弐――怪異
「――とまぁあんな感じで投げましたけども」
時は過ぎ去り、あっという間に放課後。
頭の片隅にはずっとさっきの干物が残っている。
「うーん、何がしたかったのかな……」
いや、気になるならば聞いたり調べたりすれば良いじゃんって話だけど、どうもそういう訳にはいかない。
公園の池に河童を投げ捨て――投げ入れた後、お社に戻った俺に夢丸がすこぶる真剣な顔で見てきた。
『和樹。先生からお告げがあった』
『誰?』
『そういうのは良いの! それよりさっきの干物、とんでもないよ。何か連れてきた』
『何、か……?』
『そう』
『何かヤバいの連れてきた』
「だから出来るだけ寄り道をしないで早く帰ってきて、か」
やっぱりろくなことが起きないんだな、あーゆーのに関わると。
わざと明るく言いながら小石を蹴ってみる。
開始早々側溝に即行落ちて、「ツイてない」とか考える。
顔を思わず歪めた。
――夢丸と初めて出会ったのは六歳の頃だからもう七年の付き合い。その歴史の中でもアイツがあんな真剣な顔で早く帰ってきてって言ったことはなかった。
「……」
ふと横を見ると今朝の公園。例の池が風もないのに波立っている。
関わりもしないはずなのに今朝見た夢まで思い出して、道を変えることにした。
「見なけりゃ良い、見なけりゃ良い」
毒々しいほど眩しいオレンジが影を後ろ側へ濃く引き伸ばす。
そう、見るのはやめたんだ。
歩調が速くなる。靴紐が不安定に揺れていた。
嫌な予感に息が詰まった。
「えええい! 病は気からだ!!」
振り払うように首を振る。
「取り敢えず早く帰ろう! お社に居るのは何たって――」
そう言って前を向いた時。
「まもり、が、み……」
ふと前からやって来る人に視線が吸い込まれた。
逆光でその顔は良く見えないけれど何かどこかで見たことある気がする。
ゆるりとした服に長い脚。きっとブーツとか履きこなしてる。
髪は……長い方? 前髪も――目隠れマッシュとかそういうのではないものの――多分長いと思う。その奥から瞳だけが良く見える。
その曖昧な特徴は彼がこちらに近付くにつれて少しずつ明らかになってきた。
五芒星を胸に掲げた白いゆったりとした服。黒いパンツに黒いブーツ。その身なりはとてもシンプルだ。
しかし首から上。それが俺にとっては大問題だった。
黒く濁ったようにも見えるその双眸の中に縦に入る白く細い「蛇の瞳」、案の定長かった前髪の奥から虚ろにこちらを覗いている。
その瞳をゆらゆらと隠す髪の一束が肩へと流れている。
その形状は、あの夢と同じ三つ編み。
ごく。
溜まった唾液が喉に落ちる。
『何か連れてきた』
――何かって、何。
その人は一歩ずつ迫って来た。
一歩ずつ、一歩ずつ。着実に。
――逃げるか?
……待て、何故だ。
怪しい人と決まった訳では無い。しかしその容貌はどうしても夢のそれと重なってしまう。
どうする? ……どうしよう?
ひとしきり悩んで、答えはまとまらず、その間に彼は俺の横を会釈しながら通り過ぎて行った。
「あ……!」
振り返った先も彼は何も気にせずただ歩んでゆく。
「あ……」
いつの間に伸ばしていた手だけが空をさまよう。その困っている掌を一瞥して、ゆっくり下ろした。
考え過ぎかな。
「なん、だったんだ」
張っていた肩の息を抜いて徐に歩き出す。――その足に何かが「ぐにゅり」と触れた。
「え?」
声を出すのは一瞬。
しかし、その単純作業に思考までが瞬時に追い付く事はそうそうない。
こんな異常事態下では、特に。
足に触れたのは小さな黒い、ゲルだった。――黒いスライムとでも言えば分かりやすいだろうか。
しかしその後。突如そのゲル状の物質から骨ばった細っこい腕が勢いよく飛び出す。それはアスファルトを力強く掴んで自身の埋もれた躰をたどたどしく引っ張り上げた。
確かに人型。しかし目にあたる部分は落ち窪んでおり、何よりその身体はゲルその物……!
「う、うわわわわっ!! 何コレ、キモイ、キモイ!! グロイ!!」
きっと熊に遭遇してしまった人って、こんな気分なのかもしれない!
