーとかでいう『魔法』ってやつだよ」
両手にきゅうりをストックしてる夢丸が答えた。
おい、何本食ってんの。
「要は魔法みたいなチカラのことだな。彼はそのチカラで攻撃し、霊やら妖やらを札に封じ込め、または浄化するなどした」
「え、格好いい!」
「だろ?」
「陰陽師みたい!」
「お前はその末代だぜ」
「わっ! 何かすげえ!」
「だろ」
しかしここでふと疑問。
「だけど……陰陽師って普通は妖怪オンリーじゃなかったっけ。どうしてこの世とあの世の調和を保たないといけないの? ってか、調和って何?」
「ふむ。まず和樹は考え直す必要があるな。元々この世界にこの世とあの世があったと思うか?」
……へ?
「ど、どういうこと?」
「読んで字のごとく、聞いた通りそのまんまだ。元々この世とあの世は隣り合ってるってだけの全く関係のない二つの世界だった」
「え!? じゃあそれまで死んだ魂はどうしてたの!?」
「簡単だよ。どうにもできなかったんだ」
夢丸がまた答える。新たに三本のきゅうりが畳の上にストックされていた。
「どうにもできなかったって……それじゃあパンクしちゃうじゃん」
「今まではそれで事足りてたんだよ。人の魂だって永遠じゃないし、この世の空気は魂単体で生きるには毒性が強すぎる。ほっといても勝手になんとかなってたんだ」
「人間の第二の死ってやつだな」
トッカも口を挟んできた。
「和樹、そこに天狗様がいらっしゃるのか。何て言ってる?」
「死んだ魂はそれまではすぐに消滅してたからほっといても問題がなかったって言ってる」
「言い得て妙だな」
それを聞いて満足そうにうなずく夢丸。もう一本ごちそうになろうと手を伸ばした所をトッカに思いきり叩かれた。当然戦闘が始まる。
それが視えていないじいちゃんは構わず続ける。
俺は笑いをこらえるのに必死だ。
「要はそういうことだ。人が死んだ時、弔ってやればあの世に行ける。人々はそう考えて疑わなかったし、魂もすぐに消滅していたしで、別に問題はなかった」
「あの世っていう考え自体はあったのに、『あの世』自体は無かったんだ?」
「滑稽だろ」
「面白いだろって意味だよ、和樹」
お互い頬を引っ張り合いながらもちゃんと意見と意味を言ってくれる河童と天狗。――きゅうりをめぐる戦闘中じゃなければ完璧だった。
「まあな。だが、戦国時代はそうもいかなくなった」
「人が死に過ぎた?」
「そういうことだ」
突然話が見えてきた。
今まではいわゆる「この世」だけでも魂の処理はできていた。どんなに大きな戦いがあってもそんなに困るほどじゃなかった。
しかし戦いは日々激化していった。
そして戦国時代。
「魂の量が限界に達した……」
「ご明察。そういう事だ。しかも厄介なことに大半の魂は恨みやら無念やらを残して死んだ連中だ。普通の魂よりも力があり、かつ、しぶとい」
「怨恨っていうのも中々侮れないよ。その力だけで何百年も魂のまま存在し続けた奴だっているんだから」
頬を真っ赤に腫らした夢丸がそう言った。
頬が腫れてなければ完璧だった。
「落ち武者や討たれた武将などがその類だ。奴らの魂はしつこく残り続け、より集まって固まり、ひとつの強大な悪霊となって様々な村や生きている武将に襲いかかった。もちろん、初代はらい者、千吉の仕えていた武将も例外じゃない」
「え、殺されたりするの!?」
「取り殺すとか聞いたことあるだろ」
「あ、ああ……」
「その時は千吉の到着が早かったから問題なかったものの、そこで魂が安寧の地に行っていなかった現実が容赦なく突き付けられた」
「それがこの世とあの世の境界を壊すきっかけになったってことだ」
トッカが言葉を継ぐ。
「しかも千吉の選択は正しかった。今でいう『あの世』は魂の安住の地としては正にぴったりだったのさ」
簡単に言ってるけど、存在が極めてあいまいな隣り合った世界を、しかも魂が住まうのに適している世界のみを選び取って、その世界との境界を自身の「鬼道」だけで開いた……それを全部一人でこなしたって事だよね?
恐るべし、我らが先祖・山草千吉。
「だが、無理矢理解き放ったこの境界がすんなりこの世界に適応したかどうかを考えてみると、どうだ?」
「……ん?」
それで終わりじゃないの?
