拾弐――蟷螂が斧

『それにしてもいつ帰ったんだ? こおろぎ』

『……ちょっと前』

『何も言わないで出ていくから心配したんだぞ? それに大変だったんだ、がさ』

『……』

『まあ、何はともあれまた顔を見れて良かったよ』

『爺ちゃんはいつも嬉しい事言ってくれるね。一番最初はあんなにしかめっ面だったのに――あ、この卵旨い』

『ははは、違いねぇ』

『……』

『な、こおろぎ。も言ってたけどな』

『……』


『和樹をよろしく頼むな』


 ――そんな事言われたってさ。


 * * *


 ぐ。

 それは本当に一瞬の、しかして唐突な出来事。


「げほっ!! げほげほっ!!」

「待っとけ……一瞬だ、一瞬だから」

 脇汗がじっとり滲んだ、心臓が跳ねている。

 跳ね、跳ね、跳ね、いや、敲いて、敲いて、敲いている――!!

 苦しい、苦しい、苦しい!!

 口が乾いて、唾液がねばねばと舌の上で糸を引く。

 緊張と強張りと、少しく混じった恐ろしい興奮で彼はもうパンク寸前だった。

 目の前で顔を変色させながら子どもが生きようとしている。

 手に幾本かの青が細く滲む。

 何よりも、何よりもおぞましく恐ろしかったが、手は止まらなかった。


 最初からこのつもりだった。このつもりだった。

 あの夢もこのシチュエーションも全て仕組んだものだ。――話だけは全て事実だが。

 仕組みはあの時と同じである。

 ――事実程大きな足枷もそうそう無い。

 ――事実程濃密な罪の味を重ねる物も、そうそう無い。


 それにしても子どもに手をかけるとは。

 大人に手をかけるのは(本当はこんな事望ましくはないだろうが)慣れ切っており、実際機械人形に刃突き立てるのも長良のあの男子に切りかかるのにもそこまで躊躇は無かった。――いや寧ろ無に近いと思う。

 しかし子どもは……。

 とうとうここまで落ちぶれたか。弱い者いじめ程嫌いな物も無かったはずだったが。

 自分の中で不思議なほど冷静に反芻しては苦笑を浮かべる。そこに喜びの感情など微塵も存在しない。

 命令だから。

 シナリオブレイカーが子どもだと判明しても何とも思わなかったあの時。若しかするとその時点で既に自分は壊れていたのかもしれない。

 或はずっと昔。

 この傷を受け、視力を殆ど失ってから。


 否、叶歌の存在が――。









『止めて!!』









『「 」!! 痛い――!!』









 ……!!


 突然脳髄にぐわんと響いたにハッと目が覚める。

 ――何て事をしているんだ!!

 途端にそう思って自身の残酷な腕をね除けるように引こうとした。


 が、その瞬間自身の両手首を固定するが如く、黒い粘性の液体がまるで蛇のように巻き付いてきた。

「陰」だ。


「ンナ!?」

 余りに突然の出来事で、脳が追い付かなくなる。

 しかしこれを彼は確かに見たことがあったのだ。

『何故、止めてしまうのですか?』

 !!

 雑音を耳に入れたくないのに手が動かない。

 陰の粘性は人間の想像の遥か上をゆく。


『貴方を鬼に変えた張本人の末裔なのに』


『多くの命を蹂躙してきた者の末裔なのに……』


 ――ねえ? 䘀螽フシュウ


 で覗き込むその幻影は、彼を「米喰い虫」と呼んだ最初の人間。

 あの時その心を持って行かれていなければ、或は……。

 しかし今更である。


 幻影の口元がにそりと微笑んだ。

 途端、周囲の景色がモノクロームに変色し、全ての時が強引に止まる。――ナナシが使用する術と同じそれだ。


『何に、心を惑わされているのですか?』


 こうして何千回、何万回と繰り返された問答がまた、始まる。


 * * *


『何を怖がることがありましょう? たかが一つの命ごとき、貴方にとって』

「煩い、止めろ、止めろ!! これを除けろ!!」

 肩で荒く息をしながら両手首を締め付けてくる陰に必死で抵抗する。

 しかし幻影はどこ吹く風だ。にやにや笑ってはこちらをじろじろ。

 ――ここにこいつは今

 

