拾参――星空の下、音葉池

「トッカー!!」

「金花? 金花!!」


 がたつく台車を転がして走る走る。

 金花はビニルプールの縁に手をかけてその身を前に乗り出し、その愛しい名を何度も何度も口に出した。


「トッカ! トッカ!!」

「嗚呼! 金花!!」

 池の縁まで来た所で遂に待ち切れなくなって金花が飛び出した。――って飛び出すにはまだ早いっ!!

 当然池より手前の土に向かって体は一直線。

 ――と、それに手を差し伸べようとした所でトッカが腕をきつく引いて自分の胸元にその体をしまい込んだ。

わぁお、やるな、この河童。

「良かった、良かった。俺のお姫様……元気になれたみたいで本当に良かった」

「トッカ……! あのね、大好き、大好きなの!! 貴方は金花の王子様なの!」

 ああーっ、甘い甘い。

 悔しくなんかないけどちょっとそっぽを向いておく。

 一方。

『店主ー、店主ー!!』

 半紙に穴が開く程重ね書きしながらレトロカメラさんがナナシの元へがばっと飛び込んでいく。

 抱き締められると角が痛い事を知っているので全力で逃走する。

『非道い! 非道い!! 直ぐ帰ってくるって言ってたのに!! 何で私七時間も店主のいない宝石館に居なくちゃいけないんですかっ!! 寂しかったです、本当に寂しかったです!! 死んだかと思いました、今すぐ私を慰めて下さい、ハグして下さい!!』

「ええじゃないか」の練り歩きみたいにレトロカメラさんの「叫び」がばっさばっさ飛び交う。

「やだよ、お前角っこが痛いじゃないか! お留守番位出来るようになってよ!!」

『心配していた人に対して何たる態度ですか!! うえーん、うえーん!! ウチの店主が非道い!!』

「泣き声を半紙に書いたってこっちには伝わらないんだからな!」

 何か……こじらせたカップルみたいになってる。

 取り敢えず頑張ってくれ。

「それにしても……レトロカメラさんがどうしてここに?」

「ああ、ちょっと色々あってな……」

 そう返したフウさんを見てぎょっとした。

 色々な所が擦り切れたりしてぼろぼろ。

 唇も割れていて見てて痛々しかった。

「どうしたの!? 何か、その……」

「傷だらけ?」

 がくがくと首を縦に振る。

「……もう本当にそれこそ色々あったんだよ」

 疲れたようにハァと吐息を漏らした。

 その横から真っ白なポケットティッシュが手渡される。

「その傷、これで拭きなよ」

「怜か。そっちはどうだった」

「それはおいおい話すからさ、取り敢えず拭けよ」

「……その心は」

「ティッシュ一枚百円」

「ぼったくりにも程があるな、これまでの経緯で何があった」

 れいれいさんの物凄い目力がこちらをギンと見た。

 慌てて口元のカスタードクリームを拭う。美味しかったです。

「ま、とはいえだ。よく頑張ったみたいだし、偶には『功労賞』として一枚買ってやらんでもないぞ」

 そう言いながら百円をれいれいさんに手渡す。

「あれあれ、お客さん、これじゃ足りないでやんすよ」

 唖然。

「ハァ? 何が足りないというのだ」

「一まとまりのティッシュペーパーは二枚が重なっているんでやんす。だからここでは二百円を払うのが正解なんでやんす」

 不服そうに眉間に皺を寄せつつ先程の自身の発言にちょっぴり後悔しつつ、渋々もう百円取り出す。

「おやおやおや、お客さん。ずるは良くないっす、まだ足りないでやんす」

「……何が」

「消費税――」

 そう言うが早いか腹パンを食らうれいれいさん。

 その目にも止まらぬ速さにばたっとくずおれた。

 わー……。

 取り敢えず貰った二百円を落とさずにずっと握りしめていたその精神だけは褒めてあげたい。


 * * *


「『死神』……?」

「今回の騒動の黒幕は死神だ、しかも二人組。お相手は茶髪の髭と考えて全く問題ないだろう」

 そう言ってフウさんが話してくれたのは男がこちらの池にやって来て一般の人々を操り、トッカに襲い掛かったという話。――岳さんが言ってた術とは即ちこういう事だったんだろう。話に改めて出てくると何だか実感が凄い。

 電撃に重たい斬撃に神速にと、滅茶苦茶強かったという。

 こっちに来た奴も相当強かったのに……。

「――で、我々がピンチでどうしようもなくなった時に飛び込んできたのがあの異形頭だったという訳だ」

「へぇ、カメラが!」

「お前、知り合いなのか」

「お菓子作り友達」

「意外」

 同感。

「で、レトロカメラさんはどうやって助けてくれたんですか?」

「うーん、と……」

 質問に瞬間渋るフウさん。

「ぐゎぱ」

「「ぐゎぱ?」」

 二人で聞き返してしまった。

「あの、だな。下顎にがっしと手をかけてあの異形の頭を

「はっ、外した?」

「多分……」

「え、そんな劇的な瞬間に関する己の見解がどうしてそこまで曖昧なんだよ」

「上向いてるように見えたんだが、確かにぐゎぱって音がしてだな……そしたらそれを見た洗脳受けてた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったんだよ」

 え……。

 レトロカメラさんの、中身……。

「本人は店主が襲われていると思ったらしい。で、今に至るという訳だ」

「なるほど、あのこじらせたカップルはそうやって誕生したんだな」

 いや、注目すべきはそこじゃないと思うぞ。

 ……話を元に戻そう。

 問題は「仲間」が居たという事だ。

「というか、池にも来たの……? その、仲間、が」

「ああ、『相方』が云々言っていたからな。という事はどうせそっちに茶髪の髭が行ったんだろう」

「ご明察。中々しんどかったぁ」

 そう言ってごろり。れいれいさんはフウさんの前になると途端に自由人になる。

「目的は何だ? こんな事を言っちゃ悪いがどちらも取るに足らぬ妖じゃないか」

「そっちに行った奴はトッカを狙い、こっちに来た奴は金花を狙い、ちょっと前は黒耀とナナシ、及び和樹を狙い……とことんまで和樹達に因縁のある奴らと見た。つまりはそういう事なんじゃね?」

「はらい者狙いか」

 ビンゴ、と拳銃を模した右手を作りながら小さく言う。

「でも何故だ……? 理由が分からん」

「妖事情を俺に聞かれてもナァ」

「ま、そうだよな」

「ただ、気になるワードが一つ」

「何だ?」

 聞き返したフウさんの言葉からかなりの時間が経ってからそれは言われた。


「シナリオブレイカー」


「……それが何なんだ?」

「分からん。だがそれだけが凄い浮いて聞こえたんだ。お前んとこに来た奴も言ってなかったか?」

「サア、何せ相手するだけで大変な野郎だったからな……」

 目を閉じて悶々と考える。

「――ああ、あの異形頭が駆けてきた時に言っていたような気はする。でもよく覚えてない」

「そっか。……風神さんがその程度の認識だって言う事は即ちそう言う事なのかもしれん」

「でもお前には違和として聞こえたんだろう?」

「んー、まあ」

「だとしたらやっぱり何かあるのかもしれん。――和樹、奴らには十分用心しろ」

 真剣な顔で言われると何だかどきりとする。

 重く、頷いた。

「取り敢えず伝手はある、そいつに今度ちょっと聞いてみる事にするよ」

「先生か?」

「ん、先生だ」

 ――先生?

 何かよく聞くような聞かないような……。

「誰? 先生って」

「運命神の事を言う。妖や神々は皆彼の事を先生と呼んでいる」

「運命神? どんな神様?」

「生きとし生けるもの達の全ての生涯を決める神様だ。人も獣も神々も妖も、皆彼の著した『運命の書』に無意識に従って生きている。ここで私達がくっちゃべっているのも彼の記した予定通りなのさ」

