拾壱――闇蔽
大分ぼろぼろの左足を気遣いつつ、フウさんと一緒に警察署の駐車場に出る。
「行くぞ和樹!!」
「うん、お願いフウさん!!」
そう言い交わすなりおんぶされる。
――え?
「ふざけてる場合じゃないんだけど!?」
「ふざけてない!! 車で行ったら時間がかかり過ぎる。飛んでいくぞ!」
「とッ、飛んでいくの!?」
「聞いたこと無かったか? 私は天国直属の風神だぞ」
「ふぇえ!?」
改めて聞くと凄い事だよな! これ!
……ところで天国直属ってどれ位凄い?
「サイジョウ、マツシロ、お前達は他の部署から応援を貰ってこい!」
「目的は」
「激戦になるだろう……確実に『奴』が来る」
「避難誘導だなッ! よし、任せて」
「商店街全体を一気に誘導するんだからな、出来るだけ大勢だぞ!」
「分かってる!」
二人が走っていく。
ふとそんな彼女らをぽんやり眺める大輝さんに目が留まった。
「おい」
「ん?」
「お手柄だったな」
「ふふ、ありがとう」
そう言ってにっこり笑んだ。さっきまでの殺気だった雰囲気とまるで違う。
何者なんだろう。
「で? お手柄大輝はどうするんだ?」
フウさんが慌ただしく言ったのに対してうーんとゆっくり言う大輝さん。
「実は『犯予』の皆と工作してたんだよね。早く戻って飾り付けがしたいんだ」
「ん……?」
「ジャンプ台作ってるの」
何で……? 益々訳が分からない。
「聞いても無駄だと思うが、何故?」
「『幸せのシナリオ』はあの偽物の『聖書』より適切だから」
「……因縁ある相手なのか?」
「いや? 今回は初対面」
「ふーん……偽物をお空に吹っ飛ばすのか?」
「もっと有意義だよ」
「……、……もう勝手にしろ」
「うん、またね」
いつまでも煮え切らない会話に苛立った様子のフウさんはぷいとそっぽを向いてしまった。前傾姿勢を取る。
フウさんはそのまま勢いに任せて走り出し、何メートルか走った所で体がふわりと浮かんだ……!
「飛んだ!」
「急ぐぞ! 息は苦しくないか!?」
「大丈夫! ちょっと寒いけど!」
「よし」
大空へと舞い上がる。
急がなくちゃ……!
* * *
――同時刻。
「早く行け!」
ぼろぼろの店主が従業員を宝石館の外に突き飛ばす。
言う事を聞かないでぐずりながら店主の元に戻ろうとする異形頭を座敷童は馬鹿! と一発怒鳴ってその肩を抱いた。
「お前だけでも生き延びるんだ。そして早く明治街まで行って――」
そう言いかけた瞬間座敷童の体中に黒い紐のような無数の黒魔術が巻き付く。
「ぐ……!」
そのまま真っ暗な店内に引きずり込まれた。
「――!」
従業員は急いで手を伸ばしたが学ランの裾にさえその手は届かなかった。
慌てて後を追いそうになるが――中に入るのはよした方が良いだろう。
「……! ……!」
瞬間焦りと恐怖と混乱がレトロカメラを襲った。手をおろおろと振って、くるくるとその場で走り回る。
助けを呼べば、良いんだと思う。それは分かった。
問題は誰に? 宝石館からほとんど出たことが無い彼は黒耀の予想以上に友達が少なかった。――勿論黒耀は「怪異課」を想定していたし、その存在自体もレトロカメラは知っていたのだが、残念な事にどんな組織でどこに居るのか見当もついていなかった。
しかも聞きたくても聞けない。躊躇したのではない、無理、なのだ。
レトロカメラは目と耳はあっても鼻と口が無い。発信的なコミュニケーションを断絶された状態でこの世に生まれ落ちてしまった。お茶を出した時に終始無言だったのはその為である。
よってその思いは座敷童に音声となって伝わる事はない。
迷子。この二文字が今の彼には丁度良い。彼は今、リードを外された犬だ。
しかしいつまでもこうやって慌てふためいていたって何も変わらない事は分かっていた。やがて落ち着きのない挙動がふと、止まる。
そして考えた。声があれば、と。
声があれば日常的に店主と今の倍話し、世間に精通していただろう。
この危機さえももっと単純化出来ていただろう。
しかし――。無いものは無いのだ。
時間も無い。彼は決意もしなければならない。もしもの時の覚悟もしなければならない。
