屈辱の栄光
「勝者、アスティン!!」
審判の声を聞き、アスティンは大きく息を吐いた。
――ああ、もう直ぐだ。
この出来過ぎた展開も、まるで彼との勝負を天が望んでいるかの様だ。
ふるり、と身体が大きく震えた。漸く、この瞬間が訪れたのだ。決勝という大舞台で彼を打ち負かし、グラティア一の戦士の称号を受けるという、この刻を。
「両者、前へ!!」
どくんどくんと大きく波打つ鼓動を必死に抑えつけながら、アスティンはゆっくりと顔を上げ――そして瞠目した。
「まさかお前が相手とはな――本気で行くぞ、アスティン!!」
己に好戦的な眼を向けるその男は、アスティンが思い描いていた男とは似ても似つかなかった。
「ど、どういうことだ!!フランツは如何した!?」
アスティンの叫びに、男は訝しげに問いかけた。
「何?お前、フランツに勝ったんじゃないのか?」
「な、なんだと?!」
「両者、構え!!」
審判の声に慌てて男が剣を構えると、アスティンも同じく構えをとった。しかし、その切っ先はアスティンの動揺を現すかのようにカタカタと揺れていた。
「始め!!」
開始の声と共に、男が切りかかってくる。動揺していたアスティンは反応が遅れてしまったが、辛うじて剣で受けた。
「どういうことだ!!フランツはそちらに居たのではないのか?!」
「それはこちらの台詞だ!!お前もフランツも見かけないから、屹度既にお前達が当たっていて、決勝ではどちらか勝った方と当たるものだと思っていた!」
ぎりぎりと拮抗していた力を、男は更に上乗せし、アスティンを押し潰そうとする。
「……くっ!!」
慌てて後方へと飛び小競り合いから逃れると、アスティンは呆然と呟いた。
「そちらにも、いない……だと?」
「……あの噂は、本当だったんだな」
「なに?!」
「……フランツは、大祭に参加する意思がないと言う事だっ!!」
言葉と同時に再び切りかかって来る男の攻撃を、アスティンは今度は避けられなかった。
「……っ!!」
剣が手から滑り落ちた事にすら気付かず、アスティンは呆然自失としていたが、相手は容赦しなかった。
「神聖なる勝負の最中に我を忘れるなど、戦士としてあるまじき行いだぞアスティン!!」
その言葉にはっとすると、身を低くして男の懐に飛び込み、剣の柄を握った。
「くっ……!!」
剣を手放すべきか迷った隙をつき、男の腹部に蹴りを入れる。男が吹き飛び、アスティンは素早く奪い取った剣を男の首筋に突き付けた。
「勝者!!アスティン!!」
新たな族長誕生の声に割れんばかりの歓声が響くが、アスティンには聞こえて居なかった。挨拶の握手も、互いの健闘を称えることすらも忘れ、その場を後にした。
※ ※ ※
「フランツ!!」
憤怒の形相のアスティンに、フランツは変わらず笑顔で応える。
「やあ、アスティンおめでとう。これで君も次期族長だ」
その変わらぬ笑顔に怒り心頭に達したアスティンは、乱暴に胸倉を掴んで詰め寄った。
「ふざけるな!!何がおめでとうだ!!貴様、何故大祭に出なかった!!」
そのあまりの形相にひっとクレアが小さく声を漏らしたが、アスティンは気付かずに更に力を入れた。
「どうなんだ!!答えろフランツ!!」
「少しは落ち着けよ、アスティン。次期族長ともあろう方が、そんな様子じゃ困るぞ」
いつもと変わらぬ揄う様な言動に、アスティンは何かがふつりと切れる音がした気がした。
「ふざけるな!!質問に答えろ!!貴様、何故大祭に参加しなかった!!」
「何故って……それは重要な事かい?」
「何だと?!」
フランツはふうと溜息を吐くと、ひたとアスティンを見つめた。
