拾陸――開眼
「愚かな選択だ」
* * *
向こうから爆発音が聞こえたのは皆で出来るだけ遠くに退避していた正に丁度その時だった。
「ぅわ!」
放物線を描きながらマツシロさんの体がこちらに大きく吹っ飛んでくる。
「ホラ頑張れ!!」
その背中を片腕で受け止めてやり、剣俠鬼が向こうに戻すように飛ばした。
勢いを背に受け、ロケットのように戻っていく。
「……まずいな」
向こうの爆炎を見てナナシが眉をひそめた。
「何が起きたの!?」
「分かんない。けどあの三人だけに任せておくのは賢明じゃない」
「え、か、怪異課、だよ? 神様と天使と悪魔だよ?」
思わず声が裏返る。
「一回奴は神様の
「……!」
もう声が出なくなった。
「トッカ、行こう。援護を行わないと」
「分かった」
「水神と金花も付いてきてくれる? 回復と強化、及び援護を行って欲しい」
「分かったわ」
「頑張る……!」
「お、俺は!」
ナナシの肩を掴んだ。手は震えるけど、ここで何もしないのは何か、何か違う気がする。うまく言葉には出来ないし、焦るばかりで若しかしたら足手纏いになるかもしれないけど……。
「和樹、君はここに居て」
「おっ、俺もッ! や、無力だろうけど何か、何かは出来るよ!」
「違う。全滅を避ける為に君はこいつらと一緒に行動して」
「こいつらって、お前なぁ」
斧繡鬼が不服そうに言うけどナナシは聞かなかった。軽口返事すら返さない。
事の重大さに焦りが更に募った。
「何で!」
「天国直属の攻撃特化型の神がこんなに押されてる。それだけでもう奴のヤバさは分かるでしょ? ボクらが加勢したところで勝てる保証は無いんだ」
「そん、な」
「でも死神の総大将の一人娘がアイツの手に落ちたらそれこそ百鬼夜行の再来が起きかねない」
「……」
「だから君にはもしもの際の仲間の回収を行って欲しいんだ。和樹、これを」
言いながら胸ポケットに入っているアクアマリンの宝石を取り出した。
「俺の宝石?」
「覚えてくれてたんだね」
柔らかく笑む。
「もしもの時はこれで通信する。その時いつでもボクらを回収できるように待機していて」
「召喚でこっちに退避させれば良いんだね」
「そーゆーこと」
そっと握らせてきた。
動悸が嫌でも早くなる。
怖い。
「大丈夫。無駄だと分からせるんだ、きっと出来る」
「でもきっとでしょ?」
「やらなければ結果は付いてこないよ」
「ん……」
不安で俯いた頬をナナシがそっと撫でた。
いつもの自由さからは全く感じられない優しさ。
ふと真面目な顔になった。
「黒耀が怖がってるんだ。今度こそ食べられちゃうかもしれないって言ってる」
「……」
「アイツのこと、守るって決めた。約束した。だからボクは抗う」
「ナナシ……」
「和樹。君も守りたいんだよ、我が儘でごめんだけど」
瞳が真っ直ぐ覗き込んだ。黒耀よりかは少し濁っていることが最近分かってきた彼の黒真珠の目。
そこにぼんやりながら光が灯り、訴えかけてくる。
気付いたら頷いていた。
――彼を信じよう。
無力な俺の、
「絶対帰って来てね、それだけ約束しよう」
「分かった、必ず」
ぎこちない笑みを口元に浮かべる。
「行ってくるからね」
握った手がほどけた。
そのまま彼は仲間と一緒に彼方、轟音のする方へと走っていった。
残ったのは手の上でちらちらと輝く一つのアクアマリンだけ。
「シュウ、キョウ。姫、どうなっちゃうの?」
目を潤ませたお姫様が斧繡鬼の手で目の辺りを擦る。
「大丈夫です、姫様。私達が必ずやお守り致します」
