復活の章

選択と、決断1

「フェッリが?」

「はい……何処を探しても見当たらなくて……」

 小首を傾げるクレアの目の前で、少女は項垂れていた。

「こんな事……クレア様にご相談すべき事ではないと分かってはいるのですが……」

「そんな事ないわ。神子は神の声を聞き、村を護る為のものだもの。フェッリも貴女も大切な村人である事に変わりはないわ」

 柔らかく微笑むクレアに、少女は「流石は神子様だ」とばかりに感激しきらきらと瞳を輝かせていた。そんな姿に苦笑しながらも、困ったものだと心中で溜息をつく。


 ――本当に、困ったものだ。

 現族長たる父は戦士達を引き連れ哨戒へ、次代たる兄は次代の戦士達を連れ狩りへと出掛けている。なにもこんな時にと思わなくもないクレアだった。


 帝国との諍いが本格化し、今は許可なく村を出る事を禁じられている――表向きは。

 これは限られた者にしか伝えられていないが、本当に困っているのは帝国の中心部ではなく、一部の人間の方であった。帝国で、「蛮族の祀って居る邪神は大いなる力を齎す、願いをかなえる」等という眉つばものな噂が流れているらしい。グラティア族の崇める精霊王と、彼の王が封じた魔王の存在が混ざってしまっているのだろうとは村の賢者の言であった。

 理由や原因は兎も角として、帝国の一部でその様な流言が囁かれ、困った事にそれを信じている者がいるらしい。そして更に困った事に、その力を手にせんと、グラティア族と、邪神を祀る祠を探しだそうと実際に動き出している者達が居るのは確かなのだ。故に長や戦士達は外の動きを常に警戒しており、村人たちにも村の外に出ぬようにと厳命しているのが実情だった。

 勿論、神子であるクレアはその真実を知っている。そして、村の子供たちの面倒を見ている立場として、幼い少年がそんな窮屈を甘んじて受け入れる事が無い事も。

 幼い弟を心配し、神子を目の前に恐縮しきって居る少女には申し訳ないが、恐らく彼女の弟は狭い村を飛び出そうとしているに違いない。――結界を出る前に捕まえられれば良いが……。

 クレアは眼を伏せると、世界中に点在する小精霊達に問いかけた。


(――お願い……教えて……)


 クレアの周りを清浄で濃密な空気が覆う。

「駄目!!そっちへ行っては!!」

 唐突に叫び出したクレアに、少女が顔を青ざめさせる。

「ま……まさか……」

「……フェッリと、数人の子供たちが村の外れまで行ってしまっているわ。あと少し行くと、結界を出てしまう」

「そんな……っ!!」

 少女から血の気が消え失せ、今にも倒れてしまいそうだった。

 村に張られている結界は、数多く存在する。村人が魔王廟に近付かぬ様に結界が貼られている「禁域」もそうであるし、入口付近には、村の存在が見えぬように結界が貼られている。今までグラティア族が生き延びられたのはこのの結界の存在が大きい。

 しかし、オストロと神子と精霊王の末裔以外を拒絶する禁域とは違い、村の入口に張られた結界は村人を拒絶しない。飽く迄も外敵を寄せ付けぬ様に貼られているものであり、村人が出入りする分には問題ないのだ。

 ――厳戒態勢をとった時に、村の入口も封鎖しておくんだった。

 結界を管理している「神子」であるクレアは、後悔に唇を噛み締めた。

 しかし、今後悔していても仕方がない。ぐっと顔を上げると、少女に向かって指示を出した。

「……私は、今から子供達を迎えに行きます。貴女はオストロ様にこの事を伝えて下さい」

「駄目です!!クレア様!!迎えなら私が……っ!!貴女にもしもの事があってはっ……!!」

「リリエット!!」

 恐慌状態に陥っている少女の名を呼ぶと、常にはない厳しい口調で告げた。

「貴女が行ってどうなると?私は死にに行くのではない。皆で助かる為に行くのです。その場合、この村で最も適任なのは戦士でも父でも無い、この私」

 そう、戦う訳ではない。索敵して敵をやり過ごし。見つかっても結界を貼り、増援を待てばいい。村で最も魔法に長けているのは神子であるクレアだ。魔法の使えぬ父でも兄でもない。

「大丈夫。危険は小精霊達が教えてくれるし、もし何かあっても結界を張り増援を待てば良いだけ。……何より、神の御加護があるもの」

 先程とは打って変って優しい声で諭すと、少女は今にも泣き出しそうになって何度も何度も頷いた。

「リリエット。貴女はこの事をオストロ様に伝えて。そして指示を仰いで下さい。いいですね?」

 確りと釘を差すと、クレアは小精霊達の導きに従い駆けていった。


 ※ ※ ※


「そう……ですか……」

 少女からの報告を受け、老賢者は呻くように呟いた。

「……分かりました。この件はクレア様の報告を待ちましょう……下手に動いて帝国側に動きを知られては厄介です」

 少女の悲鳴を塞ぐように、老賢者は続ける。

「もう直ぐアスティン様達が戻って来られる。場合によってはアスティン様帰還後、クレア様救出に向かって貰う事になるでしょうが……敵に悟られぬ様にするには目立たぬ方がよい」