行動に移さねばならない。
意思は行動に伴って初めて相手に伝わるものだ。――大切に想う気持ちも、助けさえも。
震える体を抑え込んで彼は唯一知っている明治街の知り合いの元へ駆けてゆく。彼にとって明治街で頼れるのは「怪異課」ではなく彼だった。スーパーパワーを持つ英雄などではなく、ただの一般人である。
こんな自分を逆に面白いと言ってくれ、逐一ここに通ってくれる彼だ。料理を教え合う仲でもある。最近彼からプリンセスケーキを習った。
彼の実力など全然知らない。しかし賭けるしかない。
――対価を「クレームブリュレ」のレシピにして動いてくれるかしら。
そこだけが心配である。
彼は想像以上に、がめつい。
* * *
「おいで、おいで。おいでよ可愛いお人形さん、イヒヒヒ」
その一方、背後で殆どチカラの残っていない座敷童は体中に巻き付いた黒魔術によってどんどんそいつの元へと引きずられていた。
必死にもがく。床に自身の割れた爪から滲んだ血の跡が乱雑に散らかる。
ぼやけた視界の奥でそいつは陰鬱な興奮を孕ませ、座敷童の体を我が物にしようと彼の体に絡みつくそれをゆっくり、そして着実に手繰り寄せていた。
黒毛の長い三つ編み、黒い蛇の瞳、白い服、そして端正なその顔立ち。
多くの命の上に立ち、多くのチカラを従えるいわば庚申山の王そのもの。
本名さえ知られないその人である。
――それは本当にほんの少し前のこと。
作業をしていた黒耀の元へナナシが現れた。
『ナナシ? ――どうしたの』
ほんの数十分前まで悪ふざけが如くムチャクチャをはたらいていたもう一人の自分が極めて真面目な顔――いや、深刻が正しいか――でその入り口に立ち塞がったのだ。
何か予感がして黒耀は少しだけ身構えた。
やがて分身は一言、こう言った。
『黒耀。魂を頂戴』
『……あげないよ』
慎重に言葉を選んでそう返した。
『それでも欲しい。ボクはもう偽物なんかじゃないから』
『……何か、吹き込まれた?』
『影法師だからって何でも許すわけじゃないよ、ボク知ってるんだから。アンタが色々言った事』
『何を囁かれたかは知らないけど。渡す訳にはいかないんだよ』
『制御が出来ているのはボクの方だ』
『だからこそだ』
毅然とした態度を保って彼と相対する。
いつもならそれで理解し、頬を膨らませて「あ、そ」とだけ言うのだが。
『どうしても駄目なら力づくにする。決意が固いの』
今回は引き下がらなかった。
バックにとんでもない顧客が居たからだ。
『お久し振りです、座敷童。――本当に、本当に会いたかった』
ずず、ず。
「服従してくださいよ、黒耀くん。ね? 良い子だから。だってほら、人間の世界では虫を網に捕らえた者にその虫の所有権が与えられるじゃないですか」
「僕は、虫、じゃないよ……!」
「そうやって必死にもがいて網から抜けようとしている所が本当に良いナァ。可愛い、可愛い、愛らしい。大事にしてあげたくなります! ――サ、今度こそ完璧な『お友達』になりましょう?」
「嫌、だ!!」
「嗚呼、そんな悲しい事を言わないで。あの時は二人であんなに素敵な約束を交わす仲だったではありませんか」
「嘘だったじゃないか!」
「嘘なもんですか! ――良いですか。平和な世の中では皆仲良く暮らしているのです。皆で繋がり合い、助け合い、支え合い、愛し合う」
自身の体の横に黒いブーツが脅すかのように、そして地に突き刺した聖剣のようにそこに激しく置かれる。
顔面が、
上に。
脇汗が滲む、滲む。
額がべったり脂汗。
「私は貴方が欲しい。欲しくて溜まらない! ただそれだけのことなんです! うふふふふ、とても素晴らしいですよね!! 私達は今から『お友達』! 私達は今から幸福の名の下に繋がりあうんです!」
そしてゆっくりと信じられない深さまで三日月形に口元が裂けた。
「サア、命ヲ頂戴?」
「ア……!!」
瞬間片足が持ち上がった。息遣いも聞こえる。
生白い手も伸びてきた。それは自分の胸倉目掛けて飛び込んでくる。
肝が冷えてその時が間近に迫った事を嫌でも察した。
――早く何とかしないと!!