そうやって慰められても背中をさすられても、体はずっとずっと震えたままだ。
――どうしてこんな事に。
顔をしかめずにはいられなかった。
ふと二人が顔を見合わせ、小さな声で話し合う。
「シュウ? キョウ? なぁに? 教えて、教えて」
小首を傾げて情報の共有をねだったが聞き入れられない。
不安げにこちらを見たりきょろきょろしたり。落ち着かない様子。
それにようやく答えられたのは暫くしてからだった。
「お嬢。そこのはらい者と一緒にこの空間から逃げ出すんだ」
「――え!?」
肩を抱かれ言われた台詞に目を丸くする。
「シュウとキョウも一緒じゃないの?」
「奴らの援護だけでは足りんだろう。俺らも行くことにした」
「駄目よ! さっきあんなに酷い目に遭ったじゃない!」
「……」
「お願いどこにも行かないで、ずっと一緒に居て! お願い、お願い!!」
二人の着物を掴んで泣いて離さない。
その言葉の裏側を悟って心がきゅうと締め付けられる。
「大丈夫。あっこのはらい者が一緒に居てくれる」
「やだやだやだ、姫は二人と一緒じゃなくちゃ嫌!!」
「お嬢、言う事を聞いてくれ」
「やだやだやだやだやだ!! あーん、やだやだー!!」
「お嬢」
重苦しい不安に耐え兼ね、ごねるお姫様に対して彼らは至って冷静だった。
とめどなく流れ落ちるその綺麗な雫を残らず拭い、抱きしめる。
背中をとん、とんとリズムよく叩いてやり、大丈夫大丈夫と繰り返した。
俺達に襲いかかったあの姿勢からは全く想像が出来なかった優しい表情にまた胸が締め付けられる。
今から彼女を独り置いて、二人は命を賭した戦いに臨むのだ。全く実力計測不能の、最悪な相手の元に。
彼女を守る人員さえ最大限に削って。
「大丈夫の魔法」に気持ちが落ち着き、泣き止んだお姫様の瞳を斧繡鬼が再度しっかりと覗き込んだ。
「良いか、お嬢。この空間を無闇やたらに断ち切ると外の世界の方に危害が及びかねない。更には人ごみに紛れてお嬢を攫おうとする可能性すらある。そん中でやられればもう俺らには手の出しようがない」
「そんな! 怖いよ!」
「大丈夫、話を聞いて。そこでだ、はらい者とお嬢の二人でこの世界の出入り口まで走って二人だけでまずは退避。そのまま俺らが確保した隠れ家まで案内してやれ。あそこなら結界が張ってあるからそうやすやすとは入ってこれまい」
「うん」
「出入口がどこにあるかは分かるよな?」
「大丈夫だよ、姫、ここのゴシュジンサマだもん」
「よしよし、良い子だ。出たら直ぐにこの空間の出入り口を完全に塞ぐ。そして誰一人としてここから出すな」
「そしたらシュウとキョウはどうするの!?」
「だぁいじょうぶ。ちゃんと考えてあるから」
「死のうとかそう言うのは考えてないよね!」
「ばぁか、それこそ死んでもするか。こんな可愛いお姫様置いてどっか行くなんて俺の方から願い下げだ」
「全くの同意」
剣俠鬼の圧が凄い。
「そしたら和樹は問答無用でその札から仲間を全員召喚。俺らはお嬢に一瞬だけ出入口を開けて貰ってそこから脱出。これで行こう。通信は使えるか? お嬢」
「使えるよ」
「よしよし。俺らが良いって言ったらぱっと開けてぱっと閉めるんだぞ、約束」
「うん!」
「練習しとくか?」
「大丈夫だよ!」
「よし! これで完璧だな!」
「うん!」
「それで閉じ込めるの?」
俺の問いに斧繡鬼は静かに頷いた。
「交代で異空間の保持をこの三人でやる。ちょっと疲れるが……真逆何も食わずに生きれはせんだろう」
「無限の闇に閉じ込めてやりましょうね、姫様」
