玖――発信源の男

 * * *


 一方その頃、音葉池では怪異課とトッカがかなりの時間をそこで過ごしていた。――しかしそいつは一向に現れない。

 かなりの暇な時間を過ごしながら、それでも少しの油断は命取りと心を擦り減らしながらじっと待っていた。

「金花ー、金花ー……」

「余り案じるな。お前が消滅したら金花が悲しむぞ」

「ううう」

 ――その時。

「来る」

 サイジョウが何かに気付いた。

 全員が構える。


「おやおや、今日は人魚が居ないんですね。肉はじゃあまた明日という事でしょうか」

 凛と張った低い声が聞こえる。ぞろぞろと集団を引き連れているようだった。

「何だ……?」

 フウがぽつりと呟く。

 その琥珀の目が捉えた彼の影は余りにも聞いた話と違い過ぎていた。

 ここには茶髪の髭が来るという話では無かったか。

 向こうからやって来たのは話に聞いたより随分見た目の若い男であった。

 エメラルドグリーンの腰までかかる長髪、その頭にご丁寧に乗った真っ黒な中折れ帽、そして糸目の先のすらりと通った鼻筋にかけたほんの小さな金縁の鼻眼鏡。その細長い、しかして筋肉質な体は薄いクリーム色の着流しに包まれていた。その下には炭が如くの黒い着物を重ねてきているらしい、胸元で重なったそれが覗いていた。中々洒落た男である。

 その男が肩に羽織ったこれまた黒い厚いコートの下に隠れていたのは――かなり立派な大太刀。

 それをフウはどこかで聞いた事があった気がした。

 確かと言われていたような気がする……。


 ――!


「サイジョウ! 退け!!」

 脊髄反射的に指示に従った瞬間彼女の居た場所に雷鳴轟き、焦げる。

「おお」

 彼の口から感嘆の息が漏れた。

「お見事」

「……」

 記憶に刻み込まれている訳では無い。しかし何か、何か。塗り込まれているような記憶が「彼を警戒せよ」と騒ぎたてる。

 ――何者だ。

「誰だ」

「妖怪の類とだけ言っておきましょう」

「またそれか」

「それよりも。人魚はどこに居るのかご存じでしょうか? 彼女に会いに来たのですが」

「あいにくだがなぁ、ここには居ない」

 サイジョウが強気に出た。

「フウさん、斬撃許可」

「今はまだ待て」

「ここに居るか居ないかではなくてどこに居るのかを聞いているのですが」

「それはお教えできません。私達もあいにくながら知らないので」

「――そう、その答えが欲しかった」

 そう言って彼は静かに喉の奥で笑い出した。

「……何が言いたい」

「所在不明の異空間に逃げた事の確証が取れれば後はどうでも良かったわけです。私達の目的は今はそれではない」

「……!?」

「真逆、お前ッ!」

「ええ、ご想像通り。相方がそこに潜んでおります、どうせ異空間にさえ入れれば彼らは安心しきってしまうのですから……そこまでは何とか我慢してそこを突くのです。後は彼に握らせておいた切り札と定例行事の悪用――ア、有効利用の方が正しいですかね」