【
バチィ! と凄まじい音がして本人の手に衝撃を伝搬する。一瞬、怯んだ。
その隙に絡まる魔術を引きちぎり大きく飛んで男から距離を取った。
足首を掴もうと伸びた細い腕はぎりぎりそれを捕らえる事は出来なかった。
――守護の名目ならばこのチカラは永遠だ。その数の制限を気にしなくても良い。
しかし。
「イタイ、いタイ。カなシイ……黒耀くん、イジワルシなイで。大事ニシてあげるのに」
問題は目の前の男はそんなチカラ如きでは倒れないという事だ。
実際、黒耀は目の前で見ていたはずだった。その男が聖水に溶けてその生命を絶たれた瞬間を。
話にも聞いていた。光の女神たるヘーリオスが放つ大量の「聖光」に弱り、その身体を天使の剣で貫かれ、霧消したと。
それともう一つ。小さな天使が倒したという話も残っている。
一時期どれが正しい話なのか見当もつかなかったが――違うすべて正しいのだ。
どうだ、見てみろ。目の前で息をして、虚ろなその目でこちらを捉えて離さない。
生きている。そして万が一朽ちても、必ず復活を遂げる。
こいつは「守護」では駄目なのだ。
焦りが募る。
今彼に「攻撃」を飛ばせば着実に終わる。しかし黒耀の命さえも同様だ。もしかすればその侵食し尽くされた命でまた復活されるかもしれない。
こいつはまずい。
迷いながら、後退りをしながら。必死に考えた。
どうすれば良い……!
その時、遙か遠くから聞き慣れた少年の声が響いた。
「黒耀――!」
「和樹!!」
瞬――。
* * *
「――!! 見るな!」
え――。
フウさんが急に体制を変えて俺の視界を塞ぐように抱き締め、進路を変える。
でもそういう時こそ、それは見える物。
そこにあったのは黒耀の体を貫くナナシの腕だった。
その手にはほの青くゆらゆらと燃える小さな命の光が握られている。
あの光は以前見たことがある。トッカが俺の前で見せてくれたあの光だ。
――魂を盗られた!
「……ッ!! コクヨオオオオオ!!」
「ヤダヤダ、ダメエエエ!!」
急に意識を取り落とした体が「奴」の腕の中に落ちていく。
「嬉しい!!」
それを待ってましたといわんばかりに、愛しそうに抱き締め、眺め、その顔を黒耀の力ないぐったりとした顔に覆いかぶせた。
長くばらばらとした横毛で見えないけれど、きっと――。
思わず目を塞ぐ。
「ウワ!」
「見るなと言っただろうに!」
次見た時は彼らの口の間に糸を引く黒い粘性の液体があった。
待って、もしかしてさ、それってさ……。
要するにさ。
気持ち悪い感覚が喉の奥からせり上がってきて口の中が酸っぱくなった。
「……」
フウさんが鼻息を荒くしながら俺の体を力強く抱き締める。
耐えてる。耐えてるんだ。
そう思うと何だか許せなかった。
しかし。
たった一つの言葉が。
「わあ! これで私達『お友達』!! よろしく、私のお人形さん」
「……!」
フウさんの怒りを爆発させた。
その肩は怒りでわなわな震え、もう我慢の限界らしかった。
「テメェ!」
瞬間的に二人の元に詰め寄り、凄い音をさせながら手刀を叩きこむ。
それを黒い蛇の瞳をした黒耀が遮る。
いつもの黒耀があんな事するはずがない……操られてるんだ!
