参――秘め事と、アメジストの少女

「それで、こおろぎ……さん」

「何故一瞬敬称を付けるかどうか迷ったんだよ」

「そっちにはどんな果たし状が届いたの」

 そこでにやりと一笑。


「見たい?」


「ここで見ちゃったらもう怪異課の方へは行けないけど」


 ――へ?


「え、な、何でですか」

「何でって、その時点で同盟が組まれるからね」

「同盟?」

「ああ。秘密を知り合った仲だから、そういう時は反社会的になるろが良くって」

「……何ですって?」

「らからー! 英雄はあっ、この胸にぃ、今も住んでおりぃ!! いっく!」

「……」

 ――いや、やっぱり酔っぱらっとるやないかい! 酔わないだとか素面シラフだとか言ってたのはどこのどなたで御座いますか!

 ちょっとどきっとして損した!

「トッカ……こういう時どうすれば良いんだろうか」

「腹パンっ! 色々出て来るよ!!」

「ナナシ君はお帰り下さい」

「うーん」

 トッカが首を捻りながら、机に遂に突っ伏したこおろぎさんの横におもむろに立つ。

 そしてその瓢箪の口を彼の頭の方に向けた。


【滝行】


 ざんばっ!

「うわわわわわ!!」

 頭目掛けてどこからともなく出てきた大量の水が降ってきた。その様子はまさしく滝行。頭だけをピンポイントで狙うとは! 是、正に妙技! ――とか言ってる場合じゃない! (良い子の皆は危険だから酔っぱらったお父さんを山奥の滝まで連れて行かないようにね!! お兄さんとお約束だぞ!)

「だッ、大丈夫ですか!?」

「うっわーっ! びっくらこいたーっ! 一瞬あっちの岸でおいでおいでしてる死んだ婆ちゃんが見えたーっ!!」

 命の危機じゃん!

「で? 何の話してたんだっけ? 俺達。っていうか?」

「え、えっ!? 貴方から絡んできましたよね!?」

「そう、だっけ?」

「ぐ……朝っぱらから中学生の前でボトル一本ラッパ飲みしてた癖に!」

「誰がそんな事を!」

「アンタだよ!! こおろぎ!!」

「な、何故俺のあだ名を!!」

「……」

 もっと言ってやろうとして息継ぎしたところで何だか馬鹿々々しくなってきた。

 な、何だろう。色々信じられなくなってきたぞ……。

 あ、心が。心が苦しい。

 この酔いどれ親父、誰か何とかして!


 * * *


「あはははっ!! ワリィワリィ! 一分前辺り位から記憶がねぇんだわ」

 タオルを首にかけ、顔を拭き拭き豪快に笑う。

「都合の良い事言っちゃって……」

「それで、果たし状の話だったな! ……濡れて破れてないかな」

 そう言って懐からかさりと折り目の付いた紙を一枚取り出した。紙は無事らしい。(髪は無事じゃない)

「ホラ」


 ――、――。


 長良大輔殿


 コノ五日ノ内ニ於テ貴殿ノ命、頂戴セン

 準備サレタシ


 死神


 ――、――。


 あれれ。

「……同じだ」

「ん、どれどれ……?」

 興味を持ったこおろぎさんが身を乗り出してくる。

 伏し目がちにして、サングラスを外し、すらすらと読む。

「本当だ、同じ」

 二枚見比べ、重ねたり透かしたり。

「ただコピーしてる……って訳でも無さそうだし、隠しメッセージが含まれているって訳でも無さそうだし、並べても何もおかしい所とか無いし……」

「とすると差出人は同じで……かつ、この二人が会う事を想定していないって事か?」

「そうとは言い切れないけど……まあ一理あると思う」

 黒耀が顎に手を添えて目を瞑った。

「……あぶってみるか?」

「止めろ止めろ、この紙だと燃え尽きる」

「細工の跡もないよ」

「じゃあ……ブラックライトとか」

「こんな達筆で? わざわざ近未来と古風をかけるか?」

「じゃあ鉛筆で満遍なく塗りつぶしてみる!」

「嗚呼もうやめやめ! やめだ! そもそも果たし状は果たし状であって暗号とかそういうのじゃないんだから、そういうの見出そうとするだけ無駄だ。そこに事実があるだけ。――つまり気まぐれにやって来て君達二人をぶっ殺すよ! って意思表明しただけ。良い? この文はそれだけだ」

