漆――忍耐
「おや皆さん、お揃いで。あ、でも、一人足りませんね」
「それわざわざ言う?」
「どこまでもムカつく奴だな、お前」
黒耀とトッカが油断なく構える。
余りにも想定外。早過ぎないか? こいつ。
何より今回皆で立てた作戦の要、こおろぎさんが居ない。
やばい。
「んふふふ、昨日振りですね。ご機嫌は如何ですか」
「最悪」
「それはよろしゅう」
「全然よろしくない」
いつも通りの穏やかな笑みを湛えて優しい言葉を放つ。
一見何てことの無い会話のようだけど、よくよく聞けば相当皮肉の籠った意地悪な会話だ。
この人の事をそんなに知らないのに「この人らしい」とか思ってしまうから何かもやくやする。
「それで? どうしますか。今命乞いをすれば痛くはしませんけれど」
「結局命を奪うんなら、したってしなくたって同じじゃないか」
「痛く、はしませんよ? 私にしては珍しく」
「……それ、本気で言ってるのか」
「ふふ! 何せ冷酷残虐の鬼とは私の事ですから!」
「……!」
ここで少し黒耀の瞳が見開いた。何やら名乗ってくれそうな雰囲気だ。
ちょっと仕掛けてみる。
「へ、へえ。そういうアンタは何て言う名前なの」
「……」
勢いにつられてぱくりと口を開けた――が、直ぐにその口元にニヤリと音のする笑みを浮かべる。
「……かかりませんよ。今日は最初からそういう腹積もりだったんでしょう?」
「「……!?」」
「そうら。当たった」
些細ながらも動揺せずにはいられなかった。
何故なら全くもってその通りだったから。
さっきからずっと言っていた俺達の作戦というのは彼らのこれからの予定は知れなくともその弱点や目的だけでも探ってやろうという物だった。
その為に目の前の敵の名前を頂戴する。それが現時点での最終目標と相成った。
一回目の遭遇にて大健闘を果たしたこおろぎさんを主軸に太刀の男に立ち向かい、苦戦に心の余裕を失くさせたところで相手が名乗るように上手く誘導。
その実現の為、術の更なる改良を計って自身にとっては余り良い思い出が無い長良の、しかも御本家にわざわざ向かったのだ。
――しかし。
ここに肝心のこおろぎさんは居らず、加えて相手にこちらの手の内が漏れている。
出会って早々こんな状況に陥って、一体どうしろって言うんだ!
「サア、そろそろご準備は宜しいですか。悪あがきは止めてそろそろ自分達の足で立ち上がってみては如何ですか」
「仕方ねぇ。言われなくてもやってやらぁ!」
トッカが観念したように相手を威嚇。
瓢箪をばすっと叩いて気合を入れた。
「……上等ダヨ。上手くやっテみせるカラ、黒耀、見テて」
黒耀の耳飾りが揺れて水色に変色。
今回はナナシが早めにこちらに出て来てきてくれた。ちょっと性格には難ありだけど攻撃特化型であることから言えばこういう時に出て来てくれると本当にありがたい。
しかも前回の茶髪の髭との戦いで見せた強者への興奮――即ち戦闘狂モードに早速突入している。
相手への抵抗力として是申し分なし。
果たしてどこまで粘れるか。
「ほうほう、両者揃っての強気な態度。嫌いじゃありませんよ」
それに対して相手は白い肌によく映える真っ赤な舌でちろりと唇を舐めた。何だか蛇みたいでちょっとぞくりとする。
そして遂にあの太刀をすらりと引き抜いた。今日も鍛え抜かれ磨き上げられた銀の鋭く鈍い光が
「来る、警戒しろ。取り敢えずこおろぎが合流するまでは誰も死ぬなよ」
「イノチ!」
トッカの言葉にナナシが一笑。一番頼もしくて一番心配。
「サア、死に損ないの皆様。悪あがきはいい加減止めにしましょう。私が皆様を早くに楽にして差し上げますよ」
「果たし状にあった通り。五日の内に貴方の命を」
「全ては黄泉様の思し召しのままに」
そう言ってふっと切っ先をこちらに向けた。
「戦闘準備!」
身を低く構えた彼の体が不意に残像となって電気を帯びながら揺れた。