「それ」にようやく気付くことが出来たその時には、しかしてもう遅かった。本物と寸分違わぬその存在は「それ」に気付いてしまった彼を執拗に追い立て回す。

 常に恐怖心と共に旅をして、彼を取り込もうとする。

『貴方はこの子どもの家の為に散々な歩み痛みを強いられてきたのでしょぅ?』

 砂糖よりも甘ったるくねちっこい、鼻につくような嫌な声。

『鬼にされ、仲間から猜疑のベクトルを向けられ、奴隷にされては主人を失い、卑劣な行為に眩暈を覚え、トラウマを植え付けられた』

 背後から細く冷たい五指がゆっくりと鬼の顎を撫でる。

『幸せな事が一つも存在しない。復讐を遂げるなら「今」じゃないですかぁ』

 その導線は首筋を這い、胸元に滑り込み心臓を欲しがってくる。

『黄泉様はこの子どもの心臓をご所望です。貴方は賢い。真逆「呪術的食人」の事を知らないなんてことは……ありませんよねん?』

 もう一方の人差し指は構って欲しそうに頬を叩いた。

 ひたすらに甘い甘い、甘言がひっそりと耳をこしょぐってくる。

『貴方が救いたいあの少女の命を奪った家の子』

 はー、はー。

『殺せばこの家の血が絶える』

 はー、はー。

『仇が打てる』

 ぐ。

「煩い煩い!! いい加減にしろよ!!」

 絡みつく体を思い切り跳ねのけた。

『……ほう?』

「もう、何回も何回も……止めてくれ……! お願いだから!」

『……』

「こんな方法での命の奪取は本来認められていない!」

『しかし今なら認められている』

「……!」

「……知ってる」

『勿論、

「……」

 きっぱり言った彼は口元の微笑を広げ、鬼の口元に指を滑らせてきた。

 すっかり汗ばんだ体を這う恐怖とおぞましさとが目まぐるしく押し寄せてきて何というかもう吐き気が酷い。

『まあ信じてくれなくても良いですよ、この世に上手い話なんて存在しませんし。思う事考える事にケチなんかつけません』

「……なら早くこれ外せ。俺はこんな事したくないんだよ」

『だが、それとこれとは話が別だ』

「何が別なんだ、俺は正式な方法で、正々堂々と仕事をこなしたいって言ってる!」

『……だから?』

「それでもシナリオブレイカーには対処できるだろうが」

 厳しく睨む鬼に対して幻影はたじろくことなどしなかった。

 その代わり呆れたような吐息をはあと漏らす。

『果たしてこの現状を見て尚もそう言えますか』

「……!」

『出来ていないじゃないですか、どれにおいても。いつも私の言う事を聞かないでどこかで躊躇してばかり。作戦に水を差して一人で傷ついて馬鹿な男』

「それは……」

 目を見開いて己の過去を振り返る。

 座敷童の一件でも、人魚の一件でも。

 剣俠鬼が向かっても彼の命に傷が付く気配は一つもなかったが、それは自分が全て邪魔したからだった。

 作戦としては懐柔する為だったがそこに別の意志が働いていたとでもいうのか――否、そうかもしれない。そうなのだろう。

 どこまでが俺なのだろう。今では最早分からない。

『それに、今も』

「……」

『生ぬるい攻撃で決定的な一打を叩き込めていない』

「……」

『あ、何なら手伝って差し上げますよ! これじゃあこの子が苦しむ時間が増えるだけで可哀想じゃないですか』

 ふと良いことを思いついた少年のような眩しい笑顔で、彼の直下に横たわる子どもの喉ぼとけをへし折ろうと手を伸ばす。

「あ、おい!」

『やり方は知ってますよね? 苦しまずに逝かせてあげましょう!』

「よせ!! 止めろ!」

 幻影の懐に自分の体を無理矢理押し込んで邪魔をする。

 相手も力んで中々強かったが全力を尽くして押し返した。

『ならば貴方は結局何をしたいんですか?』

 跳ね返された幻影が呆れ返った声で言う。

『貴方は私がいないとこの世を安心して生きる事が出来ず』

 う。

『だというのに私をいつまで経っても受け容れようとしない』

 ……。

『過去の傷に縛られて、心を少しずつ抉り削り、少しずつ壊れてゆく』

「俺は……」

『伝統やプライドが邪魔をして、今の新しい形を受け容れられず、新しい世界が望めない』

「……」

『あの少女が生きた時間に、ずっと、囚われている』

 両手首を縛る陰が腕を這うように上がる。

 同時に眼前の目を閉じ、口を大きく開けている少年の頬にもじわりじわりとその侵食域を拡大してゆく。

 見ながら、見ながらも。


