拾――グリーンアイの奥
「サヨナラ金花」
「来世は俺と仲良くしよう」
金花が恐怖に震えて目を瞑ったその時――。
振り上げられた戦斧が不自然に跳ねた。
手を掠めた何かに青い血がほとばしる。
「クソッ!」
地面に落ちてゆく戦斧をキャッチしようとし、体を少し金花から離した所で何者かが駆けてくるのが、振動として横たえられた金花に直に伝わってきた。
そしてそれは突如視界に飛び込んでくることとなる。
「金花おいで!!」
体制を立て直した鬼が見たのは飛び込んできた男が金花を抱きかかえつつ、こちらに寸分の狂いなく拳銃を構えるその姿。
その手に構えられているそれをよくよく知っている。
あの時論破されてから鬼はそれについて嫌という程調べたのだ。
――それはまさしくリボルバー。
「れい、さん……!」
「この野郎!」
苛立ちに任せて再度振り上げた戦斧と鉄仮面目掛けて狂いなく弾丸が二発撃ち込まれ、急な方向転換を余儀なくされる。
体の向きを変えていた正にその時、鬼の前では怜が金花の体を抱きかかえながら地面を滑るようにくるりと一回転し、立ち上がりつつ彼女と共に少年らの方まで走っていった。
その後を鬼が追う。
「和樹! 黒耀!! 敵だ!」
「……! アイツだ!」
「池に来るって話じゃ……!?」
「下がって」
怜の言葉に反応して岳が集まった少年らの前に進み出る。
と同時に親指の上部表面を犬歯で噛みちぎり空に紅の線状を弧に描いた。
その流線を眺める目は赤々と紅に染まっている。――長良家の一族がその術を使う際に現れる特徴の一つである。
「怜、伏せろ! 【鬼道展開――爆!】」
怜が仰向けに彼らの下に滑り込んだのと同時に突き出した右手から真っ赤な爆炎が破裂した。
それを跳躍で避け、そのまま彼らの頭上をくるりと飛び越えてゆく。
その後方向転換、こちらに斧を振るってくる。
「水神、子ども達を中へ、早く!!」
鬼の動きに対応して駆け、自身の親指から滴り落ちる血液で五芒星を空に描く。
【鬼道展開――守】
瞬間エネルギー幕と斧とがぶつかり合い、二人の男の間に火花が散った。
質量に任せた金属の乱暴な音が弾ける。
「やるな兄チャン」
「伊達に長良は名乗っていない」
「はらい者では無いんだな」
「妹の方が優秀だったから私は退いたんだよ……君ならよくご存知だろう」
意味ありげな守護魔法の向こうからの言葉に瞬間不機嫌な顔をする。
歯ぎしりがギリリと不穏な音を擦らせた。
「その話題は……口に出すな!」
怒りとも取れそうな態度に次いで斧の爆発的な斬撃が叩き込まれる。
それに術が耐え切れず破壊される。
この強度が妹と自身の命運を分けた。
「ぐわあ!!」
吹っ飛ばされる岳を怜が受け止め、自身の拳銃、通称「ナガン改」に装填されている残りの二発を惜しみなく鬼にぶつける。
彼はそれを戦斧で漏らさず弾いた。しかし時間稼ぎにはなったはずだ。
代わるように黒耀が出る。
「すまない……」
「気にするな、アンタはこっちよりもあの子らを守れ」
「でも」
「良いから。――あの子達が帰る家はアンタの所にしかない」
それにハッとした様子の彼は静かに頷いて座敷童達が震える家の中に飛び込んでいった。
「三人は悪いが俺の所に残れ、アイツをぶっ倒すぞ」
「勿論――【
「俺も頑張る!」
「全員よく言った」
意気込んだ様子の彼らにふと笑みを向けた。
戦斧の男に向き直る。
「――大丈夫だからな、金花。和樹と一緒にそこに居ろ」
そしてその顔を見ずにそう言った。
シリンダーに六発の装填完了。
「行くぞ」
駆けた。
「援護する!」
懐に忍ばせていたナイフを取り斬撃の軌道を残しつつ振るう。
「おおっ、久しいじゃないか! 機械人形!」
「……!」
怜の瞳が明らか開いた。
「……何を人違い」
「人違いなもんか! よぉく覚えているぞその瞳!」
瞬間隙を突いて斧を彼の体に叩き込む。
左腕で辛うじて受ける。
痛みに顔が一瞬歪んだ。みしりと嫌な音がする。