 暗に、救助が返って危機を招く事になると示唆され、少女は苦しげに唇をかみしめた。


 ――今が、その時なのか……


 オストロは空を仰ぎそっと目を伏せると、激情を押し込めるかのように吐息を漏らした。

 偽りの平穏は破られ、塞き止められていた運命が、再び激流と成り襲いかかってくるのであろう。その勢いを止める事は、最早神ですら出来まい。

 何の前触れもなく――という訳ではなかった。それらしい欠片は、十数年前よりあったのだ。しかし、始まりはあまりにも唐突過ぎて、何の準備も出来ぬまま、只その奔流に身を任せる事しか出来ない事が何よりも歯がゆい。過去の繰り返しになる事だけは、如何しても避けたかった。今度こそ、この莫迦気た争いに終止符を打ちたかった。


 そっと目を伏せると、老賢者は少女に指示を出した。

「私は魔王廟へと赴きます。クルトへ私の元へ来るように伝えなさい。それから、貴女は村人達と協力し、他に外へ出た者がいないかの確認を。アスティン様が戻ってきたら、今後の事を話し合います」

 少女がこくこくと頷き慌てて走り出したのを見届け、オストロも禁域へと視線を定める。



 ――この少女は、間もなく死ぬ


 無機質な声が甦った。



 ※ ※ ※


『この少女に、間もなく死が訪れる。これは変えられない定め』

 あまりの言葉に呆然自失としていた老賢者は、はっと我に返ると、少女に対して問いかけた。

「……それが、貴女が今見ている悪夢、なのですか?」

「この少女が死なぬ未来。それはあの人が完全に失われてしまう未来……!!」

 わっと泣き出す様な仕草で瞳を覆うと、髪を振り乱し、狂ったように頭を振る。

 それだけは、避けなければならなかった。この世界の為にも。――何より、「彼女」はその為にずっと終わらぬ悪夢を見続けているのだから。

「……この少女を救えるのも、彼の人だけ……」

 そう呟くと、瞳を覆っていた手を下し、すっとオストロを見つめた。その瞳が大地の緑に変わる。

「……オストロ様?」

 完全にいつもの少女に戻ってしまった事を確認すると、オストロは宴会場へと戻るように勧め、盛大に嘆きたい気持ちになった。

「……相変わらず勝手な……。もう少し、詳しい話を聞かせてくれても良いものを……」

 告げられた内容はあまりにも残酷な。しかし、希望が無いわけではない。彼の復活。そして、彼女は少女が死ぬと告げたが、失われると言った訳ではない。

 「死」という概念は、その個体によって違う。人は肉体を失えば「死」となるが、「オストロ」は肉体が死した後も記憶が継がれ、その人自体は死んだのだとしても、「オストロ」自体は次代に受け継がれ、生き続ける。そして神々や精霊は肉体を持たぬ故、完全なる存在の消滅が所謂「死」となる。

 彼女の告げた「死」とやらが何を示したものなのかは分からぬが、少なくとも彼女は「少女を救える」と口にしていたではないか。

 ならば、すべきことは明確ではないか。


 「彼の人の復活」


 歴代オストロの悲願でもあり、己自身の願いでもある。

 歓喜に身が打ち震える。この瞬間を、どれほど待ち望んだ事か。


「……おじい様……?」

 か細く消え入りそうな声が老賢者の思惟を消し去った。

「クルトか……」

 居心地悪そうにあたりを見渡す少年は、立ち入りを強く禁じられている「禁域」に足を踏み入れてしまった事に罪悪感を覚えているのだろう。

 自分が初めて禁域に足を踏み入れた時は、とても嬉しく気持ちが高揚したように思うのだが、この生真面目な少年には「悪い事をしている」ような気がして居心地が悪いのだろう。

 こんなにも幼い少年に全てを押しつけてしまう事になるのは自分でも不本意な事だ。しかし、彼もまた次代のオストロなのだ。いつかはこの重すぎる荷物を背負わなくてはならない。それが、遅いか早いかというだけの事。

 ――自分の様に。

「クルト……今から大切な話をします。これはクレア様も、ダリエス殿も知らぬ事。……オストロだけに継がれている真実です」

 その言葉に少年は眼を見開いた。

「……でも、僕は……」

「オストロを継ぐに当たり、一番重要なのは、その記憶に潰されない強き心。そしてそれと同じくらい、知識が必要となる。――己の識る知識と、オストロの記憶との差異に混乱せぬよう、徐々に真実を語り継いでゆくのです」

 少年は、眼を見開き老人の言葉を呆然と聞いていた。

「これから語る事は、紛れもない真実。今まで信じていた事が根底から覆されるのだから、暫くは混乱する事でしょう。……しかし、それが真実であると、全てが白日のもとに晒される日も近い。そして、オストロの交代も間もなく行われる事でしょう」

 オストロの交代。それが意味する事を知っている少年の瞳が零れ落ちんばかりに見開かれた。

「そ……それはっ!!」

「クルト……本日この時を以って。オストロの引き継ぎを始めます。引き継ぎは一瞬ですが、その為の準備……オストロの記憶の中にある知識を少しでも多くお前に伝えなければなりません」

 そして深い知性を宿す瞳を向けると、老賢者は告げた。

「先ずは、これから起こり得る未来……それに関わる真実を。……覚悟なさい。神話を根底から覆す様な事実を、お前は受け止めなければならないのだから」

 そして老賢者が語る事実に次第に顔色を失って行く幼い次代のオストロを目に、それでも語る事を辞めず、真実を告げた。

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