* * *
ズギャ――。
一番初めに突っ込んでいったのは幸か不幸かナナシの懐。
黒い曇りガラスのような結界が張られ、太刀を弾いた。
【
直後後ろに飛び退いたのを追う男に向かって滝のような大水が降ってくる。
トッカだ。
しかし男は軽々と避けた。間髪入れずにナナシに迫ってゆく。
それに対して黒き座敷童、ある程度の距離を離した所で今までと反転。猛の付くスピードで一気に相手の胸元に飛び込み、その心臓に喰らいつこうと右手に炎をたぎらせた。
その勢いと垣間見えた黒い蛇の瞳に男の細い目が一瞬見開く。
太刀を急旋回させるように回し彼の腕を炎ごと払って一瞬怯んだ腹に蹴りを叩き込む。
が、その足をナナシが掴んだ。
ここまで僅か一瞬と言っても過言ではない。
ナナシはこれまでの戦いから確かに一定の学習を積んでいた。
炎を再度、今度は両腕にたぎらせて一瞬引き寄せたその体に爆を叩き込む。
遠く、水平に飛ばされた体がとある大木の幹にぶつかり、焦げ茶の皮を砕いた。
喉の奥から粘液が少量吐き出される。更には少しの燃焼が彼の体に起こり、力がナナシに吸われていた。
明らかな実力の軽視。これ以外に合う言葉が見つからない。
「ぐ! 侵食がここまでとは――!」
意味ありげな事を小さく掠れた声で言った後、直ぐに大風を自身の周りに吹かせて燃焼による吸収を無理矢理断ち切った。
その反動を糧に調子よく幹を両足で蹴り超速で向かってゆく。
【
水の散弾をばら撒くも全てが彼の視界の内ではゆっくりと動いていた。
「当たらないな! お前のは!!」
「煩い、戦闘狂!」
瞬間くるりとこちらを向いてトッカが懇願。
「和樹、水母を呼んでくれ!」
「す、いぼ?」
「水神! 攻撃力を上げて貰いたい――!」
「な、なるほど!?」
ちょっと動機が不純過ぎる気がするけど、ナナシが一人で立ち向かってどこで潰えてしまうかも分からない。
クリアブックから貰ったばかりの水神の札を取り出した。
金花を呼んで傷を付けられたらトッカが怒り狂いそうだったので彼女だけは呼ばないでおいた。
異空間だけど上手くいくかな……!
「出でよ、水神!」
裏返した札から神々しい光が溢れ大人の女性の丸みのある姿が露になった。
わあ、腰とか胸の辺りを何か見ちゃう! 危機なのに、危機なのに!
「あらま、良い夜ね。ちょっと時間間隔が狂ってしまいそうだけれど」
大人の余裕ある柔和な笑みが、すぐ傍の鬼気迫る戦闘と不釣り合いだ。
「で、何か御用かしら」
「――! 和樹!」
瞬間。
矢張り男が気付かない訳がなく、ナナシを雷撃で遠退けてこちらに飛翔して来ていた。その矛先は紛れもなく水神。
ぎらりと光る太刀がこちらの戦力の追加を阻もうと切り込んできた。
が。
水神も伊達に神を名乗る者では無かった。
トッカが放ったものとは全く桁違いの威力と大きさの滝がどこからともなく降って来て太刀の男を弾いた。
しかも男の方を見ずに。
もしかしてフウさんと同じタイプの神様……?
「……!」
「なるほど。こういう事ですね」
彼女には似合わない冷たい声が放たれた。
ひえ!
「良いでしょう、トッカ。貴方に力を授けます。――しかし能力の過度の乱用はしない事。貴方の身を滅ぼしますよ」
「有難きお言葉。この身に叩き込みます」
「よろしい」
「――ッ、させるか!」
再度水神に太刀を叩き込もうとする男の横っ腹にナナシが飛び蹴りを喰らわす。
それを受け、大きく飛びながらもその先ではちゃんと着地をし、追ってきた座敷童と轟音を放ちながらぶつかった。
そこに水色の細い残像が割って入ってゆく。
「おっ! 格好良いじゃん! 燃えてくるね!」
「水母のご加護を頂いた。加勢するぞ座敷童!」
「エヘヘェ、ボクのことハ魂喰ラいで良イヨお!」
突然二――否、三対一の構図が出来上がった。
この勝負、いけるかもしれない!