「おや、おかしいな? 血が垂れない」
「お生憎様、鉄板を仕込んでいるもんでね」
がばりと袖をまくった先、へこんだ分厚い鉄板を巻き付けた腕が眼前に姿を現す。
「いつ襲撃に遭うか知れないんだ、このレベルの情報屋ってのは」
「ふうんそうかい?」
あからさまに興味のなさげな顔である。
「何か不都合だったか?」
「――それじゃあもっと揺るぎない衝撃事実をそこらの純粋無垢くんに教えてやろうかしらね」
しかし直後放たれたその言葉と和樹を指差したその挙動に思いっきり動揺の表情が浮かぶ。
させまいと大振りに振るったナイフが彼の所有物を傷つける事は無かった。
それでも一迅一迅風を切る高音を立てさせながら鬼に詰め寄る。
突きの体勢に入ったナイフを直後斧の柄の部分が受け止めた。
「……!」
予想以上に深く入った、抜けない。
「ぬかったな」
斧をぐるりと回してナイフを奪い取り、腹を思い切り蹴り飛ばす。
転んだ先を逃すまいと柄にナイフの突き立った斧の刃を振り上げてくる。
寸での所で転がり、回避。
しかし鬼もそれで逃がすような奴ではない。
抉った土から軽々と斧を取り出し、深く突き立ったナイフを取って眼前の距離を取ろうとする男目掛けて投げる。
それに頬を掠められ赤茶の液体が飛び散る。頬を押さえて思わずよろめいた。
「縛!」
機嫌の良さそうな声が瞬間頭上から響いた。
それを片目で見やったときにはもう遅い。
地面に組み伏せられた。――まるで同時間にやられた風神の体である。
「大層苦労したぜ、機械人形。今日が年貢の納め時だ」
「れいれいさん!!」
和樹の悲鳴が響く。
「だから人違いだ」
「……」
ふわりと笑む。
「お前ッ! 卑怯な真似――」
「おっとっと、動くなよ。こいつの寿命をお前が縮めるのかよ!」
喉元に再度突き付けたナイフに黒耀の挙動が止まる。
「まあ、死にはしないか。なんせ千年も生きてきたもんな」
「同情か?」
「俺が殺してやろうか。メインエンジン含めてずったずたに引き裂いてやろうか」
「うるせぇ、俺は人間だ! これ以上子どもらを惑わすな!」
「惑わすか。――そう言えばお楽しみがまだだったな」
ハッとした表情を浮かべて頭上を見上げた。
驚く程優しい笑みが見え、頭が混乱した。
「何をほざく気だ」
「アハハーハ!! 時は千年前!」
「……ッ、止めろ!!」
叫んだ頭に片足が乗った。
「コイツァ、大量殺人犯だった!!」
――最悪だ。
「え……?」
「気になるかい、少年」
和樹の予想通りの反応におかしな気分がした。
「う、嘘だ! だって根拠が無いよ!」
「人間皆そう言うさ! 人は皆信じたくない情報から目を逸らし、耳を塞ごうとする。――しかしこのご本は嘘を吐かない。真実しか書いてない」
そう言うなり取り出した分厚い本。――「相方」から渡された切り札である。
「これなーんだ」
運命の書。名を曰く、そう言う。
「こいつの経歴は、嗚呼とんでもねぇとんでもねぇ! とある研究機関の助手に任命されて以降実験の材料の為に多くの子どもをさらい、改造を繰り返し! 嘘吐きの大人を騙くらかしては人間としての側面をむしり取る! ――それを子どもにさせてたんだぜ!? ほんの、ほんの十ばかりの少年にだ!! ギャハハハ!! 自分のお手々は綺麗々々って寸法だ!」
顔を伏せたその人の表情は窺い知れない。
その行動に何を思ったか。何も聞きたくなくて和樹は耳を塞いだ。
「嘘だ!」
「とある事例だ。二人で細々と裏路地で暮らしている少年ら。その二人がこいつのいる御一行様にスリを働こうとした。それを逆に捕まえて、一人は研究施設に、一人は牢屋に……」
「止めて!」
「一方には改造手術を施した後に優しくしてあげて? もう一方には絶望を植え付けた。それが後に面会すればどうなるか……もうご存知だよな?」
「聞きたくない!」
「殺し合いだ!!」
「止めて!!」
高音の混じった悲鳴が痛々しくこだます。