余裕のある笑みで楽しそうに剣俠鬼が言う。
それにほんのり安心。
「これなら皆大丈夫?」
「あの天国組は俺らが一緒に回収してやろう。だから全員大丈夫だよ」
「良かったぁ」
満面の笑みを花咲かせたお姫様に斧繡鬼も負けじと満面の笑みを返した。
かなり気持ちに余裕が出てきた。
気になる事とか聞いてみる。
「天国組?」
「怪異課のことだよ」
「なるほど……あ、でも待って。計画の事については?」
「お前達が無事に脱出でき次第、全員に順次報告する」
「分かった」
「よし」
真剣な顔で頷き合った。
一世一代の勝負。緊張するけどさっきよりかは怖くはなかった。
「はらい者」
剣俠鬼が真剣な顔でこちらを見る。
「姫様を頼みます」
「死なせたら承知しねぇ。萬年こちょこちょの刑な」
対して斧繡鬼は最後まで軽口を叩き続けた。不釣り合いな位の軽口を。
「行ってくる」
お姫様が静かに頷いた。
二人が並び向こうを見つめ、同時に足を踏み出した。
その直後にはそこには土煙しかなかった。
心配そうなお姫様の横顔を見つめ、肩を叩く。
「行こう、お姫様」
無理して笑みを作った。
「……腕、握ってても良い?」
「良いよ」
小さな柔らかい手が腕に巻き付く。
* * *
「クソ……クソクソクソ、クソ!」
青い血を口から零しながら爆発により瓦解した岩に手をかける。
自分の腹に乗っかっている物が一番大きかった。
向こうではサイジョウとマツシロが懸命に刃を振るっている。
「ガ――アアッ!!」
どうにかどかして目標に真っすぐ飛んで行く。
黒魔術と疾風が激突した。衝撃波がいつかのように地面をかち割る。
「この、化け物めが!!」
「どうして陰に攻撃能力が無いって思ってしまったんですか?」
「思ったことなんざ一瞬も無い!」
弾き合ってまたぶつかった。
皮肉と悪口雑言塗れの会話だけは止まらない。
「ふーん。と、するとかなり初歩的過ぎるミスですねぇ? 飛び込んで来たりするから、そんなに内臓を損傷するんですよ? そんな事も忘れちゃったんですか? アラアラ老けましたねぇ」
「アンタよりは若いかもな」
「見た目ではこっちの方が若い癖に」
「はは……神様相手に皮肉は楽しいかね? 死にぞこないのアンデッド風情が」
「楽しいですよ、無知な人に色々教えてあげるって」
「良かったじゃないか。今とっても腹立ってるから成功してるな」
「ごもっともですね」
そう言ってクスクス笑い出す。
――戦闘中だぞ?
また苛々した。
「気分が良いから特別に教えて差し上げましょうか――これはお友達の皆がくれたチカラなんですよ、だから素敵な力を持っていて当然なんです。嗚呼、素晴らしい! 世界に感謝ですねぇ」
「奪ったの間違いじゃないのか?」
「ハ、何を馬鹿な事を」
一瞬。一瞬だが蛇の瞳がこちらをじろりと見た。
ぎろりではない、じろり。またはじっとり。
何故だか背筋が冷えた。
「ホラ私、新世界の主になるって言ってるでしょう?」
不意に姿を消した相手が直後自分の至近距離に居る。
「……!!」
目を見開き、琥珀の瞳を揺らした。
頬を白く細い指がなぞる。
「だから皆が付き従ってくれるんです」
「貴女も悪口から卒業していい加減楽になってはみませんか? 余りに目の前の敵が強くて困惑しているんでしょう」
「そん、な、事……」
意識で必死に抵抗する。
それでも体が動かない!
まずい!
「はい、お口を開けてください。今から新しいチカラを授けてあげますからね。はい、あーん」
口に指を差し込まれ、無理矢理開けようとしてくる。
ヤバい……!!
