ウィスプ――ウィル・オ・ウィスプと貸虫屋のこと

 先日来院したヘンウェンの特殊な症例の報告と調査のため、王立図書館へ行く。


 門前に屋台車がいたので貸虫屋かしむしやが来ているとは思っていたが、錬金学の学匠と立ち話をしていると、背後で騒ぎがおこる。

 女性たちの悲鳴、虫が逃げたという声。


 鱗々灯りんりんとうより照度は低いが、絶対に火を出さないので図書館の灯りはすべてウィスプだ。

 強く光るのは寿命十日ほどの成虫だけで、貸虫屋は卵・幼虫・成虫をいれた専用の飼育照明器具ひとそろいを貸し出す。世代交代含め四十日ほどもち、近親交配による系統劣化を防ぐために、時期を見てまた貸虫屋が虫の回収交換にくる。


 虫は蜜蜂より小さい。騒ぐほどかな……と苦笑しながら現場へ行くと、思いのほか大量に宙を舞っていた。

 虫網虫網と司書が叫び、私も参戦するつもりで網を持つ。しかし結局、貸虫屋がまたたく間に虫を集めてしまったのには皆が驚いた。

 虫屋は道具袋から編み籠を取り出すと「ほいほいウィスプ、そっちの水は苦い、こっちの水は甘い」と歌いながら歩き回り、それだけで虫はふわふわ集まった。学徒の一人がどうやったのか尋ねたけれど、貸虫屋はニヤリと笑い、魔法の歌さと答えるのみだった。


 その後、図書館は歌で発動する虫集めの魔法について、大いに盛り上がったようだが、多少なりとも魔獣の魔法発動手法を学んだ者ならわかる。あの単純な音声では、魔素に影響を与えることはできない。

 たぶん籠に虫が好む匂いの油でも塗ってあったのだろう。

 学匠の話では、魔蟲採取専門の狩人は、有用な虫を寄せる独自調合の香油を持つのだとか。けれどその製法や材料は彼ら最大の秘密で、レシピを盗もうものなら殺されることもあるという。


 何やら血なまぐさい話になったが、ウィスプは人々の生活にもっとも身近な生物のひとつだ。今度、様々な色の虫を貸してもらい、どんな匂いを好むのか調べてみようかなと思い立った。

 例えばあんず色に光るウィスプが杏を好んだら可愛らしい――そう思って帰り道に干し杏を買ったのに、帰宅する頃にはすっかり食べ尽くしてしまった。

 どうやら私は、けっして魔蟲狩りに殺されることはなさそうだ。

 杏も美味しかったので、良しとした日。

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