???――猿と詐欺師と大騒動のこと
毎朝のシンラップ・エコー紙はいつも楽しみにしていて、忙しくても一面くらいは読んでから開院する。
けれどこの朝は、飼っているカーバンクルがコーヒーをぶちまけてしまい、新聞紙が茶色くふやけてしまった。朝いちで大きなため息。まさかのちのちこの件で、カーバンクルに感謝するとは思いもせずに。
終日、院内診療の日。
午後の初めに珍しい――というより、初めて見る魔物が来る。
正面を向いた大きな両眼、開いた耳、とがった鼻先。短めの毛は黄味の強い金色で、長い尾は先端がくるりと巻いている。
原猿類のようだが種類は不明。
下痢の症状があると言い、まずは寄生虫を疑って顕微鏡の検査をした。
ひどい水下痢だが虫卵や虫体の検出はなし。次に餌について訊ねると、塩分や油分の強い人間の食物を与えていたようなので、それが原因だろう。
だが、この猿の食性に合う餌を与えるよう指示したところ、飼い主の男が何を食べるのかと逆に聞いてきた。
ここで初めて奇異に感じた。
たえず様々な魔物が輸入される我が国ではあるが、珍獣は高額なため一般庶民に手は出ない。
しかしてこの飼い主の、黄色く変じた綿の古シャツ、てかてかに毛羽だった赤いジャケット、継ぎ当てのあるズボンやサンダルなど、せいぜいが商館の下働きか酒場の飲んだくれかというところだ。
そんな姿格好のうえ、自分のペットの食性も知らないとは。よもや盗人か?
薄気味悪くなってきたころ、またもや問題が発生した。
患畜の触診中、なぜか急にふわふわと私の足もとがおぼつかなくなり、背後からキュウキュウと甲高い鳴き声がした。
声の主は特殊なトカゲだ。坑道で空気の汚れを警告するカナリアよろしく、周囲の魔法の気配を察して騒ぎ立ててくれる賢い生き物。魔獣医はみんな念のため、これを診察室に籠で飼っておくのだが、今回は彼らのおかげで命拾いした。
私は慌てて足下から、大蛇の頭を模したハリボテを取り出して診察台にさっと置いた。思惑どおり、患畜の緑の小猿は大きな両目をくるりと回して、自分の魔法を偽物の蛇の頭に集中したらしい。しだいに私の意識もはっきりしてきた。
魅了魔法だ。これで間違いない。
強い精神魔法を使う魔獣の多くはご禁制だ。この患畜も飼い主も、あまりありがたくないいわく付きのようである。
患畜の種類名を訊ねたさいに、男が曖昧にごまかしたのも納得がいった。裕福な飼い主が別にいて、警察の目の厳しい場内の診療所を避けたというところだろう。
手早く籠に患畜を戻し入れ、この種の猿なら野菜や果実、爬虫類用の昆虫などを食べるはずと教えて診察終了。下痢止め薬の受け取りに、翌日の再来院を指示した。
飼い主は帰り、私は後日、城内へ出向くついでに警察に通報しておこうと考えた。
だが閉院後、夕食を終え、読めずじまいだった新聞をようやく広げて一息ついたとき。私はまた危うくコーヒーを紙面に噴き出しかけた。
一面に載っていたのは、この数ヶ月、王都を騒がせている東南系の新進商人の風刺画だった。絵師は何も知らずに描いたのだろうが、商人がその広い肩に載せているのは見覚えのある眼の大きな原猿類だった。
記事によると、この商人が王都で商いを始めたのは今年に入ってからとのこと。さほどの縁故もないわりに、あまりにも己に有利な商談や契約を次々と結び、ボロ儲けをしているために方々で糾弾されているという。
とはいえ交わされた契約書に不備はなく、なぜ取引相手がそれほど馬鹿げた書類にサインしてしまったのか、あるいは巧妙な騙しの手口があるのではないかと、長らく噂されていたらしい。
もちろん、魔法だ。あの不思議な猿。
ケツァルに似た魅了系の魔法を使えば、思うままに相手を操れるだろう。
夜遅いにも関わらず、私は家を飛び出した。城門の衛兵に友人の警吏を呼ぶように頼み、駆けつけた彼に事の次第を説明した。
翌日、薬を取りに来るはずなので、彼に朝から医院に詰めてもらうことになった。
私は腹芸ができないたちである。
だから、もしあの新聞を朝一番で読んでいたら――あの猿を連れてきた男は私の顔色を読み、さっさと姿をくらましただろう。
けれど、男――やはり、例の商人の館の下男だった――は、次の日ちゃんとやってきて、危険魔獣の無許可飼育の現行犯であえなく連行されていった。
新聞の一面に、牢に入った商人の絵が描かれたのは、それから一週間後のことである。
シンラップ社含め、数人の新聞記者が私に話を聞きに来たというのに、残念ながらどの紙面でも我が活躍は文字数の都合で割愛されたらしい。
友人の話では、下痢だった猿は王立学院の魔獣園に保護され、今は元気に回復したとか。種類も特定され、新種ではなかったということで、命名権を得る機会も失ったようである。
大騒動だったものの、罪ある者は罰せられ、罪なき魔獣は救われた。普段はのんき者の私も、時には鋭い勘働きで動き回ることもあるのだ。
友人はほどほどにと釘を刺してきたが、スリルも充分、どうしてなかなか楽しい事件だった!
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