だって何をすれば正解なのかが全く分からない。きっと正しい対処法は一筋の希望が如くこの世に存在している。しかしそれ以外が無限にあり過ぎるから恐怖ばかり掻き立てられてしまうんだ。
そうこう思っている内に至る所から――よくよく見れば周りにある影という影から同じように人型生物が無限に這いずり出て来る。
数なんて数えたくない! この光景は常識を持った極々普通の一般人からしてみれば突如浮かんで来た数々の想い出を見て「ああ、これが走馬灯か」なんて思う――
「グゲェッ!!」
バシッ!!
――とか考えてる場合じゃない!!
回れ右!! 取り敢えず逃げろ!
全速力でアスファルトを蹴り、道なりに逃げていく。でもそれを大人しく見てるだけの敵なんてこの世には存在しないわけで……!
「いくつ出てくるんだよ!!」
どんどんその数ばかりが増えていく。
遂には進行方向も塞がれた。
後ろからもうごうご迫って来る、壁にも張り付いている、今にも自分の影から飛び出しそうな雰囲気まで見せている……!
囲まれた!!
全員同じ動き方でじわじわと距離を詰めてくる。
フシューとかぐげげとか鳴き声にだけ個性振り分けているけどそれだけで主人公の座を奪えると思うなよ!
――と、強がってみたけれど。相手は意志があるかも、というか耳があるかも分からない未確認生物。
怖いものは怖い!!
と、その瞬間足首を粘性の高いナニカが掴んだ。
ゆっくり目線を下に下ろすと落ち窪んだそれとばっちり目が合った。
「ギハーーッ!!」
「いぎゃあああ、そこで個性を主張しなくても主人公の座は分けてあげるから!! お願い助けて!!」
振り払おうとした足にしつこくまとわりつくキモ敵の手。それにバランスを崩して盛大に尻もちをついてしまった。
しまった!!
チャンスと言わんばかりに周りの奴らが一斉に襲いかかって来る。
腕を押さえられた、足も動かない、胴すら持ち上がらない!!
視界一杯に大勢のキモ敵がぬらぬら迫って来る。
……嗚呼、一話始まってまだ三回しか連載しておりませんが皆さん応援ありがとうございました。次回からは『それいけ! キモ敵くん』をお送りします。――あ、肩も掴まれました。
最早これまで。
それでは皆さんさようなら、さようなら。
さようなら。
(おわり)
「んな訳ねぇだろおおおお!!!」
瞬間。
鋭い男の声が頭上から聞こえ、闇に覆われそうになった視界が開けた。
久し振りの空気に触れた額に落ちたのは一滴の雫。
「雨……?」
【母なる源流、水母に
そう言ってぐるんと瓢箪を振った先から弾丸のような雨が降り注いだ。
「ひゃっ」
豪雨みたいな凄い音と共に周りにいるキモ敵が雨に撃ち抜かれて全部霧散し、途端に体が自由になる。
「わ、わわ、わ!?」
凄い。
あんなにキモかった奴らが、あんなにべたべたしていた奴らが!
……凄い! 格好いい!!
そんなこんなで驚いたり感動したりで忙しい俺の上からさっきのナニカが降って来て胸倉をぐいっと掴んだ。
「おい! さっきの男どこ行った!」
「ゲ!! 朝の干物!」
何か見たことある影だと思ったら関わるとろくな事が起きないアイツ!
……感動を返してくれ。
「何の話だよ――じゃなくて、そんな事よりさっきの三つ編みの男! どっち行った! 早く!!」
「えあっ、えっと、あっち!」
勢いに押され、歩き去っていった方向を慌てて指差すとその腕を河童が勢い良く取った。
「追うぞ!!」
「俺も行くの!!」
「当たり前だろ! 当事者が見て見ぬ振りするなよ!?」
「えぇっ!? 俺被害者……!」
急いで彼が行ったであろう道を一緒に探させられるけれど彼の姿はもう無い。
公園までくまなく探すがそれでもあの三つ編みはどこにも見あたらなかった。
「クソッ! また逃げられた!!」
悔しそうに拳を壁に打ち付ける。
「あ、あれから結構時間が経ったんだし、当然、なのかも? だって、あの人も歩いていた訳だし」
「じゃあすれ違った瞬間『陰』が飛び出したのはどう説明するんだよ」
「かっ、かげ?」
「さっきの人型の悪霊・怨霊の類だよ。お前の命呑み込もうとしてたじゃねえか」
「悪霊に怨霊に、い、いいいいい、命!?」
「そうだ。黒魔術っていうのがこの世にはあるんだが、あれはその類だ。魂を吸収し、その強力な力で更なるチカラを手に入れる。命を貪り喰らう魔術、それが黒魔術」
「えええ黒魔術うううう!?」
「……お前は驚く以外にやる事が無いのか?」
「驚く以外やる事が無いこっちの身にもなってくれ」
「ま、しゃーねーか」
そう言って頭をカリカリ。
何だろう。こういう事には手慣れている雰囲気。
「あ、あの」
「ん?」
「君は一体何なの?」
「俺か?」
「それ以外に無いでしょ?」
それもそうだなと、小首を傾げる。その仕草はさっきのアグレッシブと打って変わって何だか可愛い。
「コホン」
改まった様子で目の前の河童が一つ咳払い。
「俺は河童のトッカ。お前の補佐をする為に遥々やって来たんだ」
「……」
「よろしくな。和樹」
そうにこやかに言ってすっと手を前に出す。
何か知ってるらしい意味ありげなクサい台詞。
何故か知ってる俺の名前。
これはアレだ。間違いなくアレだ。
これはガチで関わると世界とか救わさせられる部類のアレだ。
「お断りします」
「はあああああ!? ここは普通『こちらこそよろしく!』とか言って手を取るだろう!? 普通は!」
「いや、色々と面倒臭そうなので」
「はあ? ――ま、待て待て。お前、おじいさんから俺の事聞いてるだろ?」
いや、いやいやいやいや! 知らんぞ!? 知らん過去が捏造されている!
「いやいやいやいや、初耳初耳!」
「え!? 聞いてないの!?」
「え!? 聞いてると思ってたの!?」
「だから俺の事ここに捨てたのか!?」
「えぁ!? す、捨ててなど……?」
目が泳いでませんように目が泳いでませんように目が泳いでませんように。
「目が泳いでるぞ」
「はうあ!」
「え、それじゃあ『はらい者』の事は? 自分の出自については?」
「俺除け者とかじゃないよ」
「……」
顔に手をあて本気の絶望顔してる。
何がまずかったのだろう……?
「ったく、山草の人間がはらい者のはの字も知らないとは!」
「しょうがないじゃん、本当に本当に何も聞いてないんだもん!!」
「マジなのか!」
「目を見てみろ! この目は嘘を吐いていない!」
「そういうのは古来からイケメン限定シーンとして分類されているんだよ!」
何だよそれ!
呆れ返って苦笑していた俺をよそにトッカは爪を噛み噛み、ぶつぶつ呟き出す。
「ったく、これじゃあ埒が明かん。取り敢えず寛次に会わせろ! 河童のトッカが会いに来たっつったら喜んで通してくれるはずだ!!」
え、寛次って、じいちゃんの名前だ。
「じいちゃんの事知ってんの!?」
「ったり前! 山草家の人間ならよぉく知ってる」
へえ、そうなんだ……。
――ん、あれ? ちょっと待てよ? この展開ってもしかしてだけどさ?
「そーゆー訳だからお前んち行くことになった。付いて来い!!」
「あ!! ちょっと待ってちょっと待って、夢丸が遠回しに連れて来るなって言ってて」
「問答無用!!」
「ひぃー」
* * *
「……それでまたその干物がここに居るわけだね? 和樹」
「嗚呼夢丸様、そういう事でございます……!」
「干物じゃねぇ!! 河童だ!!」
「干からびてた癖に」
「うるせぇっ! 好きで干からびてた訳じゃねえよ!」
「あーあ、また煩い奴が増えた」
「何!? 誰が煩いだって!?」
「鼓膜破りー」
「うるせぇ高飛車!!」
瞬間喧嘩が始まる。
出会って早々この天狗と河童は仲が良いなぁ。(そしてトッカは沸点が低い)
――と、そこに。
「おーおー。相変わらずだな、トッカ」
「あ! 寛次!」
向こうから気さくな感じで歩み寄るじいちゃん。(寛次だけに)
そこに俺達みたいなブランクはどこにもない。
「ガッハッハッハッハ!! 真逆こんな形でお前と再会するとはな! 話は聞いた。ささ、上がれ上がれ。お茶を出してやろう」
鼓膜破りの河童をじいちゃんは確かに笑顔で家に上げた。
アイツをじいちゃんは確かに知っている……。
俺の知らない何があるの?
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます