参――歌を失くした人魚姫

「ふうん、なるほどねぇ、そんな事が」

「そうそう」


 バスの停留所で「遊び過ぎて疲れちゃった」とかいう頓珍漢な理由で突然交換された黒耀に朝の事をかいつまんで話した。

 記憶の共有は余りされていないみたい。(面倒臭い)

「それで……何でこれが『意外とヤバい事』になるの?」

「うーん、生き甲斐を貪られているからかもしれない」

 生き甲斐を、むさ、ぼ?

「どういう事?」

「ちょっと待って。まずはバス――」

 目の前でバスが止まる。同時に腹が鳴った。

「――と腹ごしらえかな」

「お恥ずかしゅう」

「良いんだ良いんだ、実は出かける前にお弁当にってレトロカメラがおにぎり握ってくれててさ、良かったら一緒に食べよう」

「わあっ! ありがとう!!」

 大げさな腹の音ににこりと微笑んで自身の肩掛け鞄からほかほかのあったかいおにぎりを取り出し、渡してくれた。

 ラップに包まれている代わりに海苔では一切くるんでいない。――ここで家の差が出るよね。いや、貴賤とかそういうのではないけどさ。

 ラップを剥がすとふんわりと香ってくる温かいご飯の匂いが何だか良い感じ。

 かじるとちょっぴり塩味がアクセントになって益々旨い!

「ゆっくりお食べ。明治街まではちょっと時間もかかるしね」

 お母さんみたい。


 * * *

「自分の生き甲斐っていうのは人間に限らず僕達霊体にも等しくある」

 バスに揺られながらトッカ、俺、黒耀の三人で移動する。――あ、言い忘れてたけど夢丸は例によってお留守番です。

「そしてその生き甲斐ははっきりした肉体を持たない僕達霊体にとっては死活問題ともなる重要なものだ。人間界に根ざしている妖からそれを取ることは即ち生命活動の終焉を意味する」

「……つまり簡単に言うと!」

「あ、ああ、中学生には少し分かりづらかったね……だから、つまり……そうだな……」

 さすが本の壁に囲まれて暮らしているだけある。……言ってることが一々外国語みたいだ! (何? 馬鹿!? 誰だ、そんな事言った奴!!)

「例えば……和樹は何が好き?」

「ばあちゃんのたくあん!」

「たくあん無しには生きられない?」

「……まあ、言われてみればそうかもしれない。――あ、あとは野沢菜も」

「お漬物大好きなんだね」

「ばあちゃんの漬物が生きる糧!!」

「あはは、そりゃ良いことだ」

 そう言っておかしそうに笑った後、ふと真剣な顔をしてぽつり。

「じゃあその漬物が何者かによって奪われてしまったら……どうする?」

 漬物が奪われる!?

「そんな事があるの!?」

「仮だよ。もしもの話」

「そんな事あったら……悲しい」

「だよね」

「うん……」

「今人魚に起きているのはそれだ。いわば童話の『人魚姫』みたいな事が起きている」

「魔女と契約で声を渡しちゃったっていう、あの?」

「そう、それだ」

「ふむ……それはかなり苦しいね」

「で、それとは別に『この世』の空気と『あの世』の空気が別物っていう事実がある。それはさすがに知ってる?」

「魂単体で生きるには毒性が強いとかっていうやつ? 夢丸から聞いたよ」

「そうそう。良く知ってたね。説明がしやすくなるよ」

「ありがとう」

 照れるや。

「魂単体の話だけでなく幽霊とか妖怪とかにとってもそれは同じ。神様にだってそのリスクはある。この世で生き続けるって大変なんだ」

「か、神様にも!? え、黒耀達は今大丈夫なの!?」

「大丈夫だよ。生き甲斐があるから」

「生き甲斐……」

「怨恨がこの世にその魂を強く引き留めたようにね、僕らをこの世からの消滅から守っているものがある。それが生き甲斐。人間にもあるでしょ? 生きる糧ってやつ。和樹でいうたくあんみたいにさ」

「なるほど」

 確かに生き甲斐を奪われて生きる活力を失ってしまう人も多い。俺らの魂は今は肉体に守られているから良いけれど、盾を持たない妖達からしたら大問題なんだろう。

「僕には記憶の管理。そこのうだってなってる河童ははらい者の助手、そして人魚の応援。夢丸は町の守護。怪異課は……アレは特別だ。面白いものが無くても生きていける――っていうか気にする以前に生きてるだけで面白いんだと思う」

 知らない皆さんに一応説明しておくと「怪異課」っていうのは明治街警察署の課の一つ。怪奇現象が頻発するここら辺一体の怪異事件を主に担当している。

 物凄く強烈な三人組なんだけど……本当に彼らは何なんだろうか。

「で、それらの生き甲斐が黒耀やトッカから消えてしまうと……」

「さよならぐっばい」

「嫌だよ、そんなの!!」

「だからヤバいんだよ。人魚だけじゃない。連鎖反応的にトッカもドロンしちゃうかもしれない」

「……!」

 トッカまで……。

 一体何が起きてるって言うんだよ。

「悪霊は悪霊らしく、座敷童は座敷童らしく、河童は河童らしく、人魚は人魚らしく……。そうすることで僕らはこの姿を保ってきたんだ。何としても彼女の歌は守らないといけない」

「……正式なはらい者としての初仕事は結構大ごとかもしれないのか」

「消滅に関わるからね」

 喉がごくりとなる。

 頑張らなくちゃ。

「それはそうと隣の河童はエアコンで干からびてない?」

「――ん? わああ! ホントだ!! と、トッカ!! ちょ、み、水! 水!」

「扱いの難しい奴だ」

 苦笑しながらペットボトルを渡してくれた。

 ティッシュに水を含ませて何度かに分けて皿を湿らせていく。(公共交通機関で水をばっしゃりぶちまけるわけにはいかない)

 そうこうしている内にバスは森の中に入っていった。


 * * *

「んやあ! 意外とバスでもあっという間だったなぁ!!」

 途中気絶してたからね。

「それで、音葉池はどっち?」

「こっちだ」

 そう言って案内を始める。

 うっそうと茂る森のような場所なのに進路決定に迷いがない。――さては予想以上の常連だな? お前。

「言っとくけどショック受けるなよな」

「お前がな」

 黒耀の鋭いツッコミに思わず吹き出しそうになる。

 確かに。

 やがてたどり着いたのは……相当濁った池。

 これが、音葉池?

「……音葉池って透明度の高い水でも有名では無かったっけ?」

 黒耀も訝しげに顎に手を添える。

 ……。

「金花! はらい者を連れて来たぞ!! 返事をしてくれ!」

 トッカが一番に駆けていく。

「金花!! 愛しの金花!!」

 こっぱずかしい呼称を物凄いでかでかと叫ぶトッカ。――あ、そうか。この声は普通の人間には聞こえないんだっけ。

 なら良いのか……良いのか?

 ――それはさて置き。トッカがいくら呼んでも金花は姿を現さない。

「あれ、さすがに遅くない?」

「……ひょっとするとひょっとするかも」

「嘘だ!」

 そう叫んで駆けだそうとした瞬間、濁った池の表面に泡がぷかぷかと浮き始め、ざばりと何かが顔を出した。

 黒い豊かな髪に貝の髪飾りが一つ。白い肌に青い瞳。そこに浮かぶ憂いに思わずドキッとしてしまう。

「トッカ……?」

「金花アァァァァアア!!」

 まさに鈴を転がしたような澄んだ声に反射レベルで反応したトッカ。ぴょんと池に飛び込み金花をぎゅうと抱きしめる。

「中々出てこないから心配したよ……」

「ごめんなさい、ちょっと元気が無くて」

 そういってにこりと笑うけど本心から笑えてないみたい。顔がぎこちない。

「本当に大丈夫か?」

「大丈夫よ。心配しないで」

 そこまで言った時金花がこちらに気が付いた。

 ぺこりと頭を下げる。

 それに対する彼女の反応は――嫌悪感丸出しだ。

 あれ。

「……誰?」

「ああ、あいつは山草和樹。お前を助けに来てくれたんだよ」

「でもあの人よ?」

「大丈夫だ。あいつはじゃねえだろ」

 ――ん? 何か聞き覚えのある単語だな。

「そうだけど……でも人間じゃない」

「大丈夫大丈夫、俺が保証する。あいつは良い奴だよ」

「ホント?」

「俺が嘘ついたことあるか?」

「……無い」

 返答ににっかり笑って頬を伝う涙を片手でそっとぬぐう。

「な? だから大丈夫だ。それにいざって時は俺が守ってやるからさ」

 そう言って濡れ羽色の髪を優しくなでるトッカ。

 すごい。好きな子の前では中々格好いいぞ、こいつ。

「何て頼もしいの! 好き!!」

 そう言ってどや顔を決めるトッカにわしっと抱き着く金花。

 トッカもトッカだけどこっちもこっちだな!!

