選択と、決断2
「如何であった?」
「ええ。矢張り連中がうろついております。厳戒態勢は暫く解かぬ方が良いかと」
徐々に戻りつつある戦士達の報告に、ダリエスは眉間に深い皺を寄せた。内心溜息を吐きたい気分だったが、族長である自分がその様な民を不安にさせる様な言動をしてはならない。未だ戻らぬ戦士達の帰還を待つとだけ伝え、ダリエスは深い思考の海へと潜った。
昔から、このような流言が全くない訳ではなかった。「魔法」というものは、大陸全土に広がっている。しかしそれは、才ある者が魔石等の魔力を引き出しているに過ぎず、自ら「魔力」を持つ人間は居ないとされている。自ら「魔力」を内包し、魔石なくとも術が使えるのは、精霊王の血をひくグラティア族だけであった。
精霊王の末裔率いるグラティア族は、族長だけでなく、精霊王の血が少なからず混じっている者達も存在している。時の族長の娘が嫁したりと、その血は僅かながらも広まり、そして神子という存在もあり、グラティア族は全体的に魔力が高い。そして、禁域という強大で濃密な魔力の坩堝の影響を受け、元より高かった魔力は更に底上げされている。
その様な背景もあり、グラティア族は昔から「異端の者」「異形の者」「魔の者」等と言われ、恐れられ、排他されてきた。それでも、その強大な魔力を求め、生け捕り隷属させようとするもの、その血肉から魔石を作り出そうとする者等、力に魅入られた者達は何時の世にもいるもので、グラティア族はひっそりと隠れるようにして生きてきたのだ。
しかし、最近の帝国の動きは目に余るものがある。今までお伽話の様に一部で噂されてきた程度だったものが、ここ数年で爆発的に広がり、そして「蛮族狩り」等とうたい、排そうとする動きが活発になってきたのだ。それだけでなく、「グラティア族の血肉を喰らえば不老不死になる」「強大な力が手に入る」「蛮族の祀る邪神に願えば世界が手に入る」等、一部の非常に厄介な者達の欲を刺激する内容に変化し、今では村の外に出られぬ在り様であった。
「まるで誰かが裏で糸を引いている様だ」とは村の賢者の言葉であった。一体誰が、何のために。それを考えるのは自分の仕事ではないが、それでも村を護る族長として、考えずにはいられない。このままでは危うい。再度オストロと話合わなければならない。しかし神子は……。
「族長」「賢者」そして、「神子」。グラティアは何時の時代もこの3人で護って来た。しかし、今代に於いて、「神子」は己の娘である。当然、神子にも話をしなければならないと分かってはいるのだが、未だ年若い神子には重すぎると言う事と、娘に重荷を背負わせたくない、情けない姿を晒したくないという父としての感情がどうしても邪魔をしてしまう。
先ずはオストロに意見を仰ぎ、それから神に問うた方が良いのか。
『選択を誤るな』
ふと、硬質な声が甦った。娘の口から語られた、娘ではないものの声が。あれは果たしてどういう意味であったのか。
「大変です!!族長!!」
しかし切羽詰まった仲間の声が、ダリエスの思考を遮った。
「帝国の者に?」
「はいっ!申し訳……御座いませんでした!!」
悔しげに呟く男の顔が、痛みに歪む。浅からぬ傷だ。急ぎ村へと戻り治癒魔法をかけなければ、腕が使い物にならなくなるだろう。
ざわつく戦士達を眺め、ふと、頭が真っ白になった。
帝国の動向も、オストロへの報告も、村の未来も、次期族長たる息子への引き継ぎも、神子たる娘の事も。ダリエスを悩ませていた事柄が全て何処かへ追いやられ、妙に思考がはっきりとしていた。心なしか、視野まで広がった気分だった。
男が持ち帰った報告は、最悪の事態だった。