「当然手術を受けた方が生き残るに決まっている。そして相手はもう『人間じゃない』。その子は一人ぼっちになった。その所有権はもう研究機関の側にある。――サテサテもっと聞きたいか? こいつと違ってお安くしとくぜ。いくらでも吹聴してやるよ!」
「……」
耳を押さえる手がふるふると震えた。
その指の隙間から嫌でも音は入って来る。
「その少年が逃亡を図ろうとしてかくまってもらったグループを皆殺しにしたのはこいつだ。不利な情報を漏らそうとした奴の脳天ぶち抜いたのもこいつだ、結婚間近のカップルだってほんの小さな子どものねぐらだって必要あらば容赦なく追い立てた。数多くのトラウマも植え付けた。幾つも幾つも嘘を吐いた」
「……」
「――な、少年。お前、いつか言ってたな。付き合ってみなくちゃ分からないって」
「……」
「付き合ってて分かったか? え? ――巧妙だろ」
「……」
耳を押さえる手に余計に力がこもった。
耳鳴りがする。
「格好良かったな」
「……」
「優しかったな」
「……」
「世話焼きだったな」
「……」
「皆お前らを懐柔するためだぜ。アレは全部全部偽者の『怜さん』なんだよ」
「……」
うずくまった。
――順調だ。
ほくそ笑んだ。
「そんならさ、お前こっち側につけよ。金花をこちらに渡せ」
「……!」
「正体の分からない暗雲のような奴よりこっちの方が目的も素性もはっきりしている。俺らはその子の未来を救いに来たんだ」
「未来……」
反応を示した。
揺れている。
「そうともさ。――死とは絶望の果てにあるものじゃない。その昔
瞳が揺れた。
あと一押し。
「……今回は俺が関わっていたがな、次はどんな奴が関わるかなんて分からん。人間なんてもんはお化けさんよりもずっとずっと恐ろしい。俺らお化けさんは人間を槍玉にあげて楽しんだりしないのにアイツらは自分勝手にやりやがるから怨霊の怒りを買うんだ」
「……」
「どうだ、こちら側に着いた方がはらい者としての仕事も全うできると思わないか」
「……」
「さあ、理解できたか? できたらこの手を取りな」
顔を少し持ち上げた。
もう勝ちも同然だ。
二体のシナリオブレイカーを撃破、そして金花もトッカも消滅。
目の前で何もできなった座敷童もその内消滅への一途を辿るだろう。
嘘御託を並べれば揺らがなかっただろうが――しかしこれは事実だ。
事実程大きな足枷もそうそう無い。
事実程濃密な罪の味を重ねる物も、そうそう無い。
彼は信頼と事実の狭間で揺れているはずだ。
目の前の善悪の指標に迷っているはずだ。
――後は思考の余地を与えなければ良い。
「ほら早くしな。余りもたもたするようなら金花もこいつもお先にあっちに連れて行くが」
慌てたように顔を上げて口の辺りをかくかく震わせた。
「サア、分かったらこの手を取れ」
「取れ」
「――ハ。それで終わりかい、この野郎」
それは確かに自身の下から聞こえた。
思わず目を見開く。
「何?」
「それで終わりかっつったんだ」
「な、何を言い出すかと思えば。もっと自身の武勇伝語ってもらってあの子の信頼を削ぎ落としたいかい、機械人形」
「何なら俺の口で言ってやらん事も無い」
「よせ。余計墓穴を掘るだけだ」
「構わない、正直に勝るものは無い」
もぞもぞと動き出した。
「シナリオブレイカー……!」
こんなものはシナリオに無い。
いつの間に抜けたのか自分を押さえつけている斧の柄に手をかけた。
「やっ、止めろテメェ、動くな」
喉にナイフで傷をつける。顔が歪み、赤茶がまた垂れた。
しかしそれでも止まる気配がない。
――何だこいつは。
「これ以上動けば死ぬんだぞ!」
「和樹、よく聞け!」
「動くな!!」
首にナイフを突き立てる前にその刃をもう一方の手が掴んだ。
おびただしい量の赤茶が垂れては草原にぼたぼたと垂れていく。
「止まるもんか、止まれないんだよ……この罪を雪ぎきるまでは……!」
その裏に潜んでいた余りに大きな何かに戦いて思わず体をどける。