 乗り気になってきたこおろぎさんを黒耀が冷静に止めた。

「偉く軽いノリで物騒な事言うんだな、こいつら死神達

 頬をぶうと膨らませながら不服そうにぽつんと呟く。

 暗号要素の可能性が無くなって急に意気消沈したみたい。――って子どもか。

「っていうかさ。そもそも何で俺達? そこを知りたい訳よ、俺は!」

「だから絡んできたんですか?」

「あったりまえのこんこんちき!」

 机をばんと叩いて身を乗り出す。

 近い近い、酒臭い。

「うーん、共通点は『はらい者』の家系の出であることだが」

「問題はそれだと何故他の人にも届いていないかって事だね」

「それ以上の何かがこいつらにはあるって事だが……ぱっと見共通してるのは茶髪って事だけなんだよな」

「あと男」

「……でもそれだと」

「他にもそう言う人ははらい者の家系にいっぱいいるので決定的な証拠にはならない」

「何故今なのかというのも分からないし」

「逆に何故過去にそういうのが無かったかも分からないし」

「「詰みだー」」

「おいおい、人様の命がかかってんだ。簡単に詰むな詰むな!」

 慌ててこおろぎさんが言った。

 そこだけは同感! 俺も真似して机を叩き、そうだそうだと口をそろえた。

「あー、こういうとこ? 共通点って」

「んな訳ねぇだろ。人間なんて全員自分の命かかったら途端に焦るモンなんだよ。何せ簡単に死んじまうんだから」

「おいおい、急にドライだな!」

 妖達とはこういう点において上手く分かり合えない。寿命が長いって良いんだか悪いんだか。

「ああ、こうなりゃヤケだ! 生まれた後からこの瞬間までの秘密から経歴から好きな人から何から何まで全部暴露しろ!」

「なるほど、それは名案だ」

「「えええええ、やだあああああ」」

「煩い! 文句垂れるな! まずはそっちの髭! バッタからだ!」

「こおろぎだ!」

 ぎゃうぎゃう喧嘩しだす。

 自身の秘密を守ろうと必死だ。

 と、そこに割り込むようにとんとんとこおろぎさんの肩を黒耀が叩いた。

「良いよ良いよ。喋る気が無いならこっちが『記憶の宝石館』の店主特権使って記憶を何から何まで覗き見てやるから」

「ハァ!? いやいや、無理無理無理、そんなにやにやした顔で言われちゃったらもっと無理!」

「「じゃあ吐け!」」

 迫った二人にたじたじして遂に突っ伏してしまった。

 やだよぉやだよぉと小さな声。今彼は命と羞恥心とを必死に天秤にかけているに違いない。――って命と比べる程の何を隠してるの、こおろぎさん。

 じっと見守った。

「なあ……」

 ふと、一声。

「リスクの無いものから順番に言い合ってくってのはどうだ?」

「どういう事?」

「最初は自己紹介から始めて、経歴を秘密抜きに言ってって、んで、最後に秘密」

 か細い声の提案を示し、どう? と小首を傾げた。

 暫し沈黙。妖二人の厳しい判定が行われようとしていた。

「ほう」

 トッカがふとくちばしを開いた。

「確かに? 死神もそんな深い事情まで把握してないと思うし?」

「何より膨大な量の情報が出されたらこっちも把握しきれないしな」

「よし、その提案受け入れよう」

「お前達……!」

 それにぱっと救われたような笑顔。

 その爆発しそうな喜びを直ぐにこちら側に向けてきた。

「やったな! 和樹!! 俺の女性遍歴がバレずに済んだぞ!」

 わしっと抱き着く。そしてさっと蒼ざめた。

「ん……今、俺、何つった?」

「え、あ……じょせい、へん、れ」

「それ以上は何も言わないでくれ!」

 どうやら自分の足で地雷を踏み抜いたみたいだ。

 ……ご愁傷さまです。


「さて。気は持ち直したか」

「もう気にしない事にした」

「それは良かった」

 まだ真っ青だよ? 顔。

 大丈夫? 本当に大丈夫?

「さ。こおろぎ。暴露しろ」

「言い方考えろよ」

「早く」

「はいはい。――えー、長良大輔。職業、

「「ちょっと待て!!」」

 耳を掘りながら面倒臭そうに言った彼の言葉に被せて唐突なるストップ! 驚いた拍子に椅子からずり落ち、指が耳の奥深くまで入ってしまった。

 さ、災難続き……。

「んだよ! 俺に何の怨みがあるんだよ、お前ら!」

 目に涙を浮かべて訴える。

「や、いや、え? はらい者? どうしてはらい者?」

「はん? どうしてって、長良の一門だから?」

「え、そんなはずは……」

「何がそんなはずは、だよ」

「だって、はらい者ははず……」

「……!」

 トッカの言葉にはっとなる。

 そうだ……だから俺をトッカが急ぎだって言って迎えに来たんだ。

 そうするとどうしてこおろぎさんが今はらい者をやってるんだ?