 お似合いで何よりです。

「羨ましいの?」

「う、羨ましくなんか!」

「でも泣いてるよ?」

「……」

 そっぽ向いておく。

「分かった。貴方のこと信じるわ! なんたって金花の王子様だもの!」

 そういって目をきらきら輝かせる金花は可愛さの権化だ。

 トッカがああなる理由も良く分かる気がする。

「よしよし。ありがとな、お姫様」

 そう言ってぎゅうともういっぺん抱き合う二人。

 ……いつまで見させられてるんだ、これ。


 * * *

「「命を狙われてる!?」」

「どういう事?」

「私も分かんないよ……」

 そう言ってトッカの腕の中でさめざめと泣きだす金花。余程怖い思いをしたのだろう。辛かったろうに。

「でも人魚の肉は不老不死の薬なの。よく聞くでしょ?」

「まだそんな事信じてるのか?」

「だってここに来る人間皆そう言うんだもの! 何が嘘か本当かも分からないよ……」

 またさめざめ。


 ――それは数日前の深夜に起こった。

『ハロー、人魚チャン』

 そう言いながらカメラのシャッターを男が切る。

 人魚は妖怪。故に

 それなのに。

 いきなりの事にとてもびっくりして池の底で震えていた金花。そんな彼女を見て男はにやりと一笑。


『恥ずかしがるなよ』


 そう言って池の中に上半身を沈め、彼女に向かって腕を伸ばしたという。

 水の中漂う茶髪の長髪の奥から鋭い眼光が覗く。

 右目だけは長い毛に隠れて見えなかった。


『ほら。笑ってよ』


「腕をつかまれて引きずり出されて……いっぱい写真を撮られた……」

 寒くもないのにかたかたと震える肩に胸がいっぱいになる。

「でもでも! その時はまだそんなに怖くなかったの! だって写真に妖怪の姿は映らないはずだから。でも……」

「映ってたんだ」

 重く、頷く。何が起きているのか分からないと言わんばかりの表情だ。

「沢山の人間が押し寄せたわ。……住処の中でずっと隠れてた。歌を歌ったら見つかっちゃうかもしれないじゃない!」

「それで歌えなくなったと」

「皆あの人のせいよ!」

 眉をひそめる。

「酷い。酷すぎるよ」

「ただな……話がこれだけで終わればまだ生ぬるいんだよ」

「まだあるの!!」


『どう? 調子は。さぞ怖い思いをしてるだろ』


 先程の男が二日後位にまた訪れたという。

 その時には池は濁り始めていて相手の顔色も見えなかったらしい。

 それでもそいつは構わずにまた腕を突っ込んだ。

 抵抗も空しく、男は再び自分の眼前に彼女を引っ張り出した。

 つやのある鷲の瞳が寧ろ恐怖をかきたてた。


「鷲の瞳?」

 黒耀と顔を見合わせた。

「それって……」

 さっきの金花の話といい、鷲の瞳といい……。

 嫌な予感しかしない。


『ククク……可哀想になァ。な、守って欲しいだろ? お嬢ちゃん』

『あなたがやり始めたことじゃないの!』

『アハハハ、強がりな女の子も俺ァ好きだぜ?』

 髪を一束取って口づけた。

 肉食獣のような空気感が怖くて声が出ない。顎ががくがくと痙攣するように震える。

『お前は運命的にはもうすぐいなくなるんだ。……なぁに。いつまでもその様子が無いから引き金トリガーを作ってやっただけだ。もう数日もすれば君は誰かの命の糧となる』

『やめて!! もうたくさんだから!!』

 滅茶苦茶に暴れまわる。

 叶う事なら今掴まれているこの腕も振りほどいてしまいたい。

『ガハハ! 威勢の良いことだね! ――益々気に入った』

 抵抗するその必死な様子を面白そうに一瞥した後、面白い事を思いついたような顔をして、直後ニヤリと笑んだ。

『そうだ。一つ契約をしようじゃないか』

 腕を思い切り引き、体を無理矢理引き寄せる。

 そのまま耳元にひっそりと囁いた。


『俺の元へ来い』


 目を見開く。鳥肌が体中を駆け抜けた。

『俺ならその魂、大事に扱ってやれる』

 腕をつかむ力が一段と強くなる。

 背中に腕が回され、そこで冷や汗も噴き出した。

『離して!! トッカ! 来て!!』

 この絹を裂くような声にいつもならトッカが真っ先に駆け付けてくる。――その日に限って留守だった。

 それを知ってか知らでか、男は彼女の様子にくっくと笑う。

『来ないね』

 わざわざ言う言葉じゃない。

 腕をつかんでいた手が金花の冷たく白い頬をゆっくりとなでる。

 ――狙ってる! 狙ってこの日を選んで来た!!

 それが分かった瞬間からもう悪寒が止まらなかった。

『そんな奴より俺にすれば? 俺が大切にしてやるって言ってるだろ?』

『いやいや! いや!!』

 顎を持ち上げようとした手に思い切り噛みついて金花はやっと難を逃れた。

『やれやれ残念』

 水底に潜った獲物に何やら想定内とでも言いたげな口調である。


『それじゃあまた近いうちに迎えに行くから。楽しみにしててよ』


 冷たい水底で一人、その言葉を聞いた。

 その翌日も人魚の肉を求める一般人は絶えず池に現れた。


「おえ」

 黒耀がその様子を想像したのか口元を押さえる。背中をゆっくりさすってやった。

「今日はその不届き野郎どもは来てないのか?」

「お昼の人?」

「ああ」

「知らない……もう長らく水面に出てないの」

 出たら夜の奴がいるかもしれないから。そういう事なのだろう。

 腹立つなぁ……。

「でも歌が歌えないままじゃ君の体がもたない」

 黒耀が真剣な顔で言う。

「ひとまずあの人達に相談しよう」

「……怪異課か?」

「勿論」

 そのまま眉をひそめる。


「話を聞く限りだと間違いなくが関わってる」


 最悪だ。


(つづく)

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