『何も出来ない癖に、誰も殺せない癖に。だから米だけ喰って主人に還元が出来ない「米喰い虫䘀螽」なんかに成り下がったんですよ』


 何も、出来なかった。

 唯々目を見開くばかりで。


 あの時も、今さえも。


「俺は……」

 この存在幻影を取り除く事も怖くて出来なくて、でも以前のような伝統と威厳の下に留まっていたくて。

 それを誰かに打ち明ける事も怖くて。


 自分は、弱い。本当に弱い存在だ。


『䘀螽。貴方の斧はさながら「蟷螂とうろうが斧」。自分の身の程も知らないで抵抗し続ける哀れな男。立ち向かいさえすればいつかは叶うと信じる無謀な男』

 幻影が優しい挙動で顎をふと持ち上げた。

 向き合った鬼の頬を雫が一筋、道を辿る。

『憎いですよねぇ、人間。分かりますよ、私も憎ったらしく思っているので』

 愛し合う男女のように彼をひたすらに愛撫する。

『私も人間大っ嫌い。彼らは自分の事しか考えませんから。――貴方がいくら苦しくてもそれは彼らにとっては当たり前なんですよ』

 そこに優しさすら感じる艶やかさと、妖しさと。

 首筋がぞわりと震えた。

『でも貴方はその肝心の「復讐」に怯えている。人間が嫌いなのに復讐が出来ない。憎しみに行動が伴えない。でかい図体して弱虫さんなんだから』

 上目遣いがこちらをしかと捉えた。

『ね、苦しいだけだから。薄氷の理性をいい加減私にお渡しなさい。そうすればどんな作戦も復讐さえも助ける、何にでも打ち勝てる強い心を代わりに埋め込んであげる。冷酷剣俠狡猾斧繡の二大巨頭で組織を導き弱さを知らぬ強い神となりましょう』

 薄い唇を静かに撫でてその割れ目に親指を差し込む。

 ちらりと覗く白い歯に唾液が糸を引いている。


『そして』


『私を受け容れろ』


 その瞬間喉の奥目掛けて手を思い切り突っ込んだ。


 ――厭だ!!


 勢いで押し倒される鬼が反射で陰を引きちぎる。


 * * *


「けほけほ!! げほ!!」


 突然息が出来るようになったと思った途端、こおろぎさんが地面で足をばたつかせながら頭を押さえて苦しみ始めた。

「こ、ろぎさん? こお、ろぎさん!!」

「お前は来るな!!」

 慌てて駆け寄ったのを勢いよく突き飛ばされる。

 苦しそう、何が、何があったの……!?

「止めろ、止めろ! 来るな、来るな!!」

「来るなって何!? こおろぎさん、ねえこおろぎさん!!」

 寄る事も何だか出来ず、でもどうにか力になりたくて勢いで札を取り出した。

 確か黒耀が体を乗っ取られた時、心臓の辺りにこれを押し付けていたような覚えがある。

 これを使えば、若しかしたら――。

「こおろぎさん、今助けるから!」

 胸の辺りを苦しそうにかきむしるこおろぎさんの胸に飛び込んで札をあの時みたいに押し付ける。

「しつこい!!」

 しかしあの時みたいな感覚とかは全く感じられずこおろぎさんの苦しそうな様子とかにも変化がなく。またさっきみたいに突き飛ばされてしまった。

 今度は転がっていた小石で右手の皮が少し、ずるむける。

「――!!」

 悶。

 たらりと垂れたぬらぬらの血に焦りと恐れとがむくむく湧き上がる。

 肝の辺りがぞわりとした。

 でもこのままじゃこおろぎさんが……!

 何とか右手の痛みに耐えながら涙の滲む目でこおろぎさんの方を見やる。


 すると彼の右目の辺りに何か黒いもやのような物が炎のように揺らめいて――否、違う。あれは間違いなく黒い炎だ。黒い炎が右目に宿っているのが視える。


 瞬間、直感的に悟るものがあった。

「こおろぎさん、そこなんだね! 今助けるから!!」

 嫌がるこおろぎさんの懐に無理矢理入り込んで顔を覆う腕を力ずくでどかす。前髪も払ってどけると、そこには右目を貫くように、そして肌を抉るように付けられた一本の深く古い切り傷があった。

 加えて眼球も傷つけられたのかその瞳は白濁している。

「……!」

 彼が前髪をかき上げた時一瞬見えてはいたけれど近くで見るとその迫力とか色々が、何か、違う。

 その想定外のグロテスクさに一瞬怯んだ。

 でも――。

「大丈夫だよ! 大丈夫だから!」

 また押しのけられそうになりながら、目を逸らしそうになりながら、何とか堪えて右目に札を押し付けた。

 途端。

「ギャアアアアアアア!!」

 こおろぎさんが跳ねるように体をばたつかせながら絶叫する。同時に右目から轟々と黒い炎が立ち昇った。

 やっぱり!