冷や汗が噴き出した。
――と。
蛇の瞳がきょろりと横を見る。
フウをその場に残し、退避。力の入らない体は自由落下。
そこに陰で出来た大きな龍の頭蓋が「空間」を捻じ切って出現。それまで彼が居た場所を喰い荒らし、風神を支配から解き放った。
しかしいざ解き放たれても遅すぎだ、地面にぶつかる――!
――と思ったところで頭蓋の主が風神の腕を地面すれすれの所で掴んだ。
「間に合った?」
「座敷童か!」
「他に誰がいんの」
「あ、いや」
「言う事は?」
「……?」
「言う事」
「あ、りがとう?」
「うむ! よろしい!」
満足そうにえっへんとか言い出す。
……ナルホド、コイツはアイツの関係者だ。
その時。
「危ない!」
水神の水流が音もなく二人に近付く影を遮った。逃げた影をトッカが追う。
それを境に散り散りになって、次いで構え、そのまま逃走劇を展開する二人に接近した。サイジョウとマツシロも合流する。
背後からの攻撃を全て避けつつ、黒魔術師は腹をこちらに向けた。
黒い炎で瞬間こちらに接近し、混戦となった。
多勢に無勢という諺があるが、現時点ではまだ相手にその色は見えない。
余裕の二字。全く実力が計り知れない。
――と、そこに遠くから迅速で何かが突っ込んできた。
並んで振るっているとは到底思えぬ巨大な武器が二つ。
鷲の瞳は一直線に黒魔術師一体のみを見つめていた。
「
頬に煤を付けたナナシが興奮気味に小声で言った。
瞬間、戦闘狂モードのスイッチが入る。
絶大な力を有する我がご主人。しかしてそこに忠心の入る隙間など存在しない。
「中身を見セテぇ! ヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
雷神の太鼓のような魔法陣が背後に浮かび上がった。
上半身をくねらせるようにして一頻り笑い暴れた後、両腕をまるでエンターティナーのように大きく拡げた。
直後、背後から無数の陰が弾幕のように主に襲いかかる。
受け止める主本人は軌道を読み取り全て涼しい顔で躱したが、それをやってのけたのは勿論彼だけではない。
戦闘一族死神の最高幹部、その二人が追撃の為に自ら弾幕の中に飛び込んだ。
瞬間、初めて黒魔術師が焦った顔を彼らに見せる。
視認して剣俠鬼は陰鬱なる興奮を孕ませた表情で一点を見つめた。
今度こそ外すものか。
電撃の稲光を纏った刀身を振るい、いつもの雷撃を飛ばす。
斧繡鬼がそこに飛び込み、逃げ場の狭められた魔術師の腹を斧で掠めた。反撃しようにも今度は滝のような水柱が遮る。
しかして鬼には何も当たらない、何もかもが見えている。
妙技。
また叩き込む。
――あの時。一人では駄目だった。
――なら二人だ。
小さき姫を原動力に二人、この解に頷き合った。
常時行動を共にするこの二人はお互いの次の行動が通信を介せずとも分かり切っている。
癖、思考、嗜好、戦闘パターン、特徴。全てが体に染みついていた。
攻撃を躱し、背後に回る。直後服をむんずと掴んで時間を置かずに剣俠鬼の元へ飛ばす。
待ち構えた剣俠は喉目掛けて刃を振った。瞬間移動で彼の背後に回るも、既にそこは背後ではなかった。正面である。
激突。
死神の登場によりじわじわと相手が押され始めている。
この機会、逃さでおくべきか!