「和樹、君らの住む世界にも考えのねじ曲がった奴いるでしょ?」
夢丸が自身の白い毛をもてあそびながら言う。
「あ、悪人のこと?」
「もちろん。こっちにもそういう奴はごろごろいるんだよ。で、そういう奴ら程人間に視えてないのを良いことにやりたい放題やるから、出てくんな! って出てこれないようにふたするってわけ。この世の空気とあの世の空気は言ってしまえば水と油。世界自体が混ざり合うとかそういう事は無いんだけど、中にいる生き物が問題なんだ。混ぜこぜにしておけばお互い何が起こるか分からない」
「け、結構ストレートだね……それは取り締まれば良いんじゃないの?」
「そんなきゅうくつはごめんだね! 皆そう生きるように生まれてきたのに何で社会が勝手に決めたルールに従わなくちゃいけないの?」
「すごい……さっぱり言うんだね」
「だって常識だし。迷惑かけられたらその場で抑え込んだり、もうしないでって注意したりすれば良いだけだし。何よりルールが全員に当てはまるかなんて誰も分からないでしょ? 違う?」
「うんん……」
まあ、視えるか視えないかってだけで脅威の度合いは大きく異なる。
視えれば未然に防げるし、注意もできる。でも「あの世」のいわゆる悪霊達は普通の人間には注意のしようがないし、何より彼らを縛る決まり事から違う。――というかそう生きること自体に価値があるみたいだから未然に防ごうと考えるだけ無駄らしい。
俺らが声高に叫ぶ善悪の基準が彼らには全く通用しないんだ。
「だからこの世とあの世の境界に仮の蓋をして二つの世界がどちらも平和にいられるようにする職業が必要だったんだね?」
「そう! で、その平和な状態を調和って言ってるの。理解できた?」
「ばっちり」
「後はアレも兼ねてるな。生きてる人があの世に迷い込んで『神隠し』に遭うような事が無いようにもしなくちゃならない」
「確かに。それも大事だね」
大分はらい者について分かってきたぞ。
要はこの世もあの世も平和に過ごせるようにする仕事ってことだ。
何だかアニメの主人公みたいでわくわくしてくる!
「よしよし。かなり分かってきたみたいだな」
じいちゃんが温かく微笑む。
「これならもうはらい者の基礎は出来上がったも同然だな。その存在を知ってからちょっとしか経ってないのにここまで理解できるとは、流石は俺の孫だ!」
「皆の教え方が上手なだけだよ」
「ケンソンするなケンソンするな!」
そう言って頭皮から揺さぶるように、力強く俺の頭をじいちゃんのかたい手がなでた。
これが携帯電話のバイブレーションみたいで毎回面白くて好き。
それをいつもみたいに目を細めて楽しんでいた所に冷たい声が寂しく言う。
「……その大事な事をずっとそいつに隠していた事が大問題なんだが」
空気が冷えた。
「……」
じいちゃんは黙ったまま何も言わない。
「……ッ、寛次! 真剣なお願いだ。和樹を俺にくれ――いや、引き取るとか言ってるんじゃないさ、もちろん。ただ、はらい者として一人前になれるように修行の世話をさせてくれるだけで良い! それだけで良いんだ!」
「でも……」
しかしトッカの熱量に対してじいちゃんは渋り気味。
「あんな事があったから……」
「そんなの、もう過ぎたことじゃないか!」
「うーん……」
「次郎吉から頼まれてる!」
「……」
「叶歌だってこれを望んだはずだ!」
叶歌――長良叶歌。
俺の母さんの名前。
今はここに居ない俺の、母さん。
「……」
「おい、寛次!」
しばらく沈黙が続いた。
「なあ、おい。何を迷ってるんだよ! これが限界なんだ、ギリギリなんだよ! もう世間では変な噂が立っていやがる」
「……」
「既に悪霊に人間の魂持ってかれててももう、おかしくないんだぞ!」
さっきの無数の「陰」とやらをふと思い出す。落ち窪んだ目を思い出して体がゾゾっと震えた。
確かに。あんなのが野放しにされてしまえば……不安でしかない。
「……」
それでもじいちゃんはずっと黙り込んだままだ。
俺はそれをただひたすらに見守るしかない。
きっとその心の中でずっと戦っている。
ずっとずっと。
明るさの裏側に隠されたじいちゃんの苦悩だ。
でもそれをトッカは待っていられなかった。
何たって十三年という年月をずっと待ち、この時の為に今日を生きたのだ。
「おい、迷うな!!」
「だが――」
力強い、野太い声が凛と空気に張る。
空気が震え、くちばしから音が消えた。
「決めるのは、和樹。お前だ」
肩を震わせる。
いつものじいちゃんの目じゃない。
「俺らは暗黒の歴史を持っている。過去に大きな事件を経験し、俺ら山草家の殆どはチカラを失った。その負の歴史の中突如現れたのがお前なんだ、山草和樹」
「……」
「しかしじいちゃんとしては、お前を育ててきた親という立場から考えればお前を危険な目には合わせたくない。敵は厄介な野郎だ、はらい者になれば必ず奴と対峙することになるだろう」
「……」
「だから俺はずっと迷ってる。十三年間ずっとずうっと迷い続けてきた。でも最終的に決めるのはやっぱりお前なんだ」
「俺……」
「ここで辞退したってかまわない。まだ境界を守るための手札は少ないながらも残されている。別に今じゃなくったって良いんだ」
「……」
別に今じゃなくても良い。
その逃げ道が、猶予が、のどを締め上げる。
息ができない。
「さあ、聞くぞ。和樹。お前はどうしたい」
俺は……。
俺は、どうしよう。
「寛次の言ってる『大きな事件』の時、そいつは突然現れて一度世界を危機に飲み込んだんだ」
夢丸がぽつりと言う。
「――判断は慎重に」
彼の瞳も真剣そのものだ。
「和樹。お前に覚悟はあるか?」
「……」
「一度選んでしまえばもう戻れない」
「それでもお前ははらい者になれるか?」
(つづく)
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