「和樹! 水母は俺に力を注ぐ為に少し感性が鈍っている。もしもの時はお前が札で攻撃を吸収するんだぞ」
ふとこちらに近寄ってきたトッカが耳打ちした。
かくんと頷き答えとした。
一方その時、座敷童と太刀の男は最初と比すると、とんでもないレベルの戦闘を繰り広げていた。
大太刀とは思えない速度の斬撃をナナシが全て弾く。その背中には雷神の太鼓が如くの魔法陣を
と、ほんの一瞬の隙を突いて太刀の男が雷撃をナナシの体にぶち当てる。
大量の電気の爆ぜを纏って、麻痺に陥ったその体を追撃せんと飛ぶ男に今度はトッカが向かった。
【
トルネイドのような水流を太刀一つで受け、少しよろめいた。
いつものトッカからは想像できないような物凄い威力に太刀の男が押される。
「ぐ、くそ!」
「良いねえトッカクん! ソノママデ!!」
未だに術の切れぬ痺切れた体を無理に起こして右腕を突き出すように構えた。
【
瞬間思わぬ足止めを喰らっている男の頭上と足下より空間を捻じ切るように現れた龍の頭のような、口のような黒々とした陰が男を噛み砕きその命を食そうと男に向かった。
「……!?」
左手に持った太刀で激流を防ぎ、右手と足とでその顎を閉じさせまいとつっかえさせた。
後、後もう少し!
「いけ、いけ、ナナシ! トッカ!!」
トッカは額に汗を浮かべ更に霊力を水流に込める。
ナナシは
「アハハーハハ!! ほちい、ほちいですわー!! キョウシャ、イノチ!」
捕食者と被食者の力のぶつかり合い、反発が目に見えておぞましい。
魂を賭したぶつかり合いであるはずなのにそこに生きようとする力の奔流が垣間見られた。
固唾を飲んでその行末を見守る。
果たして。
つと、男の体が屈折する。
その瞬間を見逃すはずがない貪欲な魂喰らい。
「イノチ! キタ!」
右掌と左掌をばちっと合わせた。
男の体が陰に飲まれた――!
「この身、何の為に姫様に捧げたか……!」
「無論、全ては大いなる無償の愛に忠を誓い、恩義を果たす為ではないか!」
「……! ナナシ! 退――」
トッカが叫ぶが早いか、閉じた「顎」が白く固まってゆく。
「氷!?」
予想外。それは三字で充分表せる。
「グワアアアアア……!」
氷結の末、硬度や粘性を失った黒魔術は瓦解。その先に居た男の頭部からは象徴的なある物が生えていた。
木の枝か、それとも鹿の威厳か。
中折れ帽が隠していたと思われる、皇帝の象徴が。
「龍の角」
トッカのぽつりと零れた言葉が空に飛ぶが早いかその身が後ろに大きく吹っ飛ばされる。
直後、音が直ぐ傍で聞こえ、そこに木に激突した河童の体があった。
その反動が背後の水神にも伝わった様で甲高い悲鳴を発しながら頽れた。
やばい!
「トッカ! 水神!」
「ぐ!」
その瞬間後にはナナシに更に桁違いの速度で向かっていく男の姿。
ぶんと太刀を振るった途端ナナシの両前腕に当たり、そこが氷柱に包まれた。
「……!」
物理的に黒魔術が封じられた!
「もうお遊びはお終いです」
「まだ手加減してるとか言わないよね」
「台詞を取らないで頂きたい」
「ンナ!?」
対抗手段を失した座敷童の腹を思いっきり蹴って地面に激突させる。
最後に残っているのは……え、俺だけ!?
「花の花弁と散り給え、はらい者!!」
太刀を振り上げ、こちらに物凄いスピードで迫って来る。
そ、そうはさせない!
恐怖を押さえ、胸を突こうとしてくる太刀の切っ先目掛けて札を構えた。
思惑通りその先端がずぶと札の空間に突き刺さる。
ぐいと持って行かれそうになる太刀を男が無理矢理引き抜こうとする。山草の封印は絶対だぞ、こいつめ!!
――しかし。
彼が放ったつららのような氷が札の裏面に瞬間接着。
札は吸い込みやすいそちらを何と優先。
絶対の名は絶対の名の下に敗北。直後札が自分の眼前で真っ二つになった!
切っ先が鼻の頭に触れる。
他の皆はぐだりと気絶して全く動かない。
あ、あああ……。
お、お終いだ……。
「花弁が如くの少年が命」
「我、確かに貰い受けん。さらば、さらば!」
「龍の膝下にいざ屈せ!」
太刀が振り上げられた。
「こおろぎさん!! 助けて!!」
ず。
(つづく)
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