「耐えて!! もう少しだから!! お願いこおろぎさん!!」

 負けじと絶叫してこおろぎさんの手を強く握る。

 いつの間に真っ赤になっていた手の紅が優しいその手を朱に染める。

 お願い、お願い……!!

 祈るような気持ちでその時を待った。

 ――しかし。

「止めろっつってんだろ!!」

 押し付けられた札をこおろぎさん自身が嫌がったように見えた。

「こおろぎさん!! 待って!!」

「もうその名前を使うな!! 腹立たしい!!」

 一気に豹変した彼の大きく太い脚が腹を突く。

 吹っ飛ばされ、木の幹に激突した先、ぐわぐわする視界の中でこおろぎさんが札を真っ二つに裂いた。

 死神、札裂くの好きだよね、ホント……。

「俺は斧繡鬼。斧繡鬼だ、斧繡鬼なんだ……。なぁ、座敷童に習ったんだろ? いい加減に覚えろよ、坊ちゃんヨォ」

 息が吸いづらい。

 死んじゃう……!

 動けない俺の方に向かいながら彼は青い炎を纏い、次いで金花に襲いかかった時と同じ装束に変化した。

 鉄仮面と黒い布。

 あの時の強さがフラッシュバックして頭が冷えた。

「こおろぎさんじゃねぇんだよ」

「痛い、痛いよ!」

 前髪が掴み上げられ、上の方でぶちぶちいった。

 何もしなくても涙が零れる。

 どうして、どうしてこおろぎさん!

「痛いのは当たり前だ、アンタには立派な感覚が付いているからな」

 乱暴に引き倒され、直後斧を振り上げているのが見えた。

 慌てて避けると後ろで木の葉に重い物がぶち当たる音が聞こえた。

 ――本気だ!

 足がもつれるのを覚悟で必死に逃げた。

「待て! 小僧!!」

 後ろからガサガサと凄い音を立てて追いかけてくる。

「言ったろ、俺ははらい者が大ッ嫌いだってな!」

 さっき愛してるって言った人の台詞だろうか、これが果たして。

「俺が一瞬でぶっ殺してやる。そしたらてめぇはあの世で感謝することになるだろうな! 何せ苦悶の時間が無いんだから!!」

 今までの彼とは違って、ナナシの時や金花の時に見たあの鬼の特徴が暴言の隅々に色濃く反映されていた。

 どうしての四文字が暫くは頭の中を占拠していたけれど、ふとした所である事に気が付く。

 あの炎だ、あの炎が見えてからこおろぎさんが変わった。

 そうか、そうなんだ。

 岳さんのお屋敷で見た炎の柱を思い出す。


 斧繡鬼がこおろぎさんを――!


 悔しさに顔を歪めずにはいられなかった。

 肺が潰れるのを覚悟で後ろも見ずに走り走る。

 どうにかしてチャンスを見出そう。

 こおろぎさんを救うんだ! 否、絶対に救わないと!!


『俺は長良大輔だいすけ。周りからはこおろぎさんって呼ばれてる。酒と女がだぁーい好き』


 ひょうきんなこおろぎさんを取り戻したい。


『【天、網! 恢々かいかい、疎にして漏らさず!!】』


 格好いいこおろぎさんを取り戻したい……!


『大丈夫、大丈夫。お前はやれば出来る子だ』


 優しいこおろぎさんを……!!






「あめぇんだよ」






 ヒュッ――。

 突然目の前に焦げ茶の大きな体が降って来る。

 鉄仮面がギラリと鈍く光ってその威厳を夜の闇に際立たせる。

「……!」

 いつの間に。

 驚きはしたけど走ってると急には止まれない。

 方向転換の為に突き出した足が木の葉に滑って思い切り転倒。

 その頭上を巨大な戦斧が回転をかけながら向こうに飛んでいった。

「ぐ、はあ! はあ!!」

 間一髪……!

 戦きつつ逃げなければと立ち上がろうとして、今度は顔の左側を背後から短剣がかすめる。

 近くに居る!

