クラーケン――海魔と王国の罪業のこと
噂は本当だった!
今日、出入りの薬種問屋から、外科手術や感染症用の薬が品薄だと使いがきた。大陸との交易航路にクラーケンがまた出没し、多くの兵と騎獣が負傷したようだ。
幸い薬の備蓄はあり手術の予定もない。ただこれから冬にかけ増える魔法失調症用の栄養剤も買えなかったので、普段あまり使わない伝統生薬を求めに城内へゆく。
街にはもう情報がきており、夕暮に新聞の号外が出るという。
その前に用事を済ませるべく私も足を急がせた。
クラーケンと王国の因縁は深い。
大陸との間に横たわる海淵に棲む魔獣は、正確な意味で魔獣――魔法を使う獣――なのかは不明だ。が、生物種に造詣の深い王国民でも、本物の怪物の名にかの海魔をあげる者は多い。
大きな交易船と同じ程もある胴の長さ。さらにその数倍長い触腕で船を巻取って、ひと呼吸で大渦を起こすとなれば、もはや魔法の有無は関係ない。
加えて恐ろしいのがその貪欲さだ。
たとえ同族であっても、相手が傷つき弱っていれば容赦なく共食いする。その凄惨な光景は、かつての帝国戦を題材とした多くの詩歌に歌われてあまりにも有名だ。
戦時中、王国はこの魔物を利用した。
昔から船乗りは満月の夜、クラーケンが海面近くまで浮上するのを知っていたが、迷信に満ちたその理由を学院開祖たちが解明した。
夜になると深海から食べ物を求めて微生物が海面へとやってくる。それを狙って小型魚類が、さらに小魚を狙って大物が集まり、最終的に頂点捕食者たるクラーケンを呼び寄せるのだ。
そこで学者たちの悪魔の提案――海に大量の血肉を撒いて海魔を餌付けしておき、おびき寄せた帝国船団を襲わせる罠が実行に移された。
彼らの目論見は大成功し、海戦の勝利は帝国瓦解の契機となった。
これにより王国は完全独立を果たしたのだが、同時に未来まで続く負債を抱えこむ結果にもなった――夜だけでなく昼間でも、クラーケンがたびたび海面へ浮上するようになったのだ。
以来王国は、海賊よりもこの海魔に手を焼かされている。
厳しい規制にも関わらず、多分どこかの無責任な交易船が運搬中の家畜の糞尿や残飯を海に捨てたのだろう。割りを食うのは後続の船で、迎撃する水棲馬部隊や竜騎兵にも、毎回少なくない負傷者と犠牲が出る。
王国世論はクラーケンの駆逐派と抑制派に二分されている。
とはいえ今のところ議論にさほどの意味はない。大イカは好き放題暴れ回り、火竜に火を噴かれればたちまち深海へと潜ってしまう。討伐や捕獲どころか、追い払う方法の調査研究すら不可能なのだ。
そんなイカ談義に花を咲かせてから生薬屋を出ると、目抜き通りでちょうど号外が配られていた。
イカ襲撃の原因は予想と大差なかったが、今回の討伐作戦は偽の無人船を使う巧みなもので、魔物に痛い目を見せてやれたらしい。航路警備隊の
記事によれば触腕一本の切断に成功し、これを研究のため学院に空輸するとか。
作戦日時からすると、ちょうど王都へ届く頃である……と思ったとき、ふいに路上の人々から歓声があがった。
何人かが空を指し、見あげた私の顔の上を影が滑っていく。大きな荷を掴んで飛ぶ
では、きっとあれがイカの腕なのだろう。これで少しでもクラーケンの生態が解明されればいいのだが……。
思って見ていると、風の具合か、騎竜の掴んだ細長い荷物がまだ生きているように波打った。
そう簡単にはいかんぞと、釘を差されたようだった。
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