 瞬間、疑問や彼自身への疑いといった色々な色の視線が彼に一気に注がれた。

 見つめられた彼は――何だろう、雰囲気ががらりと変わっていた。

 何というか、怖い、みたいな。

「あ、あれ……こおろぎ、さん?」

 彼はじっとこちらを鋭く見つめ、暫くしてからふと、声を出した。


「……何だ? その言い草。次郎吉が最後だ? まるでは居なかったみたいな言い草じゃねえか。それが山草か。はあ、そうか。そういうのは変わらんな」


 母さんの、名前……?

 何々、母さんに何があったの?

「今はその話じゃな――」

「どういう事ですか!?」

 眉をひそめて睨みを利かせた黒耀に思わず声を被せてしまった。

 どういう事どういう事どういう事?

 こればかりが頭をぐるぐるして収まらない。

 いきなり母さんの名前が出て来て興味ない振りが出来ない訳がない。だって物心ついた時にはもう母さんは家に居なかったから!

 何……? 俺の知らない何があるの?

「ん? お前は何も聞かされてないのか? ほうほうどこまでもムカつく家だな。事実を隠蔽か。結構なこったな!」

「え、え、どういう事。どういう事?」

「落ち着け、和樹。これには訳があって――」

「隠そうとするなよ、次郎吉の後、確かに叶歌ははらい者に就任したんだぞ!」

 しゅ、と息を呑み込んだ。

 そう、なの?

 次郎吉さんが最後、なんじゃない、の?

 ――あ、いや、でも確か岳さんは「母さんにはらい者の任を委ねた」みたいな事を言ってたような……。

 え、どっちなの?

「え? そ、そんなの聞いてないけど」

「ほら見ろこれだ! 汚ぇ家だぜ!」

「ちょっと、お前――!」


「だから叶歌は!!」


 黒耀とトッカの制止を振り切ってこおろぎさんは声高にそう叫んだ。

 目を、見開く。

「え……!?」

 死、んだ?

 母さんが、死んだ?

「お前達が、お前達が殺した癖に、事実を隠蔽する為に歴史上から都合よく色々消しやがって!」

「それは違う!」

「何が違うんだよ、河童! じゃあ叶歌が今どこに居るのか言えるのか! 直ぐに!!」

「そ、それは……」

「ホレ見ろこれだ。――ったく、勝手に嘘を捏造してんじゃねぇよ、それじゃぁ、それじゃぁ叶歌が余りにも可哀想過ぎるだろうが!!」

 こおろぎさんが立ち上がった。そのままトッカの方に怒り心頭で向かおうとしたその瞬間――!

 

「内輪もめをここでするな!!」


 掴み合いに発展しそうになったこの場を収めたのは黒耀だった。

 当人らの胸に彼の手がぴんと突き立っている。


「話を聞け。それについては和樹もアンタも納得できるようにかいつまんで話をするから、取り敢えずは席につけ」

「だがな!」

「良い? 暴力反対だよ。もし少しでも攻撃の意志を見せたら守護魔法で吹っ飛ばすから」

 鋭い眼光でお互いを交互に見て冷静さを取り戻すよう促す。

「今はその話を深める時じゃないだろ」

「……」

「……」

 こおろぎさんはトッカをじっと見つめ、トッカは地面をただただ見つめていた。

 黒耀がそのぴりぴりした沈黙を割る。

「良いか、和樹、そしてこおろぎ。数十年と言っているのには訳がある。決して叶歌の事を無かった事にしている訳じゃない。だから明確な年数を定めずに『数十年』と言っているんだ」

「……」

「はらい者として正式に活動していたのは正確には次郎吉、拓郎、叶歌だ、それは確かにこおろぎの言う通り。しかしとある事件をきっかけとして拓郎と叶歌がその職を離れた。その後から『はらい者』は次郎吉一人きりだったんだ。長良と山草で言う所の和樹のお爺ちゃんお婆ちゃん達はとっくにその職を離れている。だから次郎吉を最後に、と言ったんだ」