全員が同時に思考、一気に飛び込んだ。少しずつ空間の隅へ追いやる。
ナナシが一迅、集団の前へ出た。
飛躍、そして打撃。
地面に打ち付けられた拳が地面に、直線状に陣を展開する。
陰が再度無数に出現。
彼の手足に巻き付き、固定した。
「……!」
無言で驚愕の表情を浮かべ、引きちぎろうと腕を無理に引く。
「サセまセぇエン!! キャハッハハハ!!」
綱引きでもするみたいに術を纏う両腕を真似して引く。
「でかした!」
「良い子だ!」
風神と死神二体とが跳躍。とどめの一撃の準備を空中で開始。
抵抗せんと黒魔術師が周りに出現させた魔術の卵をトッカが「流水穿敵」で全て潰した。
集団と個人の、最後の激突。これこそ正に多勢に無勢。
万策尽きたる魔術師、苦悶の表情を浮かべた。
「フィニーッシュ!!」
興奮したように風神が大声で叫んだ。
「――って、思ったでしょう?」
脳内に滑り込んでくるその声に座敷童の頭が痛んだ。
目を見開く。
「甘いんですよ、何もかも」
時の止まったモノクロームの景色の中、彼のみが笑む。
唯一それを視認できた座敷童は返すこともせず、一つの言葉を声高に絶叫した。
「総員、止まれエエエ!!」
突然。
それはこの二字だけで八割方説明可能。
柔らかな地面が地割れを起こし、黒い炎をその割れ目から噴き上げた。
ナナシの言葉に急停止したから良かったものの、そのまま突っ込めば彼の生贄となる所だった。
だからと言って今は良い訳では無い。
寧ろ最悪。
その場の環境としては乾燥しきって地割れを起こした砂漠を思えば良い。あの数多の歪な円に数人ずつ分かれ、その集団が狭いその範囲に固まって立っており、それを黒炎が囲っている。
集合して攻撃を放とうとした為に起こった悲劇。
黒炎が粘り強い炎である事は前述したとおり。ナパーム弾を思えば良い。あの火薬から生まれた炎は水をかけても簡単に消えはしない。
彼らに与えられた唯一の対抗手段として「疾風」で吹き消すというのがあるが、環境が何せ最悪。
高い炎の壁に阻まれた彼らは誰が隣の炎の部屋に囲まれているのかを知る事が出来ないのだ。
疾風を吹かす事の出来る人員は現在二名、剣俠鬼とフウ。だが、彼らがその風で吹き消した際に隣にいるかもしれない「誰か」が横になびいた炎で犠牲になる可能性がある。
かといって垂直に飛翔、回避も無理だ。
天空を舐めるように揺れる炎に当たらずに、更にその際の風圧で誰にも被害を及ぼさずに全員が回避する事など不可能。もっと言うと飛翔の出来ない奴もいる。
要するに全員が早急に脱出するには多大なリスクが必須なのだ。
お互いが無事を確認し合いながら、現状を把握し合いながら以上の点を悟った。
残る道はもう「威力減衰を待つ」しか残されていない。
しかして何を燃料にこれが燃えているのか分からぬのに、その時が来ることを果たして誰が信じられようか。――要するに彼の意志でこれが燃えているのだとすれば、この炎は永遠に消えない可能性すらあるのだ。
「ナナシは同じ黒炎出せるんだろ!」
「出せるけど、だから何!」
「操ったり、すり抜けたりとかできんのか!」
「馬鹿!! 火炎放射器を自分が操ってるからこの炎は自分には無害とか思う奴がどこにいんだよ!! それと同じですぅ!」
ぐうの音も出ない。
「どうすれば……」
剣俠鬼が親指の爪を噛んだその瞬間、はっとなって隣に居る斧繡鬼の肩を掴んだ。
「姫様は!!」
慌てて二人で彼女の居る場所を通信を使って確認する。
――まだこの中!!
その時、頭上を黒魔術師が飛翔し、横切っていった。
「姫様ァ!!」「和樹、回収!!」
通信に二人同時に思い切り叫んだ。
魔術の妨害が働き、その声は届かない。
* * *
「あ! 見えた、あそこ! 分かる?」
「あ、あの濃霧だね!」
「そうなの! よく知ってるわね!」
「君んとこの用心棒が教えてくれたんだよ」
「へぇ! 二人の内誰――」
そこまで二人で会話した時だった。
ゴウッ!