「ああっ!」

 力の入らない腕を折って、慌てて転がり回避。

 必死に起き上がろうとした体を容赦のない蹴りが襲った。

「きゃあ!!」

 我ながら情けない声が漏れた。

 頭を押さえて体を曲げる。

 足蹴は何度も続いた。

 暫くして後、体が強張り力が入らなくなった所で斧繡鬼に胸倉が掴まれた。

 そのままさっきみたいに木の幹に押し付けられる。

「てめぇ……いつも邪魔ばかりしやがって」

 こちらとは対照的な無傷の大男の憎々し気な顔。

「こちとら仕事が停滞してめ・い・わ・くなんですが」

「こお、ろ……」

「まだ言うか!!」

 瞬間肩にさっきの短剣が突き刺さる。

「アアアアア!!」

 絶叫。

「悔しいなら抵抗してみろよ。お前さん曰く、長良の子、ナンダロォ?」

 何度も刺しては抜き刺しては抜き。

 その様子に絶望を感じずにはいられなかった。

 それでも彼を憎む気になれないのは弱っているからか。

 はたまた彼のを信じているからか。

 それを想うと札に手をかけずにはいられなかった。――でも腕が痺れて持ち上がらない。

 割れた唇がちきちき痛む。

 腫れた頬を力なく涙が零れた。

 どうすればいいの、どうすればいいの。

「これで終わりにしてやる」

「……」

「痛みなく殺してやるから、二度とその面見せんな」

 いつの間に回収したのか、大げさすぎる程大きな戦斧が目の前で振り上げられる。

 その冷たい光は鬼のその性格も反映しているみたいで恐ろしい。

 同時に自分の無力さを歎かずにはいられなかった。

 きっと黒耀やトッカ、若しくは母さ――叶歌さんならばこの展開をもう少し、痛みなく持ちこたえる事が出来たのだろう。

 それなのに俺ときたら。

 俺ときたら。

 ……。


 やっていなかった事とか、頻りに思い返す。

 そして――。


『一緒に居たいと思うなら引き留めな、絶対に』


 感覚の殆ど無い唇を微かに開けて、吐息を漏らす。

 しかしそんなのもお構いなしに目の前の鉄仮面は突きの姿勢を見せた。


 嗚呼、こおろぎさん……。


 お願い、目を覚まして。


 お願い。


 助けて、なんてわがままですか。









 ――、――。









 ――ギン。








 金属質の重たい音が近くで響き、覚悟を感じ、目を瞑ったがそれは


 キリキリ鳴る金属音と何か気配を感じてそっと目を開けると細い銀が重い鉄を受け止めている。

 ――え!?

「何をしやがる、剣俠鬼!!」

「いい加減現実を見たらどうだ!」

 そのままあんなに重い斧の一打を振り切り、一迅二迅と太刀を振るう。

 そのまま斧と太刀とで何合か交わした後、剣俠鬼が隙を見てその切っ先を鉄仮面に器用に当て、その仮面を無理矢理剥ぎ取る。

 その衝撃に耐えられなかったのか、若しくはあの時みたいに鉄仮面が無理矢理剥がされたからか、斧繡鬼はバランスを崩して地面に呆気なく尻もちをついた。

 その眉間にすらりと大太刀の先が当てられる。

「動くな。そして深呼吸」

 凛とした低い声に肩を大きく揺らしながら息をしていた鬼が剣俠鬼を暫く凝視した後、こちらを見て驚いたようにほんの少しだけ目を見開いた。

 また雰囲気が変わったように見え、何だか分からないけれど気が抜けてぺたりと座り込んでしまった。

 ちょっと……混乱しかけてる。

「全く貴方は仕事に没頭すると周りが見えなくなっていけない。正装すると没入感があるのは否めませんがそれでも通信には出て頂きたい」

 怒ったような口調で文句を言いながら太刀を眉間から外す。

「……わり」

 それに言葉だけ軽く謝った。

「あ、あの、剣俠鬼……」

「ん?」

「あの、助けてもらって、ありが――」

「助けたつもりはありませんが」

 お礼が遮られたと思った途端腕を鷲掴まれ、顔のすぐ隣に勢いよく太刀が突き刺さった。

「ギャ!!」

「私は

 怒っているの部分をたっっぷり強調してくる。

 いきなり命の危機を感じて体ががちゃがちゃ震えた。

 黒いタールのような影を顔に滑らせ、明らか怒っている剣俠鬼の顔が迫る。

 ああ、顔中に皺が入って般若みたいぃ……。

 おしっこちびっちゃう……。止めて、もう……。


「おい、はらい者。お前


 ……!?


「――え、何それ知らないんだけど」


(つづく)

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