 わざとらしく間違えてみせて、彼は楽しそうにあははと笑った。

「いつもかくれんぼなんかしてるからいけないんですよ。後は皆ばらばらに逃げて頂いて、その隙にざくり! です。楽しいですね、事が巧く運び過ぎて」

 男の舌なめずりにトッカが瞬間悟った。

「……金花ッ!!」

狼狽うろたえるな! まだそうと決まった訳じゃない、お前は目の前に集中しろ!」

 くずおれそうになった身体をフウが支えて立て直す。

「運命の書は私達の道標だ。何事も何者もそれに抗う事は許されない」

「……死神」

 部下の目が見開いた。

「それでも抗ってみますか?」

「斬撃許可!!」

「だから待て!!」

「何で!!」

「アイツの後ろを見ろ。さっきからと強調している意味がよく分かる」

 それにバッとその方向を見る一同。

「おやおや。伊達に神様を名乗っている訳では無いみたいで……これはこれは嬉しゅう。仕込み甲斐があると言うものです」

 額から汗が垂れた。

「今の社会は電気に頼り切ってくれているおかげで私もやり易いです。少しでもおかしな噂とその証拠があればすぐ行動を起こしてくれるんですもの!」

 彼の後ろに構えているのはスマートフォンを虚ろな目で見続ける一般人の集団であった。

 彼の太刀に電流が小さく爆ぜる。

「洗脳しているのか……?」

「疾風迅雷、木火土金水。自然とはまこと是の事なりて雷々も又それなり」

 意味の分からない言葉を羅列してはまたにこやかに笑った。――笑顔だけは穏やかな好青年で、誰かさんを思い出しては至極苛立つ。

 やがて持ち上げた右手には今や懐かしガラパゴス携帯。

 そのまま耳に押し当てると静かに語りだした。


「知ってますか? こんな噂……」


 後ろに構えている人々が画面に吸い寄せられるように顔を近付けていく。


「河童の肉って、神棚に飾ると末代まで繁栄が約束されるようですよ」


 男の細い目が見開かれ、その下の鷲の瞳が露になると同時に彼の背後の集団が一斉にトッカを凝視した。


「一同防御展開!!」


 心を盗られた者達が一斉に群がっていく。

 その人達を怪異課の魔法陣が弾いた。


 * * *


「今の時代は便利になりました。歩かなくても声を出さなくても身なりを整えなくても簡単に何でも手に入る。品物も、お金も、欲望も――情報も、信頼も」

 目の前では一般人を傷つけまいと奮闘する怪異課とそれでも池に群がっていく一般人とで溢れ返っていた。

 見ていてこれだけぞくぞくする物も無い。

 ――あれだけ水辺に集まっているという事はどうしようもできなくて水底に潜っているという事であろう。

 容易に察しがついた。

「一人の主観を百人の客観と簡単に捉える者の何と多き事。本当にな時代です」

 歩み寄りつつ太刀をすらりと引き抜く。普段からよく手入れのされている綺麗な刀身が沈みかけの太陽にきらりと反射した。

「どれ、私が引きずり出してあげましょうかね」

 そのまま池の中に手を伸ばす群衆の中に長身が混ざる。

 ざぶと刃を水面に突き立てた。銀にばちばちと電気が走る。

「黒こげで相すまぬな。そら、早い者勝ちだ」

 穏やかそうなその顔からは到底窺えぬであろう顔一面で作った笑みが池の中を凝視した。

 それが示す暗黒の未来を彼は水中でいち早く察知し、水面へと急ぐ。

「トッカ!!」

 池から出るが早いか水面に突き刺した太刀を避雷針にして空を穿つが如くの雷鳴が池にぶつかる。

 間一髪で何とか避けたが本当に危ない所だった。

「おやおや、お見事」

 ゆるりと朗らかに笑んだ彼の足元で何人かが衝撃に驚いた様子で転がっている。直撃は免れたらしいがそれでも後遺症が残りかねないそんな迅撃であった。周りで池に手を突っ込む人の存在など知らぬ存ぜぬのその態度。