「テメェ、何なんだよ!」
「所詮役者でしかないお前さんに俺の何が分かる!」
「役者だと? こっちは演出家だ!」
「だったら知ってるはずだ、罪は生きていないと雪げないんだよ!」
「……グ、殺人犯の癖に正義の味方ぶった事言ってんじゃねぇよ!!」
斧を大振りに振るってその首を狙う。
それを静かに、しかし的確に全て避け、やがて自身の左足でその頬を蹴り飛ばした。
頬を思わず押さえ、その大きな体を見上げる。
「そうともさ! 汚れた罪だらけだ、この体は! 信頼もくそもあったもんじゃねぇ!」
「……」
「愛を知ったのもついこの間だ。悲しみや怒りをやっと知って、憎悪と言うものを知って、自分を殺したくなるほど嫌って、そして愛を知ったんだ。そんなのは本当に最近だ」
「……」
「それまではテメェの言った通りだよ!! そこに嘘はない!」
「……!」
一同が息を呑んだ。
「だがな、数多の命の上に立ってこれまでを生きてきた以上、俺は簡単に死ぬわけにはいかないんだよ。その倍良い人間として生きなくちゃならない。博士の為にも、希望の花の為にも、傷つけてしまった
「……」
「死ねないんだよ!!」
呆然としている和樹の方へその傷だらけの、汚れだらけの体を向けた。
「なあ、和樹。生き物だろうが人間だろうがお化けだろうが神様だろうが罪をいくつかは作るものだ。誰でも誰かの味方であり、誰かの敵だ」
「……」
歩み寄り、座り込んでいる彼の前で目線を合わせしゃがみ込んだ。
「それでも俺らは『今』を生きるしかないんだ。その今あるその姿を信じていかなくちゃいけないんだ」
「目の前の人が何抱えてるかなんて分からない。知らずに何傷つけてるかなんて分からないし何企んでるかなんてのも分からない。何に怯え、何に感じ入り、何に怒っているかなんてのも誰も誰にも分からない。明日、隣の人が己の敵になっているかもしれない。それは誰だって怖いよ、嗚呼、怖いともさ!」
「……」
「でもその事実だけを鵜呑みにして今から目を逸らそうなんて絶対に思っちゃ駄目だ。お前さんの言う通りだ、人間、付き合ってみなくちゃ分からないんだよ!」
「……」
「だって、人間はいつもどこか見えないところで変化し続けているんだから」
顔を持ち上げた。
その揺れる瞳が愛しくて愛しくて、思わず抱きしめた。
堪らなくなって言う。
――自分でも封印し続けてきた言葉を、滝のように吐き出していく。
「和樹、繋がりの中にあるというのは即ちこういう事だ、こういう事なんだ」
「一瞬でも、誰かを無条件に信じようとすることだ、共に歩こうと努力する事だ! そこに敵も何も作っちゃいけない、合わなかったらそこまでなんだ」
「憎くなって嫌いになったらそれでも良いよ、俺は止めない。でも誰かの敵にだけはなろうとするな。痛めつけようとするな、陥れようとするな……!」
「俺みたいになるな!」
顔は互いにどうなっているかなど見えなかった。
憎しみに歪んでいるだろうか。
うざったるいなんて思っているだろうか。
ほくそ笑んでいるだろうか。
どうとも取れるであろうその展開の中で、彼らの中には何が芽生えただろう。
「ふざけやがって、いっつもいっつも邪魔ばかり……! その首、二本とも刈り取ってやる!」
怒りと苛立ちに歪んだ顔で戦斧を持ち上げ、全速力で向かっていく。
そうして振るった斬撃を少年抱えて彼は躱し、ナガン改をぶっ放した。
「なあ和樹、聞け、耳を塞がないで、よく聞くんだ。俺らが生きているのは『今』だ。俺らが救わなくちゃいけないのは『今』生きている金花なんだ。彼女が辿るかもしれない『未来』じゃない、『今』だ」
「サア甘言に溺れる前に正々堂々と向かって来い! 鬼!!」
「――そして戦え、和樹!」
「俺はお前を信じてる!」
腕の中で少年の瞳の向きが定まった。
(つづく)
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