見張りをしていた戦士は帝国の者に見つかり、増援を呼ばれそうになり慌ててその者を矢で射た。しかし僅かに遅く、増援を呼ぶ笛の音は高らかに成り響いた。慌ててその場を立ち去った戦士だったが、途中で笛の音を聞き付けた帝国の者と鉢合わせし、交戦する羽目になってしまった。一人一人は大した事ないのだが、多勢に無勢。帝国の一人の放った矢が腕に刺さり、手傷を負った所で騒ぎを聞き付けた仲間が現れ、2人で帝国の者を蹴散らし、この場へと報告へ戻ったと言う。
この場をうろついていた帝国人はまだいるのだ。仲間の死体を見つけた帝国の者達は、それこそ死に物狂いで自分達を探す事だろう。
ざわつく戦士達。先ずは彼等を落ち着けて、それから的確な指示を出す事が族長の務めだ。しかし、妙にはっきりとした思考は、そんな些末な事を端へと追いやってしまう。
『次代への交代は近く成る』
――ああ、この事だったのかと何処かぼんやりと思った。
あの日、次期族長が決定した記念すべき日に、ダリエスはそっと宴会場を抜け出した。亡き妻との約束を無事に果たす事が出来て、ほっと安堵の溜息を漏らす。
「アスティンを族長に」それがアリエスの願いだった。
神子が自分に嫁ぐと言う事。それは、精霊王の末裔に更に強い力を取り入れると言う事。だからこそ、元神子であるアリエスは神の御意志を継ぐために、アスティンを族長にしようと必死だった。
勿論自分もアスティンを族長にと望んではいるが、神子とはいえ、娘であるクレアが居るのにアスティンを族長に据える事は出来なかった。だからこそ、誰からも異論が出る事の無い様にと、厳しく躾けてきたつもりだった。要は、大祭にて優勝さえすれば良いのだ。知識や経験などは後から身につければよい。それよりも先ずは目先の大祭だと、戦闘技術を主に磨いてきた。
その甲斐あってか同年代の中では群を抜いて強くなったアスティンであったが、只一人だけ、障害となる人物が居た。将来有望な若者であり、ダリエス自身も彼を高く評価しており、彼が族長となれば一族も安心であろうと思わなくもなかった。
しかし彼は己の分を確りとわきまえており、大祭への参加を辞退していた。結果、アスティンは見事優勝し、最善の形で次期族長の座に就く事が出来たのだ。
肩の荷が、下りた気がした。自分も妻も、「アスティンを族長に」と気を張っていたのだ。亡き妻に報告を、という訳ではないが、只一人になりたかった。
そうして宴会場を抜け出し一人歩いていると、己の娘が呆と佇んでいた。訝しげに問いかけると、娘はゆっくりと振り返った。――しかしその眼は澄んだ湖色に染まっていた。
ぞくり、と背筋に冷たい者が奔った。この状態を、自分は良く知っている。
神子は、神に「導を」と願う。それは作物の状態であったり、気候であったりと様々ではあるが、神降ろしをしているときは、今と同じように瞳の色が変わるのだ。通常、神子が聖域にて神降ろしをするのだが、ごく稀に突然降りて来て予言をする事もある。
今この場で「予言」があるとするならば、恐らく自分に関する事なのであろう。ダリエスは背筋を伸ばすと、ひたと娘を見つめた。
「次代への交代は近く成る」
娘の愛らしい唇から、娘とは異なる声が響いた。
「今必要なのは、血ではなく意志を継ぐもの。お前のすべき事は、より多くの駒を彼へ引き渡す事。――選択を誤るな」
それだけ告げると、娘は口を閉じた。
ダリエスは、呆然としていた。――それは、どういう意味だ?
「次代への交代」というのは、当然アスティンへと族長の座を渡す事を示しているのだろう。だが、「近く」とはどういう意味だろう?その座を明け渡すにはまだまだ早い。それに駒とは?選択とは一体?
わけが分からず、オストロに声をかけられるまで、ダリエスはその場で固まって居た。
あの時は何の事だか分らなかった。しかし、今はっきりと分かってしまった。あの時の予言はこの事を言っていたのだろうと。
「沈まれ」
ダリエスの静かな声に、戦士達はぴたりと口を噤んだ。
「このまま帰っても、帝国の連中が諦める訳ではない。寧ろ、執拗なまでに追ってくるだろう」
「選択を誤るな」と言った。それは、きっと今この瞬間の己の選択の事。
「私が敵を引き付ける。その間に、お前達は村へと戻り、事態をオストロ様へと伝えるのだ」
その言葉に、戦士達はざわめく。
「何を……言っているんです?!」
「お……俺が残りますっ!!族長は村へっ!!」
賛成の声は得られなかった。しかし、彼等を無事に村へと帰し、そしてより多くの敵を屠るには、これが最善の策であった。
「より多くの駒を彼へと引き渡す事」が自分のすべき事だと言った。「彼」とは恐らくアスティンの事。駒とはアスティンの手足となる戦士達――つまり、今此処に居る者達の事だろう。
「口答えは赦さぬ!!これは現グラティア族長ダリエスの最後の命だ!!」
「現」族長、「最後の」命。その言葉に、ダリエスの覚悟を見た戦士達は、なんともいえぬ悲壮な顔をしていた。
ダリエスは引き千切る様に首飾りと腰飾りを外すと、ぐいと一人の戦士に手渡した。
「これを、アスティンに。今から村へ戻るまで、指揮権はヴェズリーに渡す」
「行け」と拒絶を赦さぬ声で命じると、戦士達は泣きそうな顔をしながら走り出した。
――これで、いい。選択は間違ってなどいない。これで確実に、戦士達を村へと返す事が――アスティンへと託す事が出来る。
「――ダリエス!!」
ぼんやりと思惟にふけっていたダリエスを現実へと戻したのは、力強い言葉。驚いて声の主を見やると、先程一の戦士の証である腰飾りを託した男だった。
「……ヴェスリー……」
名前を、呼ばれた気がした。最後に呼ばれたのは果たして何時の事だったか。かつて「友」と呼んでいた男。ダリエスが族長となった時、彼が弐の戦士となった時、彼はダリエスを名で呼ぶ事が無くなり、友として親しくするのではなく、臣下の様にダリエスに付き従う様になった。
「……ダリエス、後の事は俺に任せて、お前は少し休んでいろ」
彼は何時でもダリエスに従順で、側近と呼んでも差し使えない程に。「後は任せろ」なんて台詞は、終ぞ聞いた事が無かった。
「……そうだな。少し、疲れた。もう、休んでも構わぬか……」
「ああ……そうしろ」
何処か苦しげに――何処か穏やかな顔を浮かべ、ヴェスリーは足早に立ち去った。
かつては「友」と呼んでいた。そして「今」、友と呼べる人間が居ない事に漸く気付いた。
自分は族長で、人の上に立つべき存在で、一族を護る為に弱音等一切吐けなくて……。「対等」な存在等なく、自分は誰よりも優秀でなければならなくて。
そんな自分の頑なな態度が、己だけではなく、彼等からも「友」を奪ってしまっていたのだろうか。全てを背負い、只一人で走り続けていた自分は、屹度とても疲れていたのだろう。
族長の証である首飾りを外し、只のダリエスとなって漸く、彼は友としての言葉をかける事が出来たのかもしれない。
どのくらいそうしていたのか。慌ただしい足跡と複数の声が聞こえて来て、ゆるりと瞳を開いた。
全て、とは言わない。しかしより多くの敵を道連れにする事で、帝国に恐怖を与え、グラティア族に手出しをしようとする気力を殺いでやらなければ。
「我はグラティア族壱の戦士ダリエス!!死を望むのならば来るがよい!!」
その剣幕に及び腰になっていた帝国の者達は、しかし彼が一人である事を確認すると、勝ち誇ったような、小馬鹿にするような笑みを浮かべて応えた。
「はっ。たった一人で何を偉そうに。――かかれっ!!」