「俺が大祭に出るとか出ないとか……そんなのはどうでも良い事だ。まぁ、質問に答えろとの仰せだったね。理由は簡単だ――俺には参加資格が無い……これで満足かい?」
「なっ……!!」
二の句が告げられずにいるアスティンの手を握ると、離せと小さく呟いた。
「正式なグラティアの民では無い俺には、大祭に出る資格はないと言ったんだ」
「そんなことっ!!」
「――そんな、こと……?」
全てを凍らせる様な冷たい声で呟くと、温和な仮面を脱ぎ棄て己の胸元にあるアスティンの手を無理矢理引き剥がすと、みしみしと音がするほどに強く握りしめた。
「そんな、こと……?お前はそう言ったのか。次期族長であり、偉大なる精霊王の末裔たるお前が!!」
「ふ…ら……」
「仮定の話をしようか、アスティン。喩えば俺がお前よりも強かったとする。それこそ、お前なぞ片手で一捻りだ。強さを至上とするグラティア族としては、当然俺を族長にと望むだろう。クレアを娶り、俺達の子に後を継がせれば、精霊王の血により優秀な戦士の血を加える事が出来、グラティア族は安泰、めでたしめでたし――本当に、そう思うか?」
ぎりぎりと、フランツの指が食い込む。
「いいか、アスティン。このグラティア族に於いて、精霊王は神にも等しい。その血を継ぐお前達は謂わば神の末裔だ。その特別な血を持つお前達は、生まれながらに優れた能力を有している。――その神の末裔たるお前が、只の村人に負けるわけにはいかないんだ――しかも、俺は『只の村人』ではない――蛮族の血を引いているんだからな」
グラティア族は、精霊王の末裔の一族。そして、魔王と戦い人々の味方をした精霊王アストールは、グラティア族で崇め奉られている。しかし、この世界に存在する人間は、彼等だけではない。中には、グラティアで信じられている神話すら否定する者達も居るのだ。
その最たる者達は、唯一神を父祖に持つと公言し、最大勢力を誇る「神聖帝国」である。
この帝国からすれば、唯一神以外を信奉している者達は須く邪神教徒であり、粛清の対象であったりする。小さな村々を併呑し勢力を伸ばして来た帝国がこのグラティアにも眼を付け始め、小競り合いを繰り返し始めたのはここ十数年の話。
――そしてフランツは、その帝国の血を引いているのだ。
グラティア族は戦士の一族であり、当然女戦士も居るのだが、フランツの母親はそうではなかった。
そして不運にも、村を出ているときに帝国の人間に凌辱され、フランツを身ごもってしまった。
フランツの母親は発狂し、自殺をしようとさえしていたのだが、それを止めたのは神子であるアリエスだった。
『この子はグラティアに必要な存在となる。殺める事は赦しません』
奇しくも、フランツの命を救う事がアリエス最後の神子の仕事であった。
その後、フランツを産んだ母親は、我が子の誕生を見届けることなくこの世を去り、フランツは村人たちの協力を得て育てられることとなった。村人はフランツを特別視せず、グラティアの民として自然と受け入れていたのだが、誰より何より、フランツ本人が己の出生を恥じていたのだ。
己に流れるグラティアの戦士としての血を誇り、己に流れる穢れた帝国の血を疎んじ。
そうして彼は、戦士として誰よりも誇り高く在りながら、自己否定の塊の様になってしまったのだ。
「いいか、アスティン。精霊王の末裔として、誰にも負ける事は赦されない。それが、俺であれば尚の事だ。蛮族の血を引く俺に負けると言う事は、即ち、精霊王の血筋よりも帝国の方が優れていると言っているようなものだ」
頭ががんがんと煩い。――これは、何なのだ?
