復活4
呆然と、目の前に現れた男を見つめた――見惚れた、とも言える。
未だ頭上にその身を浮かせているとはいえ、彼の者がとても長身である事が窺える。アスティンの父も村で指折りの巨漢で在ったが、彼の背はその父よりも更に高い。
しかし父とは違いその身はほっそりとしており、病的なものではなく、寧ろすらりとしていて美しい。長い指先も、均整のとれた体躯も、ゆったりとした服の上からでもその美しさが窺える。
宵闇を想わせる漆黒の髪は絹糸の様に美しく、風にたなびきさらさらと揺れている。
どれだけそうして居たのだろうか。眩い光の奔流と濃厚な魔力の渦が過ぎ去ると、男は緩やかに降下し始めた。
男の足が地に着くと、一拍を置いて彼の元を離れていたマントが再び彼の身に添い、そして緩やかに目を見開いた。
整った鼻梁も、形の良い口唇も、細い眉も長い、睫毛も。彼の容貌が人並み外れて美しい事を物語っていたが、それでもその瞳を目にしてしまえば、彼の容貌全てを忘れてしまう程に強く惹きつけられてしまった。
再び瞼に覆われてしまい一瞬しか見えなかったが、その深淵の闇の中、己を、全てを射抜くかの様な強さを秘めた瞳は、一度、喩え一瞬でも目にしてしまえば、逸らす事も忘れる事も出来ぬ程に心の奥底に――魂にさえも刻み込まれてしまった。
彼の唇が緩やかに開かれ、そして天上の音色が辺りに落とされる。
「あ~……ねみぃ……」
低く艶やかな声は、彼の容貌と違わず矢張り美しい。その妙なる調べに聞き惚れ、彼の言葉の意味を理解することすら出来なかった。
「全然寝たりねぇ……やっぱ、戻って寝直すかなぁ……」
ほっそりとした美しい指先が漆黒の絹糸に触れ、そしてその形の良い頭を――ぼりぼりと掻いた。
その神の創り給うた最高の芸術、音色に反するぞんざいな言動に、刻を止めていたアスティンの脳が、再び稼働し始めた。
「な……なんだ!!貴様は!!」
「何だ」も何も、今までの流れを考えれば、今目の前にいるこの美しい存在が「魔王」という事になるのだろう。しかし、今目の前にある芸術作品が、「この世の厄災」と呼ばれた魔王であると言われても、俄かには信じがたいものがある。
具体的な姿を思い描いていた訳ではないが、大きな角や鋭い牙、ともすれば人の姿すらしていない、恐ろしげで醜悪なものを想像していたアスティンとしては、この様な「魔のもの」というよりは寧ろ「神の写し身」ではないかとすら思える美しい者を、即座に「魔王」と認識する事が出来なかった。
「何だってお前……失礼な奴だな。人にものを訪ねるなら、先ず自分の名前を名乗った後、如何しても知りたいのでこの無知蒙昧な愚かしい私目にご教授いただけませんかとと頭を下げてお願いするべきだろうが」
「なっ……!!」
呆れた様な視線を浮かべる「魔王」らしきものが、矢張り呆れたように呟く。呆れていても美声なのだなと何処かで納得しながらも、アスティンは顔をかっと紅く染め、言葉を詰まらせた。
言い方や内容に多少の問題はあるが、言っている事は正しい。しかし「魔王」に対して人の礼儀を当てはめて然るべきなのかは悩むところではある。しかも、指摘をしたのは当の魔王本人だ。
二の句の告げられないアスティンを一瞥し、魔王は深く嘆息した。
「なんか……今度のはえらく頭が悪そうだな……」
ぽつりと何事かを呟いた様だが、距離があって聞き取れない。しかしその様子から、なにやら馬鹿にされている様だという事だけは分かった。
再び激情のままに叫び出そうとしたアスティンだったが、醜い声に邪魔をされ、口を噤むしかなかった。
「おお!!なんと麗しい姿か!!この私に使えるに相応しいではないか!!」
みるからに嫌そうに眉を顰めた魔王は、その騒音の元へと視線を滑らせた。
「私は邪神を目覚めさせる事が出来た!!私は選ばれた存在なのだ!!これで私の願いは敵う!!私はこの世の全てを手に入れたのだ!!」
悦に浸り、芝居がかった口調でまくし立てる醜い帝国の男。
「おお!!邪神よ!!我に力を!!」
魔王に向き直り更に好き勝手な事を叫ぶ男を、まるで視界から外したいとばかりに視線を滑らせ――そして「うげっ」という言葉と共に、本日最大ともいえる程深く眉間に皺を刻んだ。
かつかつかつ。尚も醜い男がわめき続けているというのに、その靴音は妙に響いた。
音が近付くにつれ、魔王の顔がひくひくと引き攣ってゆく。常に泰然としていた彼が妙に逃げ腰に見えるのは気の所為か。
