ヘンウェン――迷子の白豚と蜂蜜酒のこと
迷子のヘンウェンが見つかり、昼近くに呼び出された日。
去年、港で逃げた豚の最後の一頭だ。
発見は朗報だが捕獲は大作戦になる。
ヘンウェンは白毛の大型猪で、背に生えた太い棘状の剣板内に蜜蜂を共生させる変わった生態を持っている。
牙を擦り鳴らして弱い雷の魔法を使うが、奇妙にも豚の身を守るのはもっぱら蜂の仕事だ。臆病なこの豚は敵に会うと一散に逃げ、追い詰められても攻撃に魔法を使うことはない。
魔法の用途は本当に謎だ。ただ原産地には〈花咲か豚〉の昔話があり、彼らの棲む土地は植物の実りが豊かになるという。縄張り意識が複雑ゆえに家畜化には不向きだが、野山への導入に成功した島南領州では養蜂の収穫量が倍加したとの報告がある。
私が森へ駆けつけると、警吏や近隣住民がすでに大勢集って火を焚いていた。
風を生むフェルニゲシュの羽で仰ぎ、煙を森へどんどん送る。獰猛な蜜蜂が豚の背の棘に逃げこみ、網と柵を抱えた男たちが豚を追い詰めて捕縛するのに日没までかかったものの、迷子はおおむね元気で健康に問題なし。前蹄の巻爪を削り、包帯を巻く程度の治療で済む。
素晴らしかったのは蜂蜜の収穫だ。
赤味のある金の蜜は、舐めた者に詩才や叡智、雄弁をもたらすとの伝説がある。これで作った酒はクヴァシル・ミードまたは〈詩人の血〉と呼ばれ、蜂蜜酒の中でも最高級品として名も高い。
代々芸術を愛し支援する島南の領主家では、毎年この黄金の一杯をかけて吟遊詩人が歌を競う大会が開かれる。
優勝者に与えられるのは一年間の特別な称号と、目玉が飛び出るほど高価で希少なこの蜂蜜酒、ボトル1本だ。
なんと寛大にも、豚の輸入主たる島南領主・カウィアー家は、今回だけ捕獲の功労者たる我々に蜂蜜収穫権を与えてくれたのだった。
棘は女王蜂のいる中央を避け、大きめ二本、もしくは小さめを三、四本落とすのが決まりとなっている。棘は毎年生え変わるので、豚の健康には影響がない。
作戦に参加したみんなでひと舐めずつ味わったが、クセのない上品な甘さと百花に埋もれるような強い香りは評判以上の味わいだった。まるで溶けかけた夢の琥珀を、舌の上で転がすようだった。
切り落とした棘を、私は記念に貰ってきた。王族も見物するという詩人の大会を、自分もいつか見に行きたいものだと、この季節になると毎年考える。
クヴァシル・ミードとは言わずとも、蜂蜜酒を豊富に飲める養蜂の盛んな島南の領州。老後移住しようかなどと、みんなで話に花を咲かせる楽しい夜となった。
城下魔獣医日記 鷹羽 玖洋 @gunblue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。城下魔獣医日記の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます