バルファラク――墜落した火竜のこと

 風の強い日。老犬の散歩中、森に竜が落ちたと子供三人が報せにくる。

 偶然みつけた狐穴を覗いていたときだった。


 折しも穴に逃げこんだのは幻惑術を使う三尾狐で、さては化かされたかと疑ったのだが、家から診察鞄を持って引き返し、子らの案内で森へ入ると本当に火竜が落ちていた。

 老犬を預けるのと引き換えに少女に借りた乗馬が、もし適切な逃走本能を持っていなければ、私は今頃丸焦げだったに違いない。突然現れた人馬へ、負傷した火竜はもちろん火を吐いた。


 いなないて身を翻す馬の背から、竜の背につけられた鞍を私は目視していた。

 間違いなくこの国の騎竜、ミスラ種の炎鷲竜バルファラクだ。鱗色と体長からして巣立ち間もない幼竜らしい。

 おそらく飛行訓練中、強風に煽られ落下したのだろうが、それにしても騎手はどこへ行ったのか。救援を頼みにいったのなら良し、最悪竜の背から振り落とされたのかもしれず、ともかく少年二人を城門へ報せにやる。

 竜の扱い方を一般市民に見せられないという理由もあった。


 人の口に戸は立てられぬとはいえ、軍用魔獣の飼育訓練法は一応国の機密事項だ。特に竜に関しては罰則も厳しく、診察はごく少数の魔獣医しか許されない。

 つまり情報も制限されていて、私も王宮竜医になりかけたことがあるとはいえ、全ての知識を伝授されたわけではない。不安だったが、怪我の程度だけでも確認すべく再度森へ入った。

 だがそっと竜の背後に回ったとき、私は己の間違いを悟った。

 火竜は負傷していなかった。竜の腹下に見えたのは革靴を履いた二本足だ。負傷したのは騎手で、幼竜は倒れて動かない彼に覆いかぶさり必死に守っているのだった。


 王国の騎竜には二種類ある。

 ひとつは群れで生き、渡りをする炎鷹竜ファラク属ルヤンカシュ種。もうひとつは険しい峡谷や山岳に単独もしくはつがいで生きる、炎鷲竜バルファラク属ミスラ種だ。

 生来社会性を持つ前者と違い、後者はほぼ人に馴れない。騎手は選ばれて卵から竜を孵し、親のかわりに始終面倒をみる。そこまでやっても人を背に乗せるほど馴れるのは全体の二割ほどで、多くは野生に帰すほかない。

 だが、一度絆が結ばれると竜は騎手に献身的な愛情を注ぐ。目前にいるのがその実例だった。


 いよいよ緊急事態だ。

 竜が無事で何よりだが、騎手が死ねば王国は訓練された兵と竜を同時に失うことになる。とはいえ火竜の熱息をまともに浴びれば私は炭化。なんとか間近に寄れれば大人しくさせる法もあるのだが……。


 ダメ元で試すことにした。私は道を引き返し、再度狐穴へ。

 そこにはまだ少女と我が老犬がいて、彼女の助力で(犬は役に立たず……)巣穴の三尾狐の捕獲に成功。そしてまた森へ戻り、竜からは見えぬよう、狐には竜が見えるよう、藪の中から顔を出した。


 結句、全てが思い通りにいった!


 脅えた狐は幻惑魔法を発現し、竜の正面に、その姿をそっくり写した幻影竜を出現させた。いや、幻は本物よりやや大きく、相手の注意をひくのに充分だった。

 私は狐を逃し、素早く脇から近づいて竜の喉下の逆鱗を掴んだ。付け根側へ強く押しつけるように十数秒、馬の鼻捻はなねじと似た効果で、竜は完全に恍惚状態に落ち着いた。

 交尾のさい、または病や怪我の痛みに苦しむとき、竜は仲間の逆鱗を噛んで落ち着かせることがある。それを長く丹念な観察から発見したのは、最初に火竜を友とした外国の少数民族だ。

 自然に寄り添って生きる彼らに私も感謝しなければ。なにしろ炭にならずにすんだのだから。そして騎手も助けられる。


 幸いにも、若い騎手はすぐ目覚めた。頭を打ったらしく目眩と吐き気を訴えたので、大事をとって安静にさせる。以前は王宮竜舎へ軽い診察へ行った私を、青年は知っていたらしい。

 話を聞けば、強風に疲労した竜が樹上に留まろうとしたところ、ちょうど子育て中のカラスに攻撃されて、驚いた拍子で振り落とされたとのこと。

 しばらくして恍惚から醒めた竜に、騎手は竜舎への単独帰還を指示。幼竜は甘えた鼻声を出して何度も振り返りつつも、しぶしぶ飛び立った。

 入れ替わるように城内から人々が到着、騎手は運ばれていった。


 言葉の通じぬはずの人と動物の深い絆には、いつも感動する。

 そういえば数年前、今日とは逆の事件があった。危険魔獣の討伐戦で心に傷を負ったミスラがいて、獰猛な野生状態へ戻ってしまい、仲間を傷つけたがために殺処分が決まっていた。それを肯んじえなかったのが、竜のパートナーたる騎手だった。

 彼は歴史ある名家の嫡男だったが、竜とともに亡命。今でも第一級のお尋ね者とされている。竜は王国の財産だから重窃盗と反逆罪に問われているのだ。


 彼らは今どこにいるのだろう。暮れる空を眺めて思った。戦いと、定められた将来から解放され、自由に空を舞っているのだろうか、お互いだけを頼りに……。


 狐穴まで一人で戻ると、当然狐はいなかった。だが、私の犬が寝こけている。

 飛び起きて尻尾を振る――なんてことはなく、鼻提灯を出し入れしていた。待っていてくれたと考えるべきか……苦笑して犬を揺り起こす。

 ゆったりと歩いて帰宅。ともに摂った夕食はおいしかった

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る