ヴァンピル――吸血鬼の医療実験のこと

 往診から帰宅後、学院からの使者あり。少年書士に医学匠の封蝋つき巻き手紙を渡され、内容に驚く。急いで支度、夜道を学院へ向かう。

 到着すると王宮医師や貴族すじの学匠、医師、魔獣医など、大御所が勢ぞろいして壮観な顔ぶれ。田舎魔獣医である私には居づらいが、歓迎してくれる友もいてありがたい。

 隔離医学棟へ移動。案内され廊下の末の座敷牢を観察できる部屋に落ち着く。人垣のうしろから覗きこむと、二十日前、港で船から収容された吸血鬼が青白い顔で端座していた。


 東大陸から送ってきた魔獣狩りギルドの報告では、捕縛前に彼は二人を殺害している由。

 しかしヴァンピルにされる前は純朴な農夫だったらしく、かつて帝都を震撼させた吸血鬼貴族のように犯行を重ねる前に事が露見、捕縛されたのは不幸中の幸いだった。


 とはいえ、牢内で憔悴しきっている彼にとり、事態は最悪のまま変わらない。

 吸血蝙蝠こうもり・ヴァンピルによる被害者は、吸血前に獲物を沈静化させる精神魔法によって、血に対する病的な執着を無意識下に植え付けられる。この暗示または精神病変を癒やす手法は今のところない――いや、なかった。

 もしかすると治療の可能性があると、提案したのがこの夜、私を召喚した医学匠だ。彼の発案は、以前に私がある人物に施した応急処置に由来したものだったため、いち魔獣医でしかない私も今回参加を許されたわけだ。


 数年前、医院に違法ケツァルを持ち込んだ女性がいた。

 鳥は衰弱しており、私は一日の入院を提案したが、女性は通報を恐れて(実際、そのつもりだったが)強引に鳥を連れ帰ろうとした。

 おびえた鳥が魔法の唄をさえずったのはその時で、突然女性は喉を抑えてひっくり返った。呼吸できなくなったのだ。

 ケツァルの魔法効果時間は長くない。だが窒息死には充分だ。

 人工呼吸も効果なく、私は狼狽えながら昔聞いた魔獣狩りの与太話を思い出した。

 いわく、密林でケツァルにやられたら別の色の一羽を探せ。宿酔いには迎え酒。さえずりの呪いにはさえずりが効く。

  運良く、入院患畜に酒場で飼われている魔鳥がいた。

 太り過ぎで下痢をしたトパーズケツァルで、私が彼を診察室へ連れてくると、よく訓練された鳥は倒れた女性をただちに困った酔っ払い客とみなしてくれた。元気よくさえずって、気付けの魔法が窒息魔法を打ち消したらしい。

 女性は呼吸を回復した。


 この症例を私は学院に報告し、研究により何種類かの精神魔法には、別の魔法の影響の打ち消しや減退効果を示すことが明らかになった。

 そこに今回の吸血鬼である。

 ヴァンピルは大陸生息の珍しい魔獣。吸血鬼にされた人間の生きたままの捕縛例が王国ではほぼない。倫理的問題もあり、これまで人体実験は行われなかったが、座敷牢の気の毒な男が契約書にサインしたということだ。


 ほっとしたことに、医学匠がそろえたのは、人体への影響が比較的おだやかな魔法を使う魔獣ばかりだった。

 実験開始の宣言を皮切りに、トパーズケツァルをはじめ、さまざまな魔獣が順番に吸血鬼に魔法を放った。

 結果はどうだったか?

 残念ながら、どの魔法を受けたあとも、男は差し出された牛血への渇望を抑えられなかった。


 けれど、希望を捨てるにはまだ早い。

 聞けばヴァンピル被害(本来、主食は牛や豚の血だ)が多い大陸の大牧場主らの支援によって、臨床実験は今後も続けられるという。

 巷間の噂とちがって、吸血鬼は学院の地下牢に幽閉――ではなく、清潔な医療棟で衣食住を保証される(もちろん、出歩く自由は制限されるが)。

 多くの魔獣を飼育する大貴族の協力もあるそうで、いつか良い結果が得られればと願うばかりだ。


 罪なき人が吸血鬼と化し、人を襲い、捕まって火あぶりにされる。そんな暗黒時代はもう終わったのだと、そう言える時はすぐそこまで来ているはずだと信じて。

 たぶん、きっと。


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