「……じゃあ、どうして死んでしまったの……?」

「……それはまだ君には早い。それに――色々あるんだよ」

「嫌だよ、教えてよ!」

「惑うな。早いと言ってる。今は傷を深掘りせずに単なる事実として受け止めていて」

「嫌だ嫌だ、そんなの意地悪だよ!」

「今はそれより自分の命を心配する時でしょ!」

「……!」

「惑うな。泣くなら後で泣いて。じゃないと君のお母さんが残してくれたその命や意志とか、そういう色々が全て第三者の手で潰されてしまう」

「……」

「それを叶歌は望んでいないよ、きっと」

 目が覚めたような気持だった。

 そうだ……今はそれ所じゃないんだ。

 はらい者って、こういう仕事。

 何だか、胸の辺りが重たい。

 ぐ、とこらえる。

「それにこの話を逸らしたのはこおろぎだ。叶歌よりもアンタがどうしてはらい者を名乗っているのか聞かなくちゃならない」

「……」

「改めて聞くよ、どうして『はらい者』と名乗っているの」

 静かな時間が流れた。

 さっきまでの怒号が嘘のように彼は落ち着き払っている。

 ぽつ、と呟いた。

「……アイツが死んだって分かってからさ、彼女の意志を受け継ぎたいって思ったんだ。だからはらい者になりたいって親父に言った。そしたら馬鹿な事言うんじゃねぇってさ、ここ、殴られた。――けんかっ早かったのよ。親子揃って」

 右頬を人差し指でとんとんと突いて、寂しそうに笑む。

 濡れた前髪をかき上げて上を向き、隠れていた右目をふと露にした。

 そこには右目を貫くように額から頬まで縦線の古傷が走っていた。

 ふと、息を呑む。

「生半可な気持ちで勤まる仕事じゃねぇ、だってよ。まあ、常日頃からこんな風に素行が悪かったから仕方なかったんだろうけどさ、流石にその時は頭にきて。なら自称してやる! って家を出たって訳。要は縁切り、勘当。笑えるでしょ」

 ははっと笑った。そこにさっきの怖いこおろぎさんは居なかった。

「それ思い出してかっとなっちゃった訳。ごめんな、河童。八つ当たりして」

 そう言って優しく皿を撫でた。

 トッカはいや、大丈夫、とだけ呟き、また申し訳なさそうに俯いた。

 ちょっと、気まずい。

「さ! 気を取り直して話まとめるよ!」

 黒耀が手をぱんぱんと叩く。

「取り敢えず分かった事。二人ともはらい者の仕事をしているって事。そして長良叶歌に何かしらのルーツがあるって事だけど……そこまで彼らが考慮しているかどうかは謎。ここまでは良い? ――ってほら、シャキッとしろ! 今お前達は命狙われてるんだぞ! さっきみたいな馬鹿になれ! 後ろに立たれたら今のままだとさくっと殺されちゃうぞ! そん時は助けないからな! シャキッとしてる奴だけ守ってやる!」

 俺らの頬を順番に物凄い勢いでぶっ叩いてくる。

「いってえよ! だから俺に何の怨みがあるんだよってば!!」

 涙目になったこおろぎさんの声でその場に笑みが戻った。

 今は忘れよう。ちょっと、辛いけど。

 きっと、こおろぎさんは母さんの事が好きだった。

 それだけでも、朗報。

「それじゃ今度はそこを深掘りするよ。最近はどんな仕事をしてたの?」

「最近は仕事なし。おちゃけ飲んでまーした!」

「可愛くないからね」

 自分の前でハートマーク作ったこおろぎさんに黒耀が思いっきり嫌な顔をしてツッコむ。

 だからそんなに露骨に嫌な顔をしなくても……。

 そう思った矢先、こおろぎさんがあ、と声を漏らした。

「――あ、でも……ちょっと前……」

「「ちょっと前?」」

「アメジスト色の髪の綺麗な女の子が……」

 その時、俺の服の裾をくいくいっと引いた小さな感触があった。

 気付いてそちらを向くとの小さく可愛い女の子が上目遣いでこちらを見上げていた。


「私と遊んで?」


 * * *


「――え?」

 そう言った少女の瞳は大きく、星の様に瞳がちらちら煌めいている。それも綺麗なアメジスト色だった。

 艶やかな髪はおさげに纏められていて、服は黒色のお洒落なワンピース。何だかお上品。

 そんな子が、俺に何の用?

「え、あ、迷子?」

「ああ、そうそう。この子、この子」

 こおろぎさんがひょいっと首を伸ばしてその子に向かってふらふらと手を振った。

 それを見て彼女はほんわりと顔をほころばせて返すようにひらひらと手を振った。

 ――可愛い。

「じゃあ私と遊んで?」

 先程よりもっと瞳を煌めかせてもっと服の裾を引っ張る。

「ごめんな、お嬢ちゃん。今おじさん達はド真面目な話し合いの途中――」

「えいっ!」

「あ!」

 瞬間、俺の肩掛け鞄をひょいっと取り上げ、向こうに逃げ出した。

 え!? ちょ、どうやって!? っていうか、それより何してんの!?