「へぇ、何かえらく壮大な神様だね」

「もっと言うとあそこの座敷童は彼の直属の部下だという」

「そうなんだ!」

「そしてもっともっと言うと

 瞬間れいれいさんがブフーッと吹き出して直後凄い顔で

「ハアアッ!?」

と振り向いた。

 勢いだけで詰め寄るれいれいさんにフウさんが若干引いた。

「オイオイマジかよマジかよ! 聞いてねぇよ!!」

「だから今朝言っただろ、ボーイフレンドが居るって」

「いや、確かに? 聞いてたけどさ、え、えええええええ?」

「んだよ、耳元でぎゃあぎゃあ煩いな。お前アイツとは関係ないだろ」

「いや、だって、だって、俺の飲み友……」

 そう言って今にも泣きそうな顔をしている。これからアイツにどんな顔して会えば良いんだよーっ! 裏切り者ーっ!! とか騒ぎ出す。

 どうやらその先生はれいれいさんが思っていた独身仲間最後の砦だったようだ。――っていうか運命神と飲み友達の情報屋って本当に一体何者。

 そのままバタッと倒れ伏して暫く動かなかった。

 ……、……。

 何だかいたたまれなくなって、そっと近寄り耳打ちする。

「大丈夫だよ、れいれいさん。俺も彼女いないから」

 ばしっと顔を上げる。そして二人でひしと抱き合って泣いた。

「わーん、俺が最後の砦になるからねーっ!!」

「おおおっ、頼む和樹!! 俺も最後の砦であり続けるからなーっ!!」

「アイツら煩いぞ」

 そう言いながらフウさんが離れていったことだけは覚えてる。


 * * *


「そうかそうか! また歌えるようになったんだな!」

「うん! 歌えるよ!」

「そうかそうか、そうかそうかそうなのか……ううう、歌えるんだな」

「うん! 歌えるよ!」

 こっちのリア充は抱き合いながらひたすら同じ事を繰り返し言いまくってる。トッカに至っては何か滅茶苦茶に泣き出した。

 まあ幸せそうで何よりだけどさ。

「あのね、トッカ。私、貴方が居なければこんな風に笑ってなかったと思うの。だから私、トッカの事本当の本当に大好きよ!」

「知ってるよ、俺も金花の事が本当の本当の本当に大好きだ」

「私も大大好き!」

「俺も大大大好きだからな!」

 何だろう。この二人、朝よりお熱くなってないか?

 朝、ナナシと夢丸が言ってた「恋する子の事になると途端にぽんこつになる系のキャラ」というのが益々思い返される。

 それだけ今幸福絶頂期に入っているという事でもあるんだろうけど。

「はいはい、分かった。お熱いのは分かったから」

 サイジョウさんが二人を無理矢理引き剥がす。

「そんなに確認し合うんなら歌ってあげれば良いんじゃないか? 金花の歌」

「えっ!」

 途端に頬がぽっと赤くなる。

「アタシも聞きたいよ、金花の歌。ここで待ってる時、コイツずーっと金花の事鼻高々に語ってたんだぜ」

「どれ位可愛くてどれ位優しくてどれ位歌が上手くてどれ位愛しくてどれ位……」

「やっ、ヤメロヤメロ! ぶり返すな!!」

「さぁっ、順位を発表します。でれれれれれれ」

「だからそれを、終始無表情で言うの止めろっ!! メンタルが往ぬ!!」

 マツシロさんがいつもの通り、余り表情筋を動かさずにつらつら暴露していくのをトッカが真っ赤な顔で全力阻止する。

 無表情で言うのが何だかツボる。

 そして再び自分の事になると恥ずかしくなっちゃう金花。

 やめて、やめて、とトッカの腕を引っ張った。

 皆で笑った。


 そしてそれは星空の下、しとやかに流れ出す。

 多分今日最後の彼女の歌。曲目は『海になれたら』。

 それは穏やかに流れ、今日一日の疲れを癒していく。

 濁った水も綺麗に癒していく。

 歌声を聞きつけた幾人かの地元の人が俺らに混ざった。


 ――もう大丈夫。

 金花はもうその生き甲斐を失う事は、きっと、ない。


 そう思わせる美しい景色がそこに広がっていった。


 彼女の歌は俺らの宝物だ。


(つづく)

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