広範囲を囲うように黒炎が円状に燃え、直ぐ目の前で立ちはだかった。
「きゃあああ!」
見たことのある悪夢にお姫様が絶叫する。
直後。
後ろで気配がした。
お姫様を背中に回しながらゆっくり振り向く。
そこに居たのは、矢張りその人。
「お姫様ァ……また会えましたネ」
「ベゼッセンハイト……」
二人だけど……どうしよう。
――、――。
「ナナシ、ナナシ」
お姫様を背中に庇いつつ宝石に小さく呼びかける。
しかし返事が全くしない。
――真逆? ……や、そんな、う、嘘だよね?
思うとぞっとした。
でも、そうだよ、そうなんだよ。
じゃないと目の前にこいつが居る訳無いんだ。
喉をごくりと鳴らした。
どうしよう!
「ねえ、はらい者! シュウとキョウは!? シュウとキョウは!!」
「わ、分かんない!」
「彼らなら今の所無事ですよ」
すっかりパニックに陥った俺らをからかうようにそれだけ言った。
「今の所? どういう、こと」
震える足を必死に抑えながら強気に出る。
お姫様は俺の背中に抱き着いてしくしく泣いていた。
怖い、怖いと繰り返して止まない。
頑張らないと、頑張らないと……!
恐怖心をぐ、とこらえた。
「簡単です、いわゆる人質というやつです」
「人質?」
「ええ、人質です。今彼らの命を掌握しているのは何を隠そう私なんです! あは! 優越感!」
最悪の単語が漏れ出た。呼吸が早くなる。
「彼らを殺すも生かすも私次第! ――あ、否、違いますねぇ」
興奮したように言った後、わざとらしく前言を撤回する。
「お姫様次第、ですね」
にこやかに言う。
質が悪過ぎる。
「お姫様がこちらに来て下さればもう貴女様のお仲間にちょっかいは出しません。その代わり私を愛して下されば他に欲しい物なんて無いんですから」
手を広げながら歩み寄って来る。
「いやあああ! いや! いや!!」
「い、いいい、嫌がってるだろ!! 来るな!!」
お姫様の腕を引いて一番遠い距離を保つように移動する。
それでも最短距離を常時突いて、奴はどんどん迫ってきた。
「これからの暮らしについて考えてみましょう、お姫様。無理してお勉強なんかしなくても良いんですよ」
「お菓子をたくさん食べて、美味しい物いっぱい食べて。いつもお腹いっぱい」
「遊びたいだけ遊んで、綺麗なお召し物に身を包み、花畑の真ん中で野花を摘んでその芳しい香気を鼻に含むんです」
「夢の様ですよね」
「良いですか? 私はお姫様に幸せになって欲しいんですよ。ほんとですよ?」
「だって、愛しているのだから」
そこまで奴が恍惚たる表情で言った時にはもうかなり隅の方まで追いやられていた。
お姫様は俺の背中を強く強く抱き締めて奴の視界に入らない様に必死だ。
俺だって必死。でも走っても走っても何故かその先に奴がいる。
焦った。
冷や汗がどっと吹き出す。脇から直線を雫が垂れた。
――その時。
逃げた先に奴が待ち構えていた。
「……!!」
慌てて方向転換しようとしたけど時既に遅し。
お姫様の腕が掴まれた。
「きゃああああ!! 放して!!」
「お姫様、仲間を救いたいなら私と来て……」
「あああ、ああ!! ああああ!! ヤダアア!!」
離れない様にと俺の体を力いっぱい抱きしめる。だけど相手の方が何十倍も力が強い!
怖い、怖い、怖い、怖い!!
どうしよう! どうしよう!!