 恐ろしい。これが「冷酷」か。

「ほら、早く。行った行った。出てきましたよ。一番に持ってこれた人にはお刺身さばいてあげましょうね」

 彼の河童目掛けて男は群衆のケツを叩いてやる。

「ぐ……この!!」

 再度彼らの前に立ち塞がり防御を展開しようと構えたフウ目掛けて先の男が飛翔し刀を構えてきた。

 後方に大きく跳躍して躱す。青白い筋が三日月の様に彼女の残像をぶった斬る。そのまま超速で再度彼女の胸元目掛けて一迅一迅左右から刀身を叩き込む。

「フウさん!」

 サイジョウが自身の腹から抜き出した大剣をフリスビーの様に振るってフウに向かって飛ばす。

 一撃を髪の毛一本に受けながら何とか躱して剣を受け取り、次なる太刀の撃を受け止める。

 白金に火花が散った。

 キリキリと金属が金属を削る音が眼前で煩い。

 腕全体にとんでもない負荷がかかっていた。

 それと比してどうだ。目の前の男の何と涼しい顔である事よ。

「風神の癖に風で戦わないんですか」

「私達は周りに居る一般市民の皆様を傷つける訳にはいかないんでね」

「生きづらい世の中ですね」

 ニヤリと笑んで瞬間大太刀をぐるりと体軸ごと振るう。後方に飛んだ風神に向かって雷撃が柱の様に降り、天空から彼女の残像に襲いかかる。

 その直後には傍でその首刎ねんと太刀を振るい、つむじ風にぶち当たった。

「甘さが優しさに等なるものか!」

「台風じゃなくて良かったな!」

 そう言って大剣を振るい、相手の懐に飛び込んでいく。

 余裕ぶった表情をしてみせたは良いものの、しかして形勢は現状最悪であった。

 まず敵が洗脳された一般市民という点からまず厄介である。諸悪の根源であろう眼前の男を何とかして退けたいが大技を振るうには余りにも狭すぎ、そして数が多過ぎである。

 何とかしてここに居る人々の目を覚まさせる事さえ出来れば……。

 しかし「言うは易く行うは難し」とは正に是。

 どうすれば出来ると言うのだ。

 彼らの脳に絶え間なく飛び込んでくる刺激という名の快楽、麻薬を更に超える何かを誰が持っているというのだ。

「貴方の首でも飛ばせばどうですか?」

 ヒュッ。

「……ッ、思考を読むな!」

 竜巻を吹かせ、彼の体を雑踏たる木々目掛けてぶっ飛ばす。

「ひゃああ! フウさん!!」

 向こう側のパニックに一瞬気を取られた瞬間、神速でこちらに向かってきた男に胸倉をむんずと掴まれた。

 ――しまった!

 なんて思考している時にはもう地面に顔を打ち付けている。

 歯が少し欠けた。鉄の味がにじりにじりと舌を這う。

 自身を組み伏せた男の威厳たるや、何と冷酷な。

 逆光でよく見えないその顔は何を今表現しているのか。――しかし絶対に哀れだけは無いはずだ。こいつに心など一世紀遅れの代物だ。


「貴方の血で目を覚まさせてやれば良いじゃないですか。柔な人間は精神的外傷トラウマ如き、人一人の死躰でどうにでも作れますから! ナマモノの力は恐ろしいですからねェ」


 自由の利かない腕を足で代わりに押さえ、次いで首を興奮したように鷲掴む。


「サ、爆ぜろ風神」


 ――死神が戦闘一族であるという話はよく聞いていた。

 そりゃ恐ろしいな、と笑った。

 だが、このような形でそれを実感する事になろうとは。


「ざくろの果肉が今露に」

「ここで詩人になるな、感情無しめが」

 ぎらり。


 その光は鮫の歯そのものだ。






 ――その時。叢をかき分ける何者かの行動に一同の視線が注視された。

 それまで何をやっても反応の無かった者達までが一斉にこちらを向いたのは、無論、


「……! !」


 驚愕した様子の彼の力が一瞬緩んだ。

 チャンスとばかりに男の太刀を蹴り飛ばし、組み伏せている彼の体の下をすり抜ける。

 バランスの崩れた男の太刀を問答無用で奪い取り、かくして彼の喉元に突き付けた。

「さあ観念しろ、冷酷たる死神さん!」

「……」

 悔しそうにこちらを覗くその瞳。

 慈悲をかけるつもりなど毛頭なかった。

「術を解け!」

 そうこうしている二人の傍を駆け抜けた、形勢逆転の兆し作りしソイツはその頭を群集に見せつけた。

 そして――。






 ――ぐゎぱ。


(つづく)

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