握られている手が痛い。胸が――苦しい。頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受け、目の前は真っ白で何も見えない。
――目の前の男は一体何を言っているのだろうか。
「悔しいか、アスティン。――ならば、強くなれ。誰にも……お前自身にも文句を言わせない程強く」
その言葉に、ふっと目の前が明るくなった気がした。ぎりと目の前の男を睨めつけると、思い切り男の手を振り払う。
「当たり前だ!!俺は誇り高きグラティアの戦士!!偉大なる精霊王アストールの血を受け継ぐ者だ!!……強くなってやるさ!お前など足元にも及ばぬくらいにな!!」
勢いよく宣言すると、アスティンは足音荒く立ち去っていった。
――こんな屈辱は初めてだ。
勝利を譲られ、己の未熟さを諭され、まるで子供扱いだ。
――まるで……自分の相手になどならないと、突き放された様だった。
自分より遥か高みにいるあの男は、自分の事など歯牙にもかけていない。
――こんな屈辱は初めてだった。
アスティンの頬を熱いものが伝う。
――ああ、強くなってやるさ。お前なんかよりも強く。
ぎりと唇を噛み締めると、アスティンは会場へと足を向けた。欺瞞に満ちた栄光を手にする為に――
その後ろ姿を見つめながら、クレアは非難するように呟いた。
「言い過ぎよ、フランツ」
「でも、真実だ。精霊王の末裔という立場は、只の特権じゃない。その立場に付随する様々な問題も生じる。――清濁併せ呑みそれらを全て背負って行く強さがないと、やっていけないよ」
「でもあんな言い方――」
「大丈夫。アスティンは強いよ。この悔しさをばねに、もっと精進するさ」
クレアが尚も言い募ろうとした時だった。
「いいか!!フランツ!!この後の選抜試合には出ろよ!!今度こそ、逃げる事は赦さないからな!!」
立ち去ったと思ったアスティンの怒声に、思わず2人は顔を見合わせた。
「……ね?言った通りだろう?」
「……どうするの?フランツ」
単純な兄に呆れつつも、隣の美しい青年に問いかける。
「――さて、どうしようかな……」
フランツの呟きが風に攫われ溶けて行った。
族長に娘が産まれた時にのみ開催される「大祭」とは別に、8年に一度行われる神前試合がある。それはグラティアの戦士――帝国で言うところの「兵士」を決める戦いでもある。族長の娘との結婚を前提としている為男しか参加出来ない「大祭」とは違い、此方は女も参加出来る。
そして、上位10名のみがグラティアの正式な「戦士」と認められ、族長を支える村の幹部となる。
実際、フランツは悩んでいた。大祭には参加しないと強く決心してはいたが、この神前試合まで放棄するべきか否か。蛮族の血を引く卑しい身で村を牽引する幹部と成る事には抵抗があるが、グラティアの戦士として認められる事は、一族に生まれた者として一度は夢見る事でもある。
しかし前科がある所為かアスティンはしつこく、あれから何度もフランツに言いに来るのだ。
試合に出るからには本気で行くつもりだ。――手加減をする事は、相手を貶めると同義なのだから。
――ならば、本気で行くしかないか。
アスティンにあれだけ偉そうな事を言ったのだ。自分も腹を決めるべきだろう。
――そしてフランツは、圧倒的な強さを以って試合を制した。
他の追随を許さぬ彼の実力は、彼の「強さ」を知る人間でさえも唖然とさせてしまった程だった。
そしてそれは、高みから見物していたアスティンにも同じ事がいえた。
ぎりと強く拳を握る。彼の「強さ」は知って居た筈だった。しかしそれは、彼の実力の全てでは無かったのだ。
――勝てない。
アスティンは、もう何度目になるか分からない敗北を味わっていた。
そしてアスティンは、次期族長の位を戴いた。彼の背後には、神前試合を制した10名が控えている。今後、アスティンを支える事となるグラティアの戦士達。その中には当然フランツの姿もあった。
この「栄光」は、彼に「譲られた」ものだ。彼が参加していれば、今この場に立っているのは彼だった筈なのだから。
――それでも、それが精霊王の末裔としての責務であるというのなら、自分はそれを受け取らざるを得ないのだ。
この日、屈辱に塗れた栄光を手にしながら、アスティンはその重さを自覚したのだった。
※ ※ ※
「……クレア様?」
次期族長誕生に沸く会場から一人離れたオストロは、神子である少女と、娘を呆然と見下ろす現族長の姿を見つけた。
「ダリエス殿まで……一体どうされたのです?こんな祝いの席に……」
しかし、オストロに気付いていないのか、ダリエスはまだ呆然としたままだった。
「ダリエス殿……?」
彼のこんな姿は珍しいと訝しげに呼びかけると、ダリエスははっとしたようにオストロを見つめ、そして何かを言おうと口を開く
「いえ……何も。……失礼します」
しかし言葉は形を成すことなく、ダリエスは辞去の言とともに立ち去って行った。
「クレア様?一体――」
何が、あったのだろうか。少女の名を呼び――そして賢者は固まった。
少女の瞳は澄んだ湖色に染まっていた。
「――貴女は……」
オストロが口を開いた瞬間、少女の可憐な唇から、少女のものではない声が響いた。
「この少女は、間もなく死ぬ」
その言葉にオストロは眼を見開いた。
「……何を――」
「これは避けられぬ定め。この少女に死が訪れる」
村人たちの熱狂を余所に、ダリエスの背中を冷たいものが流れ落ちた。
――運命の足音は、すぐ、其処に
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