城下魔獣医日記

鷹羽 玖洋

序文

 西イッシュ大陸の、さらに西端、ポモラ水道を隔てた海原に、魔獣と人の交錯する地、アストラン島はある。


 対岸の遊牧原住民には悪魔の島〈ゴコ・ヌニュイ〉と怖れられ、帝国人には最果ての地〈ファルトゥーレ〉と呼ばれた島――そこに木と石とが積みあげられ、粗末な港が造られたのは、もう百年以上も昔のことだ。

 東西交易の中継地点となった町、単に〈十字路〉と呼ばれた港町が、古イッシュ語のその名のままに十字路シルシアハン国として起ちあがり、帝国との独立戦争に勝利してから八十年。

 魔獣学者たち――祖国の迫害から逃れ来た果敢で冷静な知の先達も、初代国王――太黎洋たいれいようの横断航路を切り拓いた冒険貴族の英雄でさえ、現在の素晴らしい国のありようまでは想像できなかったに違いない。

 一部の特権貴族だけでなく、下町や郊外に生活する平民までもが世界中のさまざまな魔獣を飼育し、家畜として利用する、魔法じみた光景までは。


 ケルピーに水馬車みずばしゃを牽かせ、カーバンクルを家族として愛し、火竜が騎兵を背に乗せて悠然と空を舞う――そんなおとぎ話のような国で、私は一人の魔獣医として暮らしている。脚のあるものは何でも、頼まれれば無いものだって診る。王都郊外の小さな診療所の主として。


 抱える患畜は、周辺住民のペットや牧場の家畜たち。カーバンクル、アルミラージ、ケツァル、グアンナ、時には偽物のユニコーン。

 飼い主の訴えは多種多様だ。いつもの健康診断から、魔法の抑制あるいは回復に関わる治療の要請、珍しい症状の診察や違法飼育者を摘発したり。この日記は、そうした私の日常で起こった色々な人と魔獣との関わりを、備忘録として残すものだ。


 個人の日記というよりは、誰にも読める読本として文の体裁は整えられている。それはいつかちょっとした小説本を書いてみたいと思っている私の個人的鍛錬のためだが、この日記が家族以外に披露されることはないだろう。

 ただ何年か後に読み返したとき、日記が私自身を楽しませ、懐かしがらせるものに仕上がっていればと思っている。


 けれどもし、見知らぬ読者に書籍としてこの記録が読まれる日があったなら、本に書かれる人名等は仮のものに置き換えられているはずだ。

 ただし、これだけは保証しておこう。記述された出来事と解説された知識だけは、掛け値なしの本物だということを。

 もちろん、大事な条件をひとつだけ、忘れることはできないが。

 王立学院の偉大な学匠たちに間違いを指摘されないかぎり、日記に書かれた奇妙な出来事も事実と信じて問題はなし!

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