その後ろでそいつは能天気に笑んでフウさんを見やる。
悪人とは思えない素敵な笑顔……。
「おやおや、お久し振りです。コリアールは元気ですか」
「ああ、あの子は元気だよ。アンタを気にしなくなったおかげでな!!」
そう言いながら突風を吹き荒らし、応戦しようとする座敷童を無理矢理吹き飛ばして強引に「奴」の懐に飛び込んでいく。
しかしその一瞬間後には拳は涼しい顔をした奴に受け止められている。あんなに血管が浮いているというのに――!
なんて奴!
「嫌だなぁ、悲しいです」
「勝手に悲しんでろ、この野郎!!」
「ご婦人が言う台詞じゃないですね」
「ご婦人もくそも、あるか!」
二人の周りに竜巻を引き起こし、その強風であいつの体を絡め取り、地面に思い切り打ち付ける――が、そこに既にそいつは居ない。
「甘い」
背後!
「させるか!」
突如「黒い炎」を灯した奴の右腕に先程みたいに――しかし先程より圧倒的に高密度の――旋風をぶつけ、黒い炎を吹き飛ばし、暴風を無数に展開。今度はそのまま外に投げた。
暴力的な風の乱襲に対応できない体が為す術なく飛ばされる中、間髪入れずにその背骨を砕くように右足で蹴り上げる。
遙か頭上にひょろ長いその細身は舞い上がっていった。
「和樹、行けるか!」
「勿論。――まだ対抗手段は来てないけれど……!」
「よし、ちょっと無茶するぞ!」
そう言って俺の体を抱きかかえると商店街の屋根の上まで急上昇していく。
「ウアアアア……!」
じ、Gがかかる!!
滲む涙も乾く頃にはそこは開放的な屋根の上。
しかし、そこに無気力に立っていたのは三つ編みのアイツではなかった。
「コッ、黒耀!?」
「くそ、どこに行きやがった、姿を現せ!!」
怒り心頭に発するが如く、彼女の周りを台風のような大風が飛び交う。
「隠れるな!!」
「ア、フウさん後ろ!!」
その直後にはフウさんは屋根の上をゴルフボールみたいに跳ねていた。
その背中を勢いに任せて蹴っ飛ばしたのは――ナナシ。
「ガハッ……!」
「フウさん!!」
痛む左足を引きずりながら、彼女の元へと駆け寄る。
早くも擦り傷が各所で滲んでいた。
「お久し振りですね、和樹」
静かに響いた声に驚いてそちらを見やる。――そこには冷酷に笑む奴とそいつに肩を抱かれる二人の座敷童。
「いえ、まだ現時点では初めましてなんでしょうね……期待はしませんけど、覚えていますか?」
「……」
これ、何のことを言っているの……?
「何なの、お前。黒耀達を使って何するつもり」
「ふふふ、私はね、平等を愛する者です」
「嘘ばっかり」
「嘘なものですか。私が介入してしまえば面白くないでしょう、だって皆直ぐに死んでしまうんですもの」
「……自分は強いって言いたいの?」
「はて? 何のことやら。だって玩具とは主人を傷つけないようにいつでも脆く出来ているものです。私より弱くて当然では?」
本当に分からないという顔ではきはきそう言う奴。
こいつ――!
「だから貴方方を戦わせるんです。格闘ゲームのコンピューター対戦みたいで楽しそうでしょう?」
「ぐ……、っざけんな!!」
体を不意に起こしたフウさんが楽しそうに笑うその男に再度突進するも。
「お人形さん達ありがとう」
座敷童二体が彼女の攻撃を無表情で受け止めていた。
「さて! 門田町上空にて、2on2の対戦です! 挑戦者は風神とはらい者、対するは私のお友達」
そう言いながら彼は浮上。
高みの見物ときたか。
「お手並み拝見」
二人の少年の耳飾りが残像となって線状を空間に記憶した。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます