Side N
報せ
突然けたたましい電話の呼び出し音がノイズとして交ざってきた。
それまで心地よく耳に届いていた女性ボーカルの伸びやかな声は切り裂かれ、調和した音楽とは正反対にあるような電子音に脳がかき乱される。
学習机の横に置かれたチェストにある電話の子機が光っている。ちらりと時計を見ると十六時を少し過ぎたばかり。三時間ほど前に午前授業のみだった学校から帰り、家に買い置きしていた菓子パンを適当につまんでから過去の入試問題にとりかかっていた。
大学受験はまだまだ先の話だったが、最近は問題の解法に頭を悩ませることはほとんどない。このまますきっ腹が我慢ならずに晩御飯を要求するまで黙々と机に向かうのが最近では日課になっていただけに、突然の電話は異物と呼ぶにふさわしかった。
どうせフリーダイヤルの勧誘か売り込みだろう。
そう思ってナンバーディスプレイに目をやったが、どこかの市外局番から始まる番号は見たことのないものだった。
「なんだろ?」
父親の関係だろうか?
咄嗟に考えつくのはそのくらいのものの、七海の父親はもう二年以上前からアメリカに出張中だ。それを知っている人間、ましてや仕事関係のつながりなら家にかけてくることは有り得ないし、だからと言ってあの仕事しか頭にないような父親に、自宅にまで電話をかけてくるような友人がいるとはとても思えない。
悪戯の類かとも思ったが、少ししても電話は切れず、仕方なく七海は子機をとって通話のボタンを押して耳に当てた。
「はい?」
『
少しくぐもった男の声。
「そうですが……どちらさまですか?」
『こちら法務省矯正局特定犯罪対策課の須田と申します。失礼ですが、天咲奏さんのお母さまでいらっしゃいますか?』
特定犯罪対策課。
天咲奏。
その言葉たちに七海の心臓がドクンと大きく打った。
途端に口の中が渇く。
すぐには言葉が出てこず、代わりに口内にじわりと染み出してきた粘っこいつばを七海は意識して飲み込んだ。辛うじて口を開き、僅かに声が震えるのを感じながら言葉を返す。
「いえ……奏は、私の姉ですが……」
『妹さまですね。ご両親はご在宅ですか?』
「母は去年に他界しました。父は海外に出張中で……連絡をつけようと思えばつけられるとは思いますが……」
たぶん姉に対して積極的に何かをしようとは思わないと思います。
そんな風に続くだろう言葉を濁した七海だったが、相手は別段何も驚くようなことはせずに淡々とした語調で『左様ですか』と言った。
元より特定犯罪指数が超えた、”ボーダー超え”の人間の家族の対応なんてそうあるわけじゃないのだろう。予想の範囲内だったのかもしれない。
「あの、姉に何かあったんですか?」
このままではすぐに電話を切られそうに思い、七海は言葉を早めて聞いた。
七海は今年でようやく十六になったばかりだ。大人か子供かと言われればまだまだ子供で、とても自分には話せないようなことだろうかとも思ったが、意外なことに相手はすんなりと言葉を続けてくれた。
『実は三日ほど前に、奏さんが業務作業中に事故に遭って病院に運ばれたという連絡を受けたものですから』
「事故? 事故って、どういった事故ですか?」
『詳しくはこちらでも把握しておりません。ただ、高所からの落下と聞いています」
「高所からの落下、ですか……?」
『はい。結構な高さがあったようで、今も意識が戻らないということです』
瞬間、七海の頭は真っ白になった。電話越しに聞こえてくる声に様々考えを巡らせなければいけないと思っていたのに、すべてがはじけ飛んだ。
流しっぱなしにしていたプレイヤーの音楽が首から垂れたイヤホンから微かに聞こえてくるが、まるで次元そのものが違う場所で鳴っているように感じられた。音があるからこそ感じられるだろう張り詰めた沈黙に自分の細い呼吸の音がか細く聞こえた。
「……あの、どうすれば良いですか?」何も考えられないまま問うたが、
『いえ、一応の連絡までです』と相手は素っ気なく答えた。
『別に何もしていただく必要はありません。ご存じだとは思いますが、現在奏さんは特定犯罪者予備群として国の管理下に置かれております。手続きなどは全てこちらで行いましたし、今後も必要なことはこちらで請け負います。ただ、奏さんは未成年ですし、万が一のことも考えられましたのでこうして一応の連絡を差し上げた次第です』
その知らせは二年以上止まっていた七海の時計をカチリと動かすものだった。
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