衝撃
お互いにどう言葉を紡げば良いのかわからなかった。
ただ手を繋いで繁華街の雑踏を歩く。
特にあてがあるわけない。
奏は自分の心に立ったさざ波をどうにか落ち着けようとしていた。
音楽という存在が自分にとってどの程度の割合を占めていたのかは七海に聞いたところでわかるわけない。逆に、先ほど七海に問いかけたことに対して奏は自分がどんな返答を望んでいたのかもわからなかった。
あんな質問、するべきではなかった。
そんなことを思っていると、不意に「あっれ、ナツミじゃん?」と別の方向から声がかかった。
「あやのん? それにとーことえみちーまで」
驚いたように七海が声を上げる。
奏もその声につられるようにそちらを見やると、三人の女の子がバッグを片手に立っていた。
テレビか何かから飛び出してきたのではないかと思えるほど今風の三人に奏は思わずたじろぎそうになる。
比べられたら、どう見ても野暮ったい自分が垢ぬけた七海といると七海の評判まで下げてしまう。
反射的に奏は七海と繋いでいた手を離しかけたが、どういうわけか七海の方が強く握ってそれを許さなかった。
「ぐーぜん。こんなとこでも会う時は会うモンなんだね」
「なによー、うちらの誘いは断っておきながらナツミも遊びきてんじゃん。ナツミのことだからどうせ勉強でもしてるんでしょって話してたのに」
「先約があるからって言ったでしょ、先約」
そう言って七海が繋いだ手を軽くアピールする。
「えっと、はじめまして、ですよね?」
今風と言っても中身が根本からチャラけているわけじゃないらしい。
七海より少し濃い色の髪を緩いパーマにした女の子が妙にかしこまった顔で奏の方を見やった。
「うん。三人ともはじめましてだね」
咄嗟に言葉の出てこない奏に代わって七海が言った。
「うちのお姉ちゃん。三人とも会ったことないでしょ?」
「あぁ、ナツミのお姉さん」
「そう言えば一個違いのおねーちゃんがいるって前に言ってたもんね」
「あれ? だけど遠くにいるからなかなか会えないって言ってなかった?」
「そうなんだけど、ついこの前から帰ってきてるの。で、長く都会から離れてたからさ、今こうやって案内してるトコ」
どうやら七海は七海で話を作ってあるようだ。口を挟むべきじゃないだろうと勘定して、奏は小さく頭を下げて、「天咲奏です」とだけ言った。それに、三人が「ナツミのクラスメイトのとーこと」「エミと」「あやのです」とそれぞれ挨拶を返してくれる。
「三人は? どうしてここに?」
「うちらはさっき映画見て終わったトコ」
「あー、映画ってこの前話してた?」
「そーそー。前評判すっごい良かったからあたし的には結構期待してたんだけどイマイチでさー期待外れって言うかー」
「それはえみちーの感性がズレてるだけだって。わたしとあやのんは普通に面白かったし」
「でもやっぱり最後納得いかないって。話の筋は通ってるんだけど、こう、ストーリー的にちょっと異常性が強調され過ぎてるって言うか……」
「まーまー、続きはお茶しながらにしよ。わたしもうお腹ペコペコだし」
「そっか、もうお昼だいぶ過ぎてるもんね」
そんな風に七海が三人と話しているとひどく様になる。
目が覚めてからずっと年の近い子と言えば七海としか接していなかったから奏自身あまり意識していなかったが、やはり七海は自分のような陰があるような人間より彼女たちのような華がある子たちといた方が良い。
「そうだ。せっかくだからナツミとお姉さんも一緒にご飯どうですか?」
『あやのん』と呼ばれていた子が良いことをひらめいたとでもいった様子でそう言って、奏は内心ドキリとした。
年こそ一つしか違わないが、どう見ても自分のような人と話が合うようには見えなかった。ましてや自分はほんの半年前は特定犯罪指数を超えた人間として隔離されていたのだ。下手をしたら七海にまで大きな迷惑がかかってしまう。
奏は握られた手を少し強引に離して、「七海」と声を出した。
「せっかくだからお友達と遊びなよ。私の方はもう大体わかったし、この後適当にして帰るから」
そう言って辛うじて笑顔を浮かべる奏に、七海はネコのような目を一度ぱちくりとさせてから
「ゴメンね、みんな。今日は一日お姉ちゃんに付き合うって約束してあるからさ」と三人の方を向いて言った。
七海の言葉に三人は特に何を思ったわけでもなかったようで、そのまま自然と別れる流れになった。
今度は七海の方から奏の手を掴むように握り、「私たちもどっかで何か食べよっか?」と笑った。
戸惑う奏を先導する形で七海は近くにあったカフェに入ると、ちょうど空いていた窓際の奥の二人席の向こうに腰を下ろした。その対面に奏も座る。
高い天井に吊らされたシンプルなライトが優しく店内を照らす。木材に似せたクラシックな雰囲気に、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
お昼を過ぎて多少余裕が出きたらしい店員がすぐに水とおしぼりを持って来て、七海が「とりあえずホットコーヒー二つ」と頼む。
待っている間、奏はどうして七海がそうまでしてくれるのかわからなかった。
いくら妹と言っても友達の誘いを断ってまで姉に付き合う必要などどこにあるだろう?
