化け狐――祭夜の魔術師とその相棒のこと

 困った客はどんな業種にもつきものだ。この日、街路を医院にいそぐ私を憂鬱にさせていたのは、夕暮れに予約のある男爵婦人への対応だった。


 城内の医院を追い出されてきた彼女のペットは、ショッキングピンクに毛色を染めた肥満のカーバンクル。夫と息子の愚痴話が長いわりに、魔獣医の話はまったく聞かない。面倒だなぁと、それだけでも嘆息ものなのに、この日は大通りで厄介な魔術師の袖引きにも遭う。

 賑やかに飾られた街の収穫祭にはまだ十日ある。商売には早かろう。しかも私は〈魔術〉が嫌いだとはっきり伝えているのに男は諦めない。

 困ったなぁと思いきや、

「頼みますよ、先生」

 黒頭巾の下からの、我が仕事鞄への目配せで気が変わった。


 案内されて半地下の店へ。

 相棒の具合が悪くてと、彼が大水晶玉の影から大事そうに抱き上げたのは毛艶の悪い化け狐だ。家畜魔獣の豊富なこの国では、どうやら魔獣が魔術師たちの詐欺の相棒であるらしい。

 なるほど幻影を生む狐を飼い慣らし、自身の魔術として吹聴するわけだ。


 学院の見解では、伝説の帝国皇族をのぞいて人間は魔法を使えない。適者生存の進化において、魔法を肉体と本能に会得してきたのは獣だけだ。

 とはいえ古来より人間は魔法に憧れて、信じたいものを信じてきた。水晶玉や不死鳥の羽、奇妙な呪文やタロットを使い、未来を占う自称〈魔術師〉が、学院学徒の慨嘆をよそに今でも多いのに不思議はない。


 現在既知のどの種でも、狐は幻影魔法を使う。

 複数の尾をこすって虚像を空間に生み出すのだが、診れば患畜は震えてうまく立つこともできず、ミネラル不足のようだった。大方、食事は飼い主が自分のものを分け与えたりしているのだろう。栄養剤処方、適切な餌を指導。


 それにしても、なぜ私が偶然通るのを待たずに魔獣医へ行かなかったのか?

 無責任なと思わず叱り口調で尋ねてしまうと、しかし弱りきった店主の返事は意外なものだった。いわく、

「迷惑な貴族に目をつけられ、相棒を連れ出せなかったのです」


 聞けば呆れた話。最近ある貴公子が惚れていた娘に手酷くフラれ、占い好きな彼女への意趣返しとして城下の魔術店を荒らし回っているという。

 姿を隠して星座盤を動かす角兎アルミラジのタネを暴かれ、廃業に追い込まれた仲間もいるというには穏やかではない。

 店主の悩みは十日後の祭だった。一番の稼ぎ時に露店を出せないのは厳しいが、出れば営業妨害を受けるのは必至。実はこうして話している今も、表で貴族の舎弟が店を見張っているというから執念深い。


 いったいどこの恥知らずなのだ? 家名を聞いて更に驚く。なんと、うちに通院中の例の男爵婦人と同じじゃないか……。まさに蛙の子は蛙。母親にしろ息子にしろ、一度は世間というものを味わうべきでは?

 と、そこで私は膝を打った。ではいっそ、こちらから仕掛けてやろうじゃないか!

 けげんな表情の魔術師に、このときは自信たっぷりに、私はウインクをひとつ送ったのだった。


 南北大陸と南海諸島から人が集う王国には、とかく祝祭が多い。

 特に文化入り乱れた王都は奇祭もふんだんで、昨今、仮装祭のおもむきも加わった収穫祭には城内貴族も遊びに降りてくる。

 祭の当日、店主は予定どおり広場に出店した。筋書きはこうだ――取巻きと共にきた貴族に彼が占いを持ちかける。店内を改められても平気なよう、狐は見物客に紛れた私のケージ内で待機。店主は貴族にこう告げる。


「人知れず貴方あなたを想う女性がいます、夜空に姿を映しだしてみせましょう。もし魔術が発現せねば、料金倍額でお返ししますぞ!」


 うぬぼれ屋で遊び好きと名高い貴族だ、きっと話に乗るだろう。

 あらかじめ私の医院で人物を記憶した狐が合図で魔法を使い、曖昧な女性像を空中に出現させる。

 見えてくるのは、流行りの帽子をかぶった女。高まる見物客の期待。けれどついに細部まで像がはっきりした時、そこに現れるのは麗しの謎の乙女などではなく、放蕩息子の泣きどころ、憤怒の形相を浮かべた母親の姿なのだ!

 すかさず私が家名を野次る。恥をかいた貴公子は尻尾を巻いて逃げ出すだろう!


 さすが店主の話術は見事だった。みるみるうちに人垣ができ、目論見どおり貴族は話に乗った。なにもかも上手くいくと思われた。

 けれど愚かな私の考えは、いささか甘かったのだ。


 でっぷりした母親像が現れ、観衆が手を叩いて大喜びするまではよかった。

 だが笑い者にされた貴族は、逃げ出しはしなかった。

 彼は激高し、露店にあった小道具の剣をおもむろに奪い取った。次の瞬間、広場に響きわたる悲鳴。魔術師の右手が切断され、血をしぶいて宙を飛んだ。

 貴族が脱兎と逃げだすうしろで私は店主に駆け寄った。死ぬほど後悔しながら……なんて愚かな計画だったのかと!

 そして店主は――ニコッと笑うと、袖口から傷ひとつない完璧な右手を生えさせた。観客に軽く振ってみせてから、落ちたハリボテの手首を拾う。

 血糊がわりのケチャップをひと舐め、観客と私に向かい優雅に一礼してみせた。


 いやはや、魔術師! この夜から私は彼らが好きになったといっていい。

 まったく大した詐欺師たちだ――たくみな話術と奇術とで、人々の不安を和らげ、未来に期待を抱かせてくれる商売上手たち!


 後日来院した彼が言うには、「化け狐の魔法だけでは、とても学院のお膝下で魔術師などやっていられませんよ」と。

 器用な指先で披露してくれたトランプの奇術も素晴らしく、私にはタネがちっとも見抜けなかった。狐もすっかり元気になり、店は繁盛しているとか。


 我が医院のほうも有難いことに、息子の失態が城内まで轟いた男爵婦人は、城下は下賤だといって二度と姿を見せていない。

 めでたしめでたし……ではあったけれど、一時は本当に心臓が止まるかと思った!

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