「や、止めろよ!! お、お姫様が! 怖がってる!!」
「オイデ、オイデ、オイデ……」
「はっ、話を聞け!!」
お姫様の腕を掴むその手に勇気を出して手をかけた。
初めて奴がこちらをじろりと見る。
その視線にぞわりとした。黒耀達が体を乗っ取られたあの事件を嫌でも思い出す。
でも首をぶんぶんと振って、抵抗を続けた。
だって、守ってやらないと。もうここには俺しか動ける人は居ない……!
すると突然相手の手が伸びてきて俺の右肩をむんずと掴んだ。
直後、言葉にし辛い激痛がビリビリと走った。
「ウ……!!」
「はらい者!」
「また怪我しちゃったんですねぇ! 和樹くん!」
興奮した様子でどんどん力を込めてくる。
――いや、前回もそうだったけどさ! どうしてわざわざ掴んでくるんだよ!
「痛いですねぇ、苦しいですねぇ。気絶しそうな酷い痛みですネェ! あの時私を受け容れなかったから。まだ痛覚なんかにこうやって悩まされて」
「イタイイタイ……!」
「馬鹿みたい」
「はらい者! はらい者!」
心配してくれてるお姫様をこれ以上泣かせたくなくて、でも痛くて、思わずそこを押さえると巻かれた布越しに赤い血がべっとり滲んでいた。
お前……傷口開けやがって……!
「そうだ、お姫様を渡したらその傷治してあげましょうか!」
「ハァ!?」
「じゃないともっと酷くしますよ?」
涼しい顔でそんな事言いやがる。
ちょ、マジ勘弁してくれよこの人!
「ほら、どうするの、お姫様。コイツの傷に大事な仲間の命に」
「お姫様! 惑わされちゃだ――アアアア!!」
「はらい者!!」
口を挟むと傷口の辺りをぐりぐりと指で刺激してくる。
その全てにお姫様は物凄く怯えていた。
「自分の我が儘で全て消しちゃって良いんですか? 私だったらそんな事しませんけど」
俺の肩をいじめながらどんどんお姫様に迫っていく。
一生懸命邪魔はしたけど、殆ど効いてない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう! 本当にどうしよう!!
「でも私は知っている。貴女様は優しいお方だから、皆が救われる道を選んでくれるって」
「……」
「サ、お姫様」
「おいで。私の所へ」
「そしたら本当の本当にみんなみんな助けてあげる」
手を取れといわんばかりにベゼッセンハイトがその手をお姫様に差し出した。
させない――!
朦朧としてきた意識の底で痺れる腕を無理矢理起こし、その手に掴みかかった。
酷い痛みが更に加わった。
もう、倒れ、そう……。
――、――。
「和樹」
「何の為に貴方にこのチカラを与えたの?」
* * *
瞬間。
斧繡鬼の手に付いてとっくに乾ききっていた紅に光が灯り、強い力で弾けた。
「グア!?」
突然の出来事に思わず声を出してしまったが、その術、受けた感触に全て覚えがあった。
黒髪のさらりとした直毛。
確か二つに縛っていた気がする。
「叶歌……?」
組み上がっていたピースががらがらと頭の中で崩れ始めた。
そうしてもう一枚の絵が代わりに浮かび上がってくるような。
そんな予感を確かに彼は感じ取っていた。
確かこの紅の、持ち主は。
――、――。
同時間。
ベゼッセンハイトの体に初めて重い傷跡が付いた。
漆黒の血液が弾け飛び、感じた事の無いような凄まじい痛みがその傷跡に沿って走った。
そこに抵抗力として申し分ない術をぶつけたのは紛う方なきその少年。
瞳を紅に染め、自分の手に付いていた血液に霊感を乗せ、そのチカラを本能的に相手にぶつけていた。
――その術の歴史は古く、戦国時代にまで遡る。
自身の血液を媒介とし、自身の霊感を乗せて相手にぶつける。
そのチカラは悪しき力に対して特に強く、食人鬼に重傷を与え、特に黒魔術に対して相性が良かった。
即ち、この世で唯一黒魔術に対抗できる術の内が一。
「鬼道」。
人々はそれをそう呼ぶ。
(つづく)
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