ガルマティコ――老犬シリのお手柄のこと

「お前もその汚い犬も、また城内で顔を見たらただではすまさん!」

 ――そう脅されてから三ヶ月。今日、キップに事件の意外な顛末を聞き、ひとまとめの記録として記すことにした。


 あれは城内のキップ宅に犬と遊びに行き、遅くなった帰路。警吏のキップは警吏犬ガルマティコと組んで働いている。私の老犬シリも元は彼の相棒で、引退後に私が引き取ったのだ。

 前の飼い主と再開し、シリは若い頃を思い出したのだろうか。城門近くで突然、引き綱をちぎって走り出した時、私は猫でもいたのかと、さほど慌てなかった。だが犬が吠えながら路地裏に追い詰めたのは恰幅のいい商人だった。

 それがいかにも有力な都市貴族風の押し出しで、急いで犬の首を掴み、謝る私に放たれたのが先の脅しだったというわけである。


 顔を見せるなと言われて、私もたまには城内に用ができる。どだい無理な話だ。

だが相手は謝罪も許さず歩き出すし、途方に暮れた私は反射的に後を追おうとした。が、なぜかシリが今度はてこでも動かない。先ほそまで牙を剥いていた商人には目もくれず、何もない路地の壁に唸っているのだ。

 一体全体、何だというんだ? そこで初めて、私はハッとしたのだった。


 ガルマティコは魔犬ガルムの血を色濃くひく猟犬だ。灰色の毛並に、胸に血を垂れたような赤いひと房がある。

 魔犬といって実は魔獣ではなく、学者によると、ガルムは角兎アルミラジなどの迷彩魔法を見破る偏光眼と、聴覚で獲物の位置を知る特殊能力を持つのだという。生息地の森では、不可視の何かを追う姿が死者の霊を冥界へ追い立て、また冥界から逃げようとする霊を捉える魔物と思われて、今でも恐れられている。

 一方で、そんな魔犬を犬と交配し、狩猟の良き友とする民族もおり、それが従順さと魔眼を持つ猟犬ガルマティコとなった。

 王国はその犬の存在を知るとさっそく警吏犬に導入した。アルミラージなどの飼育が一般化して以来、透明化魔法をもつその毛皮を使った犯罪行為に、国はずっと悩まされていたからだ。

 今では百頭をこすガルマティコが、国中で隠れた犯罪者を炙り出す仕事についている。私のシリも以前はその一員で、つまり昔とった杵柄というやつだった。

 やっと私は気がついた。シリは自分の仕事をしたのだ。路地裏に、透明毛皮を身に着けた何者かを嗅ぎつけたのだ。


 私は一度、何気ないふりで城門を出、物陰で待った。しばらくしてシリが反応し、用心深い足取りで追跡を開始した。

 私は大富豪が画策する危険な陰謀に巻き込まれたのか? 一瞬そんな妄想が頭をかすめたものの、不可視の相手がふいに透明マントを脱いでみると、なぁんだ……結局よくある話だった。しどけなく開いた襟を直すこともなく、若い娼婦は城下の花街へ消えていく。男が青すじ立てて怒るのも道理。私は浮気現場を目撃してしまったのだ。


 とはいえこちらの問題は残る。あの商人の脅しは本気だったろうか? 勢いで言っただけならいいが、金に物を言わせられると困る。

 考えたすえ、最後はコネにすがることにした。そもそも透明化の魔具は違法だ。角兎の毛皮は高級交易品だが、毛内部の構造が壊れ、魔法失活後の流通しか許されない。値段からして娼婦にマントを与えたのは男のほうに違いなく、警吏に連行でもされれば私のことなど忘れるだろう。


 翌日、キップを再訪。事の次第を説明すると、彼は任せろと言ってくれた。やはり持つべきものは友である。頼れる医者、弁護士、それから警吏だ。


 ――そして三ヶ月。

 キップが唐突に病院を訪れ、事件の驚きの展開を聞かせてくれた。


 あの後、彼は警吏犬と共に首尾よく商人を突き止め、違法マントの使用を確認した。しかし、商人はそのマントをどこから入手した? 綿密な捜査の末、違法マントの貸出業者の存在が明らかになり、昨日ついに一斉検挙されたのだという。

 業者の拠点が王家と何かと確執がある島東の分家領にあったため、検挙には王の近衛軍まで出張ったらしい。いやはや、ただの浮気事件から、ずいぶんな大事に発展したものだ。


 とはいえそれらは一般市民には雲の上の出来事で、私にはより重要な情報があった。キップによれば、例の商人は闇業者経由で浮気がばれたと考えていて、街で脅した老犬と私のことなどまったく記憶にないらしい。どうやら恐妻家だった男は今は大人しくしているとか。

 これで安心して城内を歩ける。もっとも、犬の引き綱の劣化には気をつける必要はある。


 キップは彼の警吏犬、シリの娘カヘネと一緒に来たので、再開した親子は嬉しげにはしゃいでいた。

 今後はたまに森へ狩りに連れ出さないと……と私が言うと、キップがなぜと聞く。勿論シリが退屈して、新たな犯罪の発端を嗅ぎ当ててしまわないためだ。

 シリのおかげで手柄を立てた友人は大笑い。自分は大歓迎だなどと言うので、私は大げさに溜息をついておいた。

 まあ、たまには森へ狩りに連れ出すものだろう。

 やはり獲物を追うことこそが、狩猟犬の何よりの喜びなのだから。

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