そうして一対多数の、一方的な戦いが始まった。
「……くっ……!!」
「な、何だこいつはっ!!化け物かっ!!」
ダリエスは、圧倒的な強さを以って、その場を制していた。しかしながら、矢張り無傷とはいかない。寧ろ身体中傷だらけで、今立っている事が不思議な位だった。
遠くから矢を射られ背中に傷を負い、動きが鈍った瞬間にたたみ掛けられた。剣で切られ蹴りを入れられ矢で射られ、それでもダリエスは剣を手放さず、鋭いその眼光が鈍ることなく。
しかし視界がぼやけ、手足に力が入らず、ダリエスは己の限界を感じでいた。
――ここまでか。
とても、静かな気持ちだった。
精霊王の末裔は、例外なくとても高い魔力を有している。しかしいくら高い魔力を持っていたとしても、それを使いこなせなければ意味はない。現にダリエスは高い魔力を有しては居るが、魔法を使える訳ではない。アスティンも同様である。
しかし、幾つか使える魔法もあり、その最たるものは族長を継ぐに当たり、最初に伝えられるものであった。
剣を振るいながら、魔力をかき集める。一撃で仕留めなければならない。より多くの敵を此方に引きつけなければ。しかし意識が朦朧としてきて、上手く魔力が集まらない。剣を振るう腕も鈍り、最早集中する事すら困難であった。
――何とか、隙を作らなければ。
焦りだけが募り、ダリエスは苛立っていた。しかし、新しくやってきた帝国の者が指揮官らしき男に耳打ちをしている隙を狙い、一気に魔力を練り上げる。
「……――が、見つかったそうで……」
「……ちらに兵を集めると……やら……だと……」
何やら味方の報告を受けたらしい男が、一部の仲間を引き連れ立ち去ろうとしていた。
――今だ!!
敵の半数が背を向けた瞬間を狙い、魔力を最大まで高め、そして放った。
精霊王の末裔は、例外なくとても高い魔力を有している。だからこそ、その血肉、髪の毛一本に至るまで、敵に渡してはならない。それが族長に成るに当たり、最初に伝えられる事であった。
その血や体の一部を使い、魔石を作りだしたり、禁術の媒介にしたりと利用される事を防ぐ為だった。だからこそ、族長にのみ伝えられる魔法があった。
それは一言で言うなら「自爆」の魔法。悪しき者にその身を利用されない為に、髪の毛一本残さずにその身を滅する為の術。
勿論アスティンにも既に伝えてあるが、父として、息子にその様な事は伝えたくはなかった。しかし、その身に流れる血の尊さ、重さを自覚させる為には、必要な事でもあった。
『今必要なのは、血ではなく意志を継ぐもの。お前のすべき事は、より多くの駒を彼へ引き渡す事』
ふと、硬質な声が甦る。
「意志を継ぐもの」というものが何なのかは分からない。しかし、神は己では無くアスティンを必要だと告げた。自分がすべきことは、彼の為にこの身を捧ぐ事だと。
――では、自分の存在とは何だったのだろうか?
一族の為に己を律し、一族の為に全てを捧げ。
しかし神にとっては、アスティンやクレア産み出す為だけの存在であり、彼等の為だけに存在する道具であったということだろうか。
なんとも莫迦にした話である。
しかし、それでも構わないと思える自分がいた。喩え神にとってはそれだけの存在で在ったとしても、今まで一族を護って来たという自負があり、愛する妻を得、愛しい子供達に恵まれ、自分はとても幸せで在ったと心から思った。
――ああ、アリエス……
「今、逝く」
小さく呟くと、それが合図であったかのように、辺りを眩い光が包んだ。
そしてグラティア族長ダリエスは、その場に居た帝国人全てを道連れに、その血肉、髪の毛一本残さずにその存在を完全に消滅させた。
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