「……久々にお会いするというのに、随分なご挨拶ですな。グリード様」
聞き慣れた声に思わず振り向くと、矢張り見慣れた老賢者が悠然と歩みよって来ていた。
「……ご無沙汰をしております。グリード様。……随分と長くお休みになって居た様で」
「……出会いがしらに嫌味と説教かよ。相変わらず似た様のばっかりだなお前ら」
「同じ記憶を受け継いでおりますからな」
ゆるやかに歩み寄ってきた老賢者は、しかし言葉とは裏腹に万感の思いを湛え、その瞳は僅かに潤んでいた。
「久しいな。オストロ」
「ご帰還、心よりお待ちしておりました。グリード様」
まるで旧知の仲であるかのように語り合う2人を、アスティンは呆然と見詰めていた。しかもその態度は、自分やクレア、族長である父や元神子である母に対するよりも更に恭しい。
一体2人はどのような関係なのか。否、それよりも、何故「この世の厄災」たる魔王に対し、敬意を向け「帰還」等という言葉を使うのか。
ぱくぱくと口を開閉させ、言葉も出せない程驚きを表しているアスティンを正気に戻したのは、先程からがなりたてている存在だった。
「おいっ!私を無視するなっ!!お前を目覚めさせたのは私だぞっ!!」
はっと全員がそちらを向くと、それに気を良くした男が機嫌良くふんぞり返っている。
「目覚めさせた……お前が?」
「そうだ!!蛮族の女を生贄とし、私が貴様を目覚めさせたのだ!!つまりお前の主は私!!お前は私に力を授けるべきであろう!!」
「なっ!!」
慌てたアスティンが何かを言うより早く、魔王が心底厭そうに告げた
「何でだよ。めんどくせぇ」
「……は?」
その場に居る――オストロ以外の人間の眼が点になる。
「何でこの俺様がそんな面倒な事をしなけりゃならんのだ。……そもそもお前が目覚めさせたとかふざけたこと抜かしてたが、だれがそんな事頼んだよ?人が気持ちよく眠っていた所を無理矢理叩き起こして好き勝手言われてはいそうですかなんて大人しく言う事聴く莫迦がどこにいる」
呆然とする一同に構わず、魔王は続ける。
「お前……人の眠りを邪魔する奴は、魔界の門番の尻尾に打たれて吹き飛んでしまえという言葉をしらんのか」
「……私の『記憶』の中にもそんな言葉はありませんなぁ」
「お前は黙ってろ」
オストロの冷静な突っ込みに厭そうに返す。
しかしアスティンにとっては「そんなこと」等と軽く流せるものではない。
――それでは一体何のために――
「では……クレアは……何のために……」
震える声で呟くと、魔王は訳が分からんとばかりに首を傾げる。
「くれ……なんだそれ?」
「アスティン様の妹御で御座います」
「あす……?」
「…………グリード様が先程から何度か会話をされた、今代の『継ぐ者」で御座います」
オストロが慣れた様子で補足していくが、今のアスティンにはそれどころではなかった。
それでは何のために父は殺され、妹までもが命をおとさなければならなかったのか――
全ては「邪神」を甦らせるため、それを阻止する為ではなかったのか。
それらが全て「無駄」であったというのなら、彼等は何故命を落とさなければならなかったのか――
怒りで爪が食い込むほどに拳を握ったアスティンを痛ましげに見つめる――でもなく、男は更に無神経な言葉を発する。
「ああ……それで生贄がどうとかなんとか……?そう言えば、そんな名前だったような……?」
「お会い致しましたか?」
「ああ……っつーか、生贄だっつうんなら、もっと綺麗で色気のあるチャンネーにしろよ。人の好みを無視してあんなお子様押し付けられてもどうしろっつうの?」
「なっ……!!貴様!!言うに事欠いて!!」
「だってお前、魔王といえば好みの美女を侍らして贅沢三昧酒池肉林でうはうはだろうが」
「…………グリード様、悪ふざけも程々になさいませ」
「なんだよ。相変わらず冗談の通じねぇ爺だな」
まるで子供の様にそっぽを向くと、不意に真摯な瞳でアスティンを見据えた。
「つう訳だ。……返すぜ」
そう言うと緩やかに手を上げる。
それが合図で在ったかのように彼の髪が中を舞い、再び魔力の奔流が訪れた。
アスティンの視界の端でクレアの身体がふんわりと浮かび上がり、魔王の傍まで運ばれる。
「クレア!!」
呆然とするアスティンの目の前でクレアの華奢な脚が地に着き、そして緩やかに目を開いた。
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