寄り道
S駅は奏の病院に行く時の乗り換え駅でもあったが、七海の高校の最寄り駅から自宅に帰るまでの途中駅でもあった。
電車はよほどの早朝や真昼間でない限り大抵は混みいっていて、朝の通勤通学や夕方の帰宅の時間帯になると満員となることも珍しくない。そのこともあって七海は朝はなるべく早めに出てラッシュの時間帯からずらしてはいるのだが、たまに朝の準備に時間がかかったりすると満員電車にもみくちゃにされることがあった。
その際、痴漢に遭ったことも何度かある。
もちろん良い気分はしなかったが、奏がいない時には七海は自分の身体に無頓着だった。
自分は一般的なレベルから考えれば器量よしであることは理解しているつもりであったものの、体つきが豊満というわけじゃない。胸は薄いしお尻も男を誘惑出来るほどの肉つきをしていない。
嫌な気持ちになる半面、触って楽しいものだろうかと冷静に考えている自分もいた。
だが、奏と身体の関係になってからは間違ってもそんな目に遭いたくないと思うようになった。
この身体を自由に触れて良いのは奏だけであり、例え布越しと言えど見知らぬ誰かに触れられるのは我慢ならなかった。幸い奏とそういう仲になってから痴漢に遭ったことはなかったが、その時は容赦なく警察に突き出すと固く決めていた。
少しの間電車に揺られ、S駅で途中下車する。
スマホでもう一度場所を確認し、改札口を間違えないようにして駅から出る。目的地に近い改札口は多くの人が使うメインの方ではなく、比べれば幾分も小さいものだった。七海も、初めてというわけではなかったがこの改札口を使ったことは数えるほどもなかったように思う。
まるで幼児が好きに詰み木を積み上げて作ったような雑多な繁華街から少し離れた、多少は四角四面に整えられた区画を行くこと十分弱。見えてきたジュエリーショップに七海は足を踏み入れた。
広々とした店内には幾本ものショーケースが並び、暖色系の照明が優しい印象を与えてくる。
時期か時間帯のせいか店内には七海以外の客の姿はほとんどなかった。その僅かな客たちも特に目当てがあるようには見えず、ただ冷やかしているようだ。
「すみません」
そんな中、七海はカウンターの中に立っていた店員に声をかけた。薄く化粧を施した女性が「はい、なんでございましょうか?」と応対してくれる。
「ペアリングを予約したいんですが……」
「ペアリングでございますね。クリスマス用ですか?」
「はい。インターネットで情報を見て……」
スマホを操作してブックマークに入れていたページを開き、それを店員に見せる。
リングはシルバーのシンプルなもので、ゆるやかなインフィニティマークを描いたそれは上品さを感じさせた。
店員はすぐにサンプルを持ってきた。
レディースのリングは指を細く見せる効果のあるV字デザインで、カーブに沿った小さなダイヤが良いアクセントになっている。対となるメンズ用はシンプルで優しい印象を持つV字デザイン。が、今の七海にメンズ用のリングには用がない。
「こちらでお間違いないでしょうか?」
「はい、それで間違いないです。間違いないないんですけど、一つ相談があって……」
「なんでございましょう?」
「ペアリングを二つともレディースで揃えてもらうことは可能ですか?」
こんな注文をつける客はそんなにいないだろうと七海は思っていたが、予想に反して店員はすぐに「可能ですよ」とにこりと笑った。
バレンタインデーに友チョコが生まれ、女同士でチョコを交換するのはもう珍しくともなんともないように、こういうのもそういう文化が根付いているのだろうか? しかし、いくら一級品のものに比べればかなりリーズナブルと言ってもチョコの一つや二つとは比べ物にならない値段である。
七海の注文がそう珍しい注文でもないのか、それともこの店員が一等柔軟でアドリブが利くのか、七海には判断がつかなかった。
「サイズはおわかりでしょうか?」
「はい。二つとも八号でお願いします」
七海自身の指のサイズはわかっていたし、実はこの間行為の後で眠っている奏の右手の薬指のサイズもこっそりと測っていた。
「あと、リングホルダーとチェーンも買おうと思っているんですが……」
「両方とも取り扱っておりますよ」
再び小さく微笑んで店員がショーケースの中からいくつかの見本を持って来てくれる。
正直に言えば最初からペアリングという選択肢はいささか重いのではないか、ということも考えた。
アクセサリーならネックレスやブレスレットでも良かったかもしれない。
けれど、どうしても七海はペアで指輪を持っておきたかった。
もちろん指に堂々とはめられない時も多々あるだろうからこうしてネックレスにも出来るリングホルダーとチェーンも買おうとしているのだが、それでも古来より特別とされてきた指輪には特別な意味がある。
商品を見せてもらいながら、自分はこんなにゲンを担ぐような人間だっただろうかと考える。実際、七海は生まれてからこの方お守りというものを持ったことがない。
神さまがいるかどうかは人間にはわかりっこない。
けれど、神さまにただ祈りを捧げるよりも自分で行動する方が比べ物にならないくらい結果は得られるものだ、というのが七海のスタンスだった。
「それじゃあ、ホルダーはこれを、チェーンはこれを。それぞれ二つずつお願いします」
出費として考えると高校生にしては少し多すぎるかもしれない。
それでも、初めて奏と恋人同士になれた記念の年のクリスマスなのだ。このくらいのお金で決して忘れられない思い出が品が出来るなら安い買い物だ。
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