七海はあの時に先約と言ったが、姉妹間の先約など友達との約束を優先させてしまっても誰も文句も言わないに違いない。身内というのはそういうものだ。
そう考えると、七海は今日だけはなくずっと自分に良くしてくれている。
病院の時もそうだし、ボーダーから下がった後のことだって普通に考えれば妹がしなければならないことをはるかに越えていると言って良い。
「ねぇ、七海。どうして七海はそんなに私に気を遣ってくれるの?」
机の上でカフェのメニューを広げ、「お姉ちゃんは何食べる?」と話を振ってきた七海に奏が聞くと、彼女はきょとんとした。
「どうしてって、食べるんだったら好きな物食べたいでしょう?」
「そういうことじゃなくて、もっと色々なこと。私が意識を失っていた時もそうだし、目が覚めてからも七海は私はいつもよくしてくれるじゃない?」
「そんなの、妹なんだから当然だよ」
「……そう、なのかな?」
「お姉ちゃん?」
小さく七海が首を傾げる。
ちょうど店員がコーヒーを持って来て、二人の前にそれぞれを並べた。「ごゆっくりどうぞ」という言葉を残して去っていってから、奏は静かに言った。
「私は、七海の本当の意味でのお姉さんじゃない」
「お姉さんじゃないって……急にどうしたの、お姉ちゃん?」
七海が僅かに困惑した表情を浮かべる。奏は言葉を続けた。
「七海は私の……ううん、ボーダー超えとして隔離されるまでの私との思い出がたくさんあって、そういうのがあるから私によくしてくれるんでしょう?」
「………………」
「だけど、いまここにいる私は違う。七海の記憶にいるお姉さんじゃない。確かに姿形は一緒で、天咲奏という名前なのかもしれない。けど、中身は全然違うんじゃない?」
「そんなことないよ」
奏の言葉に七海はかぶりを振った。
「例え記憶がなくて……私が誰で、自分自身が誰なのかさえ分からなくて……確かに昔と少し変わったかな、って思うところもあるよ? でも、それよりもはるかに多く、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだ、って思う時がある」
「そう?」
「確かに記憶がなくなっちゃって、お姉ちゃんは昔と全く同じお姉ちゃんじゃないのかもしれない。でも、そんなの記憶があろうがなかろうが関係ないよ。人間は誰だって時間と共に徐々に変わっていくものなんじゃないかな? 生々流転。誰ひとりだってずっと同じ存在じゃいられない。そういうことから考えたら、お姉ちゃんは紛れもなく私のお姉ちゃんだよ」
それは断言と言って良い口調だった。
何が彼女にそこまでのことを言わせるのだろうか?
そんな疑問が浮かんできたちょうどその時、七海は面持ちを急に神妙なものに変えて口を開いた。
「……実は、お姉ちゃんに隠してたことがあるんだ」
「隠していたこと?」
「うん」
一度七海が視線を外す。
それから何度か口を開いてから、意を決したかのように再び奏の方を見やった。
「あの……あんまり驚かないで、っていう方が無理だと思うんだけど……」そう前置きをしてから、
「私たち、実は付き合ってたんだ」
「え……?」
一瞬何を言われたのか奏はわからなかった。
不意な一撃が頭の横から襲って来たような感覚が襲う。
「その……恋人同士だったんだよ」
七海は頬を赤らめて視線をそらせ、栗色の髪をいじる。
それに奏は変な笑いがこみあげてきそうになった。頭を今まで覚えたことのない緊張が包む。
「待って……恋人って、私たちは姉妹なんじゃないの?」
「義理の姉妹なの、私たち。お姉ちゃんは死んじゃったお母さんの連れ子で、私はお父さんの連れ子。私が中学に上がるちょっと前に再婚して家族になったんだ。私たち、姉妹なのにあんまり似てないなって思ったことない?」
「それは、あるけど……」
「再婚同士の連れ子だったから似てなくて当然なの。でも、だから私はお姉ちゃんに……その、姉妹としての感情以上のものを抱いた。最初に好きになったのは、間違いなく私の方」
「それで……?」
「ある時、お姉ちゃんに言ったの。姉妹としてとかそういう意味じゃなくて、同性だけど、恋愛的な意味で好きです、って」
当たり前だが驚いた。
だが、驚きはしたが、七海の言っている言葉が全くの嘘っぱちだという風には思えなかった。
もちろん女同士なのに恋人だというのは決してマジョリティではない。自分が同性愛者なのかどうかなんて目が覚めてから一度も考えたこともないし、実際こうして話をしている今だってわからない。
けれど、たぶん性格というものは記憶を失う前からあまり変わっていないのではないかと思う。
どちらと言えば大人しく、自己主張が出来なくて引っ込み思案な自分。
七海はそれとは対照的に、明るく、夏に大きく咲くひまわりのように思えた。
憧れ……と言うと少し違うかもしれないが、そんな血の繋がっていない妹を好ましく思っていた可能性は大いにある。
そして、そんな彼女から告白をされた時、自分がどういう答えを出したかは、一概に女同士や姉妹だからという理由で断ったとは思えなかった。七海の告白に自分が応えたということは十分にある可能性に思えた。
「ご、ごめんね」
七海がはっと我に返ったように言った。
「こんなこと、急に言われても困るよね。義理の姉妹っていうだけでもビックリな情報なのに、その上女同士で付き合ってたとか……気持ち悪い、よね?」
顔をやや俯かせて上目づかいで彼女は言った。頬は真っ赤に染まっていたが、目には罪悪感の色があるようにも見えた。
奏はそんな七海の手にそっと手を重ねた。
「確かに驚いたけれど、気持ち悪くなんかない。それより、正直に話してくれて嬉しかった」
「お姉ちゃん……」
どれだけ緊張していたのだろうか?
七海は大きく息を吐き出してから、様々な感情を押し込めるように唇をきゅっと結んだ。瞳が微かに揺れている。涙ぐみそうになっているのかもしれない。
……いや、今の告白を考えればそれも当然だろう。
きっと記憶を失う前に告白した時もそうだっただろうが、今こうして伝えるのだって清水の舞台から飛び降りるという言葉では生ぬるいくらいの覚悟がいったに違いない。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「で、でも……その、いきなり恋人みたいな振る舞いは出来ないと思う」
奏は申し訳なく言った。
「七海がそう想ってくれるのは嬉しいけど、その……私はまだわからないことだらけで……」
「気にしないで。私はこうやってお姉ちゃんとまた暮らせるようになっただけで幸せなんだから」
もちろん、また少しずつでも私のことを好きになってくれたら嬉しいけどね。
そう七海は照れたように笑った。
遅めのランチを食べ、カフェを出てからの奏と七海の間の空気は不思議と穏やかなものだった。それだけ目を覚ましてからの奏が七海に対してどれだけ好意的だったかということかもしれない。
少し意識しているような七海の手を、奏の方から積極的に取った。
家に帰るまでの間、会話は多くなかったがそれまでで一番七海のことをわかったように奏には感じられた。
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