「えあ! ちょっと! それ大事な物!」

「鬼さんこちら! 手の鳴る方へ!!」

 そう言ってぱたぱたと走り去ってしまった。

 きゃっきゃとはしゃいで楽しそう。こっちは楽しくないのだが!?

「ま、待って!」

 慌てて追いかけた。

 彼女は器用にすいすいと道を右に左に、障害物も何のその。

 どんどん距離を離していく。

「ちょ! え、速いん、だけど!」

 幸いはその綺麗なアメジストの色がよく映えていて、遠くからでも分かるという事だけ。

 速過ぎて全然追いつけない。

 人にぶつかりそうになるとこちらをじろと見て来るのでスピードも出しづらい。

 そうやってのろのろ走ってる俺に黒耀がふと一喝。

「ちょっと、和樹遅い! 僕の背中に乗って!」

「え!? 良いの!? ――あ、いや、でもそんな事してもらう訳には」

 不意に羞恥心が囁き始めた所でまた「馬鹿!」と怒鳴られる。

 思わず肩をすくめた。

「意味のない葛藤を繰り広げている場合か! あれそのまま盗られちゃったら僕らを呼び出せなくなるんだぞ!」

「ちょい! あんな可愛い女の子に対して『盗る』とか言う単語を使ってんじゃねぇ! ああいうのはな、『その御手々で軽やかにお持ちになり……」

「アンタは話を逸らす天才だな! こおろぎ!」

 その間にもどんどん離される双方の距離。

 観念して黒耀の背中に乗った。

「ごめん、お願い!」

「任せて。じゃ二人とも、また後で!」

「わ、分かった。直ぐに追いつく」

 ふわりと飛翔し、直後ぐんとスピードを上げた。

 ゲームみたいにすいすいと道端の障害物を避けて彼女との距離をどんどん詰めていく。――凄い。

 背中がどんどん大きくなってきた。彼女がびっくりしたようにこちらを向いた。


 後もう一息!


 手を思いっきり伸ばし……!


 と。


「危ない!」

 突然黒耀が身を反らし、ぐるりと体を転がした。

「うわわわわわ!」

 地面に思いっきり体を打ち付けてごろごろと一転二転。

 その地面が柔らかかったおかげで何とかなった……。

 ん?

 地面が、

 アスファルト、だよね……?

 あれれ。

 手に着いた苔むした土を見て呆然。

 あ、あれ。

 そこに黒耀が寄ってきた。

「大丈夫? 和樹……」

「う、うん、何とか。それにしても、どうしたの?」

「木がいきなり目の前に現れてさ、余りにも突発的だったからちょっと驚いちゃって」

 すまなそうに頬をかきかき、言った。

 ? 明治街のここいら一帯にスピードを出してる人がびっくりする程木が生えてる場所とかあったっけ?

 そう思ってふと周りを見て仰天。

 ――え、どこ。

「おい! お前ら大丈夫か!」

「あ、う、うん」

 次いでこおろぎさんとトッカも追いついた。

「あ、ほら。和樹、肩掛け鞄」

 そこら辺にある木の枝にかかっていた鞄をトッカがひょいと取り上げた。と、ふと違和感を感じたらしくきょとんとする。

 色々な違和感に次第に周りも気付き始めた。


 いつの間にか周りは木がまばらに立つ、夜の森と化していた。

 大きな三日月が綺麗。


「な、何だ? ここ……」

「星空が綺麗だけど……さっきまで昼だったよね?」

「ってか何だこれ、一体どうなってやがる!」

 皆で思い思いの感想を述べながらこの状況を呑み込もうと必死。

 というか、何かこの展開……ちょっと身に覚えが……。

 異空間に入って……? 周りに人が居なくて……??

 何というか……ちょっと前のあの「通り魔事件」、みたいな……。


「こんばんは、皆さん」


 その途端、低い、凛とした声が背後から聞こえた。

 驚いて皆でぐるりとその方向を向く。


 その先に一人の男。

 一本の木の枝に座っていた。


 エメラルドグリーンの腰までかかる長髪、その頭にご丁寧に乗った真っ黒な中折れ帽、そして糸目の先のすらりと通った鼻筋にかけたほんの小さな金縁の鼻眼鏡。

 クリーム色の着流しを着て肩に羽織った黒く厚いコートの下からは太刀みたいなものが顔を覗かせていた。


「良い夜ですね」


 に、と笑んだ。


(つづく)

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